もしもとても素晴らしい化粧品に巡り合えて、お顔のシミやシワやタルミがすべて
なくなった。たとえ顔だけピカピカに若返ったとしても、首や、手など年齢がもっと
も老化が出やすい部分がそれなりだったり、姿勢が良くなかったり、歩き方が
とぼとぼしていたり、声がしわがれていたり・・・老化は必ずどこかに現れているはず。
私は思うのは「アンチエイジング」は、無理だと思うし、その言葉も好きではない。
そのため、老化に逆らうのではなく、上手に付き合うことが必要だと考えている。
今は死語になったが、昔は「若作り」「ねーちゃん、バーチャン」と言う言葉が
あったが、それが私には「アンチエイジング」と同様に感じる。
とは言っても、私だって本心は「若く見られたい」と思うのは至極当然で、その
証拠は「実年齢は言いたくない」からだ。街を歩くと杖を付いていたり、歩行補助車
を使っていたりする高齢者が実に多い。「老化は脚から」と昔から言うが、一見元気
そうでも足が弱くなると、行動がかなり束縛される。私のルーツはダンス教師だから
死ぬまで自分の足で歩けるよう毎日努力をしている。それは運動、ケア、健康器具に
よる刺激だが、今現在は不自由を感じたことはない。
「鍛えるのではなく現状維持」が目標で、お蔭でまだ人混みの中も、その流れに合わ
せてふつうに歩いている。ルックスには恵まれなかったが、私が今目指すのは
「カッコイイ高齢者」だ。
たとえ、顔は老化していても、白髪だらけでも(無論今は染めているが)背筋を
のばして歩きたいと思っている。そのための毎日の努力が、私は楽しくて仕方がない。
また、認知症11年目の夫も「研究材料で生きたモデル」で、「平均寿命より
10年間は長生きして欲しい」と、欲張って介護しているが、その基本は長年の食生
活だ。さらに毎日精神的な効果、感性の刺激(心理のプロとして)、最近愛のケア
を加えたが、その効き目は実に顕著だ。なぜなら、認知症以外に余病がある
89歳の夫は、未だに私と毎晩楽しく晩酌できるほどの元気さで、それらの努力と
工夫は現在も進行中である。次回は私の長年にわたる、心身のコントロール法)
をご紹介したいと思っている。