「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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トラもハムも勝利!!!

2005-06-15 | ■ファイターズ

あ~こういう日は気持ちがイイ
ハムは3-0、トラは4-0!とくにハムは昨日ようやく連敗が止まったとこだから、今夜の試合は気になった。
明日はダルビッシュ有くんが登板だよーん。

新庄君、昨日も甲子園でHR。…僕を育ててくれた外野の芝。よく寝ころんでいた…って。なんだかとてもホワンと嬉しい気持ちにさせてくれる。
阪神ファンも彼のHRはきっと喜んでいるよね。坪井もいるしね。やっぱり、トラとハムの日本シリーズが見たいな。

一度だけ行ったことがある甲子園。
ナイターって楽しい。トラッキーがカワイイ。六甲おろしが歌えるって感動。風船もスゴイ。
札幌ドームには、きっとそのうち行けるだろう。

☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆~☆

ショートから帰った母の荷物の中には、他人様の品物。
二組持って行った着替えのうち一組はない…まさか、二枚づつ身につけている?

翌日からは早速「お出かけ」を計三回。
私の札幌行きも終わり、「日常」が始まった。

 


YOSAKOIの街へ

2005-06-14 | ▼ユルユル日常

札幌駅南口でも踊りは始まっていたけれど、人だかりで「音はすれども姿は見えず」状態。
それは大通りに行っても同じ。地元テレビ局アナウンサーの聞き慣れた声はするけれど、(番組の中継をやっている)なーんにも見えない。

やっとパレードが始まる直前にたどり着いた横断歩道横に陣取る事が出来た…これが、なかなか始まらない。ひたすら待つ、待つ、待つ…後ろから押されるし…

このパレードは各チームがそれぞれの舞を披露するタイプのではないようで、みんな同じような(?)振り付けで飛んだりはねたりしながら行進していた。
TVで見るよりハデ!!

街はとごを歩いていても、踊り子さんの団体とすれ違う。なんだか学園祭みたいなノリ。
雨のあとだからなのか晴れていたけど、ちょっと、どんよりまといつくような空気感。でも、吹く風はかなり涼しいので、踊る人々にはちょうどよいのかも。

いつもとは違う雰囲気の大通り公園を横切って再び駅へ。
以前来たときには工事中だった部分、「ステラプレイス」を見て回る…広い。センターとイーストに分かれている。これだけお店があると、欲しいモノが何でも手に入りそう。
イーストを歩いてつもりだったけど、気がつくと、西側にある「大丸」に居た…


ハム・10連敗脱出?!

2005-06-11 | ■ファイターズ

私はトラも大好きだから、阪神日ハムは、どっちにも肩入れせずに、冷静に試合を見るのだと決めていたけど、今回は、今回は……
ごめんね、タイガース。
でも、北海道日本ハムファイターズは連敗中なので、今回はハムに肩入れします。~胸が痛む

新庄君、「僕を育ててくれたこの球場に感謝打法」で初回ホームラン
……六回同点になってしまった。やはり阪神は強い。「強い阪神」…ホントならとても嬉しいはずなのに。交流戦って罪作りだ。

さて、明日、久しぶりに札幌へ行く。YOSAKOIファイナルの日だ。街はどんな感じなのだろう。
天気はどうやららしい。やっぱりね、私って雨女だからさ。
母はショートステイ。家事を終えて、さあ、明日の準備だわ!!

タニョオゲッスムニダ~(行ってきマース)


ヒタヒタと忍び寄る次の段階…?

2005-06-10 | ●介護録(~2015.2月)

:今朝、私は茶の間への短い短い廊下の途中で大豆ほどの小さなウ○チを踏んだ。
思わず、背中に寒気が走る…来るべきモノが来たのか???
でも、大豆サイズっていうのはどういうことか?
母の様子はいつもと変わりない。パンティーがどうにかなっている様子でもなく、臭うこともない。
ゴミステーションの様子を窓から見て「今日はゴミ出す日なの?」なんて言っているくらいだし、そんなことになっても分からない状態ではないようなので、ひとまず安心。
…でも、ウ○チの謎は今も不明。

一昨日、寝間着になるはずの母が、新しいブラウスを来て「シャツがない」と訴えた。
「もう寝るんだから、寝間着を着るんだよ」と言っても、どうしていいか分からないと言った。とうとう、こんなことが…と、思ったが、昨夜も今夜も問題なく自分で着替えをした。

昨夜は、母が寝付いたあとトイレに入ると、生理用品をいれてある布製の箱がいつもと違う形にねじ曲がってしまわれていた。嫌な予感に中を見ると、中味を取り出したあとのビニル袋が四個分、ズタズタ状態。中味二個はどこにもなかった。(それは翌朝、母の部屋にて発見。未使用)
そして翌朝のウ○チ事件へと繋がる…。

初めての事が続いたので、着実な進行へのステップを踏んでいるようで恐怖と不安を感じた。

さて、今日のお出かけは。
サイフにお金がはいっていないのに買い物に行くと譲らす、一度家に戻ってお金を入れてから行こうよと何度も言ったのだが、「入ってる」の一点張り。それじゃ、一度サイフの中を点検して、と言うが、それも断固拒否。
お互いプンプンしながら街を歩く…。
そのうち、母の中で、お金のことでイロイロ言われたという意識だけが残ったのだろう、「腹が立つから文句を言いに、姉のところへ行く」と言い出して、北方面、H団地あたりをウロウロ…(暑かったよ~)

母に姉が居たとは初耳だ…


ブログ機能がUP!UP!

2005-06-09 | ▼ユルユル日常
お絵かきツールと、HTMLエディターが使えるようになってた!!!
早速、お絵かきしてみたけれど、保存に失敗して消滅してしまった~
何がなんだかわからないけど、お絵かきは得意じゃないから、まっ、いいか!
エディターの方は、underline入れたり、文字色変えたり、センタリング出来たり、とっても便利。

ブログがまたまた楽しくなりそうだ

ショート決まる

2005-06-09 | ●介護録(~2015.2月)

先月はじめ、すでに空きナシだった次の日曜日だったけれど、二泊三日で取ることが出来た。
結局、個室ならば空いていたらしい。
最初に聞かされたときは、「なぜ、先月の時点でその情報を伝えてくれなかったのか」と思ってしまったけれど、よくよく考えると何が悪いと言うほどのことでもなかった。

一ヶ月前でいいだろうと予約は二ヶ月前からと聞いていたにもかかわらず、なぜかそう思いこんだ自分。だから、ステイ先からの5月と6月はこの日程しか空いてないというケアマネへの連絡が先だった。希望の日時が空いてない!ケアマネは当然「ここしかないって」ということになる。
改めて、ショートは取り合いという言葉をかみしめた私


してショート初心者の私はあれこれ「???」

ステイ先からは「今回の(5月)メンバーがとても仲良くなったので、同じ人が集まるような時にはお誘いしますね」と声をかけてもらい(これはこれでありがたいのですよ、もちろん)「空きナシなのに、そんなに簡単に呼んでもらえるの」と「?」。
ショートをあきらめ半日ヘルパーの調整に改めてケアマネに連絡すると「ショート頼んでみる?」と言われ「えっ、でも先月空きナシといわれたのになんとかなったりするものなんだろうか」とまたまた「?」。(キャンセル待ちってのもありか)

それで、結局はあっさりと、個室なら空いてるという話になった。
私が直接ステイ先と連絡を取り合っていたら、先月の時点で、希望日になんとかならないか…という話になり、では個室…と、早いうちに決まったのかもれしないけれど、ケアマネがそうしたことを調整してくれるから、こちらは、連絡待ちしていればよいわけで、いかに私がケアマネと蜜に連絡を取り合うかなのだとよく分かった。

こうやってイロイロ経験しながら、介護サービスの使い方を覚えていくのね…と、つくづく思う。
とにかくショートが決まってメデタシ、メデタシ。


NHK教育TVで介護サービスの使い方を放送していた。大学の先生(だったかな)が、デイサービスやショートステイを使う時に、家族が「このサービスはうちの母にあいますか」などと聞く場合があるが、サービスを選ぶときには、それより先に、そのサービスを使うと介護者にどうプラスになるか、その間に何が出来るかを考えなさいとコメントしていた。
そして、介護福祉士が、被介護者との関係を、他人の関係とみるくらいの心構えでヨイ…と言っていた。
ともに印象的な言葉でした。


 


初夏…春はいつだったの?

2005-06-08 | ▼ユルユル日常
この数日、やっと暑くなってきた。暖かくではなく暑くだ。
春は三日くらいしかなかったような気がする。
先日、やっと母の分の衣替えも終了した。
あ~二人分…とちょっとため息。父が生きていたら三人分だったんだし、世の中には両親お二人とも介護という方や、嫁としても介護をしている方もいるから、実母一人の私は気楽だよね。

昨日デイから帰った母が、当たり前のように、私が入れ替えた夏物スカートに着替えたのを見て、
「あっ、良かった。今までの厚地のものにこだわってないみたい」とホッとしたけど、同時に
「衣替えしてあることにも気づいてなたんだろーなー。のんきでいいなぁー。当たり前のように夏物着てるよ~」と、思ったのも事実。

ローカルTVで、ブログの特集をやっていた。プログの楽しさ、おもしろさを解説しながら、世界中に情報発信していることを自覚して、マナーを守って…などなど話が展開していた。
「普通、日記って親にも兄弟にも見せたくないもののばすなのにねー」とか
「なにげない日常が書き綴られているもので、ホントに普通に日記ですよねー」なんて言ってるのを聞いてて
「違う、違う。それだけじゃないのよー」と叫びたくなってしまった。
このまま終わったら納得出来ないと思っていたら、最後に司会者が
「介護や看病している人たちは、同じ立場の人とと出会うことで共感して…云々」
と、世界が広がるし、とても素晴らしいというようなことを話してくれた。
なんだかホッとした。




なぜ私は忘れられたのか…。

2005-06-05 | ●介護録(~2015.2月)
最近、介護が辛いと強く感じる。それは母と一緒に過ごしていて、ほぼ一日、私が娘であることを分かっていないと確信したから。
私が娘であるのはヘルパーさんが来ている時と、叔母と電話で話すとき時くらいのもの。
「妹」か親戚の誰かか他人である。

今夜、母は私に「あなたのおかあさんがいない。どこに行ったのか、私は昨日から捜している。」などと言い続けていた。
外も回ってきた。
最初は、祖父母の家に行くという話だったのに、いつの間にか、私の母を捜す旅に変わっていた…。

私は、症状別解説で書かれている「重度(末期)…家族の名前なども忘れる」と、どこかで聞いた専門家の「大切なことは簡単に忘れない」と言う話にとらわれて、
ではなぜまだ介護度2の母が私を認識しないのか?とか、
母にとって大切なのは「親と兄妹」(実際いつも気にしている)で、つまり私はどうでもいいのだと思うことがある。

親兄妹が大切なのは当然だけど、では、子供は?母娘関係が悪かったとも思えない。
ある介護者が「母に、どんなにモノが分からなくなっても○○(その方のこと)のことは忘れないと言われて、重荷に感じた」と話していた。最後まで自分が頼りにされる重さ…も分かるきがするけど、やはりうらやましい。私はどんなに尽くしても「ほぼ他人」。

産んだ覚えがないと言われることは自分自身を否定されたようなもの。
だから別の理由を捜す。
母の見当識が結婚前と現実との間でよどんでいるからだ…と。
母にとって父との結婚生活が必ずしも幸福ではなかったと私も理解している。父はマジメ人だったけど、愛情のかけ方を知らない人。
私自身、父親の情がよく分からないまま大人になった。キライなわけではないけれど…。
母の中にもそれはあると思う。結婚もその後の生活も、子供がいることも、みんな母には消してしまいたいことなのかもしれない。

認知症はそれまでの人生で書き留めてきた日記のなかから、自分の意志ではなくランダムにページが抜けていくことだ、とある本に書かれてた。
でも、ひょっとすると、潜在意識が抜くページをコントロールしているのでは?と思う私である。



ヒデキの話

2005-06-04 | ▼ユルユル日常
あきらめない―脳梗塞からの挑戦

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小学生のころから彼のファンだ。もう30年くらいになる。
だから、世の中のヨン様ブームみたいな「熱さ」はなくて、静かに応援しているのが生活の一部のよう。

二年前、脳梗塞で倒れたけれども、かなり早い復帰をし(多分、すでに決まっていた仕事があったからではないかなと今は思う)「復活宣言」のような形でTV出演もこなしていた。

ただ、今年に入って仕事をかなりセーブしている感じがしていた。物足りないとも思った。
多くのファンが、彼の体を案じながらもそんなことを思っていたようで、公式HPの掲示板にも持ちくたびれた書き込みが多くなっていた。

当の私は不思議なもので、そういうカキコを読んでいるうちに、急速に「待ちくたびれ症候群(そんなものはないけど)」が消えていった。
急ぎすぎてるかも…と思い、思わず「もっとゆっくり待とうよ」と書き込みしていた。

二年が過ぎ、ようやく体調が元にもどっているらしいヒデキ。
秋にはCDが出るらしい。
やっぱり嬉しい。

以前、外国の超能力者が「彼は強い、奇跡を起こすわ」と言っていた。

子供の頃の私には、まさしく彼は「強くて、奇跡を起こす人」だった。普通アイドルって「王子さま」だったりするんだけど、ヒデキは、仮面ライダーみたいなヒーローだった。
60歳になってもバリバリ、ロックを歌ってほしい




母、語る「何もかも分からない」

2005-06-04 | ●介護録(~2015.2月)
昨日の私、かなりイライラしていた。凹んでいた。もうどうでもいいと思っていた。
時にこんな日もある。
たまたま気分がのらない日に母の妄想が酷いと、チョットしたことに反応してしまい、切れそうになる。
最近寝付きが悪いからかな…。
こんな日は「私が死んじゃったらどうなるかなー。私は楽になるけど、オカーサンは…。でも、介護する人がいなくなれば施設に入れるだろし…」なんて考える。
まあ、死ぬ勇気なんてないんだけど。

昨日の「お出かけ」(この期に及んでも「徘徊」という言葉を避けてる私…愚者かも?)は二回。少ないほうだ。それに数日ぶりだったから私には余裕があるはずだったのに…。

夜、母と話した。
「なにもかも分からない。子供を産んだのか産まないのか、なにもわからない」そう言った。
 
「いつまで続くんだろう」そういって嘆いた。
……ホントにいつまで続くんだろうね……
この時の母は、多分、彼女の頭で繰り広げられている物語の、「何か困った状況」がいつまで続くのかという意味だろうけど、同時に「いろんな事が分からなくなって不安な自分」がいつまで続くのかという意味も含まれている気がした。

そういえば、母が「試験受けるんでしょ、はやくM町に行かないと」と言い出したことがあった。
M町で試験の予定などないので「こんな夜にMに行っても試験なんて受けられないよ」などと答えていたら
「札幌へ行って試験でしょ」と母。
そう、私は今月札幌へ行く。ハングル検定を受ける。でも、母には一言も言ってない。単なる偶然だろうけど、なんだか、不思議でドキリとした。