ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

昔とは何年前?

2021-10-13 17:02:22 | エッセー

 それこそ、昔は「10年ひと昔」と言う言葉があり、多分その時代は「昔」

とは10年位前が目安だったのかも知れない。しかしあまりにも時流が早い

現代なので、私は何となく最近は感覚的には、多分5年位ではないかと

思っていた。ある日そんなことが気になり、ネットで調べたら色々な説が

あったが、これが標準常識ではないかと思えるものがあった。それは・・・・

  5年33%  3年17% 10年以上14% だった。

「昔の考え方と、現代では5年の差がある」と、やはり!と納得した思い

だった。

※40年以上大昔のインド

には1年8・4% 2年4・6% 3年18・8% 5年32% 10年5%

もあったが、年代によって相当な開きがあると感じた。

 それにしても、いくらなんでも1年が昔とは、あまりに短すぎるではなか

ろうか。でも、5年と思う人が多いのは、平均的な価値観かも知れない。

「光陰矢の如し」と言うが、いずれにしても、極端な言い方をすると

「人間生まれた瞬間から、死に向かっている歩んでいる」のだ。

※聖地リシケシ、ヨーガアシュラムで

 

今若くて青春を謳歌している人も、そう先行きが長くない高齢者も

時間だけが「神様が唯一つだけ私達に平等に給えて下さった」ものだ。

 私の価値観は時間程大切なものはないと思う、長年時間を最優先して

生きてきたが、「自分の時間は無駄使いしたくないし、他人の時間を奪う

のは罪悪だ」と感じる。そのため、決して無駄使いしないことにしている。

 そのためか、後悔したことはあまりない。皆様方はどのように感じられ

るのだろうか?ついでだから申し上げますが、私は自由に行動できるよう

になった30代の後半から「自分だけのためならいつ死んでも惜しくない」と

燃焼して生きています。

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「疲れない体に」が私のポリシー

2021-10-13 09:19:06 | エッセー

昨日はある用事で約1時間半かかる遠方へ行くため、午前中の11時に家を出た。

 その後前日に友人に誘われ、池袋の東武デパートの15階のレストラン街で

会うことを約束してある。池袋など何年かぶりだが、デパートへ入ってから

15階のレストラン街へ行くのが大変だった。店員さんに尋ねながら歩いたが

直通のエレベーターも分からず、エレベーターを乗り継ぎ、ようやく15階

までたどり着いた。多分デパートに入ってから、おそらく15分以上は

かかっただろう。

レストラン街は閑散としていた。そこで待っていた友人と、お酒を飲みながら

およそ2時間あまり、楽しくおしゃべりをした。西武線で帰る友人と別れ

池袋から新宿まで山手線で、小田急線に乗り換えて家に帰ったが、コロナが

解除されたためか、電車は結構混んでいた。家に帰ったのが8時近く。

 私は思った、高齢なのにほぼ一日中外出していたのに、まったく疲れてい

ないし、階段も随分上り下りしたし、人混みの中でも、そのペースに抵抗感

なく歩ける。それはいつも自分自身の心身を、無理なく鍛えたり、ケアしたり

しているからだと感じた。

私の精神性に関わる問題で、遠方まである先生をお訊ねしたが、老老介護を

している私は、絶えず健康でなければならない。

 私のリピドー(心的エネルギー)の高さは、やはり日頃の努力の成果も

あるし、天性のものと確認でき、そのエネルギーは良い意味で、もろに夫に

影響しているようだ。今朝もいつものように元気で、また、認知症11年目の

夫を残して、長時間外出できるることも同時に感謝できた。

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