赤い椅子

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湖国の歌人

2015-02-04 20:47:00 | ノンジャンル
2月2日、大津短歌連盟主催の「湖国の先輩歌人 米田登に学ぶ会」に
出席をした。
大津駅を下りると「お~寒!」さすが大阪よりは2℃くらい寒そうだ(@_@;)
会場の旧大津公会堂は今回で2度目。
湖に向かって下る道筋には、2~3日前の雪だろうか…
道端に積まれて薄黒く残っている。

湖国の歌人…といわれてもしっくりこない米田登師だが、
生まれは石塔、極楽寺なのでもっともなことだが~

早いもので今年3月には23回忌だという。



社会詠歌人という評価の高い登師は都会人のイメージが大きいが~。

銀行へゆくとかこつけて吾は来ぬ五月一日中之島公園   (定型律初期作品)

わがために妻はカーテン引きて出づ病む時は本を読まず眠れと (思惟還流)
われに暗き日々積かさなり雨期に入る運河のほとり解かるる筏 〈 〃  )

父のごと天衣無縫に歌へとぞ今日また言はるる父知る人らに  (現象透過率)
われらさらに滅びむされど娘が孫を産みたる今日の紺青の空  ( 〃   )
わがひと世に抱ける望み文学にかかはり夜ふかす元日の夜を  ( 〃   )

革命にかかわり持たざるデモの行く日暮れ街川に潮差しのぼる (時空界面)
恋の歌もおほかた忘れて夜更けまで坊主めくりを孫らと競ふ  ( 〃  )

常に人はパンのみに生き山河破る画の中にのみ残れる蒲生野  (回帰曲線)
この家にわが役目一つ寝る前に食器洗ひ機のスヰッチを押す  ( 〃  )
妻がいるのみにやすらぎ三箇日心なげだし夜夜熟睡す      ( 〃  )

改めて登師の作品を読んで、個人的に好きな作品を選んだが、
家族との暖かい眼差しで、そのつながりを読んだ作の何と優しいこと、
そして奥さま京子さまの暖かな大きな存在を感じる。

そして父、雄郎の大きさを感じながら、自らの信念を確固たるものにせんとする
たゆまない努力といささかのプレッシャー(大きかったかも)を感じた。

幸子さんの話では

○ 授業参観に来た父親が、他の父兄のように後ろに立つのではなく、
  ここから見たいと入り口の横に立たれたこと
○ 受験生としての娘二人をいたわるより、登師のことを常に一番に
  考えていたという京子さまの存在
○ 大学を選ぶ時も、両親は国文学を…なんて一言も言わずに好きな道を
  歩ませてくれ、いままで歩んできたこと
○ 事情があって同居した子供たちが、祖父、登のひたすら一つ事に
  信念をかけて邁進する後ろ姿を見て育ったこと
などを挙げ、普通の家庭人のようでそうでなかった父の姿、
祖父としての登を披露してくれた。

失礼ながら、幸子さんは若いころのイメージと少し変わり、
父、登 祖母、生駒あざみを強く感じさせた面ざしの幸子さんであった。

彼女にお声をおかけして、資料の整理、寄贈など大変でしたね…
頑張っていらっしゃいますねと言うと「頑張る方向が違うのよね~ ちょっと」と
言われた。彼女もまた、歌の家に生まれた錘を気にしながらこられたのかも
知れないな~と私の勝手で感じたけれど~

となりに座ったHさんと、『思惟還流』の出版記念会、おまけに二次会まで
若さゆえの恐れも知らずで参加したことなど、懐かしく思いだしたことだった。

社会詠の歌人としての登師の、家庭人としての面ばかりを私は前面に意識した
今回の「学ぶ会」であったがよい勉強をさせてもらった<(_ _)>

会場に掲げられた掛け軸や色紙は、なつかしい四角四面な剛っい文字だった。

京子さまの遺歌集も準備中だという。
また家庭人として、夫として、父親、祖父としての登像が鮮明になるだろう。

…米田家の三人送りぬ掌をのべて雨を確かめ斎場を出ず 喜代子…

米田家の四人はもちろんのこと、三人を知る人も少なくなってきた時代だ。
この縁を大事に歌を作っていきたいと思う。

今回は写真がないので、蝉マルさんに画像を二葉お借りしました<(_ _)> 



なお参考までに平凡社新書刊の『短歌で読む 昭和感情史』菅野匡夫著に
生駒あざみさんの歌1首…ちゃんとした歌を調べていませんが
前線に行った息子二人に毎日陰膳を備えると言う歌が出ているそうです。


コメント (3)
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