「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

母が亡くなった時より泣いた日

2017-09-04 | ●介護回想(2015~)
母が亡くなった時は(病院で)ほとんど泣いていないので、正確にいうと、号泣した納棺の時と同じくらい、もしかしてそれよりも泣いた日の話。

その日は、母の療養病棟入院が決まった日。

前日まで、来週には退院と言われていたにも関わらず、週末、食事中に激しくむせて大変な状態になったらしく(私自身は見ていない)、思っていたより飲み込みの力が落ちているということで、療養病棟行きとなった。
(この時のわたし、心の中で、あんな早さであんな量を食べさせてたらそうなるよ!……と思っていた。)

帰宅してコートも脱がず、ストーブをつけることも忘れて、大泣きした。

私の介護、終わった……


療養病棟に入ったら正面玄関から出る人はいません(死んで出ていく)。

と、数年前に、ケイレンが出て診察してもらった医師が言った。
脳萎縮が進んでいずれ食べられなくなるので、その時には療養病棟に入いるように。という話の最後のしめくくりが↑の言葉。

なかなかキツイ人だなぁと思って聞いていた。
そういう覚悟も必要だけど、もう少し言い方はないのか?と。

でも、その女医さんのいうとおりにナリマシタ。



一番避けたかった療養病棟での最期

でも、結局そうなってしまうんだ。
もう私ものやれることはなにもない。
介護終了。
ごめんね…………
どうしても、自分のせいでこうなってしまった……という思いがわいたし、
ものすごく寂しかったし……
とにかく、号泣した。
何か声に出しながら…ひとりごと?……泣いた記憶が……

そして、自分を納得させた。

それから1年の療養病棟通いは、切ないだけ。

統計的に、胃ろうなら、鼻からなら、点滴ならどのくらい生きるのかは本で読んだことがあったので、そんなに長くはないことは覚悟していた。

多くの人が、寝たきりで食べられもせずに生きていたって仕方ない安楽死を……と軽々しく言うけれど

本当に身近な人がそうなった時にも、同じように言えるのか?と聞いてみたい。
仮に安楽死が認められて、でも本人の意志確認が出来ないときに、家族のあなたは、ためらいなく、どうぞすぐ安楽死させてくださいといえるのか?

とても苦しいことだと思う。

私はやっぱり、認知症が進んで療養病棟に入ってしまっても、それでも母に一日でも長く生きて……って思っていた。