ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

そう長くない人生、私はビビッドに生きたい!

2021-10-06 20:49:34 | エッセー

 前日は真鍋淑郎さん(90歳)が、ノーベル物理賞を受賞され、とても嬉し

かったが、10月6日の朝刊には「樋口恵子さん、梅田賞」(89歳)また

「カーク船長宇宙へ」俳優のウイリアム・シャトナーさんが、(90歳)宇宙

へ行くことが掲載されていて、いずれも人生の先輩方だ。

 「100歳時代到来だ」と、私はすっかり嬉しくなった。

 でも、現実は80歳を過ぎると、だんだん疲れやすくなり、意欲も元気も

なくなってますます保守的になる。でも、私は間もなくまた齢を重ねるが

体は疲れやすくなり、見た目も「ヤッパリオバーさん」と感じるけど・・・

※デイホームでは一日の出来事を写真を付けて報告してくれる。

 それなのに心だけはビビッドで、時折そんな自分を持てますことがあり

(気持ちも年齢と同時進行ならどんなに楽だろう)と思う。

 同世代の友人達を見ていても、気持ちは年齢と相応していると感じる。

 私も「今さら」とか「どうせ歳だから」など、ごくふつうに感じられたら

どんなにか楽なことだろう。でも、恐れ多くて比較にはならないが、人生の

先輩達のこんな素晴らしいニュースを見て、また気持ちがすっかり舞い

上がるお調子者だ。そして、今「私能力ないけど、今凄いこと実験中なのよ!」

と、大声で叫びたい気分になった。それを詳しく説明すると、50歳から原因

不明の本態性高血圧症で、現在は「アルツハイマー型認知症11年目、高血圧症

狭心症、脂質異常症、急性閉塞性化膿性胆嚢炎、敗血症、石灰沈着症」で

70歳から救急搬送12回され、毎日薬を12錠服用していた夫。

 

そんな夫を「男性の平均寿命より10年以上は、幸せで穏やかに長生きさせたい」

と努力していることだ。と言っても献身的に尽くしている訳ではなく、介護は

工夫を伴うが、自分の世界はしっかりキープしている。

 私自身もエイジポジティブ研究家として、「どうすれば健康で見苦しく

なく、有意義に年齢を重ねられるか」と、自分をモデルに工夫し研究し

それらを実践している。過去は自分の思い通りに生きてきたし、束縛はある

がかなり自由で、最近また新しい趣味を始めたが、それもなかなか楽しい。

「生きた高齢モデルが二人」、こんな遣り甲斐のあることはない。

 でも・・・・よく考えたらその基本は「ちょっと神様」と、友人達から

言われた寛容だった夫のお陰かも知れない。価値観がよく似ている私達

 また、毎週3回デイホームで手厚いケアを受けているのも、大変効果的

だと、改めて感謝できた。今夫は89歳穏やか、素直、「ありがとう」

「美味しい!」「幸せだね」と時折言ってくれる、そんな夫にできるだけ

長く寄り添って生きたいと思っている。

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今朝の朝ドラで過去を思い出して

2021-10-06 09:11:38 | エッセー

 NHKの「お帰りモネ」は(心理的描写がとても素敵だな)と、私なりに

いつも感じていたが、今朝もそれぞれの思いが見事に表現されて、感心

して見ていた。ことに姉妹とのやり取りは、自分の過去を顧みて、何だか

胸が一杯になったのは、30年ほど前に、今はもう亡くなった親友に言われた

言葉を思い出したからだ。それは「あなたは良いわね、仕事面も凄いし

家庭も平和で、子供も二人いて、孫もできたし、それに夫ご主人公認の恋人

までいるなんて、世の中にそんな幸せな人なんて、滅多にいないわよね」と

言われたことだった。

 親友は私立中学の入学試験の時知り合ったが、生涯独身だったが、性格面

はまったく違うが、何故か波長が合った。私が子育て中は一時中断していた

付き合いが、また再開してから、彼女が亡くなる2年前まで、海外や国内旅行

など、何度行ったか分からないほどだった。自分は自分とハッキリ割り切って

いて、生活環境はまったく違うけど、何でも話せる唯一の親友だった。

 有楽町の駅前のビルに勤めていたので、毎月のように会って、銀座や丸の内

界隈で映画を見たり、お酒を飲んだりしたのはおよそ10年間近く続いた。

 会社を退職してからは会うのは昼間になり、亡くなる2年前に銀座で

ランチしたのが最後だった。その頃は、糖尿病が進んだため、目が見えに

くいと言っていた。

 それからすぐ入院したが、何度手紙を出しても、「見苦しいからあなたに

もう会いたくない」と言って、とうとう最後まで会ってくれなかった。

 その間私は随分淋しい思いをしたが、手紙を出しても「目が見えないので

私が姉に読んで聞かせました」と、はがきが来て以来手紙を出さなくなった。

 お通夜とお葬式には行けたが、きれいなお顔で、「生きている内に会い

たかった」と思った。でも不思議なことに、白金高輪にある実家の菩提寺

「立行寺」も親友と同じなので、実家の買墓参りには必ずお参りできるのが

嬉しいが・・・私はあまり過去のことは考えないけれど、そんな大昔の

ことを、まるで昨日のことのように思い出した今朝のドラマだった。

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