自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

国府と遺跡と蝶

2017-02-06 18:14:51 | Weblog
2月に入って何をしたのかわからないが忙しい。
エー日記を見ればなるほどやっちもないことを沢山している。

例えば在所の年表作りで手掛かりを訪ねたり、自然を訪ねたり
少し遠方の国府シンポジウムを覗いてみたり、遠音近音を聞いている。

その一、年表作り 神辺歴史民俗資料館を尋ね、作った年表誤差を確認。


近郊の砂留位置を確認

砂留何と言っても堂々川
やっぱり日本一

御領遺跡の遺跡場所を見る


日本でも有数の御領遺跡(佐賀県吉野ヶ里遺跡の4倍)もある。
対面の山には870基もの古墳があった。


堂々川から岡山県境までが御領遺跡


その山にある古墳、県も市もお金がないから発掘調査は後回し、
少なくても我が地には「御領の古代ロマンを蘇らせる会」があり
ボランティア活動を続けて整備を続けている。
が強がり云ってもお金は無い。
足長前方後円墳




現状神辺では唯一の前方後円墳を整備


午後、私以外は別の前方後円分の整備をしたらしい。

お昼から府中市の国府シンポジウムへ参加した。
すでに満席近い、300数十人




写真を撮るなと肩を叩かれ、市を上げてPRしているはずなのに
肝っ玉のちいさい主催者?可愛そうに!

しかし、この発表をした地域のTVキャスターが格好良かったから
ついパチリ。許可を得ていないから顔とスタイルは載せられない。
(ここで良心が顔を出す)


面白い発想をしていた


なるほど、こじつけられるもんだ。
光源氏のモデル=藤原実方
筆の三蹟と云われた=藤原行政
はたまた出てきた
紫式部のひいおじいちゃんときた
藤原文範

いくら国史跡が出てきてこの地が西の都と云っても少しやり過ぎだ。

まだこの地が国府跡と決まったわけではないのに国府跡に登録!
ならば神辺はどうした。
多分お金がなくて、発掘を途中で辞めたのだ。

ここだけの話、今我が作の年表にこの程度のいたづらならいくらでも書ける。
要するに証拠がない。一度発表すると嘘が独り歩きしかねない。


しかし良いシンポジウムだった。
昨年9月私たちが開催したシンポは少しだけ勝っているかな・・・。

堂々川では4日の日、春にも負けない気温と青空
テングチョウがあちこちで飛んでいた。






ウーン、やっぱり天狗になっていたかな。