「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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介護中は二人分の人生を生きている?

2016-05-18 | ●介護回想(2015~)
認知症の介護の場合
本人に意思確認が出来なくなると、介護者が代わってあれこれ判断することになる。
当然、進行するに従い、そういう場面は増えていく。

デイサービスをどこにするくらいの判断はまだしも
生き死にに関わるような話になると、ホントに重い。

自分ではない人の、最期に向かう道筋に責任を持つ。

そんな介護が何年も続く。

結局、二人分の人生をその間生きているのかな?

だったら当然消耗する
介護が終れば当然、荷下ろし症候群にもなるよ。

深く関われば関わっただけ消耗するはずだから
最初から距離をおける人は、その方が多分、いいんだろう。
介護中も、介護が終わった後も、そのほうが楽なはず。
無理矢理にでも距離をおいたほうがいいのかもしれない。
私には出来なかったけど。

以前
自分より年上の世話をする動物は人間だけ。
だから介護はむずかしいこと。
というような話を聞いたことがある。
確かに、人間って、年下に対しては寛容になれるけど、年上にはなりにくい。
年下の世話は優しく出来ても、年上だと、何で私がこの人の世話を?となりやすいものね。

人も本来は
介護が必要になる前に、ひっそり死ぬべき生き物なのでしょうか?