「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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三回忌

2016-12-10 | ●介護回想(2015~)
先日7日に三回忌を終えました。
住職に来ていただいてお経をあげてもらうだけの簡単なことしかしていません。

その準備をバタバタとしている時に、ドアに指を挟み、まだ中指がしっかり曲がりません。
右指やられたので、タティングも出来ないし、エレクトーンも弾けないということで、日常生活への支障より、
自分にとっての、今現在の好きなことbest1,2が封印されてしまったのが辛い……(まあ、あと少しで復活出来そうですけど)

三回忌の仕度でこんなことに……と思わず母を恨む?

彼岸とかお盆の読経はミニ蝋燭でいいけれど、一周忌とか三回忌のような時はミニ蝋燭では足りないのよね……でも、そのこと忘れててやはりまたミニ蝋燭使ったから途中で燃え尽きた。

おりくぜんの器は、もう間違えない。
しっかり覚えた。
煮物系が二つになってしまったのは許して貰う。1つは和え物系がよいのだけど。

おりくぜんについては、うちの住職は「絶対」ではないようで、なければないでなにも言わない。
人によっては、ご先祖様の分とご本尊様の分と二つのおりくぜんを用意する方もいるらしい。

そんな話をうかがったので
「例えばお供えものなど、何人も亡くなっていても一つで問題ないものですか?」と聞いてみた。
一つの家なら一つでいい……とそんなふうに聞いたけれど、ホントのところはどういう解釈なのかしら?と思い……。

住職のこたえは
「大丈夫、一つを仲良く食べるから」
でした。

小難しい理屈でなくて、なんだかホッコリ。



認知症、自分が忘れられてしまう悲しさ

2016-11-25 | ●介護回想(2015~)
父親「わからない、なにも覚えてないよ」
息子「アダムだよ、父さんの息子だよ」
父親「わからない……」

たまたまテレビつけたらこんなシーンが。
すぐに別な画面に変わったし途中だから話の前後もなにもわからないけど、これだけで泣けた。

介護進行中は、ドラマなどで認知症の親がどーした的なシーンが出て来ても
それ、違う!
とか
そんなに甘くない!
と否定的に見たり
そうなんだよね~認知症ってそうなのよ~
と共感したりしたけれど、悲しくなるなんてことはなかった気がする。

でも介護が終わった今
そうした場面は切なくて簡単に泣けてしまう。

介護中ももちろん、妹扱い、他人扱いはショックだったし悲しかったけど、そこに浸ってはいられなかったということかな?

終わった今は
あの時は辛かったな……
悲しかったな……
キツかったな……って感情でいっぱいになる。
それで悲しんでばかりいてはダメだけど、やっぱり悲しい

まわりは
認知症のせいだから……
きっと心の奥深くではわかっているはず……
などなど言ってはくれたけれど…
それでたやすく気持ち復活はしないもんです。


魂というものがあるとしたら

死んだあと、認知症の肉体から離れた魂はどうなってる?
正常なの?(正常という言い方は合っているのか?)
仮に正常なら、認知症の肉体に支配されていた頃のことを記憶してるの?
(テレビで、オーラ見るあの人は、認知症でなくなった人の
魂が正常に存在して、娘さんにメッセージ送っていると話してたけどさ)


いつか
認知症が治癒する病になったら
「あの時、お母さんたら、こんなこと言ってたんだよ」
なんて笑えるようになるんだろうか?

でも、結構ヒドイこと言ったりやったりしてしまう認知症だから、本人は笑えないか?

介護虐待

2016-11-06 | ●介護回想(2015~)
ちょっと前、介護虐待はなぜ起こるのか?というアンケート結果が記事になっていた。
数字は忘れたけれど
人手不足
仕事がきつい
といったことが原因の上位だった。
(アンケートは介護職の人にきいたもの。質問文や複数選択なのかといった細かいことは不明)

とくに分析もなく、結果を載せただけの記事。

なんだこれは?大変な仕事で人手がないから虐待が起きるのは仕方ない……というわけ?
と、瞬間思ったわたし。

間を置いて
だから介護の職場環境をよくしなくてはいけない……といいたいのかしら?とも思った。


介護はキツイ仕事。お給料も安い。それはよくわかっている。

でも仕事。

普通に考えたら、careしている相手を虐待するくらいにツライ仕事と思うなら無理して続けることはない。


キツくて安くて人手がない仕事は介護だけではないはず。
でもたまったストレスを、お客さんとか取引相手にぶつけるなんてことは普通はしない。
そんなことをしたらこっちの身が危ないから。首になりたくない。

デパートで働いていた。
無理難題いってくる客はいる。出来ないサービスだと伝えても聞いてくれない。
こちらはひたすら申し訳ありませんと頭を下げる。
コノヤローと思ってもあやまる。

介護は人の命に向かい合う仕事だし、私のしていた仕事と単純に比べられないけど
虐待するのは
相手がもの言わぬ(言えぬ)弱者だから……と思う。
反撃してこない
騒がない
他のスタッフにも家族にも告げ口しない

多くの介護職の人々は
疲れていても、腹が立っても、(相性もあるし人間だしイライラすることは絶対ある)
虐待にまで及ぶことはないはず。

介護環境がよくなったとしても
虐待するような心の持ち主には関係ないんじゃないのか?


介護中に事件が起きても(それは多分コケてお尻打ったとか大きな問題とはならないレベル)認知症者はなにもわからないから、何もなかったことにしている
という話をネット上で読んだことがある。(どこまで本当かは不明)

うちもショートステイで骨折したけれど最初は認めてくれなかった。

その一方、小規模多機能では
転びそうになってギュと手首をつかんだのでもしかしてアザになるかもしれませんと、わざわざ電話連絡をもらったことがある。
夕方には帰宅するのにもかかわらず。


家族は介護の素人。
ちゃんとしている頃の親や配偶者を知っているからこそ苛立ちがあり、思わず……ということはある。
他に誰もいなければそれがエスカレートすることもあるかもしれない。
家族による虐待と介護職のそれは質が違う?
どうだろう?

私たち家族が煮詰まってると介護職の方たちは
認知症のせいだから……と諭してくれる。
(それはわかってるけれど……と思うのが家族)
そういう割りきりが出来るのは仕事だからで、他人だからで、ケアが必要になってから出会ってるからで……
それでありながら、仕事がきついという理由で虐待までいくもの?

介護虐待はなくならないのかも……

自分が認知症になったらされちゃうんだろうな~~~~とふと思う。
文句言う人いないし。

母は70そこそこで発症したからその前にどうにかなっていないとマズイ?!

独りっ子介護ゆえの……

2016-09-08 | ●介護回想(2015~)
介護初心者のとき、本だとか専門家に
「こうしましょう」とか「○○してあげましょう」「こうしなくてはいけません」と書かれていたり、直接言われて

出来ない!
上手くいかない!
言われた通りにやったのに!
と落ち込む経験はみんなあると思う。

私が介護を始めた頃は、今ほど介護する側の視点で物事が語られることはなく
あなたは健常者だからガマン、あなたのやり方がマズイ、もっとうまくやりなさいという論調がおおかった。
まだ、介護経験談は美談として語られていた。

例えば
母を叱ったのは不潔行為をした一度だけ
なんてことが書かれた介護本。
今の私なら、ホントかぁ?と疑って、この本は×と評して終わり。
(もしくは、認知症といってもうちの母のようなアルツハイマー型ではなくて、年相応のボケ的な対応しやすいケースだったのかもしれない)

でも、介護初心者のころの私は
「どうして自分はうまく出来ないの?人としてどこかおかしいんじゃないか?……きっと独りっ子だから……何かが欠落してるんだ……」
と考えた。

独りっ子って
ワガママ、甘えん坊、兄弟の関係を知らないために云々……
と言われる。(そういう側面があることを全否定しないけど)

子供の頃
例えば、「それは嫌だ」というと
「独りっ子だからね~~(ワガママなんだ)」と言われてしまう。
その「嫌だ」は、大したことではなく、他の誰かも普通に言うことなんだけど、独りっ子だとそこを突かれる。

それがやっぱり嫌で、
ここでやりたくないと言ったら独りっ子だからと言われるからガマンしようって、よく思った。

そんなちょっとしたトラウマのせいか
介護で、母にイライラしたり、キツいことを言ってしまうのも独りっ子のせいかも知れないと思ってきた。

そんな私……
昨日、同じ独りっ子介護者さんと話した

「マニュアルのようにうまく介護出来ないのは自分が人としてどこかおかしいからかと思ってた」
「ウンウン」……激しく同意する独りっ子介護者さん。
「実はずっと、それは自分が独りっ子のせいかもしれないと思ってきた」
そういうと、電話の向こうで独りっ子介護者さんは泣き出した。
同じ思いを持っていたから。

私だけじゃなかったんだ……と救われた。

子供の頃は何にせよ、独りっ子のせいにされることがあり、それはなぜだか妙に悲しく、嫌だった。
言われると、言い返すことも出来ず黙る。耐える。
世の中の人は多分、独りっ子だから~~と言うことに変な意識はないんだろう。
でも、独りっ子だから~~という言葉に含まれる意味は絶対にいい意味じゃないものね。
だけど、独りっ子に生まれたことはどうにもならない。
私のせいじゃない!と激しく思っていたあの頃。

今は独りっ子家庭も多いから、いいなぁ~~なんて思う私。


独りっ子介護者は

色々一人で背負う
一人で最終決断
ヘルプを気安く頼める人がいない
役割分担が出来ない分ストレスもたまりやすい
等々ある。

でも逆にいえば
口だけ番長はいない
一人で決めるからもめない
お金のことで嫌な思いもしない
一人で出来ないことは有料でも他人の手を借りてかえってスッキリ
というよいところもある。

一長一短。

ひとり介護は心細いけど
ひとり介護は重いけど
なんとかなる

生まれるときも死ぬときも人はひとりなんだから
といいながら

人はひとりでは生きていけないんだよ……
なんて言葉もやっぱり心に痛いけど

独りっ子介護、頑張れ!




切なくなって介護blogが読めない(T^T)

2016-08-27 | ●介護回想(2015~)
みんな似たような介護の道を歩いていく。

まさか?!認知症!!

違う!何か別の病気だよ。
(きっと奇跡が起きる。)

悲しい、苦しい、切ない
イライラする、腹が立つ、やってられない、無理。

これが現実
受け入れた……仕方ないもの

たんたんと……介護が日常

進行。
在宅継続でも被介護者が寝たいるだけ?の人に近くなる
あるいは、施設、入院と通い介護にシフト
心に少し余裕

介護の終わりを意識し始める

終わる

先ほど
私と同じように介護を終えた方のblogにおじゃました。
亡くなられたお母様を思い出して書かれた日記。
介護中に、ついキツク当たってしまったことへの後悔と、「会いたい」というおもい。

あまりにも色々と重なりあう思いに辛くなって読めなくなってしまった。

終わった後に感じる思い。
それもまたみんな似たような道を歩いていくのかもしれない。


どうしてもわいてくる後悔と
でも、どこかで自分を許したくて、
あれが自分が出来るイッパイイッパイで、最善だったのだという思いと、
そしてやっぱり残される切なさ。

アメリカでは
long good-byeとか
slow good-byeと言われる認知症。

長くてゆっくりなサヨナラは
スライムみたいにあとに残る。




美容のあれこれ、認知症の母には全く意味なしだった。

2016-07-25 | ●介護回想(2015~)
佐賀の福祉ネイリストが介護施設への訪問活動 高齢者にネイルの喜び伝える /佐賀(みんなの経済新聞ネットワーク) - Yahoo!ニュース


けして、↑こうした活動を否定するつもりはないのだけど
うちの母の場合は、ほぼ意味なしで
お化粧をしてあげると笑顔が~とか、喜んでくれた~とか聞くと、

そういう反応があるのって羨ましいな……
うちの母はやっぱり進行してるのかな?まだ認定うけたばかりなのに……
と思うことが多くて
効果なんてないわ~~と反発したくなった介護中を思い出す。

むしろ、介護してる家族を癒してほしいんですけど

と思ったり。


髪が伸び放題になっても美容室に簡単に連れていけない。
訪問理美容の存在もしばらくは知ることが出来ず、普通の美容室では理解してもらえないだろうし、引越ししてきた身なので、古い付き合いの店もない。
軽度の頃は、本人にその気がないと、私が簡単に前髪だけでもカットすることもなかなか出来なかった。

はじめて訪問理美容を中心に展開しているところに行った時は(このときは店舗へ出向いた)
急にいい人にになって
「あらあ、素敵だわ~。こんなに上手にやってもらって」
なんて言ってたっけ。
でも、カットや髪染めで明確で的確な反応が言葉としてハッキリ出たのはこの時だけだったかな?

その後はデイサービスや我が家に訪問してカットや染めをやってもらった。
不思議とその間はじっと大人しい。
考えてみると、他人に髪をいじってもらっているときって気持ちイイからか?

母に化粧をしたことはなかったけど
ネイルはたまにやったことがある。
当然、反応は特別ナシ。
嫌がることもなかったから、遊び半分で私の自己満足。
少しでも喜ぶならやった甲斐もあるってもんだけど。
元々、お化粧等々、あまりしない方だったから、どうでもよかったのかもしれない。
新しい服を買っても特にどうということもなかったし。

そういえば
まだ、認知症と認定される前、
それまでは、私が服等を買ってくると、大抵、品定めして
とりあえず、イイ色ね……とか、デザインを誉めたりなんなりしていたのに(好みの色など似てたので)、
ほぼスルーするようになり、変なの……と思ったていた時期があった。

あれは
何も感じなくなっていたということなのだろうか?
興味をなくしていたのか?
言うべき言葉がわからなかったのか?
認定前だから、日常は普通に生活していし、それが認知症の予兆だとしても判断は無理。
変……と思っても=認知症とは結び付かなかった。

認知症の介護って
「甲斐がない」
特に家族は。
介護職の人には
ありがとうとか、すみませんとか、言うけれど……
笑顔で対応したりもするけれど……
家族にはほとんどないから。

一度だけ
とびきりの笑顔で「嬉しい」といってくれたことがあった。

介護は辛かったけど
その時はとても嬉しくて、幸せだった。




実況「内野フライ!」母「サカナ!」

2016-07-19 | ●介護回想(2015~)
高校野球の試合中、空から魚 白球…じゃなくて 淡路の球場(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース


多分、過去記事に書いてると思うけど

母の介護度がまだ3か4の初期の頃

ファイターズ戦をテレビで見てた時

実況が
「内野フライ……ナンタラカンテラ~」と言ったその直後
母が
「サカナ!」
と叫んだことがあった。

空から魚

タイトル見たら思いだし

ホントにあるのかい!?…………って突っ込んだ。

認知症は、こんな笑えるネタも実は色々あるんだよね。
あんまり言うと親を笑い者にしていると受けとる人もいたり、
本気で、そんなこといっちゃダメという人もいるので
なかなか難しい。

こういう笑える話を心置きなく出来る相手は、やはり同じ介護者同士。
一緒に笑える。

以前、介護者四人で食事して、他の人が聞いたら親のことなのになんて酷い話をしてるのかと思われかねないような冗談半分の面白話をして介護ストレス解消していたら、急な大雨!
思わず、「天の神が怒ったのかも!?バチが当たった!」なんて話になったことがあった。

貴重な仲間でした。
感謝。




介護終了後の「今」の思い

2016-07-18 | ●介護回想(2015~)
介護が終わった目線で、考えること、思うことある。
でもそれをあれこれ書きすぎても
介護進行形の方にとっては、ウザイんじゃないか?
大きなお世話なんじゃないか?
と色々思う。

介護が過去になると
切ない思いも強くなる。
最終的には介護は必ず終わることだから……と言いたくなってしまう(実際言っちゃうし)
でも、それって、介護進行形のときに聞かされてもね…………
よくわかってる。


過去記事は
読み返したくない。
ふりかえりたくない。思い出したくない。
まだ、ちよっと、嫌だ。


終わった今

その時々、やれることはやったつもりだから悔いはない
……と思いながら同時に

もっと出来たのにやらなかった。手を抜いた。面倒くさがった。
適当に流したから後悔もある
……とも思う。

ホントに両方、半々。
自分でも、本当はどっち?と、誰かに教えてもらいたいくらい。


時々、ここの介護記事を全部消したくなる。
でも、大事な記録でもあるし、消す勇気もない。
いつか、読み返したいと思う時、来るのかな?

あまり更新してないけれど、訪問してくれる人達がいる。
情報としては古くなっているけれど
その時々の介護者の思い(怒りとかイライラとか悲しみとか切なさとか)は同じだろうから
デトックスになってくれるならそれでいいのかな?とも思う。

とりあえず、タイトル変えようか?
介護回想のカテゴリも、発信出来ること、なくなってきた。





「介護する人」って「エライ」の?「いい人」なの?

2016-07-05 | ●介護回想(2015~)
高知東生とか酒井法子とか桝添要一とか……
「介護」をイイ人アピール?のために利用したということで、
介護をなめるなと批判が上がっているという記事をみた。

奥様サポートための義父の介護で芸能界引退

酒井法子は介護を更正のアピール。

桝添要一はテレビ用に車イスを押す程度で本を書き、介護経験ある政治家を演出。


介護している
=イイ人?
=立派な人?
=エライ人?
=真面目な人?
=私利私欲がない人?

福祉って
元々が奉仕とか慈善事業から始まったせいなのか
そうしたことに関わる人は
清く正しく美しく……そしてつつましく貧しくあれ(?)……そんな空気感


母の介護してます。
というと

大抵、エライわね~~なんて言われる


何がエライ?
施設に入れないで自分で看てることがエライという感覚なのだろうか?

在宅より施設のほうが優れているところはたくさんある
もちろん、その逆も。
それぞれ理由や思いがあって、在宅か施設か、熟慮して選択した結果に外野があれこれいうべきではない。


確かに介護は大変。
でも、それをエライというのもなんか違う。
まして
それを保身のために利用するのはもっと違う。

なんだっけ?ナントカ症候群?
難病の子供の看護などで周りから称賛されることが快感で、だから治癒されては困るので薬を与えない(与えたふり)とか、そういう心の病があったっけ。

家族の看護や介護の話には、感動物語的な、人の心を揺さぶる魔力があるんだろう。

でも、それって、
自分の身には起きてない他人の不幸話だからで、実際にそれをしている人は……
多分、ただの現実。

通い介護をしている政治家が特に素晴らしいなんて実際介護中の人は思わない。
むしろ、毎日介護してたお姉さんこそ、弟夫婦がたまにやって来て仕事増やされて大変だろうなぁと思うはず。

……って、介護していた私は思ったりするのだけど、

もしかして
逆に、「ああ、認知症の介護中なんだ。フーン、それがなにか?フツーだね」なんて言われたら

「何だよ(-_-#)介護がどんなに大変か知らないくせに」
と思うのかもしれなくて……

「介護、大変ですね」というのが一番無難ってことなのかもしれない。

結局、なにが言いたいんだ?私…………(^-^;









涙が…………

2016-06-26 | ●介護回想(2015~)
「死んじゃうよ」「ごめんね」娘は両親の服をつかみ冷たい川の深みに進んだ 利根川心中で娘が明かした悲痛な決意(産経新聞) - Yahoo!ニュース


お母さんの遺体と寄り添って一晩……

私は……
一緒に死ねたら良かったのにね……と、思ってしまった

わけもわからず
「冷たいよ」を繰り返す認知症のお母さん

母も、「熱い」とか「寒い」とか「痛い」なんて言葉はよく出ていた。
身を守るための言葉は最後まで残るのかな?なんて考えていた。


悲しい