自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

1000万円

2011-11-30 21:32:26 | Weblog
不法投棄をしたら1000万円の罰金をとられる可能性があります。
案外知られていないことですが
堂々川でも机等を捨てた人が20万円の罰金を支払ったと言う噂を耳にしました。
不法投棄は止めましょうが今日のブログのコンセプトです。


看板の数字をよく見てください


12月3日「きらきら夢フェスタinかんなべ2011」が
神辺文化会館・図書館で開催される。
堂々川ホタル同好会もまちづくり提案型事業の紹介コーナーで
720x950x出来高スペースをもらい展示することになった。


出展予定パネル


出来高分は22年6月9日広島で「土砂災害防止月間『全国の集い』」が
広島で開催された際、
堂々川登録有形文化財の6番砂留の1/50縮尺の模型が展示された。
その模型が地元と言うこともあり、御野小学校へ寄贈された。
寄贈された模型を校長先生にご無理を言ってレンタルして貰った。
当日見てのお楽しみです。
参加されてアンケートを書いて提出された方から抽選で5名に
今人気の「堂々川今昔」を郵送することにしているのでよろしくお願いします。
今回は福山市からバラの苗がもらえる特典もあるそうだ。
雨の予想だが参加者が少なければ貰える確率は高くなるはず!
がんばろう。タダより安いものは無い。

ところでネットを見ていたら
東京足立区で
犯罪を産まない環境作り区を上げて取り組む
「ビューティフル・ウインドウズ運動」があるそうだ。
その運動の中の2つが我々がやっている運動と同じものがある。
花を植える運動、周囲を綺麗に保つ運動がある。
堂々川の本日の美を見てもらいたい。
見てもらうことが我々の自身につながりますから!
2番砂留の下流
マムシが出なくなったから少しづつ整備を始めている。


コンクリーの砂留の下流

上記の上流


5番砂留を挟んだ上流下流




6番砂留
公園を支える砂留だから石積途中のゴミの量は半端ではない


横から見ると55mの迫力が分かる


鳶ケ迫砂留


かなり黄色が目立ち始めた
私は白が目立ちます


見た目はかなり綺麗でしょう。
3日に1回は誰かがゴミを拾っています。
男は黙ってゴミを拾う。
ゴミを拾いもしない人がワシが綺麗にしたと言うのはいかがなものか。
捨てる阿呆に、疲労阿呆。
拾う方は疲労しています。だから捨てないで!

話は変わって
又大陽柱が出たと喜んで写真をとった。



でも空からは



それは違うと×が出た。
本当のところはわからない。

焼酎黒姫が

2011-11-29 11:15:41 | Weblog
紅葉が進んで来たら記録に残したい。
例にならって、堂々川へ行くと紅葉が綺麗に色づいた。


1番砂留周辺の紅葉

砂留の赤を彩るバックはモミジ


上流へ進んでいくと昨日役員が草刈りして川を整備していた。


渓谷美


ここからまだ上流へ行く予定が
同好会の監事さんからモミジ狩りをしているからすぐに恋とお呼びがかかる。
もともと好きだから二つ返事で南へ行く。
福山市天然記念物の銘木名越(ナゴエ)のアベマキに挨拶して



「こんにちわ、ご招待にあずかりまして」
すでにそば打ちが始まっている。鮎や牡蠣やししを焼く準備も進んでいる。


牡蠣美味しそう
鮎これが食べられるのか

新そば粉でそばを打つ
ちなみにニハチそばだ


年寄りの集まり故花が欲しいと主人様が言いだした。
我が身も年なのだが声をかけろと指名され、
我が付き合いのうちの最高の美人にTELしたら、「行くわ」と良い返事をいただく。
しばらくして、来訪一番そばを切る仕事を頼む。


初めてそばを切るそうだが上手い


そして、茹で、食べるそばは美味しい。
ここまでは来い(恋)の序章でこれからが本題。
「ダイジョ福イモ」の生産販売、新製品開発のお手伝いをしているが


我が家で試作した芋
苗を買って植え、草とりも肥料もやらないままだったが芋が出来ていた。


その芋の販売手段の一つとして、良品で販売できない芋を焼酎に加工している。
その焼酎の名前が「黒姫」
昨年も紹介したが芋を作っている農家の住む土地。
この地の戦国武将が毛利元就に加勢し、戦功があり、神辺にお城を築いた。
戦国故下剋上は茶飯事、杉原氏との戦に敗れ、その一人娘が鞆に逃れ
足利義昭と幸せに暮らしたと言う伝説からできた焼酎が「黒姫」
とにかく昨年生産した物は即販売完了。
今年も、もうすぐ販売するが、レパートリーを増やすため
高級品の開発を急いでいる。
今年の物語は
日本地図を作った伊能忠敬の1番弟子、
神辺の箱田出身、箱田良助



箱田良助はお酒が大好きだったが、日本地図を作る際の各地でのもてなしで
問題がありお酒を絶った。
伊能忠敬が亡き後地図をまとめ幕府へ提出した後で飲んだお酒の美味しさ。
箱田良助が住んでいた家の分家の土地を借り、
そこで作陶する箱田の里焼きの陶作家上内先生に容器を依頼した。
その容器が出来た。
ブルーの色鮮やか、地球を半分に切ったデザインに日本地図が書いてある。
すべて手作りで同じものは無い。


素焼き

完成品


作家の先生が持つ容器



これが福山の新しい物産に
又お土産の一つに加わってくれれば大変うれしいことだが
完成までにはもう一山超えなければならない試練がある。
備後弁で「こうようにしたらええようにいく」と言う言葉があるが
こうようにすれば(こうすれば)よいアドバイスがあれば教えて欲しい今日の日でした。

道しるべ

2011-11-26 20:44:02 | Weblog
新聞5社と福山市協働のまちつくり「キーワード事業」支援のおかげで
冊子『堂々川今昔』は大変好評である。
東は岡山県矢掛町、南は福山市鞆町、東京からも送付の希望が届いている。
ありがたいことではあるが、顔写真が大写しで掲載されているから
スーパマーケットでも呼びとめられるそうだ。
今日も「菅茶山記念館」で冊子を見た。
欲しいので買い求め方法を教えてと電話が入る。
本は無料でお渡ししているが会の運営が広範囲になったので資金確保のため
「堂々川環境保護基金」を設立した。
そこへ一口1000円の寄付をお願いしていると説明。
1000円と聞くと30%の人は無口になる。

「堂々川今昔」の冊子が上流の池の水鏡に映える。


紅葉が進む淀ケ池


菅茶山記念館で冊子が欲しい方と待ち合わせした。
庭にある道しるべが気に入り、待ち合わせの人をすっぽかし?
道しるべを調べることに決めた。決めた、冊子を道連れに!


備後国府の址を示す


ここからは堂々川源流域へ向かう。


これより上御領村
反対側にはこれより東中条村と刻んである

少し南には「堺」の刻み文字が見える
看板は風で飛ばされたままであった


お昼からは弁護士の先生から詐欺やクーリングオフ、後見人の等のレクチャーを受けなければならない。
この仕事やりがいはあるが結構厳しい面がある。
だから「道しるべ」を探す作業を急がないといけない。
家の近くまで帰り、八幡神社へ。


右石州ぎんざん道

右かさをか・・左九州・・


備後の国と備中の国の境石


広島と岡山までの距離

国堺 大正8年に造られたものようだ


ならばそれより前はどこにあるか。
その前にこの石碑は最近事故で破損し作りかえられたものだ。
少し探したがわからない。
仕方がないから近くの両備金光教を訪ねてみたら
そこには運よく教祖殿がおられ道しるべを聞いたら案内してもらえた。


「これより西 福山領」の文字が見える
勢力争いがあったのだろう
石碑が3つに割られているとの説明を受けた


金光さんから数百㍍のところには1里塚がある。


上御領1里塚、その北側には四ツ堂がある


約90分かけて調べた道しるべ
神辺町には観光資源はたくさんあるのにだれもPRすることをしない。

ならば、君がやればと言われると1歩、2歩、3歩と後ろへ足が向く。
ああ、近世山陽道、少しでもこれを機会に歩いてくださる人があれば幸いです。
時間があるときならご案内は喜んで!
今回の調査にご協力くださった方には感謝します。

太陽柱

2011-11-22 22:48:20 | Weblog
少し寒い朝
ワンずれで紅葉を見ながら散歩する。
空の青と黄色の秋色を見た。


ジョウビタキ♂


山の景色も秋色が見える。
(備後の国)国分寺
先日のこと、
歴史冊子を書いたと自慢するくらいなら
正しい表現をせよとクレームをいただいた。
国分寺の前に備後を入れた御寺は無いそうだ。


早速正式な国分寺付近の紅葉を紹介する


堂々川の1番砂留



我々の活動を見守るアダプト・ラブリバー団体看板
まだ色づきは悪い。
が空の青さと紅葉の色関係はわかってもらえたでしょうか。
それから時計は正確に動き
16時頃南西の空に虹らしきものが現れた。
空の7色は二時でも三時でもない四時なのに現れて長い間見られた。
太陽は西に傾きはじめているが気になる赤い火柱






今時期の太陽は西へ傾き始めたら山の端へ沈むのは早い。
どんなことになるか、西から吹く風は冷たいが我慢して
西空を見ながらカメラのシャッターを切る。


カメラを望遠にすると



カメラを引くと
太陽柱がはっきりする


太陽はどんどん沈んでいく



秋の夕暮れは青ではなく赤の天体ショーだった。
太陽柱=大気そのものによって起こされる大気光学現象(サンピラーとも呼ぶ)
一口で言うと空気中の小さな氷の塊が太陽の光を屈折させて起こす現象らしい。

地場産フェアー

2011-11-19 21:06:32 | Weblog
踊る阿呆に見る阿呆同じあほなら踊らなソンソン!
遡ること数年前
この場で福山物産コンテストを実施したのをお手伝いした記憶がよみがえる。
イベントの黒子として立ちふるまうかそれらのイベントを客として見るか!
同じ催しなら客として参加する方がずいぶん楽だ。
さみしい気持ちがないと言えばうそになるが年を考えれば妥当な判断だった。
その福山市地場産業フェアーを覗いてみた。
本日は朝から大粒の雨が降っていた。
車を止めるべき駐車場は
これは何だ!公の駐車場のはずだが!掲示文書がやけに気になる。


あれだけの雨で浸水、水浸し
地盤沈下が進んでいるのだろうか?


駐車さえできれば。
関係ない出来事に関与すればまた忙しくなるからやめた。
その雨も14時ごろには止んでいく。



ビックローズの中は!想像より人は少ない。


福山大学の吹奏部演奏


福山の名産品


下駄 古き履物
(いまどき履く人少ない)

イグサで作った製品
時代劇用深編みがさもある


福山のばら、100万本を目指して運動中


手前でははた織りをするご婦人
昔は超綺麗な人とお見受けしたから撮ってよいか尋ねた


備後の国は畳表の産地だった。


ミニ畳の販売


他県の物産がたくさん並んでいる。
欲しいものがどっさり、このままでは財布が持たないから
400円の長靴を買って次の仕事にかかる。
忘れていた。
今年の「福山ダイジョウブ」が作った「焼酎黒姫」
高級品を発売することにした。
35%の黒姫


容器は750ミリ㍑


この焼酎には物語がある。
日本地図を作った伊能忠敬の1番弟子箱田良助は
伊能忠敬が亡き後最後の仕上げをして日本地図を幕府へ納めた人だ。
その箱田良助は忠敬の供をするに
各地で酒宴接待を受けて物議をかもしたので好きな酒を禁酒にした。
地図が完成した時のんだ酒の味は格別だったと思う。
箱田良助は福山市神辺町出身(深津群箱田村)
箱田良助の生家の東側の家で現在箱田の里焼を作っている作家がいる。
その作家に当時の酒の味を思い出すような容器を作るよう依頼した。
それが昨日完成して、本日展示した。
12月には発売する。
黒姫についてはかかわりあいが強いので今後もPRさせてもらう。
会場を後にして外に出るとムクドリの大群が舞う。



面白そうだから止まりそうな電線の下へ行き、撮影準備。
それが失敗のもとだった。
電線の下へ行った男がバカなのか
カラスのプーが悪いのか
雨の上がった空を見て恨めしそうにする人がいた。


カラスのお尻をよーく見てください


見ていた人がいたのだろうか。
「ふん」と一声言って速足でその場を離れた。
多分フンガイ(憤慨・糞害)していると思う。
同じアホでも・・・・・フンはイヤ!

植えた

2011-11-17 21:29:42 | Weblog
なくなったカメラはD7000で300のレンズがついていた。
13日に撮影した画像とカメラは日が経つうちに少しずつあきらめが増していく。
それでも1日に最低3回は猪獲りのハコワナが置いてある4番砂留へ通う。
この場所へ置き忘れはほぼ確実と思っている。


ハコワナ


猪がここ10日ほど毎日川の周辺をのたうち、そして耕す。
誘導の餌を食べている形跡が残るが猪ではなく、タヌキらしい。
この写真が最後で、砂留を乗り越える時忘れたものだ。
その日の映像が16日18時前に帰ってきた。
4番砂留の石積みの上に置いてあるのを見つけた。
あれだけ毎日来て探したのに見つからなかったのが
懐中電灯の灯にカメラが浮かび上がった。
嬉しい。今までどこを見て探していたのだろうか。
とにかくラ・ラ・ラの気分で良い年をしてスキップを踏む。
お騒がせしました。(警察へも届けていましたので、発見の連絡をしました)
帰ってきた映像から
13日には堂々川東部の山々の枯れ松を森林組合の人が切り倒し


堂々川西部の山はまだ手付かず
枯れ松が立っている


昨年より100人以上多い380人が参加して
松くい虫、酸性雨等に強いスーパー赤松を植える。



植林の様子を見てもらう。









一人約5本をもらい植えていく。


80歳を超えた人もがんばる


一昨年植えた松はここまで成長している。



霞む南の空の向こうは福山市の市街地



植林の話はここまで。
カメラが出てきていなかったら
本日の更新もなかったはずだ。
嬉しいのに今日の記事の中にはお洒落系統のものがない。
そんな日があってもよいと勝手に思うのであります。
お別れにスミレの花が咲いていたから載せてみた。



う うそ

2011-11-14 13:48:01 | Weblog
良いことをしているつもりなのに損をする。
先日の土曜日の事
保育園で園公開、平野保育園の理事長と親しい関係から講演会があるからと招待をいただいた。


招待いただき参加 
この園は神辺地域ではトップクラスの実績


マーチングバンドや保育活動を参観後
聞く市立大学の先生の講演はわかりやすい。
上手に話し、受けた生徒が納得している。
その生徒がこの園の保育士にもいる
だから少しキツイ内容があっても園児にあたる心配はない教育がしてある。



さて、この園の北側にはウや鴨等の鳥が多い。
鵜の行動を腰かけて眺めてみた。
鵜が飛んできた。
少し様子を見た後


水中へ潜る


しばらく潜ったり浮かんだりしているが
腹が膨れると浅瀬で羽を乾かす。




車が大きな音を出して通り過ぎた。
あわてて飛び上がった。


飛び立ってもすぐに上昇できないらしい

輪を書くように同じ所を舞い高く登る
それから目的地方向に進む


鵜をしみじみ眺めたのは初めてだ。
鵜の数が多くなっているが川の魚はどうしているのかな!
堂々川の上流の池ではブラックバスの放流を行い釣りをしている。
他県NOの車も多い。
その影響で我々が管理している中流域では鮠、フナなどの魚はいなくなった。
福山市に聞くと魚を釣ること、釣った魚を放流する禁止条例は無いが
他の場所から持ってきて放流するのは違反だと。
前回同好会と管理している水利組合とが共同で看板を立てた。
中国製の杭を利用したから半年で木が腐り倒れた。
改めて鉄製の杭を準備して設置





今度は長持ちしてくれよ。
鵜が多く見られるようになった。
在来種の魚がいなくなっても鵜は大丈夫らしい。
ブラックバスやブルーギルがたくさんいるから!
昔の人間には嘘みたいな環境の変化だ。
昨日、
堂々川で1眼レフのカメラがなくなった。
貴重な画像が入っているので発見されたら教えてください。
警察にも届けていますからそちらでもよいです。
と言うわけで今日はふさぎこんでいます。

11月11日

2011-11-11 20:33:02 | Weblog
1が6つ並ぶ日、雨の確率50%の日、安那学大作戦の日
別に特別の日でもない金曜日なのだがなぜか緊張と言う言葉が入る日だった。
朝8時晴れてはいないが雨はまだ降っていない。
昨日植え残していたタマネギの苗を植え、雨が降る前にと思い柿をとる。
「雨栗日柿」言い伝えがある。(夏雨が多いとくりが豊作、暑い日が続くと柿が豊作)
我が家は伝承通りだが、周囲の家は柿が豊作だ。
柿の場合隔年結果の現象が影響していると思う。(つまり2年に1回豊作年が来る)



柿の実の大きなこと。そのかわり数は非常に少ない。


携帯電話と比較して見る


柿は数が少ないから30分ほどで収穫は終わった。
今晩サッカーを見た後、皮を向いて吊るし柿にする予定だ。
ぱらぱらと雨が降ってきた。
急いで家に入ろうとすると



10月桜が今日で終わりと宣言しているみたいな花色だから挨拶をし、
そばでは忙しそうにスズメバチがサザンカの蜜を吸う。
おや、地面には朝の寒さが影響したのか蜂が亡くなっている。




全長は50mmを超える?


ある中学から「お年寄りと生徒の交流を企画した」から手伝って欲しと依頼された。
「安那学大作戦」と銘打った交流で生徒がクッキーを焼いてお年寄りを訪問するらしい。
もともと簡単にイエスと云う男だからOKした。
もしかしたら新聞社やTVの取材があるかもとの声も聞かれた。
そのもしかが事実になったら大変と考えた。
早速、近所の一人暮らしの方と相談して焼き芋を焼くことにした。


準本格石焼き芋作り


芋は我が家で採れた安納芋
13時40分頃の準備中に突然携帯が鳴る。
これから堂々川へ行くから案内を頼むと。
何をしに来るの!聞いていない!相手を傷つけてはいけない!
もしも自分が聞いていて忘れているかも!
最近よくある現象か!忙し過ぎるのか!それとも多くの人も忘れると言う年代になったのか!
まだ生徒は来ていないし、それでは行こう。後は頼むと堂々川へ出かけた。
カメラは忘れていたので証拠写真は無いが日本一の砂留の前で説明した。
調子よく砂留の話した後で質問はと聞くと、
砂留ではなく、ホタルはどこへ卵を産むのか。
神辺で全国商店街のイベントがあることは知っていたがそのトップの方が聞かれた質問には驚いた。ホタルが専門の当方回答には困らないが話をしていくと結構くわしい。
真面目にホタルの幼虫は1匹400円で取引しているとか、東京の銀座で岡山県のホタルが数年前まで飛んでいた話をした。
その方まだ納得いかないらしい。
ホタルは太陽の直射日光が当たらない木の下や橋の下の苔に卵を産み、苔で卵から孵化した幼虫がすぐに水の中に入る場所が良いと話すと納得された。
街おこしで研究されているらしいと推測した。
相手も次の時間があるし、こちらはもうすぐ生徒が来る。
ここらで終わりと話を切って別れた。
川を下ると
新聞記者さんが来ている。
記事を書いているから生徒が来たら電話をくれと頼まれた。
ここでも人の良さを発揮する自然を尋ねる人!
生徒が14時半ごろ来訪、お年寄りと談笑。
生徒からはお年寄りへクッキーをお土産に!
お年寄りからは焼き芋とお茶、91歳のお婆様「何と」子供はポカリが好きだと知っていて準備していた。



3人を1個所へ集める作戦は成功した。
次の人は待ちきれないで表に出て待っているのが見える。
かなり時間がオーバーして次へ



家が分からないと言うからついていく。
どんな話をしたのかわからないが涙を出している娘も!
良い交流だったのだろう。
終わったと思って家に帰ったら別の人から
16時30分を過ぎたのに我が家には来ないがどうしたのかと問い合わせが入る。
う・う・うるさいと言いたいが男は黙って調べてみると回答した。
黙ってはいなかった。学校へ問い合わせをした。
まだ、学校にも家にも帰っていないからと回答を受け、問い合わせの家に行くと
なんと4人の生徒が家に上がり「パワーをもらった」「昔のことが分かった」と話をしている。
安心して学校へ報告しておいた。
夕暮れも近くなっていたが鳥の声が聞こえた。
声の方を探して、探して!いた!いた!
シジュウガラだ。



柄にもなく今日の鳥にはホットした感情をもらった。
シジュウを超えて五〇を超えて、柄にもなく六〇を超えた爺様が声を出した。
「あーつかれた」と。

よくわからない

2011-11-08 21:12:56 | Weblog
ヒマかと聞かれると「ウン」と返事をする。
忙しいかと聞かれると「そこまででもない」と答える。
ならば17日に石見銀山ツアーを行うが人数が足りないから付き合えとお誘いが来る。
手帳を見るとその日は2件の行事が入っている。「ウウーン、ヒマ」と返事をしたが!

今朝8時25分頃、8時40分に市が1番砂留近くを工事するから鍵をあけてくれとTELが入る。
市が工事をするのに当日の15分前に連絡を入れる等のずさんな計画は考えられない。
また、誰かが忘れたのをしわ寄せしたな!こう思うしかない。
アララ、彼も鍵は持っているはずだ。
が、頭に来てもすることだけはしないといけない。だから1番砂留まで行く。



我慢しているが下下下の鬼太郎の話はしたくないがせざるを得ない日が近づいてきたようだ。
事務局が不満を持ってはいけない。

昨晩か今朝早く、1番砂留周囲の草刈りをして、うれしい出来事を作った人がいる。



今年の紅葉は例年より少し遅れている。ここ付近の楓はまだ青い。
ならば、朝の堂々川を見るのもよかろうと上流へ車を進める。


日本一の砂留
毎日少しづつ赤が濃くなる


一昨日、副会長がホタルをたくさん飛ばすために川の中の草を刈る。
その草が川を覆っているからか草を川面から引き揚げた。



源氏ボタルの餌になる貝がたくさん見える。



よく考えたら朝飯がまだだった。
つまり、草を引き上げた仕事は朝飯前の簡単な仕事か?
汗をかいたから楽な仕事ではない。
話は変わり、堂々川の秋の美を紹介しておく。


源流域にあるゴルフ場


今年の正月はじめ、作業して顔を出した砂留
見えにくくなったがまだかすかに見える。


わずかに見える石積み


そこは空と山の水鏡が綺麗な場所


淀ケ池


綺麗な場所で物事を冷静に判断すれば
何でも人の言うことはよく聞くことだ。それからよく確認して返事はするものだ。


菊=聞く
大事にしなくては!


それを言ったらお終いだ。言う前に少し考えることをしたら物事はうまく行く。
渥美清の寅さんはよいことを言ったものだ。

かんなべ史跡めぐり

2011-11-06 11:14:40 | Weblog
11月5日(土)雨
「ふるさと再発見」をテーマに神辺町観光協会が毎年実施している史跡めぐり。
毎年同じ史跡7か所を回るのだが今年もドラマが待ち受けていた。
まず最初が参勤交代で備後より西の大名が宿泊する宿場町にある「本陣」を訪ねる。
神辺には当時西本陣と東本陣があったが現在は西本陣が残っており、家業にしていた酒造場の建物も残っている。母屋の北側には馬屋や物見櫓も現存している。
雨の本陣、母屋の裏にそびえるイチョウの木も少し霞んで見える。
説明員が高齢の為、急に声が出なくなったので若干予定時間が早まった。


西本陣を表門から見る


通常は神辺の街並みを見ながら廉塾まで歩くのだが雨の為バスで移動。
時間が30分ほど早目についたから雨にぬれていた楠もクスクス笑で苦笑するはめになった。


クスの木が雨に濡れている


ここでは専属のガイドが分かりやすく説明をしている。
土・日であれば廉塾の道路反対側のガイド待合室でガイドが待機している。


瀬山陽が塾頭をしていたこともある講堂へ


又バスで夕日の里、神辺竹尋葛原邸へ
約4kmのバスの中では説明員が赤鬼・青鬼の話や四面地蔵の紹介をした。
ちなみにブログの主は1号車の説明をしている。


葛原邸


童謡や校歌の作詞で有名な葛原しげる先生と師の祖父である葛原勾当(勾当日記、木活字の印刷道具の発明、琴の名手、二弦琴の発明他)の生家を見学。


童謡夕日

童謡トンビ


お昼前の最後の訪問は茶山記念館の見学。


道しるべ

菅茶山座像絵


雨でなかったら堂々公園で昼食となるはずが商工会館に変更され、
我が名文句と始まったばかりの絶景の紅葉は見られず、寝るのを我慢して考えた景色とマッチした話の内容は無い様になった。
食事の前に室内での話はまずかった。(弁当はうまかった)
30分時間をもらっていたが20分過ぎには「腹減ったー」の声
それも年を推定すれば80歳近い婆様。≪お主その年でまだめしを食うか≫・・・陰の声
仕方ない。お客様は神様です。
「以前百瀬川と呼んでいたが砂留が出来たから、その上を流れる水がドウドウと音を立てて流れることから堂々川と地元の人は呼んだ」の結末で終わった。
お昼から堂々川をバスで眺め、国分寺を観覧。



あらら!案内人がいない!困ったこまった!
「案内人が道に迷い、遅れるのでしばらく堂々川を!」と断り
時間つなぎに堂々川での未消化部分を話した。
でも本当の案内人はどこへ行ったのでしょうか。
最後の工程は古墳時代に造られたの大型古墳「大坊古墳」見学
中条地区にある道路から少し歩いて山を登るとある古墳


人間が立ったままで入れる


人がすべて、でた後で写真を撮るとかなり大きな石棺と思えた。



71人も参加いただいた年1度の史跡めぐり、
雨にもかかわらず、キャンセルもなくそして怪我なく無事終わられたことに感謝!
ある場面で光り輝く人の頭が写真に入っていた。
その写真はブログ構成上では必要であったが、毛がなく終えたので消去しました。