引き出しを整理していたら、ノートの間から懐かしい写真が出てきたが、それは
クラスメート達と学園祭で踊った「ラインダンス」の写真だった。
私は世田谷区立生涯大学を二回卒業したが、その入学条件は、世田谷区民で、
60歳以上だった。文化、歴史など5つの講座があり二年間は、専門別にそれぞれの
先生がそのクラスを受け持った。その後の二年間は「自主研究会」で、生徒たち
が自主的に運営をするが、すべて区で補助してくれた。
※センターの私の両隣は80歳過ぎのクラスメート
こんな4年間の講座は都内でも世田谷区だけで、他の地域に住む友人達には随分
羨ましがられた。私は過去に4回ラインダンスを振り付け、学園祭や世田谷区で開く
高齢者の祭典で「世田谷区民ホールで」踊った。私がラインダンスを提案したとき
「え!あんなに足を高く上げるの?」と、みんなに驚かれたが、「横に並べば
ラインダンスで、足を高く上げなくてもよいの」と説明して、踊ることになった。
何しろ60歳代から80歳代の人ばかなので、高齢者が踊るのは面白いと私は
思ったのだ。でも、なかなか覚えてくれず大変だった。中にはまったく覚えられず
周りでサポートして踊った人もいたが、その練習は笑いが絶えず、とても楽しかった。
一応振り付けを覚えてから、私のダンススタジオの大きな鏡の前で練習した。
やさしくカッコよくと、私なりに苦心して振り付けた。
この写真を見たら、胸が痛くなるほど懐かしくなった。二回卒業した生涯大学だけ
れど、その交流は未だに続いているのは嬉しいことだ。今年ひょんなことからソシアル
ダンスを教えたが、何とその会場の会員に意地悪され、止めたこともあった。
この写真を見たら、とても懐かしくなって、「もう一度ラインダンスを振り付けて教えたい」
と思った。長い人生の中では思い出は数えきれないほどあったが、高齢者ばかりのクラスメート達
と踊った「ラインダンス」は、私の人生の1ページで、忘れられないほど楽しい思い出だった。
クラスメート達と学園祭で踊った「ラインダンス」の写真だった。
私は世田谷区立生涯大学を二回卒業したが、その入学条件は、世田谷区民で、
60歳以上だった。文化、歴史など5つの講座があり二年間は、専門別にそれぞれの
先生がそのクラスを受け持った。その後の二年間は「自主研究会」で、生徒たち
が自主的に運営をするが、すべて区で補助してくれた。
※センターの私の両隣は80歳過ぎのクラスメート
こんな4年間の講座は都内でも世田谷区だけで、他の地域に住む友人達には随分
羨ましがられた。私は過去に4回ラインダンスを振り付け、学園祭や世田谷区で開く
高齢者の祭典で「世田谷区民ホールで」踊った。私がラインダンスを提案したとき
「え!あんなに足を高く上げるの?」と、みんなに驚かれたが、「横に並べば
ラインダンスで、足を高く上げなくてもよいの」と説明して、踊ることになった。
何しろ60歳代から80歳代の人ばかなので、高齢者が踊るのは面白いと私は
思ったのだ。でも、なかなか覚えてくれず大変だった。中にはまったく覚えられず
周りでサポートして踊った人もいたが、その練習は笑いが絶えず、とても楽しかった。
一応振り付けを覚えてから、私のダンススタジオの大きな鏡の前で練習した。
やさしくカッコよくと、私なりに苦心して振り付けた。
この写真を見たら、胸が痛くなるほど懐かしくなった。二回卒業した生涯大学だけ
れど、その交流は未だに続いているのは嬉しいことだ。今年ひょんなことからソシアル
ダンスを教えたが、何とその会場の会員に意地悪され、止めたこともあった。
この写真を見たら、とても懐かしくなって、「もう一度ラインダンスを振り付けて教えたい」
と思った。長い人生の中では思い出は数えきれないほどあったが、高齢者ばかりのクラスメート達
と踊った「ラインダンス」は、私の人生の1ページで、忘れられないほど楽しい思い出だった。