先日は大江戸線「牛込柳町」駅に10時半に集合、参加者は30人だった。
お天気もとても良くて、暑いほどだったが、それから有名人の墓地2か所を見て
「漱石山房記念館」を見学した。そこは約1年ほど前に開館したそうだが、広々と
して明るく、開放的な感じの建物だった。私は夏目漱石が東京牛込区(現在は
新宿区)で生まれ育ったとは、知らなかった。漱石が執筆していた室内が再現されて
そこで説明を受けてから、それぞれ自由見学をしたが、文学だけではなく、多才な
能力を持つ凄い方なのだと思った。そんな優れた方が、今では考えられないほど
たったの59歳で胃潰瘍で亡くなったそうだが、医学の進歩がまだ進んでいない頃は
それがごく普通だったのだろう。
いろいろと見学していたら、大昔読んで夏目漱石がこの地で執筆したという「こころ」
をまたもう一度読みたくなって買った。坂の多い道を歩きながら、昔の東京を想像
できて、私は何だか感慨ひとしおだった。漱石生誕の地は早稲田大学に近い、レス
トランの入り口に建っていたが、時代の流れの早さと、今自分が生きている現在地を
改めて考えさせられた。私はあまりにも時代の移り変わりの早い世代に生まれたと
思っていたが、これはもしかしたら、いつの時代も同じなのかも知れない。
歴史は作り変えられると言われるが、その時代に生きていない人達が「00万年
前には」などと、あたかもそこに存在していたかのごとく、明確に発言するのは
しんびょうせい(新病性しか変換できない、正しくは信憑性)に欠けると感じる。
言葉は生き物と言うが、新しい言葉どんどん生まれるとともに、情緒的な言葉が
無くなるのは淋しいと思う。その後「穴八幡」「木組み博物館」へ行ったが、木組み
博物館では、日本の芸術的とも言える、素晴らしい伝統的な建築技術に驚いたが
それも現在では消えつつあるのだ。そんなことを考えながら歩いた歩行会だった。
お天気もとても良くて、暑いほどだったが、それから有名人の墓地2か所を見て
「漱石山房記念館」を見学した。そこは約1年ほど前に開館したそうだが、広々と
して明るく、開放的な感じの建物だった。私は夏目漱石が東京牛込区(現在は
新宿区)で生まれ育ったとは、知らなかった。漱石が執筆していた室内が再現されて
そこで説明を受けてから、それぞれ自由見学をしたが、文学だけではなく、多才な
能力を持つ凄い方なのだと思った。そんな優れた方が、今では考えられないほど
たったの59歳で胃潰瘍で亡くなったそうだが、医学の進歩がまだ進んでいない頃は
それがごく普通だったのだろう。
いろいろと見学していたら、大昔読んで夏目漱石がこの地で執筆したという「こころ」
をまたもう一度読みたくなって買った。坂の多い道を歩きながら、昔の東京を想像
できて、私は何だか感慨ひとしおだった。漱石生誕の地は早稲田大学に近い、レス
トランの入り口に建っていたが、時代の流れの早さと、今自分が生きている現在地を
改めて考えさせられた。私はあまりにも時代の移り変わりの早い世代に生まれたと
思っていたが、これはもしかしたら、いつの時代も同じなのかも知れない。
歴史は作り変えられると言われるが、その時代に生きていない人達が「00万年
前には」などと、あたかもそこに存在していたかのごとく、明確に発言するのは
しんびょうせい(新病性しか変換できない、正しくは信憑性)に欠けると感じる。
言葉は生き物と言うが、新しい言葉どんどん生まれるとともに、情緒的な言葉が
無くなるのは淋しいと思う。その後「穴八幡」「木組み博物館」へ行ったが、木組み
博物館では、日本の芸術的とも言える、素晴らしい伝統的な建築技術に驚いたが
それも現在では消えつつあるのだ。そんなことを考えながら歩いた歩行会だった。