ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

自分自身の年齢が研究材料、だからエキサイティング(中)

2018-08-18 21:44:46 | エッセー
 その他は健康と若さをキープするのは運動と精神面だが、自分で長年指導して
いる、ヨーガ、ダンスなどが基本だが、体の中にある3つの水分である血液、リンパ液
脳脊髄液を効率よく流す方法も毎日行っている。また、20年間続けているひざ痛を
治した「骨盤矯正体操」3か月ほど前また痛くなったので、「関節包」なども一時的
にやったが、今は全く痛くないのでやってはいない。
 また時折座骨神経痛を直した運動も行っているが、私は何十年来、日常的に
「何もしない日はなかった」ことだ。それが今現在の健康状態を保っているのは
確かだ。自分の体の中の声を絶えず聴きながら行うので、決して無理はしない。

 過去に医学的な治療を受けずに、運動や他の治療法など、自分の努力で治った
症状を数え上げてみた。これは30歳代からだが、頭痛、お腹の不調、めまい
ひざ痛、腰痛、突発性難聴炎の後遺症と言われる耳鳴り、2・3年前に全く身動き
できないほど辛い「突発性良性頭位めまい症」、これはもう1年半全く出ていない
ので、有り難いことに努力のお蔭で、多分治癒したのだと判断している。
 また座骨神経痛と診断され、右足の太ももに時折感じる違和感があり、それを
学習したリンパ療法の技法で薬を飲まずに、2・3年間は、何とかだまし、騙し
過ごしていた。ところが3年前の今頃の朝、突然右足全体が痛くなり、しびれて歩き
にくくなったので、慌てて整形外科へ行った。すると、やはり座骨神経痛の痛みと
分かり、薬を処方されて飲んでその症状は治まった。

 でも、それは決して治った訳ではない。何とか運動療法で治そうと、そんな
知識が豊富な友人に事情を話し相談し、ある本を紹介された。
 その本によると原因は尾骶骨の辺りにある「仙骨」のゆがみのようで、大いに納得
できそれから、その本を見ながら毎日その運動を行った。
 今その記録を見たら、27年8月23日から、11月11日まで、ほとんど休みなく毎日
行っていた。そして今は完全に治っているが、その方法は現在は自分のレッスンに
取り入れ、時々行っている。私にはそんな治癒体験が過去には度々ある。
 しかしそれらは大変努力は必要だ、でも私は持続性には恵まれているので
がんばれたのだと思っている。生れつき備わっている自然治癒能力を引き出す方法
は、いろいろあるはずだと思っているので、またどこか悪くなったら試してみたい。


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あまりに多様性のある自分に振り回されて

2018-08-18 06:28:05 | エッセー
 目覚めたのは3時半それからどうしても眠れず、いろいろ考えてしまった。
長い人生を振り返っても、あまり平凡ではなかったが、少女時代はそんな兆し
はなかった。自分の本質に目覚めたのは、子育てをしていた20歳代後半から
かも知れない。あの頃は「早く30歳になりたかった」そうすれば、子供達から
少し手が離れて、自分の求める何かに邁進できるのではないかと思った。
 でもそれを待ちきれず、夫をそそのかして再びソシアルダンスを始めたが
まだ幼い子供達を置いて、敷地内に住む夫の両親に隠れて、週3回下北沢のダンス
教習所へ通った。レッスン時間と車の往復で約1時間少し家を空けたが、それは
5年間続いたが、子供達はきっと淋しかったのだろう。
 思えば、今そのツケが来ているのかも知れない。

 それから教師資格を取り、私の人生はガラリと変わったのは、大家族の軋轢の
中で耐えてきた私が行動を起こしたからだ。まるで走っているような毎日の連続だ
ったが、楽しくて、楽しくて仕方なかった。どんなに忙しくても、食事は決して手抜き
したつもりはなかった。40代には「自分の情熱のブラックホールに吸い込まれる」ような
恐怖感すら感じた。そして今・・・あの頃とまったく気持ちに変化がない自分がいる。
 夫への献身、自分の中の情熱との葛藤、決して衰えない女性としての情念。
誠実でまじめ。思いやりとやさしさ、何でも一生懸命、人並み以上と思える感謝の気持
の半面、大先生を1年間以上振り回した魔女性も存在する。
 心の中で様々な感情が交差する今。いつも自分に言い聞かせる。
それは「現在の私には夫の介護が最優先」と・・・でもそれらはタテマエではなく
すべてホンネだから、私って一体何者だろう。
 そんな私が大先生のアドバイスで、来月新しいプロジェクトを立ち上げる。
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自分自身の年齢が研究材料、だからとてもエキサイティング (前)

2018-08-17 06:49:25 | エッセー
 今月の健康診断の結果はすべて異常なし。目、歯、耳もすべて健康、これが
82歳の私の結果だ。でも最近忘れることが多く不安になり、長年夫に付き添い
通っている、都立松沢病院の物忘れ外来で精密検査を受けたが、結果は30日に
聞くことになっている。現在は医学的な治療は全く受けてはおらず、年齢の割には
かなりエネルギッシュだ。それには長年の積み重ね「習慣は第二の天性なり」
と言うが、私の若さと健康は、それによってキープされている。
 約20年間は「サプリメントお宅」だったが、今は必要と思える最小限にした。
それは「健康と栄養」の成城大学の講座を3回受けて、サプリメントについての
知識をかなり知った結果で、それ以来思い切って減らした。
※カシューナッツ、くるみ、小女子の甘露煮

 健康の元は食生活なので、それは自分なりに考え工夫し、バランスが摂れた、かなり良質な
食事をしている。そのため、買い物、調理など、かなりエネルギーを要するので、一日は結構
忙しい。できるだけカロリーを抑え、タンパク質の多い食生活をしているお蔭か、私達80歳代
の老夫婦はいつも元気だ。その中で必ず毎日摂るものはと数え上げてみたら・・・
 抹茶、甘酒、にんにく、小女子、乾燥小エビ、海苔(それらはすべて自家製の中)
きな粉(なくなったら大豆に変える予定)リンゴ他果物2種類、しょうが、ナッツ類
(アーモンド、クルミ、カシューナッツ)海苔他(自家製ふりかけ)ヨーグルト、オリーブオイル
ペパーミント(自家製の生葉)など15種類。
※昨日の昼食
 ネギトロ、シラス丼 ネギ、下に焼きのりが沢山入っている。

 また野菜類は毎日目標7種類、また体に最も重要なタンパク質類(肉類卵、魚介類
豆類、卵、乳製品)は、必ず4種類は摂るようにし、炭水化物はあまり摂らない。
 外食はお付き合い以外ゼロ、食品添加物などが全く入らず、できるだけ薄味の手づくり
のかなり健康的な食生活をしている。さらに「家庭的なサプリメント的なものを」を
二種類毎日摂っている。でもこれは、夫はそのすべてを取る訳ではないのが、少々
残念だがこれは仕方にと諦めている。
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平成最後の終戦記念日

2018-08-16 08:53:05 | エッセー
 終戦を迎えたのは私が10歳だったが、石川県に疎開していたので、「もう
すぐ家に帰れるのだ」と嬉しかった以外は、あまり強い印象はなかった。
 その頃から73年以上経ったが、日本始まって以来の、長い戦争のない平和な
時代に人生のほとんどを重ねられたのは、どんなにか幸運だったのだろう。
 連日のアメリカ軍の来襲、いつもひもじい思いをしていた小学生時代、学校に
いても、警戒警報が出ると、すぐに家に帰らせられたが、空襲警報が出ると解除
されるまで家に帰れなかった。
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空襲警報で避難して家に帰ると、家は焼かれてなくなっていた。
私達の世代は戦後の復興から、日本がだんだん高度成長していく時代に,その発展
していく状況をつぶさに見てながら成長した。昔を思うとまさに「隔世の観」だが
終戦記念日の祭典には、来年退位なさる天皇陛下と皇后陛下が、最後のご出席な
さったが、私は感無量の思いだった。同世代の両陛下が長年ご高齢による、ご体調の
悪さをおして、長年ご公務を果たされたのは、本当に大変な思いでいらしたのだろう。
ご退位なさって、これからはゆったりとして毎日をお過ごしなさるようにと、心から
思った。

★朝から涙ぐんだ老夫婦
 昨日の朝7時にニュースを見たら、先日から行方不明になった2歳の坊やが
見つかったと報道されていた。私達は思わず「良かったね」と顔を見合わせたが
二人共涙ぐんでいたが、本当に良かったと心から思いとても嬉しかった。
 昨日も、今朝もその報道がされ続けているが、誰かに誘拐されるような地域ではない
ようだが、それにしてもまだ2歳になったばかりの男の子が、68時間も一人で
山の中を彷徨っていて、どんなにか恐ろしかっただろう。
 ボランティアの高齢男性に発見されたが、世の中にはまだこのように、心のきれい
な奇特な方も沢山いらっしゃるのだと感動した。良くないことばかり多い世の中に
久しぶりの朗報で、日本中を感動に巻き込んだ終戦記念日だった。
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物忘れ外来を再び受診して

2018-08-15 07:04:46 | エッセー
 夫に付き添って8年間通院している都立松沢病院で、その検査を受けたが、無論MRIも
撮ったが、その時点では異常なしだった。最近忘れることが増えてきて、不安になったが
毎日その日の予定を確認する。その日の午後は歯医者さんの予約があり、午前中は覚えて
いたのに、午後はすっかり忘れて、すっぽかしてしまい本当に申し訳なかった。
 さらに恐ろしくなったのは、自分で振り付け、何年も指導していたダンス風の
私作詞の「第二の青春体操」が、突然出だしが分からなくなり、恐ろしくなった。
 しばらくしてから思い出したが、もしも私まで認知症になると、大変なことになる。
もう一度検査を受けたいと電話したら,大変申し込みが多いそうで、約1か月間
待たされた。
※広大な敷地にある立派な松の木

 はじめに精神科医師(男性二人)の問診で、なぜ受診したのか聞かれたのは
受付で渡された診察以前のチエック(例えばときどき不安になるとか)が、私はゼロ
だったから。それから日常の生活態度など、また長谷川式の簡単な記憶力チエック
やさしい計算、野菜の種類などの質問などが約1時間あった。
 それから何故か二人の先生達から、「分かりにくいから」と心理室に案内された。
そこで女性の心理カウンセラーから、さらに細かい言葉、指の動き、図形など、多分
記憶に関するテスト、想像性のテストなど約30分のテストを受けたが、実は難しく
てできない図形もあった。そのごMRI検査を受け終了したが、時間は約3時間。
 結果は30日に来院して伺うが、多分認知症ではないと思うが、最近記憶力や
記銘力が極端に悪いと感じるが、これは加齢によるためと診断されるかもしれない。
 たとえ「アルツハイマー型初期の認知症」と診断されても、今現在記憶以外は
年齢の割には元気で意欲的で、体も至って健康だから、平気だと思っている。
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