博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『万里の長城は月から見えるの?』/『独裁者の教養』

2011年11月03日 | 中国学書籍
武田雅哉『万里の長城は月から見えるの?』(講談社、2011年10月)

「万里の長城は、月から(あるいは宇宙から)見える唯一の建築物である。」日本でもよく知られた言い回しですが、2003年に中国で最初に宇宙飛行を成し遂げた楊利偉が「宇宙から長城は見えましたか?」とインタビューされて「見えませんでした」と答えたばかりに、中国では「えっ、オレたち今まで騙されてたの!?」「いや、高度によっては見えるはず……」「そういや国語の教科書にもこの話が載ってるんだが、それは一体どうなる?」と、この「長城伝説」をめぐって大騒動がおこり…… 

ということで、「長城伝説」をめぐる言説を取り上げたのが本書。著者の武田氏は過去にも『楊貴妃になりたかった男たち』なんて本を書いてましたけど、今回も実に面白いテーマに目を付けたなあという思います。それにしても「長城伝説」が言われ出したのはアポロ11号が月面着陸に成功して以後のことだと思ってましたが、実は遅くとも19世紀末にはヨーロッパで「長城が月から見える」という言説が広まっていたんですなあ。

安田峰俊『独裁者の教養』(星海社新書、2011年10月)

世界の独裁者たちはどのような教養、すなわち思想・価値観や体験を得て成功者となったのか?そういう観点から彼らの生涯を追っていこうという本。取り上げられているのは今話題のカダフィをはじめ、毛沢東、ポル・ポト、スターリン、フセイン、ヒトラーといった「いかにも」な面々に加え、リー・クアン・ユーのような一般的には独裁者のイメージが無い人物、更にはトルクメニスタンのニヤゾフのように「誰それ?」な人物に及んでいます。

そして各人物の評伝の間に中国雲南省とミャンマーとの境界に位置し、鮑有祥なる人物が独裁体制を敷くワ州(佤邦)への潜入ルポが挿入されています。本書を読んでると、ついついこちらの「ワ州密航記」の方に目が奪われがちですが、評伝部分の方も、例えばヒトラーやナチスの唱えた民族主義・反ユダヤ主義・優生学思想などは彼らのオリジナルではなく、当時ヨーロッパで既に存在し、それなりに広く受け入れられていた価値観であったとか、割といいところを突いてるなと思うのです。

で、最終章では現代の日本が扱われていますが、この部分を読んで、半藤一利『昭和史 戦後篇1945-1989』に、ナチス・ドイツでは政・軍の幹部の責任の所在が明確であったので、ニュルンベルク裁判はスムーズに進んだが、日本の場合は責任の所在が極めて不明確で、東京裁判で誰にどの責任を押っつけるかで色々難儀したという話が載ってたのを思い出しました……
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『学術訓練与学術規範』

2011年07月30日 | 中国学書籍
栄新江『学術訓練与学術規範 中国古代史研究入門』(北京大学出版社、2011年4月)

隋唐史・敦煌学などの研究で知られる栄新江氏による中国史学研究入門。まずは本書の構成を挙げておきます。

第一講 伝統古籍的翻閲/第二講 石刻史料的収集/第三講 簡牘帛書的検索/第四講 敦煌吐魯番文書的瀏覧/第五講 版本与校勘的常識/第六講 考古新発現的追踪/第七講 図像材料的積累/第八講 今人論著的査閲/第九講 刊物的定期翻検/第十講 論文的写作(上)/第十一講 論文的写作(下)/第十二講 書評与札記/第十三講 写作規範/第十四講 注釈体例与参考文献/第十五講 専業中英文的翻訳

……とまあ、このようになっておりますが、第一講から第九講までは基本的に関連する工具書・参考図書などを羅列しているだけなので、参考価値はありますが、読んでいて面白い部分ではありません。適当に読み飛ばして下さい(^^;) (しかし著者の専門柄か、欧文書・日文書も積極的に紹介されているのは特徴的と言えるかもしれません。)

本書の真価は第十講以下の論文の書き方や規範などを解説している部分です。中文書で歴史学の研究入門の類は数あれど、こういう基本的な所から解説してくれている本はほとんど無いので、中文で論文などの文章を書く際に参考になるかと思います。

そして「老大家の紀念文集に墓誌の研究を寄稿するなんて縁起の悪いことをしちゃいかん!」とか、「欧米の学者は『吐蕃与唐朝之間』と言うつもりで『Between Tibet and China』なんて書いてたりするが、間違ってもこれを『西蔵和中国之間』なんて訳すなよ!絶対だぞ!」とか、ネタ的に色々楽しいのも第十講以下です。本書は大学院の講義をまとめたものということなんで、こういう余談の類も紛れ込んでいるんですね。ちなみに老大家の紀念文集の話はこの後に「追悼文集ならそういうテーマでもオッケーだよ!」なんて書いてたりするので、どこまで本気で言ってるのかという気もするのですが(^^;)
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『ふたつの故宮博物院』/『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索』

2011年07月08日 | 中国学書籍
野嶋剛『ふたつの故宮博物院』(新潮選書、2011年6月)

2000年代の台北故宮リニューアルと故宮南院建設計画、北京と台北ふたつの故宮成立史、近年の大陸での文物回収運動(このあたりはメインテーマとはあんまり関係ない話題ですね)、そしてふたつの故宮の交流・統一と、割と内容が盛りだくさんの本です。

特に台北故宮のリニューアルについては関係者のインタビューが豊富に盛り込まれていてなかなか読ませますが、これって当時の民進党政権と結びついた極めて政治的な動きだったんですね。そして国民党の政権奪回とともに揺り戻しがおこり、台湾南部の嘉義県にオープン予定という故宮南院の建設計画については風前の灯火となっているようですが……

大陸での文物回収運動については、フランスでオークションにかけられたりして物議を醸した円明園の十二支像についても触れられていますが、本書ではこの十二支像について中野美代子氏の衝撃的な論考を紹介しています。その論考によると、十二支像は1930年頃までは現地に残ってたようであるということですが……アロー戦争で英仏連合軍に略奪されたんじゃなかったのかよ!(^^;)

川島真『シリーズ中国近現代史2 近代国家への模索1894-1925』(岩波新書、2010年12月)

このシリーズの第1弾を読んだのが随分前のこととなってしまいましたが…… 

今回面白かったのが「中国」という国号についてです。本書ではこれに関して梁啓超の文章を引用していますが、梁啓超曰く、我が国には国号が無い。漢・唐といった王朝名で呼ぶのは論外だし、支那という号は外国人がつけた名であって我々がつけたものではなく、「名は主人に従う」という公理に反することになる。中国・中華という呼び名も自尊自大の気味があってイマイチなんだが、消去法で選ぶと中国しかない。

……ということですが、支那という呼び方は自分でつけた名前じゃないからダメなんですね(^^;) そして中華・中国という呼び方に問題があると認識しているのも面白いところ。そして日本は辛亥革命後にこの中国という尊大な呼び方を嫌ったのか、支那という呼称を採用することになるわけですが……
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『日中国交正常化』

2011年06月01日 | 中国学書籍
服部龍二『日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年5月)

関係者へのインタビューや日記・外交文書によって、当時首相であった田中角栄、同じく外相であった大平正芳の動向を中心に日中国交正常化交渉の過程を追った本書。しかし本書で紹介されている関係者の言動がフリーダムすぎて反応に困るのですが(^^;)

例えば、日中国交正常化にあたって台湾に対して断交を申し入れざるを得なくなり、その台湾へと差し出す田中角栄の親書の添削を依頼された安岡正篤は、原文にあった「(日台)の公式の関係が断たれる」という部分を「貴国との間に痛切なる矛盾抵触を免れず」という分かったような分からないような文辞に書き替えてしまいます。

安岡の考えでは、「台湾が一つの中国というものを主張している以上、日本が北京政府と国交正常化すれば、台湾と国交が断絶するのは太陽が東から昇るのと同じように当然のことであるので、わざわざ明言する必要はない」とのこと。一定のロジックに沿ってわかりきっていること、省略できることは敢えて書かずにすます……物凄く漢文屋らしい発想ですね(^^;) 本書には添削前の平易な文辞で書かれた親書と安岡によって添削された後の漢文調の親書が掲載されていますが、両方読み比べてみるとあまりの違いに笑えてきます。

そして特使としてその親書を台湾へと届ける役目を担った椎名悦三郎(当時自民党副総裁)。同行したハマコーから台湾側に対してどういう考えで臨めばよいかと問われ、「それは君、それぞれが思っていることを話したらいいんだよ」と返答。そして蒋経国との会談の中で、日台断交どころか外交も含めて台湾との従来の関係が継続されると明言し、本当に自分の思っていたことを口に出してしまいます。で、この発言が早速中国側に伝わり、この時に北京を訪問していた小坂善太郎らがこの件で周恩来から叱責されるなど、無用の混乱を招くことに。……椎名先生っ!!

本書では田中角栄が訪中時に行い、物議を醸したことで有名な「ご迷惑」スピーチについてもかなりの紙幅を裂いていますが、正直上に挙げたような安岡正篤と椎名悦三郎のフリーダムな言動と比べると、極めてささいな問題ではないかと思えてきます(^^;)

この田中角栄にしても、北京を訪問した後で上海への訪問を促されると、「上海に行きたくない、もう帰国したい」とゴネたり、挙げ句の果てに特別機での移動中、彼を説得して上海まで同行することになった周恩来の目の前で爆睡して周囲をドン引きさせたりと、もうちっと空気を読めとツッコミたくなります……

何かもう読んでて噴き出しそうになるエピソードばかりなんですが、ホントによくこんなんで日中国交正常化の交渉がまとまったよなと感心した次第。本書のオビには「本当の政治主導とは。」というフレーズが書かれてありますが、本当の政治主導でもこういうカオスなことになるのなら、政治主導なぞいらんという気持ちになってきます。

最後に本書の中で最も印象に残った言葉を紹介しておきます。上記のように北京での交渉を終えて上海へと向かった日本側の一行。そこで目にしたのは、日中共同声明の詳細さえ知らされぬまま日本側の代表を歓迎すべく動員された群衆でありました。随行した外交官栗山尚一氏の述懐に曰く、「政府の権力で、これだけ国民が出たり入ったりできる国はすごいな、そんな国にはなりたくないなと思ったのが、そのときの中国のイメージですね。」……「そんな国にはなりたくないな」「そんな国にはなりたくないな」「そんな国にはなりたくないな」……(以下、エコー)
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『ネット大国中国』

2011年04月25日 | 中国学書籍
遠藤誉『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』(岩波新書、2011年4月)

中国でのネットをめぐる状況を扱った本ということで、「08憲章」から「中国茉莉花革命」まで近年の主要事項は一通り押さえています。しかし「河蟹」とか「五毛党」といったネット用語が頻出する割には全体的にお上品な論調なのは、著者が年配(遠藤氏は1941年中国長春(!)生まれ)だからでしょうか、それとも岩波新書というパッケージのなせる業でしょうか(^^;)

ネットでの言論を担う「80後」「90後」(それぞれ1980年代・90年代生まれの世代)は良くも悪くも権利意識が強い現代っ子で、政府を転覆させようとは思ってないが、政府に服従しようとも思っていないという状況。著者から近年の反日デモがいわゆる官制デモではないかと問われた政府高官が「そもそも最近の若者が政府の言うことを聞くと思いますか。もし素直に政府のヤラセに応じるようなら、中国政府は苦労しません」というコメントを発したというくだりには笑ってしまいましたが。

それに対して当局側もさるもの。胡錦濤に至っては国家主席になる前の2000年からネットの力と危険性を見抜き、ネット統制の下準備を進めていたとのことですから、やはりこの方面にぬるかった北アフリカや中東の指導者とは訳が違いますね。本書を読んでいると、当局と網民たちとの戦いは一方がもう一方を圧倒するという形で結末を迎えることはないように思えてきますが……
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『三国志 演義から正史、そして史実へ』

2011年03月29日 | 中国学書籍
渡邉義浩『三国志 演義から正史、そして史実へ』(中公新書、2011年3月)

歴史の人が書いてるのに演義を全面に出している、しかも正史から演義じゃなくて演義から正史へと流れを追っているという点に不安を感じていましたが、実際に読んでみると、著者は文学方面についてもそれなりに勉強しており、しかも演義→正史という流れもそれなりにハマっているということで、安心しました。読んでてこのレベルの本が20年前(要するに私が『三国志』にハマってた頃)に出てたら良かったなとは思いましたが……

歴史方面の話は、この著者の研究ではお馴染みの「名士」論や「儒教国家」論が中心です。一般書では少し前に出た『儒教と中国』(講談社選書メチエ)と内容的に結構被ってますね。

また本書では、著者が日本語版を監修しているドラマ『三国』についても言及されています。今回のドラマでは魯粛の知謀が描かれていると評価しているのですが、ドラマを全話見た立場から言わせてもらうと、ああいうのを知謀と言うのかどうか首をかしげざるを得ません(´・ω・`) 著者の言う所の「魯粛の知謀」については、本ブログの『三国』その8を参照のこと。
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『魯迅 東アジアを生きる文学』

2011年03月27日 | 中国学書籍
藤井省三『魯迅 東アジアを生きる文学』(岩波新書、2011年3月)

中国近現代文学の研究者であり、光文社古典新訳文庫で魯迅作品の翻訳を手掛けている藤井省三氏による魯迅の評伝。

元生徒で二人目の妻となった許広平とのラブレターをまとめたというふれこみで『両地書』を刊行し、その売り上げで生活費をまかなう魯迅先生、中国映画を全力でスルーして、ターザン物などハリウッド映画にハマる魯迅先生、「国民党の検閲の酷さは日本以上」とdisる魯迅先生……等々、今まで知られていなかった魯迅の姿を活写しています。

本書の読みどころは第1章「私と魯迅」と第9章「魯迅と現代中国」です。第1章では、魯迅の故郷である紹興が急激に横店化していくさまが著者撮影の写真にまざまざと現れています(^^;) 第9章では、毛沢東が魯迅を革命の聖人として祭り上げたことにより、国語教育で散々魯迅を押しつけられた若者が着実に魯迅アレルギーになっているさまが述べられていますが、政治的に頌揚されるというのは、文学者にとってはある意味罰ゲームなのだなと思った次第。

本書によると、毛沢東が「魯迅がもし今生きていたらどうなっていたと思いますか?」と文化人から問われて、「牢屋に閉じ込められながらもなお書こうとしているか、大勢を知って沈黙しているかのどちらかだろう」と答えたということですが……
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『街場の中国論』

2011年03月23日 | 中国学書籍
内田樹『増補版 街場の中国論』(ミシマ社、2011年3月)

本書は非中国プロパーである著者が敢えて中国について論じてみたというスタンスで、しかも著者が2005年度に大学院で開講したゼミの内容を元にして2007年に出版した本に3章分の増補を加えたという構成で、2008年以降の毒餃子問題やチベット問題等々については踏まえられていない部分が多くを占めるわけですが、それでも割と見るべき所をちゃんと見ているなあという印象を受けました。

国家のサイズ(この場合は単純に国土の広さと人口の多さを指す)によって国家の抱え込むリスクのスケールや取るべき統治法も変わるのだから、日本や欧米の政策を中国に押しつけようとしても意味がない。日本が社会的・経済的に世界最高レベルで安定しており、かなりの程度の政治的失敗が許される「負けしろ」の大きい国家であるのに対し、(このことは民主党政府が未曾有の震災に対してかなりgdgdな対応をしても、日本国が今なお存在できていることから証明されてしまいましたね……)中国はちょっとした政策の誤りが内戦などの重大な後果に直結し、少々の失敗も許されない国家である。日本はこのことを踏まえたうえで中国との外交に臨むぺきという意見や、中国のガバナンスの衰えは日本の国益に反するという意見には同感。

また台湾・尖閣問題に関して、伝統的な中華思想においては「国民国家」や「国境線」という概念が存在する余地がなく、中国は国境線を画定することそれ自体に強い嫌悪感を抱いているという指摘はなかなか面白いと思いました。ただ、それでも台湾が今後も現状のまま存続しうるかどうかはかなり微妙だと思いますが……

その他、現代中国は抗日戦争以外に国民が一丸となって成功した体験が無いだとか、江沢民は歴代の中国のトップの中で後世の評価がかなり低い人ではないかとか、所々でかなりぶっちゃけた物言いをしていたり、あるいは李連杰主演の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲』をネタにしているのに笑ってしまいました(^^;) 普通こういう本でそんな映画を題材に選んだりしませんよw
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『パンダ外交』

2011年03月07日 | 中国学書籍
家永真幸『パンダ外交』(メディアファクトリー新書、2011年2月)

文字通り、中国が民国期から現代に至るまでパンダをいかに政治的に利用してきたかを概説した本です。色々と面白いネタが多い本ですが、一番の読み所は蒋介石の妻にして「宋家の三姉妹」の一人宋美齢が、1941年にパンダのペアをニューヨークの動物園に贈った話。

当時の中国は日中戦争の真っただ中で、蒋介石の国民政府は日本との戦争を戦い抜くため、アメリカの支援を必要としていました。そこで中国側が対米プロパガンダのマスコットとして利用したのがパンダでした。「平和の象徴」としてのパンダをアピールし、また欧米で広まっていた動物愛護の思想が中国でも受け入れられていることを示すことで、中国は欧米諸国と思想を共有する文明国であり、その中国が現在野蛮な日本に侵略されているというメッセージの伝達に成功します。

国際社会において先進国と価値観を共有していることを示す重要性を早くから認知していた中国。でも今の中国はあんまりこれがうまく出来てないような感じですね。で、今も昔もその重要性があんまり認識できていないのが日本というわけですね……orz

中華人民共和国になってからも、パンダを切望する日本に敢えてパンダを贈らないことで、中華人民共和国との国交樹立を渋る佐藤栄作政権にダメ出ししたり、国外へのパンダ供給が贈呈からレンタル方式へと切り替わり、贈呈が香港・マカオといった旧植民地を含めた国内に限られるようになると、台湾にパンダを「贈呈」することで台湾を中国「国内」と見なそうとしたり、(これに対して台湾は、適当な理由をつけて拒否したり、あるいはパンダがやって来るのは国際移動という体裁を整えて対抗)パンダの扱いを通じて外交に熟達していく中国の姿が描かれます。

以下、面白かった小ネタをピックアップしておきます。

○パンダの古称の話

これまでの研究では古文献に見える貘・騶虞・貔貅などがパンダの古称とされてきましたが、著者によるとこのうち貔貅が確実にパンダを指しているとのこと。その心は、貔貅(bixiu)の音が、20世紀初頭のパンダの呼称である白熊(baixiong)の音に似ているからだということなんですが、残念ながらその手の音通説にはあんまり説得力がありません(^^;) よしんば貔貅がパンダを指す語であったとしても、当初は別の動物、あるいは空想上の珍獣を指していたのが、かなり後になってパンダの意味で使われるようになったのではないかと思います。

○イギリス留学の条件としてパンダの捕獲を命じられた動物学者の話

第二次大戦終戦直後、当時の民国政府はイギリスのロンドン動物園にパンダを贈呈するかわりに、中国側が派遣する留学生を受け入れ、奨学金を支給するよう要求。そして四川大学の馬徳が留学生として選ばれますが、肝心のイギリス側に贈るパンダが確保できません。で、馬徳自身がパンダを確保するよう命じられ、四川で地元民を動員して捕獲に奔走することに。この話、読んでて何だか胸が熱くなってきますw

○黒柳徹子の話

黒柳徹子は実は戦前からの年季の入ったパンダマニアで、パンダの歴史の生き証人とも言うべき存在。きっかけは小学校低学年の頃にカメラマンの叔父からアメリカ土産としてもらったパンダのぬいぐるみだったということですが、本書によると日本でパンダが広く認知されるようになったのは1970年代からということなので、30年ほど流行を先取りしていたことになるわけですね。

この他にもアニメ映画『白蛇伝』に出て来るパンダ、パンダを通して見えてくる石原慎太郎の意外な政治手腕など、小ネタをつまむだけでも楽しい本です。なお、著者の家永氏の本来の専攻は故宮文物や出土文物など中国の国宝・文化財の政治利用とのことですが、個人的にはそっちの方の話も読んでみたいところです。
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『甲骨文字小字典』

2011年02月20日 | 中国学書籍
落合淳思『甲骨文字小字典』(筑摩選書、2011年2月)

『甲骨文字の読み方』等でお馴染みの落合氏による甲骨文字の字典ということでチェックしてみましたが、小学校段階での教育漢字約300字に絞ったということで、白川静『常用字解』とコンセプトが似通っちゃったのが何とも残念です。思い切って現在ではそれほど使われていないが、甲骨文では頻用されている文字とか、現在では存在しない文字をドシドシ取り入れた方が、『常用字解』と差別化する意味でも、甲骨文の世界観を示すという意味でも良かったのではないかと思います。

本書では各文字ごとにその文字の成り立ち(すなわち字源)と、甲骨文中での意味・使われ方とがそれぞれ説明されており、必ず甲骨文の例文が付されているのが評価できます。字源の部分では随分と白川静の説が批判されていますが、例えば「曲」字の項(本書307頁)で「加藤・白川は竹などを曲げて作った器とし、藤堂は曲がったものさしとするが、甲骨文字には、原義や成り立ちを明らかにできる記述がない。」としているように、甲骨文での用例から字源説にツッコミを入れるという批判の仕方が多いのですが、このあたりは字源と甲骨文での用いられ方をごっちゃにしているんじゃないかという気が……

また、「室」字の項(本書259頁)で、「白川は、死者を殯葬する板屋を作る際に矢を放って場所を占ったため、『室』に矢が到達する形の『至』を含むとするが、殷代にそのような習慣があったことは確認されていない。」としているように、字源と民俗とを結びつける白川の方法を批判していますが、むしろ白川静からすると、字形からそのような民俗が確かに存在したのだと証明できるという考え方だと思うので、批判の仕方としてはあんまり有効ではないと思います。私自身も白川静的な字源解説には不満を持つことが多いので、ツッコミの入れ方にもうちょっと工夫があれば良かったと思う次第。

あるいは、字源については余程確かな文字以外は言及しない、もしくは字源の項目ごと思い切って削除してしまった方が良かったのかもしれません。甲骨文中での意味や使われ方の解説だけでも『甲骨文字小字典』としては充分に成立したはずですし、むしろテキストとしての甲骨文の読解に本当に必要なのはその部分なのですから。(まあ、でも一般的には字源解説の方が需要があるのでしょうけど……)

あと、「豊」字と「豐」字とは区別すべきではないかとか、「福」字の項で挙げられている文字は「福」字ではない(現在では「祼」字とされることが多い)とか、細かな問題点はたくさんありますが、煩瑣になるので省略します。
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