「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護回想:あなたはだ~れ?

2016-02-07 | ●介護回想(2015~)
(この話を書いたことがあったかどうか記憶がない)

介護認定を受けたあとか、まだ受診出来ずにいたときか
もしくは、まだ認知症(当時は痴呆と言っていた)とは思っていないけれども、なんか変?と考えていたころか?

とにかく初期の頃
いつもと違う言葉づかいで話しかけられて
?……と思ったけれど、次の瞬間にはいつも通りで、なんでもないのか?と私も混乱していた時期でもあったように記憶している。

そんなある日

「あなた、○○さんとどういう関係なんでしょうか?」
と母に言われた。

○○は父の名前

体中、電気が走った。

母は
紙と鉛筆を持って私のところにやって来た。
○○さんとの関係を書いて……ということだった。
言い方は柔らかだったけど
私はなんだかとても怖かった

娘ではないことに慣れてしまった時ならば、受け止めて流せるけれど、その時はまだ無理。
あまりの展開に心がついていかない。
本当に分かってないんだというショック。
そして
まだうまく受け止めてかわせない自分はストレートに向き合ったら、必死になって「私は娘よ!」と言いたくなることも分かってた。
ただ、それをやったら事態はもっと悪くなるくらいの理解はあった。

逃げる

それが一番と思った。
向き合う勇気もないし
口を開いたらグチャグチャになりそうだったし。

仮に事実を紙に書いたら(系図みたく)嘘をついていると責められる?
ならば適当な作り話で遠い親戚にでもしておく?
追及されると困るけど。
実際はあまりに急なので作り話も思い付かなかったけど……


逃げた。
「今から出掛けるので帰ってきたら書きますから」と言って。

それでとりあえず納得してくれたから救われた。

この頃は短時間なら母を一人にしてもほぼ大丈夫だったから、私はホントに出掛けた。
確か本屋か家電量販店か近くの店に行ったはず。

関係を書かされる事態から逃げるとともに
母から逃げた
その現実から逃げた
自分を保つために逃げた


忘れられないデス、あの日のこと。


不思議なことに、このとき以外母から
あなたはだれ?的な聞き方をされたことはない。

幸いに……というべきか?

あの時以外、母の中で私が娘ではない時間には
妹やら何やら、とにかく、なんらかのツジツマが合う誰かに変身でもしていたのか?!
どう見えていたんだろ?
脳のマジック?

「学校行かなくていいの?」とか
「大人になったら買いなさい」なんて言われたこともあったっけ。

自分の子供はまだ幼児みたいな話をしていたときもある。
その時、母には私がどう見えていたの?

いろんなことが不明のまま……誰にも答えはわからないまま
全部終わった。