目が冴えて眠れなくなって時間を見たら、二時過ぎで、いわゆる魔の時間だった。
そんな時間はろくな事を考えないので、起きてしばらく本を読んでから、再び
べッドに入ったのは3時半頃。さすがに眠くなり、大きなあくびをした。
やや顔を左に傾けていたためか、あくびの涙が眼頭を伝い、逆の目じりにスーッ
と流れた。こんな感覚は久し振りだったが、私がそんな経験をしばしばした
のは、多感だった15歳中3の頃だった。
決して忘れられない涙はインドの聖地リシケシのアシュラムで、求め求めていた
瞑想状態を体験した時、その感動は、昔の言葉で表現すると「滂沱たる涙に身を
まかせた」状態だった。また、大分以前のことだが、旅行中にバスの中から見た
黄葉のあまりに美しさに、感動した私は思わず涙をこぼした。
それをつぶさに見た友人は「まるでマンガのように能里子さんの目から涙が盛り
上がるように出て、私はそれに感動した」と今でも思い出話しになると言う。
人生何が起きるか分からない、でも・・・ベッドで流す涙は、絶対に経験した
くないが、感動の涙はいくらでもこぼしたいと思っている。
そんな時間はろくな事を考えないので、起きてしばらく本を読んでから、再び
べッドに入ったのは3時半頃。さすがに眠くなり、大きなあくびをした。
やや顔を左に傾けていたためか、あくびの涙が眼頭を伝い、逆の目じりにスーッ
と流れた。こんな感覚は久し振りだったが、私がそんな経験をしばしばした
のは、多感だった15歳中3の頃だった。
決して忘れられない涙はインドの聖地リシケシのアシュラムで、求め求めていた
瞑想状態を体験した時、その感動は、昔の言葉で表現すると「滂沱たる涙に身を
まかせた」状態だった。また、大分以前のことだが、旅行中にバスの中から見た
黄葉のあまりに美しさに、感動した私は思わず涙をこぼした。
それをつぶさに見た友人は「まるでマンガのように能里子さんの目から涙が盛り
上がるように出て、私はそれに感動した」と今でも思い出話しになると言う。
人生何が起きるか分からない、でも・・・ベッドで流す涙は、絶対に経験した
くないが、感動の涙はいくらでもこぼしたいと思っている。