それは忘れもしない久保田競先生の「脳の手帳」だった。
34歳で子育てをしながら、思い切ってソシアルダンス教師として社会に出た。
私は学歴もなく、あまり頭も良くないし、若くもないし(その時代はそんな思考だった)
と、周囲の人がみんな偉く見えていた。今思えば私は50歳前後まで、(これだけ仕事ができ
るのに何故?)と思うほど、その頃は自分に自信がなく、もしかしたら「劣等感の塊」
だったのかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/2e/47abdfa8fcdf938f3de44df480388716.jpg)
それは「頭が良いことは、計算が早くできたり、記憶力が優れていることだけでは
ない。ある条件で解決しなければならない問題があるとき、その時に来る外からの
刺激や、過去に記憶したことから、次に取るべき行動を正しく選んで実行できる
人、記憶している量が多いほど、行動を選ぶ参考にできる資料が多い」という
言葉だった。ということは絶えず頭を働かせて、色々とインプットすることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/4f/f74839f5c95186f5f8bb194f24ea609b.jpg)
私は昔から記憶力はあまり良い方ではないが、そう捉えると、かなり頭は良い
方だと思って凄く嬉しく、勇気がチャージされたのは忘れない。
身体面、精神面など、絶えずさまざまな事を勉強し、自分で満足できる現在を構築
したのかも知れない。これは平成1年4月3日に自分のノートに書いた言葉だが、ペット
がいなくなり、その喪失感に時折過呼吸症候群になりそうになっていたが、そんな時
引き出しから何故かノートの切れ端が出てきた。不思議なことに、そんな経験は数え
知れないほどあった。それはきっと落ち込んでいる私を、いつも私を導いて下さる方が
元気を給えて下さったのだろう。「私は守られている」と、改めて感謝できた日だった。
34歳で子育てをしながら、思い切ってソシアルダンス教師として社会に出た。
私は学歴もなく、あまり頭も良くないし、若くもないし(その時代はそんな思考だった)
と、周囲の人がみんな偉く見えていた。今思えば私は50歳前後まで、(これだけ仕事ができ
るのに何故?)と思うほど、その頃は自分に自信がなく、もしかしたら「劣等感の塊」
だったのかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/2e/47abdfa8fcdf938f3de44df480388716.jpg)
それは「頭が良いことは、計算が早くできたり、記憶力が優れていることだけでは
ない。ある条件で解決しなければならない問題があるとき、その時に来る外からの
刺激や、過去に記憶したことから、次に取るべき行動を正しく選んで実行できる
人、記憶している量が多いほど、行動を選ぶ参考にできる資料が多い」という
言葉だった。ということは絶えず頭を働かせて、色々とインプットすることだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/4f/f74839f5c95186f5f8bb194f24ea609b.jpg)
私は昔から記憶力はあまり良い方ではないが、そう捉えると、かなり頭は良い
方だと思って凄く嬉しく、勇気がチャージされたのは忘れない。
身体面、精神面など、絶えずさまざまな事を勉強し、自分で満足できる現在を構築
したのかも知れない。これは平成1年4月3日に自分のノートに書いた言葉だが、ペット
がいなくなり、その喪失感に時折過呼吸症候群になりそうになっていたが、そんな時
引き出しから何故かノートの切れ端が出てきた。不思議なことに、そんな経験は数え
知れないほどあった。それはきっと落ち込んでいる私を、いつも私を導いて下さる方が
元気を給えて下さったのだろう。「私は守られている」と、改めて感謝できた日だった。