「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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奇跡を信じたい家族の思い

2015-04-24 | ●介護回想(2015~)
冷静な心の中では、奇跡は起こらないと思っている。

でも
可能性はゼロではない?
世の中には奇跡的な何かが起きることがある

だけど
それは簡単に誰にでも起きるものではないから奇跡なんだろう。


医師や看護師や介護職の人々は
様々なケースを見てきて
その人の二年後、五年後……十年後の姿を知っているはず。
十人十色、細かい違いはあるにしても大抵の場合の行き着く先を知っている。

家族は
医師の話、本やネットの情報で、多分こうなっていくんだろ……と思いながら

もしかして◯◯をしたら、◯◯な対応をしてみたら
失われている笑顔がみられるかも?!

という期待をもつ。
奇跡というほど大袈裟なものではなく、小さな小さな希望の光。
そんな光が、自分の家族にはもたらされるかもしれないと考える。

そんな希望を拠り所に頑張れるのは家族だけ。

期待はしていない……そんな心もありつつ、やれることはやらないと。
奇跡を信じるというよりも、後悔したくないという思いのほうが強いのかな?


母が骨折入院した時
進行するのは嫌だと思い、ぬりえと色鉛筆を買って病院に通った。
ぬりえは得意だった母。
それは認知症になっても変わらず、綺麗にぬっていたけど、空間認識力の欠如?みたいなものか、髪と顔の境とか、分からなくなるようではあった。

結果、母は特に進行はしなかった。
多分、ぬりえをやってもやらなくても
介護度3で会話も成立していたあのときの母には何も関係なかったと思う。

ただ、私が、入院=進行という恐怖を感じて何かせずにいられなかっただけ。

奇跡的な回復…なんていうけど、
それは単純に奇跡ではなく、人並み以上の生命力が備わっていた…とか、ちゃんと理由があるんだろう…なんて考える。

認知症の最期
正常になって会話したなんて話も聞く。
それは奇跡なんだろうか?

母には起きなかった…というか、そもそもその瞬間に立ち会っていないんだ、私。

奇跡って
不公平なものなのね。