「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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まだ行く気になれないお店

2016-06-18 | ●介護回想(2015~)
やっと、色々エネルギーが戻ってきた気がする。

なかなか積極的に、○○行ってこよう~~と思えなくて、どうしても行かなきゃならない場所、やらなくてはならないことはこなしつつ、
たまには友人とも会うけれど、ずっと半冬眠生活
ウツか?とか思いながら上がったり下がったりなメンタル。

やっと、上がりきって継続出来るようになったような……。

ひさしぶりに出向いた店あれこれ。
気持ちが上向いて出掛けると、色んなものが目に入って
欲しくなって……

冬眠生活しているとお金、使わない

なんて思ったり。

だけどまだ行けないお店が一つ

洋服や雑貨を扱うお店。

店長も店員さんも、私が母の介護をしてたことを知っている。
病院通いをしている時にも帰りに寄って話をした。
その頃は、ある意味、愚痴も言える場所だったけど
今は
行けば母が亡くなった話をすることになるのが嫌で足が向かない
絶対、聞かれる

亡くなった報告が嫌なわけではなく……

ここで特に療養病棟入院後に何度も言われたのが

年齢からいったらもうね……
しょうがないから……
一人は気楽でしょ……
というような話

そうだよね……と答えてたけど……

行けばきっとまた言われるんだろな~~と思うと
まだ行きたくない、行けない。

慰めやエールの意味だろうと分かるけど

嫌だ。


きっと私もそうだったと思う。
人って
なんとか相手を元気づけようとか、心が穏やかになるようにとか思って、いろんな言葉を言うのだけど、
まあ、それが、仕事の愚痴とか、ちよっとした人間関係の悩みならいいんだけど
重い話は、安易に慰めの言葉なんていうもんじゃないんだな……って学習した。

介護中の人への慰めもそう。
同じ経験をしている者であればまだしも、そうでないときは、ただ聞くだけで十分なんだと。

難しい。







昔々細木ナントカさんの番組に桝添ナントカさんが出て介護の話を…………。

2016-06-08 | ●介護回想(2015~)
何年前か忘れたけれど
細木さんがテレビ出まくっていた頃。
彼女の番組に桝添さんが出演した。

その頃私はすでに介護中
そして介護の話題が出た。


桝添さんが、週末だか月末だかに帰省して介護をしていることを話していた。

今も記憶しているのは

桝添さんが
「認知症の母親とはいえ女性なので僕はオムツかえをしない。妻にさせている」という主旨の発言し
それにたいして細木さんが
「何いってんの、認知症なんだから、何もわからないんだから、あんたがやりなさいよ」といい放ち
桝添さんが
「重度でない認知症は色々わかる」というような反論をしたこと。

この時は、桝添さんより細木さんにムッとしていた私。
いつも、自分は何でも分かってるという上から目線だけど認知症のことは何も分かってないじゃない!……と。
でも、結局桝添さんも自分ではやってないじゃないの!とも思ってた。

その後、実姉さんとなにやらもめていたから、何しに帰省してたんだか……と思ったけれど

実際、テレビ取材用に車イス押してただけらしい。

それで本を書いてしまうなんて詐欺だ。


親類にも変なのがいる。

祖父の葬儀にやって来た伯父。
介護のための帰省だと航空券が安くなるからと、私に介護保険証をコピーしろと言った。

心の中では
「あんた介護なんて一切してないし」と思ったけど…………。

その上なんだかんだ文句ばかり、お金のこともあとになってグチグチグチグチ。
通帳から何から渡すから入院費は振り込みでもなんでも出来るでしょ……と言えば
いやいや、遠いから無理だ!という。

伯父は本州在住。
祖父母は療養病棟に入院していて、我が家が一番近いので病院関係のことは全部請け負ったいた。
当然、祖父母の通帳を預かっていたけどそれが気に入らなかったらしい。

その後、縁が切れている。

桝添さんと違って微々たる預金しかなかったのに、こういう場合のお金の問題は金額じゃないらしい。
私はいつも、祖父母二人の受けとる年金(満額ではない)と預金を計算しては、このまま○年二人で入院していたらマイナスになる~と心配してたのに……
長男であるあの伯父は全く……

祖父母のことではそんなこともあったけど、
私は一人っ子だから、親の介護でそうしたトラブルはない。
一人ゆえに、キツイことも多々あるけれど
一人ゆえに楽なこともあるわけで

どちらがイイと言えるわけもなく

ただ、人はなんとなく無い物ねだりをしてしまう生き物。

なので

介護とは縁のない人が一番楽だよね~~といってみる。




介護中は二人分の人生を生きている?

2016-05-18 | ●介護回想(2015~)
認知症の介護の場合
本人に意思確認が出来なくなると、介護者が代わってあれこれ判断することになる。
当然、進行するに従い、そういう場面は増えていく。

デイサービスをどこにするくらいの判断はまだしも
生き死にに関わるような話になると、ホントに重い。

自分ではない人の、最期に向かう道筋に責任を持つ。

そんな介護が何年も続く。

結局、二人分の人生をその間生きているのかな?

だったら当然消耗する
介護が終れば当然、荷下ろし症候群にもなるよ。

深く関われば関わっただけ消耗するはずだから
最初から距離をおける人は、その方が多分、いいんだろう。
介護中も、介護が終わった後も、そのほうが楽なはず。
無理矢理にでも距離をおいたほうがいいのかもしれない。
私には出来なかったけど。

以前
自分より年上の世話をする動物は人間だけ。
だから介護はむずかしいこと。
というような話を聞いたことがある。
確かに、人間って、年下に対しては寛容になれるけど、年上にはなりにくい。
年下の世話は優しく出来ても、年上だと、何で私がこの人の世話を?となりやすいものね。

人も本来は
介護が必要になる前に、ひっそり死ぬべき生き物なのでしょうか?


災害弱者

2016-04-28 | ●介護回想(2015~)
「災害弱者」過酷な生活 難病や車いす、寝たきり… 福祉避難所開設少なく (西日本新聞)のコメント一覧 - Y!ニュース



この記事のコメント欄に
強者なんていない。健常者だって被災者。
という主旨のコメがあった。
その方、多分、壮年の男性なのだろう、健康な男性が一番後回しにされているという感想を持ったらしい。


こういうコメを見ると
避難所で周りの理解を求めるのは難しい
と、思ってしまう。

障害とか介護に無縁な人達すべてに、全部受け入れて、わかって~~というのは酷なこと。仕方ないこと。



寝たきりの母から目が離せないから、配給の列の長さを見てあきらめた
なんて話を読んだら泣けてきた。



認知症初期ならガッツリ手をつかんで一緒に並ぶことは可能だけど
果たしてどのくらいの時間だまって並んでられる?
うちの母なら私が力ずくで止めておけるけど、被介護者が自分より大柄な男性だったら難しい。

進行してからだと車イスだったり寝たきりで一緒に並べない。
パッと行ってサクッと受け取れないなら、私も諦めるかも。
長く一人にしておけないから。


介護中は
初期には初期の、重度になると重度ゆえの避難困難(と思われる)要因を考えて
どうか、介護中に、そのような災害がありませんようにと祈るしかなかった。
進行してからは、運を天に任せるしかない……と思ったけれど……
逃げられないし。


トロミ食しか食べられなくなった母のことを思うと、
ペットボトルとオニギリやパンでは、食事出来ない人はどうしたのだろうかととても気になった。
配給に介護食あるのでしょうか?
お水用にトロミ剤なんてないよね?

オニギリ……
私が咀嚼してから…………という方法が最初に思い浮かんだ。
お水はどうしよう?

なんか切ない……。



介護回想:外食のお話

2016-04-13 | ●介護回想(2015~)
何度も書いてることですが
母は認知症初期の段階から、私のことは時に「妹」だったり「他人」だったりしてた。
24時間ではないものの、その切り替わりははっきりしないので
いつから妹で、いつ他人で……と明確にいうのは困難。
普通に話していてちょっとした言い回しで、あっ、今妹だったのか……と分かる感じ。
例えば「あなた誰?どうしてここにいるの?」などと言われることはなかったので。

介護度が2や3の頃、デイのない日のランチ時に
「ご馳走するから外でたべましょう」と母から誘われると、今私は娘ではないのね……とわかる。

歩いて二分くらいのところに、カフェコーナーのあるパン屋があって、セルフサービスで安く食べられたので、認知症発症前からよく行っていた。その習慣なんだろう、ランチ時間になるとよく誘われた。

娘と認識されてないと分かるのは、悲しいし悔しいしイライラもした。
でも、抵抗したところでいいことは何もないと分かっているから、黙って従う。
大抵の場合、店に着いた時には、私は娘に戻っていた。

が、ここからも多少の芝居は必要。

店は始めに食券を買い番号札を貰って呼ばれたら取りに行くシステム。
母はすでにそれを理解出来てない。
でも、認知症者はプライドがある。
加えて、母は自分が払うというスタンスは崩さない。
だから、メニユーから
「○○にしようか?」と聞きながら、実は私が全部決めて、
そして「私が注文してくるね」と言う。
すると母は自分の財布を私に渡すので、遠慮なく受け取って払ってくる。
実際、母の財布を管理してるのは私なんだけども。
(徘徊の時、いつも持って出掛け買い物をすることもあったから、常に幾らかのお金が入っているようにチェックしていた)

介護者は俳優にならなきゃいけないらしい
とはいえ、家族の場合、それはなかなか難しい。
なのに、案外簡単に、芝居して、相手に合わせて、受け入れて
と、医者や介護専門家や、マニュアル本は言う。
ある日突然介護者になる素人になんで簡単にそう言うんだ?
家族だから出来ないのに。

出来なくても落ち込まなくていいから…………なんてことまではなかなか言ってもらえない。
私が介護者になったころは、介護者のケアなんて認識もなかったし。
だから、イライラする自分は人としてどこかおかしいのか?って思ったこともある。
(まあ、あれこれ欠陥はあるけど)

それにしても
認知症のこの切り替わりって、不思議だ。
出来ない……と思っていたら、ある日、ある時、ある場面では出来てしまうのだ。


家での食事、自分で食べられはしたけれど、こぼすし汚すし時間もかかるようになっていた頃、
それでもまだギリギリ外食できるかな~と、近所の店に夕食に行った。
認知症発症後にも何度か行っていて、母のこともある程度わかってもらっている店だったので大丈夫だろとも思って。
でも、ウエットティッシュもしっかり持って、四人掛けテーブルの、普通は向かい合って座るところを隣に座り、それなりの覚悟をして気合いを入れていた私。
なのにこの時母は、
美しく完食

どんぶりものだったこともよかったのだろうけど、お味噌汁もキレイに飲んで
なんだか私は…………脱力…………
まあ、お店に迷惑かけることもなく、良かったんだけども

ああ、なんだよー認知症っていったい……………………(-_-;)

という感じ。


不思議な認知症。
というより、脳の不思議というべきなのか?
だからなおのこと、介護者は振り回されてる感が強い

なんだ、出来るのかい?!

みたいな。

認知症になって、理性のフタがぶっ飛んだ母だったけど、
カッコつけたい場面では、フタがピッタリと戻っていたらしい。


うちでもそれくらいきれいに食べてくれたらね…………
私はラクだったよ。





介護……とにかく助けが欲しい時

2016-04-02 | ●介護回想(2015~)
我慢すればなんとかなるとか
どうにか調整すれば切り抜けられるとか

在宅介護中の「困った」にも
介護者がなんとか対応することで、他人様に迷惑かけずに切り抜けていることは多々ある。
でも
どうにもならないこともこれまた多々ある。

母の発熱で一週間家から出られなかったとき
応診はしてもらえたけど、薬を取りに行けない、食料も買いに行けないという状況になってすごくこまった。
当時はフツーのデイサービス利用だったから
デイに行けないなら、ただお休み……ということヘルプは何もない
訪問介護を利用しても基本オムツ替え30分。
ケアマネも、30分入ってもらっても何も出来ないよね……という感じだった。

結局
保険外でニチイの家事代行サービスを利用した。
来てくれたのは以前、趣味活動とか生活支援の名目で訪問介護を利用できた頃の担当ヘルパーだった。

独り暮らしなら色々使えたヘルパー
私がいるから使えない
身体介護なら色々使える支援
体元気な認知症は使えない
でも、介護者一人の私は、身動きとれないんですけどー!ということが色々ある!
なぜそういうときにヘルパーを使えないんだよ!!?介護保険は。

……と、ホントにホントに思ったあの時

どうにかして~~と訴える時は、もうどうにもならない時。

ごくごく普通の感覚の人ならば
出来る限り自力でなんとかしようと思うもの。

毎週○曜日、○時~○時までのデイ

これを守って利用したい
介護スタッフに負担をかけたくない
と思っている

でも
どうにもならなくておねがいする
頭を下げてお願いする

そんなときに
あっさりと無理と言われたら………………
世の中から見捨てられたような気持ちになる。


困ったことがあったらいつでも連絡して…………と、おそらくどこの事業所もいうはず。
その言葉は介護者には安心感となる
そしてもちろん
その言葉通りにいつでも駆けつけてくれる人もいるだろう。

でも、そうではない場合もある。
もちろん、事業所にも色々都合はあるでしょう。
でも、緊急に何かがある確率高いのが介護だし……
本人ではなく介護者側にそれは起きるかもしれなくて、そして簡単に家族や友人に代わりを頼めないのが介護だし……

どうしても受けられなくても、その時に少しでもあたたかい言葉があれば(介護者側の勝手な言い分かもしれないけど)信頼は壊れない。
今回はうまくいかなかったけど今後もよろしくとなるけど
途方にくれている時にあっさりスルーされたら…………どうだろう?
切ないなぁ。


小規模多機能がその辺は一番細やかに対応出来るかな?
臨機応変に。
それでもやはり、行き違いとかなんとかかんとか…………
私自身もトラブル(とまではいわないけれども)ぽいことは経験した。
微妙な空気になったこともある。

出来ることと出来ないこと。
パンフには書かれているけれど実際は…………というようなズレ。
なかなか難しい部分もある。

ただ
ある介護スタッフが緊急で呼び出されて訪問したら
そのお宅では焼き肉パーティー中
オムツ替えをしてくれということだった。
毎週決まりの訪問ならともかく緊急でこれはさすがに酷い

こんな利用者もいるからね……
この話を聞いた時、サービス提供する側だって制限かけたくなるだろうって思った。

さて、どうしたらいいのでしょうか?



荷おろし症候群から抜け出すための時間

2016-02-25 | ●介護回想(2015~)
知人Aさんに一年ぶりに会いました。

実は介護が終わり、ウツウツしてまして……と話したら

Aさんも
過去、お父様が亡くなったあと二年半くらいそんな状態だったと……

病院に通っていたので、しばらく、その地域に行けなかったり、
人と会うのが億劫で、その方は自分がオーナーのお仕事をしているのだけど、それもままならず、スタッフの力を借りてなんとか切り抜けたらしい。

「どうしてもやらなければいけないことは、なんとかこなしつつ……という感じデス」
といった私に

そうそう!と共感してくれた。

二年半か……


わたし、電子レンジを買いに家電量販店に行きたいのだけど
その店は
向かいが母の入院していた病院
道路挟んで隣が老健
出来れば行きたくない。
今はまだそんな思いです。

不思議なことに
母が亡くなった2週間後くらいには入院費を払いにいき、3月?くらいには洗濯機を買いに量販店にも行けた。

その時は
さほど悲しいとか苦しいとか思うこともなく
案外平気だわ~~と思ってたんだけど。


Aさんはオーナーとしてバリバリ仕事をされてる方。
私は勝手に
そんな環境にある場合は荷おろし症候群なんぞにはならずに乗り越えていけるのだろうと思っていたけれど
人の心はそんなに単純ではないらしい。

介護というのは
概ね長く、関わる質というのもかなり厚く重くなる。
被介護者が高齢、まして認知症となると、様々なところで、介護者が判断し、決定権を持つことにもなる。
他人(家族だけど自分ではない人という意味で)の生き方、暮らし方、生存権?にまで責任を持つことになって……
でも
その他人の意思を確認することはおそらく出来ないまま、治癒することはなく大抵は自分より先に亡くなって
介護者は残される
たとえまわりが、お母さんは分かってるよ……と言ってくれたとしても……なんの確証もないままに。

その辺が重さなのかな?
もちろん人によるだろうけど


荷おろしはそう簡単にはいかなくて

軽くなったはずの肩なのに
慢性化した肩凝り同様に
見えない重みが心にもっさり………………

息苦しいなぁ……と思うこともある。

Aさんは「ザ・ひきこもりだった」と言う。
私は「今もまだ半冬眠中デス」なんて返す。

でも、
ああ、私だけじゃないんだな……
時間はかかるものなんだ……
と思えて、少し楽になった気がした。









介護に不満ありアンケート

2016-02-13 | ●介護回想(2015~)
なんとかという研究機関が千人くらい?の介護サービス利用者にアンケート。(利用者&家族)

リンク貼ろうとしたけれど、元ニュースさがせなくて、とりあえずこのまま進みます。

まず、見出しをパっと見たときに
スタッフの介護の仕方に不満ありというイメージがした。

記事を読むと、不満の%の多いものがいくつかかかれていて

その分析?解説?として
施設でのスタッフ間の申し送り的なことがスムースに行われていないんじゃないのか?
というようなアンケート実施機関の人の話が載っていた。


で、私は最初

介護スタッフも千差万別。
経験値の高い人もいればそうでない人もいる。
家族介護も数年になれば、資格を持ったスタッフよりも経験が……なんてこともある。
それに
スキルより相性だったりもするので、単純にあのスタッフの介護は×なんて言えない
介護って出会いなんだよ~もうそれ運命~

なんて思ったけど……

アンケート結果をよく見ると
上位は

自己負担額が高い
利用回数に制限がある
だった。

その次に
介護者によってサービスに違い

そのあとには
保険外であるために拒否される
などが挙げられていた。


結局

介護保険制度への不満がほとんどではないですか?!

確かに何でもオーケーには出来ないだろうけど
制度への不満なら改善は出来るはずで……

改善してください。

改悪ではなくて改善。


保険制度が出来る前から介護していた方が言いました。
「前のほうが良かったよ。色々対応してくれた。今は保険外だからダメと言われる」と。

施設職員も言いました。
「前は措置費だったから、それをどう使うかは施設ごとに自由。だから、利用者さんが望み、こちらも対応出来ると思えばやるたけど、今は制度の壁が……」と。


「保険制度によって、利用者さん、サービスという受け取り方が強くなったのはプラス」
と言っていたことも書き加えておきます。


それから~

自己負担が高いという不満が一位でありながら
保険外のサービスも利用したいという答も%高かった。
これはどういうことだろう?
保険での自己負担が高いという不満があったら、普通は、保険外なんて高くてイヤ!となりそうな気がするんだけど…………?



介護:行動障害、根本原因を解消しないとダメって言われてもね……

2016-02-09 | ●介護回想(2015~)
先程、チョロチョロと認知症関連サイトを見ていたら

介護している家族さんは大変……とエールをくれながら
様々ある問題行動(行動障害)にどう対処しようか?という話で

例えば

徘徊する→ドアに鍵をかけよう
妄想がある→適当にごまかして忘れさせよう

などと対応してしまうと
解決にならなずに繰り返すだけと書かれてた。

じゃ、どうする?

根本原因を見つけなきゃ!
ということで

原因として
心理的な要素(不安、さびしさ、怒り など)
周囲の働きかけの問題(いきなり手をつかんだなど)
体の不調
薬の影響
環境
以前の習慣

が挙げられていて、それをクリアして解決へ
……ということだった。

もちろん、素人の家族だけでは無理だからケアマネなどの力を借りて。


クスリのせいとか体調、周囲の働きかけの問題ならば解決も可能

でも心理的な問題、以前の習慣、環境は
難しい

仮に以前の○○習慣のせいだ!と判明したとしても
難しい


母は
以前住んでいた町に帰ろうとしてよく出ていった
分かってたよ
でも、解決なんて出来なかった。

もう、その町に家はない

なんて言っても通じない

一度帰って元の家を見るなりすると納得、もしくは満足?するかもとデイのスタッフが連れて行ったこともあったけど、徘徊は止まらない。

タクシーに乗って何度も帰ってしまった。


解決なんて無理……と私は思う。

結果として、一番波風立たない方法は
出たい時には黙って出して、こっそり着いていき
適度なところで声をかける
そのときのリアクションで大丈夫と感じられたら
何事もなかったように自宅への道を行く。
ダメそうならまた歩く。
時間は掛かるけど一番安全だった。

ついて歩く家族にはほぼ拷問……。


うまく解決する人もいるのかもしれないけれど

根本原因をクリアして……なんてサイトを見ると
どうしても

キレイゴト

に思えてしまう
ひねくれた私

まだまだ足腰元気な時に認知症になったから徘徊には悩まされた。
介護者として精神的に一番苦しい時期。

たくさん歩いた。

本人、疲れを感じないらしい。
炎天下でも、寒い冬でも。


でも

永遠に続く徘徊はない。

いずれ止める。

いずれ終る。






介護回想:あなたはだ~れ?

2016-02-07 | ●介護回想(2015~)
(この話を書いたことがあったかどうか記憶がない)

介護認定を受けたあとか、まだ受診出来ずにいたときか
もしくは、まだ認知症(当時は痴呆と言っていた)とは思っていないけれども、なんか変?と考えていたころか?

とにかく初期の頃
いつもと違う言葉づかいで話しかけられて
?……と思ったけれど、次の瞬間にはいつも通りで、なんでもないのか?と私も混乱していた時期でもあったように記憶している。

そんなある日

「あなた、○○さんとどういう関係なんでしょうか?」
と母に言われた。

○○は父の名前

体中、電気が走った。

母は
紙と鉛筆を持って私のところにやって来た。
○○さんとの関係を書いて……ということだった。
言い方は柔らかだったけど
私はなんだかとても怖かった

娘ではないことに慣れてしまった時ならば、受け止めて流せるけれど、その時はまだ無理。
あまりの展開に心がついていかない。
本当に分かってないんだというショック。
そして
まだうまく受け止めてかわせない自分はストレートに向き合ったら、必死になって「私は娘よ!」と言いたくなることも分かってた。
ただ、それをやったら事態はもっと悪くなるくらいの理解はあった。

逃げる

それが一番と思った。
向き合う勇気もないし
口を開いたらグチャグチャになりそうだったし。

仮に事実を紙に書いたら(系図みたく)嘘をついていると責められる?
ならば適当な作り話で遠い親戚にでもしておく?
追及されると困るけど。
実際はあまりに急なので作り話も思い付かなかったけど……


逃げた。
「今から出掛けるので帰ってきたら書きますから」と言って。

それでとりあえず納得してくれたから救われた。

この頃は短時間なら母を一人にしてもほぼ大丈夫だったから、私はホントに出掛けた。
確か本屋か家電量販店か近くの店に行ったはず。

関係を書かされる事態から逃げるとともに
母から逃げた
その現実から逃げた
自分を保つために逃げた


忘れられないデス、あの日のこと。


不思議なことに、このとき以外母から
あなたはだれ?的な聞き方をされたことはない。

幸いに……というべきか?

あの時以外、母の中で私が娘ではない時間には
妹やら何やら、とにかく、なんらかのツジツマが合う誰かに変身でもしていたのか?!
どう見えていたんだろ?
脳のマジック?

「学校行かなくていいの?」とか
「大人になったら買いなさい」なんて言われたこともあったっけ。

自分の子供はまだ幼児みたいな話をしていたときもある。
その時、母には私がどう見えていたの?

いろんなことが不明のまま……誰にも答えはわからないまま
全部終わった。