ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

節分に思う

2018-02-04 06:27:26 | エッセー
 雪もほとんどなくなり、外に出たら意外と暖かった。
今日は節分、夕食時に節分の思い出話しになったが、昔は父親が大きな声を出
して豆が入った升を持って家中「福は内、鬼は外」と、豆をまいたことは同じ
だったようだ。夫は6人姉弟、私は兄と二人で育ったが、家庭環境が全く違って
夫の父親は今で言うと建築請負業で、元々は大工さんだった。
 私の父はサラリーマンで京橋の会社に勤めていたが、日常の生活状態も聞いて
みると全く違っていた。共通の話題は戦時中は「いつもお腹が空いていて、何でも
良いから食べたかった」ことだった。

 戦争中食糧は配給制度だったので、それではとても足りず、その頃の親は子供達
に何とか食べさせたいと必死だったらしい。そんな時代的背景で成長した私達夫婦
は、戦災で家を焼かれた。やがて戦争が終わって、だんだんものが豊かになり、それ
が現代に続ているのを全部知っている。「あの頃を思うと、現在の生活はまるで夢の
ようで幸せだね」最後はいつもそれで終わる。子供時代とまるで変わってしまった
生活は、大変豊かで便利で有難い。でも、いつも時間に追われゆとりがなく、人間
関係も「個人の権利が最優先」して、何となくギスギスしている。
 そのためほのぼのとした人情味ある昔との関わりとは、まるで違ってきた。
 「物が豊かになれば心が失われる」と言うが、それは紛れもない事実だと思う。
人一倍義理人情に厚い私はときどき、「自分ではとても考えたり、思ったりできな
い言動をする人」に、度々出合うが、ドライに割り切れなのは人間が古いからかも
知れない。そんな時代を経験したことがある人が、だんだん少なくなってくる今。
 私達老夫婦が感じているのは「日本史始まって以来、戦争がない平和に時代に
自分の人生のほとんどを重ねられた幸せ」なことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする