波乱変動多くの人生過程を激変させ、多くの感情を~平常なら穏やかに過ごす事が出来たと思われる時間を過激すぎる時間として過ごさなければならなかった人が如何に多かったか…そんな年もあとわずか残すのみとなった。
変わり果てた街、我が店、我が家を目にした震災の翌日。 驚きと哀しさ悔しさで茫然自失の瞬間がありました! その後の一日一日が戦いでした。しかも辛い戦いでした。何分体調の最悪と言える状況下での出来事でしたので、どこまでやれるか心もとない心境。
それぞれ遠くに離れている子供たちとも連絡が取れない通信不能。子供たちも気が気でなかった後日談。 ガソリンも入手困難で長距離移動に不安の中、息子、娘婿がいち早く駈け付けてくれて泥と乱雑に散らばった家具調度品、商品の処分始末に精一杯の協力。 若い力に脱帽する場面が何日も続きました。
家は住めるような状況ではない為、避難所(宮古小学校)に身を置いておりましたが、その間、家は無人。しかも出入り口である玄関が大破、侵入する気になれば誰れでも出入り出来るような壊れよう。 泥棒が横行している噂も飛び交うのを耳にして、3月19日には懇意の大工さんに玄関の修復を依頼。大工さんも即、間に合わせの玄関戸をはめ込んでくれる。 その段階で家屋の1階部分の修復を依頼。
修復は早い方でしたが~修復に必要な建材、注文の電化商品等何かと品不足、交通手段の不都合で予定通りには進行しない非常時。成り行きに任せるほかない諦めのムード。
それでも3月31日には2階に住める体制を整えてもらい、何かと不便な生活でしたが避難所を退所出来ました。