博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

張紀中版『西遊記』その1

2012年04月08日 | 中国古典小説ドラマ
金庸原作ドラマの制作者としてお馴染みの、張紀中制作『西遊記』を見始めました。今回は全60話中第1~6話まで鑑賞。

花果山で誕生した孫悟空は須菩提祖師に弟子入りして法術を身に付けますが、その力を使って東海龍王に金箍棒をたかったり、閻羅殿で自分の寿命を伸ばしたりとやりたい放題。

で、天界の玉帝から招安を受けて弼馬温に任じられるも、それが単なる馬飼いの官と知った悟空は怒って大暴れ。玉帝は托塔天王に悟空追討を命じますが、配下の巨霊神や息子の哪三太子といった手練れが次々と敗退。困った玉帝は「斉天大聖」の称号を認めて様子を見ることにしますが、その後も西王母の桃を食い荒らすなど悪事がやまず、遂に玉帝の甥の二郎神に追討の命が。

悟空は二郎神との激闘の末に捕らえられ、道祖(太上老君)の八卦炉に放り込まれますが、そこからも脱出して大暴れ。いよいよ手が付けられなくなった時に西方より仏祖(釈迦如来)が現れて悟空と対峙することとなり……

ということで、6話までで「大鬧天宮」の話が終わってしまいました(^^;) 元の話でも一番盛り上がるのがこのあたりということで、これまでの中華圏の『西遊記』物ではここらへんでオリジナルストーリーや設定を盛り込むだけ盛り込んで引き延ばすというパターンが多かったのですが、今回は原典通りの展開をなぞっただけであっさり終わってしまいましたね。それでも天蓬元帥(後の猪八戒)が悟空と馴れ合って将来のことが思いやられたり、馮紹峰(『宮』で八阿哥を演じたイケメンですね)演じる二郎神が、玉帝に逆らう悟空を心の中では憎からず思っていたりと、細かい見所はあるわけですが。

「大鬧天宮」と言えば、「この手の神話劇に出て来る天界って、なぜかギリシア神話チックな感じになっていることが多い。おそらくそれが現代中国人の天界のイメージなんだろう。」という話を以前にどこかで見聞きし、今回のドラマではどうなってるか楽しみにしていたわけですが……





CG技術が発達しても、どことなくギリシア神話チックな天界は今回のドラマでも健在なのでありましたw 2枚目の画像の古代ギリシア・ローマ風の兜に注目(^^;)
コメント (3)
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