自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

空の雲

2014-11-30 17:46:39 | Weblog
新聞やテレビは夕方から雨予想。ただしお昼から50%等の予報マークはついていた。
お天気を予想するのも良い機会と朝からお天気とにらめっこをした。
10時過ぎ空は1面青、百舌が鳴く。


窓辺にパソコンを置き外を見る


干し柿は邪魔だが11時前低気圧が近ずく前の雲を見た。


うろこ雲のような形が見え始める


雲の移り変わりが早い。


30分もすれば羊雲が現れる


少しずつ雲の厚みが増しているのが分かる。
12時30分頃


雨の時間が早くなるのが分かる

雲の切れ間が大幅に減る


13時30分からお隣の井原市の公民館でホタルの勉強会を指導する約束で家を出た。
雨が気になり途中で停車して雲を見る。


太陽の光が雲に負け弱く感じる


約15分後には現地に着いた。
そして改めて空を見る。


雲の色が濃い


公民館に着くとすぐに堤案をする。
「座学より前に現地を確認したい。雨になりそうだから!」
「天気予報は夕方から雨と言っている」との声があったが
先生がそう言うのなら先に行こうと場所と車の段取りが行われる。
13時30分頃の雲は




ここがホタルが飛んでいた場所と説明される。
「水の流れと苔の生え具合、餌になるカワニナの量からして間違いなくホタルが飛ぶ」
川に入り石を動かして川底を見た。
アメリカザリガニの子供だけでホタルの幼虫は見つからなかった。


空は今にも泣きだしそう



ポツリポツリの雨


慌てて頭をスカーフ等で覆う人もいる。

受講者はホタルを飛ばそうとする町つくりのメンバー約15人
公民館に帰り、まさか雨になるとは先生はすごい人と言われる。

三国史の諸葛公明よろしき多少天文をかじっていればお天気は当たることもある。
それで驚いてもらえればホタルを飛ばす為の話も信用度が増す。
よって本日は4x4=16をはじめとした掛け算やあれから40年等のギャグは
必要ない素直な勉強会でした。
でも眠い人は眠いと思う座学の1時間30分でした。

竹原市

2014-11-27 20:50:09 | Weblog
竹原市の町づくりの担当の方からホタルの事で問い合わせがあり
ある公民館のホタルの勉強会をお手伝いすことにした。
勉強会をするにしても現地を把握しないとトンチンカンになる。
そんなわけも含めて今人気の町竹原市を訪問した。
以前訪問したことはあるが町の知識が無いので「道の駅」によりパンフを集めて
町並みを歩くことにしたが曇り空の色が一段と黒っくなってくる。
傘の心配をしながら、傘なしで街並みへ進む。(道の駅からは数分)


道の駅の内部
なぜかお酒を販売している所が気になる


街並みに入ってすぐの無料で入れる旧家を見学。


親切なお店番の人


人が良いのか、昔美人だった面影からかその人の薦める竹原の塩を買った。
笠井家の中には雛まつりのポスターが貼られていた。2月から3月のイベントであるのに


これテレビに関係あるかな


昔の美人が言われるに、2階へあがって街並みを上から見たらと!さすがに小京都だ。


平日の水曜日なのに人が多い
ガイドさんが案内している


この頃から雨がポツリ、ポツリ


急に人通りが減った


やはりNHKのドラマは人を呼ぶ


竹鶴酒造

ニッカウイスキーの創業者


マッサンのポスターが一杯掲示してある。

歴史民俗資料館へ入る。入場料100円。ただし70歳以上は無料。
私はお金が要りますかと聞いたら、自己申告してください。ハイ無料です。
気前えの良い同年輩のご婦人の声は最高だった。




街並みで珍しいところを紹介すると


今でも使われているらしいポスト


雨に濡れながら、街並みで秋を探してみた。


竹原の町で竹を探せなかった


この町は毛利氏の御三家小早川氏の治める地域
我が家の祖先と同じ所にたどり着いたのだが苗字が違う。
わが祖先は源平戦争時、伊豆地方から備後の地三原・竹原にやって着たそうだが?
そして同じ備後の福山市服部へたどり着き、そこで元の姓に戻り、
又、桑原姓に変わり、江戸時代に又元の姓に戻っている。
ただ江戸時代苗字を付けて良い家柄だったどうかはわからないが明治時代には
今の姓が付いている。
家のルーツを調べる人は多い。私がここまで調べるのには10年という時間を
費やしたから大変といえば大変な作業だとおもう。

しかし不思議だ。
何で100㌔近くも離れた地域から堂々川のホタルを知り指導依頼をされたか?
まさか源平時代にさかのぼったつながりがそうさせたのか。うーん考えさせられる。

砂留発見

2014-11-25 18:20:56 | Weblog
冬になったら昔から里山は地域の権利がある人が集まって整備をする。
最近入りあい権を森林組合に変化させたり、山の権利を放棄する団体も多いと聞く。
そんな中、下御領生産森林組合は組合長が山が自分の生活基盤のような活動をして
組合員を引っ張って行く。組合長が身体で引っ張ると会員もついて行かざるを得ない。
会が活発に活動をすると周囲が応援をする。
広島県、海の漁業関係者、三菱電機の退職者団体等の植林作業、地元の小学校も
お手伝いをしている。改善の輪がうまく回転している団体の事例だ。
23日日曜日40人近い会員が参加して山を整備する。


参加した組合員

淀ケ池 
恒例で今頃、池を干している
この池の底もまさ土


会員は別れて草刈りや小木を伐採する。




楽な仕事ではない。昔から山仕事は冬場の仕事である。


最近腰の具合が少し改善したから
理事故草刈りをした


草を刈っていたら山の中に石で築いた山が崩れないように石垣が作ってある。


使われた石の加工面を見ると明治時代から大正時代にかけて築かれているようだ


草刈りが進むと前にコンクリートの砂防堰堤が現れた。
福山藩は砂を止める堰堤を砂留と呼んでいた。


昭和の時代の砂防堰堤

左側にもコンクリート堰堤がある


過去に堂々川の砂防堰堤、つまり砂留を50基発見しているから私的には52基目の発見になる。
作業が終わった後、この池の東側にある「淀ケ池東砂留」を思い出し、
堂々川ホタル同好会が整備する範囲以外の砂留だが竹笹を刈った。


砂留の上から

池の水がないから中からも刈れる


その砂留をガソリンがある限り刈る。
ブンブン、バリン、刃物が石にあたってチーン
誰も褒めてくれるわけではないがお昼時間を過ぎても刈った。




一人だったこと、限られた燃料だったことを考えても
江戸時代の砂留が対岸から良く見えるようになった。
誰も気づいてはくれないだろうが江戸時代の砂留が2年ぶりに石の顔を見せた。
今日も気分が良い晩秋の半日だった。

自然に思う

2014-11-22 21:46:20 | Weblog
11月21日よく晴れた。
ツグミやジョウビタキがやって来て人をからかうポーズをとる。






忙しいから鳥と遊ぶ時間はない。
がよく考えたら我が身は毎日が日曜日。そんなに急ぐことはない。
プリンターのインクを買うため西方へ向かった。
フロントガラスから西空を見ると太陽の周りがいつもと違う。


幻日が現れた

太陽の右側

幻日の上方にブルーの彗星のようなものも見える


そして1夜明けると濃い霧が発生、雲海を見に行こうか悩むうちに時間はたち
行くと判断した時は太陽が見えるようになっていた。


やっぱり雲海は運かい
いいや、行動の速さが勝負だ


霧が晴れるのは早い。小高い山を登っている最中に消えてしまった。


古墳の丘

沢山の古墳がある


山の中、隣の山は雑木の葉っぱが黄色くなっている。



紅葉の情報を得るために山を下り、堂々川1番砂留でモミジを見る。




かなり赤く染まって来ている。
見ごろがここ2、3日。25日は雨模様、善は急げと案内しておく。
遠方まで紅葉狩りに行く必要はなさそうだ。

堂々川ではないが神辺社会福祉事務所から西へ降りる道
モミジのトンネルを抜けるスポットがある。ここも葉っぱ時雨はもうすぐだ。


モミジ吹雪の下を通るのも良いかな


他所のブログを訪ねると蝶が冬籠りを始めているらしい。
ここまで遊んだからもうい忙しいは通り越した。
私もキタキチョウを探してみた。
探すまでもなく10頭以上が飛んでいた。


奥まったところにいる蝶



花と遊ぶ蝶


暖かいお昼頃の蝶の姿でした。
モミジ狩りもお暇なら来てね。


11月定例会

2014-11-20 12:14:34 | Weblog
堂々川ホタル同好会の11月定例会が16日に行われた。
用事があるからと朝早くから参加してくれた会員。
ありがたい。普通のボランティア活動では出来ない行動だ。
16日の朝8時前。堂々川最高のロケーション地の整備をする。


砂留から見る神辺平野


仁徳天皇 (X聖徳太子)が山の上に立ち煙ががたなびいているのを見て庶民の暮らしを見たと言う話が
まんざら嘘とは思えない光景であった。
ここから見える平野は縄文後期から弥生・古墳時代を経て中世までの遺跡が同じ場所で見つかっている
日本でも最大級の御領遺跡がみえる。
佐賀の吉野ケ里、鳥取米子地域の妻木晚田遺跡(ムギバンダイセキ・国内最大級)よりも規模は大きい。
残念なことだが今まで地元・市・県は無頓着でPRがなされず宝の持ち腐れとなっている。


草を刈り来訪者にも見てもらいたいとの希望もある


ただし煙草を吸われる方はお断り。ポイ捨てで山火事でも起こされたら大変だ。


16日の集合場所、バックのモミジは勤労感謝の日頃か


参加者が少ない。
泣き言は言われない。前に進むだけだ。


草を刈る


桜にしがみついたツタをとる。




残っていた4番砂留の川原の草刈り


ジャーマンアイリスと菖蒲の場

彼岸花が最大の咲く場


ホタルの幼虫がいる所の一つ


ホタル自然発生では草刈りは重要な作業


桜に固形肥料をやる




肥料を施しながら桜の健康診断をした人から、カイガラムシ退治の提案があった。
近々マシン油を散布することにした。

堂々川にも秋の終わりが近づいてきた。一部モミジが赤くなってきた。


桜の看板が植えた人が来ないのを嘆く


泣くなよしよしもうすぐ、この百動会の跡地に堂々川最大の紅葉が現れるからと慰める。

カラスなぜ泣くの、ミサゴの空巣(からす)があったからカラスもここへ巣を作りたいと偵察に




360℃どこからも見えるから今は候補地として巣をつくるのは止めようと何処かへ飛んで行った。

まんざら嘘でした。
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられました。そして、
「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから
、地方はなおひどいことであろう」と、向こう三年の租税を免じたというのです。
アドバイスありがとうございました。

堂々川の自然Ⅱ

2014-11-17 20:50:32 | Weblog
今回の記事は気持ちの悪いシ-ンもあるので早めに退散することを薦めます。
11月16日定例会前の段取りと安全点検をした。

堂々川の自然が出迎えてくれたのはいつものように
エナガとメジロとシジュウガラの集団。
相変わらず早い動きにカメラはついて行くのが難しい。


虫を咥えたエナガ
(お断り堂々川はピンボケばかりのためこの画像は我が家のもの)



ホタルの幼虫観察で川に入れば、猪が身体についた虫退治のヌタ場。


ほぼ毎日のように来て泥浴びをしているようだ



水量が多く流れが早い
石を動かせると幼虫が3匹
水の流れに乗り2匹は下流へ


霞みサンショウウオの住みかが土で埋まっているとの情報もあり溝掃除。


土を取り除いていた時トンボのやご発見



オニヤンマのヤゴか


溝の中に蛇のようなものがうずくまっている


持っていた長い鎌で道路まで引き上げた


気温12℃のためまむし蛇の動きは鈍い。
でも、顔を我が身に向けて飛びかかろうとするする姿は怖さ・寒けを感じる。
このまま道路に放置すれば誰かが被害にあう可能性もあり
鎌の先で頭を・・・・・・・・。
そして石の上に置いてトンビがさらってくれるのを待つ。
待つときにはやっては来ない。

今時、蛾が羽を動かして飛ぶ訓練


数分経っても飛ばない


堂々川最大の自然の生き物の宝庫が2年前のずさんな工事のため砂が流れ込み
川の流れを70%埋めてしまいヘビトンボや川ゲラ等の生き物が激減。
文書で依頼して1年半、広島県に依頼していても動きはない。
そこで堪忍袋の緒が切れて、切り札の水戸黄門の切り札印籠のようなもの、
国土交通大臣の感謝状をかざしこれが目に入らぬか!
それから3カ月、土を徐去する提案が業者と県とホタルの3者会談で決定した。
やはり偉い人の表彰状は今の世でも効くものだ。


現場の川


近くでヒガンバナの花文字ホタルの「ホ」が元気よく笑っていた。


ホの字と読めるようになった


反省
マムシのフォトを載せるべきか否か考えた末、
めったに見られるものではないから日記の1ページとして載せた。

山陽道の道標

2014-11-14 21:06:44 | Weblog
備後の国分寺南大門の跡地の前は古代山陽道、近世山陽道、石州ぎんざん道の3つの道路が交差していた。
奈良時代からこの地は交通の要衝であったと思える。


国分寺南大門跡


徳川幕府の筆頭老中まで上り詰めた阿部の殿様は自領の交通の要衝が洪水で
道路が通れなくなるなどの事故が発生したらメンツにかかわる。
そんな理由で堂々川に砂留を造ったと推定できる。
その山陽道の道標を追いかけて見る。
備中国高屋宿(岡山県井原市高屋町)と備後国福山藩神辺宿の間は約1里強
その境界には江戸時代からの道標がある。


広島県側から見た最新の道標


実はこの道しるべ江戸時代は木でつくられていたが村人の不満が起こるたびに焼かれたり
持ち去られるので石で造られた。がその石も3つに割られた経緯があり
現在では近くの金光教両備協会の水車がある池の脇の橋上に保存されている。
当時の農民の意地が石を3つに割った意味が隠されているようだ。


江戸時代のものらしい

つい最近車が壊すまで立てられていた


この道標は現在上御領集会所の庭に保管されている。
この保管されている場から南に山陽道は向かい、大阪峠を越えて八尋地区へ
そこから古代山陽道は一直線に西へ向かい国分寺前に
途中高屋川を渡り、数100メートルの所に四面地蔵がある。
多分天宝年間に女人講が建てたものだと推測するがその脇に道標がある。






この道が厩往還(地元の人はうま往還と呼ぶ)で奈良時代に造られた道が拡大されたものであろう。
そして国分寺前


近世山陽道と古代山陽道が交差する所


この場にも道標があった。現在は下御領八幡ン神社の境内に存在する。
道路を拡張する時邪魔になったらしい。国分寺南大門後の史跡から
南に5mの所にあったと近くのお店の会長が教えてくれた。
また西へ向かえば石州ぎんざん道になるのだが昭和のはじめには
堂々川の土手はここまで高くなかったとも教えてもらった。


神社にある道標

2基ある


ここから山陽道を進むと神辺宿東本陣と西本陣(黒田家専属に近い)につく。
ここから道沿いに1K程進むと福山道と山陽道に分かれる。
その別れる場所、現在の丙(えど)別れに立っていたが道路拡張工事で
ここも移設を余儀なくされ現在は菅茶山記念館の入り口に保管されている。
多分道路工事は昭和20年代天皇陛下が神辺に来られた時のことだと長老は言う。







今回保存された道標は運よく見ることができたが時の流れで
道端に立っていた道標の多くは何処かに埋められたり捨てされれたものがあると推定できる。
歴史遺物はそれなりの所に保存することが大事である。

と思うのは私だけであろうか。

史跡めぐりの続き

2014-11-11 21:10:25 | Weblog
神辺の史跡でボランティアガイドが休日には常中するらしい3つの史跡が
前回であったが今回は少し疲れたので手抜きをさせてもらうブログになった。
菅茶山記念館での説明は入り口にある「道標」の読み方と昔のあった場所を
聞かれその調査に夢中で何も聞いていないのでパスする。
「道標」については近々改めて登場させる予定。
12時を過ぎると無性にお腹がすく。
暑くもなく、寒くもなく、風もなく
お日様の紫外線を雲が隠した屋外の食事には絶好の日であった。
12時過ぎに堂々公園に到着、お弁当が係員から渡され
各人友や親しい人と思い思いの場所で食事。
80人が好きな場所を選んでも公園は十分許容範囲内である。


小川のそばで食事するのも乙なもの


食事時間が終わると日本一の砂留群の案内が始まる。


弁当の空き箱を回収する


この堂々川はホタルの事務局長が担当。
終わってから気付いたがこのシーンは撮影係がいなかった。

話しの時間は30分、食事が終わったばかりだから普通なら眠気がでる。
参加された方に聞いた「詳しい解説がよいか、面白い話がよいか」
眠気療法のため希望どうり歴史・活動・落語を混ぜたホタルミクスにした。

堂々川には3つのお宝がある。ホタルと花と砂留。
国の有形登録文化財が8基、上流の2つの池の周囲に各4基の合計16基
明治以降造られたものを含めると51基まで確認したと。
あらら、石の上に座っている人が山の中なのに舟をこぐ。
ここまでは覚えているが次からは落語と漫才と歴史が混在して
なにをしゃべったか覚えていない。ただ多くの人が笑っていたのは見た。
終わりのしめがあれから40年綺麗でかわいい皆様ありがとうと話した記憶がある。
いつもの例で脱線する。


4月にホタルの幼虫が陸に登り土に潜るまでの軌跡の1部

日本トップレベルの砂留をバアックに舞うホタルの軌跡

堂々川のホタル恋


次の場所、広島県史跡指定の大坊古墳へ着いた。


福山市文化課の学芸員が説明


堂々川の説明を皮肉られた。私は「観光協会のガイドさんのように面白くは話せないと」。
昨年の事、参加者からもうすこし花も実もある場所にしたらと言われて
今年子ども夢基金を申請し、採択されたお金でカワラナデシコ約1000本を植えた。
花の数にして約8000が8月末には咲いた。
その後、猪に掘り返され、草に覆われて今は半数以下の株になっていた。
10月初め慌てて10本ほど植えた撫子が入り口付近で咲いている。


咲いている花

ボランティアの会の小学生が描いた夢ポスター


参加者が褒めていた。
最後の移動で


亀山遺跡・岡山神社へ







この場のガイドさんを中心素晴らしい整備がされていた。
6時間の旅もここらあたりでお開きになる。


スポンサーからケーキの差し入れ
約8人に1人がゲットできる


老いも若きも役員も本気になってジャンケンポン
見たところ黄色いジャンパー姿のスタッフは誰も最後まで残っていない。
昔の美人が私にありがとうとお礼を云う。
そうか!じゃんけんで勝った黄色のジャンパアーが辛勝った美人に権利を譲渡した。
まさかその美人が本陣ロールケーキをゲットしたとは!
でもこの人と老いたどうしの恋は成就しなかった。

神辺史跡巡りⅡ

2014-11-09 16:24:08 | Weblog
11月8日恒例の神辺観光協会主催「かんなべ浪漫」神辺史跡巡りが開催された。
毎年同じ企画なのに今年も定員を超えたらしい。
総勢80数人の人達と神辺の史跡7ヶ所を昼食を挟み6時間かけて尋ねる。


会長開催の挨拶

今回の実行委員長の熱弁と意気込み
後方の鬼が付くイベントとは関係ない


彼のやる気が移り3号車の案内係兼ガイド役担当も張り切った。
集合場所から脇本陣まで、準備運動を兼ねて歩いて貰った。


脇本陣又は西本陣と呼ばれる現存本陣
東本陣は火事で焼失


本陣専属のガイドもがんばり、時間オーバー、


絵まで使った説明 ええ話だった。 エ!


庭には


樹齢約450年の百日紅


NHKドラマで有名になった軍師官兵衛が
付けたといわれる黒田家の家紋がここ神辺本陣の屋根瓦に残る。


ガイドの方に聞くと創建以来瓦の吹き替えはないはずと


そして、本陣の関札の間を見れば襖に書がある。


作者 菅茶山の姪お敬の主人北条霞亭の弟碧山閑人
(後に阿部の殿様に召され江戸に移り大目付格儒官となる


我が自然がめったに説明等することはないが学のあるところを見せるため書を訳して見る。(うそー)

杜口風塵外    とこう、ふうはじんがいなるも
安心筆墨間    あんしんたるはひつぼくのかんなり

         くちをつぐんで人の世から逃れているけれども
         心がやすらぐのはきままに筆や墨と戯れることである。

至歳天下楽    歳いたりて 天下の楽
終日在几案    終日 几案に有り
         
         歳末にあたって楽しみといえば
         一日中机で学べることである

         庚辰 暢月・・・文政3(1820)年 陰暦11月

少し本陣に長居をしたので次の国の史跡 廉塾はサラーと流す。


真面目にメモをとる人が多い
ここも説明は長かった


雨漏りの修理もされていない廉塾の屋根


どうも持ち主と国・県・市の関係がうまくいっていないらしい
国の史跡をもったいない


家の中


書もあり、弓もある


本日の紹介前半は童謡・校歌作詩の先生


葛原しげる生家
こちらは多くの人の思いがかないただいま修理中


葛原文化会の案内人は時間を気にして短めの割愛の解説!

次回は茶山記念館、堂々川、大坊古墳、亀山古墳を掲載する予定。
乞うご期待。

収穫が済んで

2014-11-06 20:09:51 | Weblog
今頃ユリが咲くのは正しいのか、正しくないかは別にして
咲いている事実は写真が証明する。


今朝なんか霜が降りそうな寒さ
でも花が開いた


3日備後自然栽培研究会で収穫祭がおこなわれた。
この会は無農薬、無肥料で農作物を造る。
そばやサツマイモは無農薬・無肥料の生産は可能だが米となるとちと難しい。


大量のホウネンエビ

頼みもしないのにアイガモがやって来る田圃


頼んだからやってきた神主さん


多くの会員が神妙に頭をかしげる中神事は進む


この神主さんの神事、4日にはある新聞社の記事になっている。
会は収穫祭を催し、玄米10kg@4,500 30kg@13,000
最近この手のお米は高く売れている。例えばホタル米、ダルマガエル米、
夕日の里米、アイガモ農法米等多数あるがこの会のお米は神明にかけて
無農薬・無肥料、価格も良心的である。
巷では今年のお米は昨年比かなり価格が下がっている。
お米の品種は朝日米、広島県指定品種のヒノヒカリでもさくらこまちでも
恋の予感でも。ましては有名なコシヒカリではない。

昼間は暖かいからチョウが沢山飛んでいた。
黄色とかツマグロは多いが少なめのチョウ






チョウを追いかけていると鳥が来る。


口に虫を加えている


トリミングするか悩んだ。チョウならしても良いが鳥はごろ合わせが悪っから止めた。
こちらの柿の木にも朝から騒がしい。


ヒヨドリ

ムクドリ


すでに止めた人を悪く言うのは気が引けるが鳩管が残した罪は大きい。
鳩なんとかさんが職を辞する時ヒヨドリとムクドリの見分けなど云々とのたまった。
その鳥たちが柿の木で柿をめぐりバトルを起こしている。
時々メジロやジョウビタキが近寄るがあっという間につまみだされる。

朝から夕方近くまで仲間を変えてやってくる。
我が家の近くの柿の木も豊作だがなぜか我が家の木に?
我が家は柿の木のかって任せの放任主義。別の言い方だとやっぱり手入れをしない。
無農薬・無肥料は鳥も好む。

とんぼ(蜻蛉)つり今日はどこまで行ったやら!





夕焼けこやけで日が暮れる。




明日は何して遊ぼうか。