雪もほとんどなくなり、外に出たら意外と暖かった。
今日は節分、夕食時に節分の思い出話しになったが、昔は父親が大きな声を出
して豆が入った升を持って家中「福は内、鬼は外」と、豆をまいたことは同じ
だったようだ。夫は6人姉弟、私は兄と二人で育ったが、家庭環境が全く違って
夫の父親は今で言うと建築請負業で、元々は大工さんだった。
私の父はサラリーマンで京橋の会社に勤めていたが、日常の生活状態も聞いて
みると全く違っていた。共通の話題は戦時中は「いつもお腹が空いていて、何でも
良いから食べたかった」ことだった。
戦争中食糧は配給制度だったので、それではとても足りず、その頃の親は子供達
に何とか食べさせたいと必死だったらしい。そんな時代的背景で成長した私達夫婦
は、戦災で家を焼かれた。やがて戦争が終わって、だんだんものが豊かになり、それ
が現代に続ているのを全部知っている。「あの頃を思うと、現在の生活はまるで夢の
ようで幸せだね」最後はいつもそれで終わる。子供時代とまるで変わってしまった
生活は、大変豊かで便利で有難い。でも、いつも時間に追われゆとりがなく、人間
関係も「個人の権利が最優先」して、何となくギスギスしている。
そのためほのぼのとした人情味ある昔との関わりとは、まるで違ってきた。
「物が豊かになれば心が失われる」と言うが、それは紛れもない事実だと思う。
人一倍義理人情に厚い私はときどき、「自分ではとても考えたり、思ったりできな
い言動をする人」に、度々出合うが、ドライに割り切れなのは人間が古いからかも
知れない。そんな時代を経験したことがある人が、だんだん少なくなってくる今。
私達老夫婦が感じているのは「日本史始まって以来、戦争がない平和に時代に
自分の人生のほとんどを重ねられた幸せ」なことだ。
今日は節分、夕食時に節分の思い出話しになったが、昔は父親が大きな声を出
して豆が入った升を持って家中「福は内、鬼は外」と、豆をまいたことは同じ
だったようだ。夫は6人姉弟、私は兄と二人で育ったが、家庭環境が全く違って
夫の父親は今で言うと建築請負業で、元々は大工さんだった。
私の父はサラリーマンで京橋の会社に勤めていたが、日常の生活状態も聞いて
みると全く違っていた。共通の話題は戦時中は「いつもお腹が空いていて、何でも
良いから食べたかった」ことだった。
戦争中食糧は配給制度だったので、それではとても足りず、その頃の親は子供達
に何とか食べさせたいと必死だったらしい。そんな時代的背景で成長した私達夫婦
は、戦災で家を焼かれた。やがて戦争が終わって、だんだんものが豊かになり、それ
が現代に続ているのを全部知っている。「あの頃を思うと、現在の生活はまるで夢の
ようで幸せだね」最後はいつもそれで終わる。子供時代とまるで変わってしまった
生活は、大変豊かで便利で有難い。でも、いつも時間に追われゆとりがなく、人間
関係も「個人の権利が最優先」して、何となくギスギスしている。
そのためほのぼのとした人情味ある昔との関わりとは、まるで違ってきた。
「物が豊かになれば心が失われる」と言うが、それは紛れもない事実だと思う。
人一倍義理人情に厚い私はときどき、「自分ではとても考えたり、思ったりできな
い言動をする人」に、度々出合うが、ドライに割り切れなのは人間が古いからかも
知れない。そんな時代を経験したことがある人が、だんだん少なくなってくる今。
私達老夫婦が感じているのは「日本史始まって以来、戦争がない平和に時代に
自分の人生のほとんどを重ねられた幸せ」なことだ。