それは忘れもしない久保田競先生の「脳の手帳」だった。
34歳で子育てをしながら、思い切ってソシアルダンス教師として社会に出た。
私は学歴もなく、あまり頭も良くないし、若くもないし(その時代はそんな思考だった)
と、周囲の人がみんな偉く見えていた。今思えば私は50歳前後まで、(これだけ仕事ができ
るのに何故?)と思うほど、その頃は自分に自信がなく、もしかしたら「劣等感の塊」
だったのかも知れない。
それは「頭が良いことは、計算が早くできたり、記憶力が優れていることだけでは
ない。ある条件で解決しなければならない問題があるとき、その時に来る外からの
刺激や、過去に記憶したことから、次に取るべき行動を正しく選んで実行できる
人、記憶している量が多いほど、行動を選ぶ参考にできる資料が多い」という
言葉だった。ということは絶えず頭を働かせて、色々とインプットすることだ。
私は昔から記憶力はあまり良い方ではないが、そう捉えると、かなり頭は良い
方だと思って凄く嬉しく、勇気がチャージされたのは忘れない。
身体面、精神面など、絶えずさまざまな事を勉強し、自分で満足できる現在を構築
したのかも知れない。これは平成1年4月3日に自分のノートに書いた言葉だが、ペット
がいなくなり、その喪失感に時折過呼吸症候群になりそうになっていたが、そんな時
引き出しから何故かノートの切れ端が出てきた。不思議なことに、そんな経験は数え
知れないほどあった。それはきっと落ち込んでいる私を、いつも私を導いて下さる方が
元気を給えて下さったのだろう。「私は守られている」と、改めて感謝できた日だった。
34歳で子育てをしながら、思い切ってソシアルダンス教師として社会に出た。
私は学歴もなく、あまり頭も良くないし、若くもないし(その時代はそんな思考だった)
と、周囲の人がみんな偉く見えていた。今思えば私は50歳前後まで、(これだけ仕事ができ
るのに何故?)と思うほど、その頃は自分に自信がなく、もしかしたら「劣等感の塊」
だったのかも知れない。
それは「頭が良いことは、計算が早くできたり、記憶力が優れていることだけでは
ない。ある条件で解決しなければならない問題があるとき、その時に来る外からの
刺激や、過去に記憶したことから、次に取るべき行動を正しく選んで実行できる
人、記憶している量が多いほど、行動を選ぶ参考にできる資料が多い」という
言葉だった。ということは絶えず頭を働かせて、色々とインプットすることだ。
私は昔から記憶力はあまり良い方ではないが、そう捉えると、かなり頭は良い
方だと思って凄く嬉しく、勇気がチャージされたのは忘れない。
身体面、精神面など、絶えずさまざまな事を勉強し、自分で満足できる現在を構築
したのかも知れない。これは平成1年4月3日に自分のノートに書いた言葉だが、ペット
がいなくなり、その喪失感に時折過呼吸症候群になりそうになっていたが、そんな時
引き出しから何故かノートの切れ端が出てきた。不思議なことに、そんな経験は数え
知れないほどあった。それはきっと落ち込んでいる私を、いつも私を導いて下さる方が
元気を給えて下さったのだろう。「私は守られている」と、改めて感謝できた日だった。