ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
その昔、私は父の仕事の関係で、S町立M診療所と廊下で繫がった家に住んでいました。
元々は診療所の所長…つまりお医者さんが住んでいたのですが、もっと立派な邸宅を建てられたので
空いたその家に入りなさい…ってことだったんでしようね。
小学四年くらいから高校二年まで住んでおりました。
診療所は
中央に正面玄関、待合室。左半分がその時使われていた新しい部分で、事務質、診察室、処置室、入院病棟がありました。
そして右半分が使われていない古い病棟。
中央待合室から繫がる大きな古い廊下はいつも薄暗い……
その廊下を進むと、右側には旧手術室……その時はすでに物置。だけど、手術台はありましたね~~鍵も掛けられてなかったのでよくのぞいていた私←怖くなかったのか(?_?)
左側には我が家に続く狭くて暗い廊下………
扉一枚?二枚だったか?開けると我が家の台所に繫がる細い廊下は、窓なし。
台所までの間にトイレ。
この家自体は、その頃の私からみても、古かった。広かったけど古かった、暗かった。
トイレも、家庭的な暖かみはなく、白いコンクリートにタイル…そんなトイレ。
ある夜……
私は扉をあけ、トイレに向かった。
豆電球のようなものはあったように思うのだけど、この時の記憶では、電気がない状態で私はトイレに向かっていた。
多分、台所との扉を開け放したままだったのだろうと思う。
トイレまではホンノ数歩。
記憶では、トイレの最初のドアは開いていたのだと思う。(あるいはドアなし?いつも開け放していたのだろうか?)
記憶しているのは、入り口でスリッパに履き替えて、正面に個室のドアがあって、そのとなりが男子用。
多分、トイレの電気はスリッパで中に入ってから付ける感じだったのだと思う。
薄暗い廊下、数歩。
トイレ…スリッパに履き替えよう…としたその時、私の目の前にぼんやりと……
しろ~~~~~~い人影。
立っていた。トイレの中に。個室のドアの前に。
ドラマなら、ここで>*0*<キャアアッと叫ぶのたけど
現実は声なんて出ない。
私はそのまま一言も発せず、戻る、戻る、戻る
台所を過ぎて茶の間へ
母に言った
「トイレに何かいる」
父はいなかった。また麻雀か?
母は
「何よ~」と落ち着いたもんだった。
子供が何かヘンなこといってるわーくらいなものだったのでしょう。
勇ましきかな母
トイレに向かう。
白い影、目撃。
電気をつける。
それは、白い寝間着(浴衣?)を着た入院患者、オバーサンでございました。
遠く入院病棟から使われていない古い建物までやってきて、我が家のトイレにはいったのでした。
細い廊下を曲がってドアあけて、よくここに辿りついたものです。
後にも先にも、入院患者さんがトイレを間違えたなんてことはこれ一度きり。
私の脳裏には、未だ、あの時の白い人影の映像がクッキリと記憶されております。
………………………………
白い人影事件?から数年、所長(医師)の奥様が脳梗塞で倒れられ、帯広の病院に運ばれました。
その時点では容態がどうなるかはまだ不明。
所長がつきそうので、ご夫婦が飼われていたマルチーズを家で預かることになりました。
ご夫婦にはお子さんはいません。
その夜、マルチーズはウオーン、ウオーンと悲しげになくのです。
寂しくて鳴いているのか?
ましや、奥さんの容態が悪い方へ?
などと思ってしまうので、その夜は眠ったような、眠れなかったような……
夜が更けて…夜中というほど深くはない時間帯とは思うだけど
宿直の看護婦さんからの内線が鳴りました。
この時も記憶では父が不在。麻雀?…でも、先生も麻雀仲間だしなぁ~?
看護婦さんはいいました
「女の人がすすり泣く声がする」と。
やめてーーーーーコワイよーーーーー
病院に繫がった家………こーゆーのマジコワイ。
母は行きましたよ。古くて暗い廊下もなんのその。宿直室まで。
結果的に母がそこにいる間、声は聞こえず、戻ってきましたが
看護婦さん、その後、こわかったろうな…
そのすすり泣きは、幻聴か?それとも……
その後、先生の奥様は車椅子生活になりました。