自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

大学生来訪

2017-01-30 18:44:42 | Weblog
全国砂留シンポジウムを開催して以来堂々川のレベルは上がって来ている。
例えば今日の記事
備後地域の2つの公立大学の学生さんが堂々川を学びの場に選んでくれた。

O大学の学生さんは卒業論文を書く準備のため堂々川を選び観光協会に依頼され
そこから事務局へ要望が来た。

忙しいけれどこのような要望は最優先で案内役をOKした。


O大学3年生
婆様たちがやきもちを焼くのもわかる
スタイルは良い


意地悪婆様が毎日この場でミ―テングをしている。
私たち同好会が椅子や机代わりを作り、提供しているのに悪口を云う。
若い女だから案内をOKしたのだろう。私らにはめったに相手してくれないのに!

先日今度はF市立大の大学院生が教授2名と来訪された。


土木関係が専攻のようだ



カンカン石でできた鳴る岩古墳付近の古墳数基やすでに壊されて
駐車場の土留になっている石の音の不思議を聞いて、見てもらった。

山の中に入れば今の時期ルリビタキがよく見られる。


ルリビタキ
綺麗な色が見られた



今旬の八丈岩へ登り、御領遺跡や四国山脈を見てもらった。
先日山陽新聞さんにゴントハチの民話を記事にしてもらった。
図書館や教育関係の人から電話を貰った。
差し上げたらお礼の手紙を貰った。




登る鉄ばしごは明治43年製、本当の鉄、現在福山周辺で作られる伸鉄ではない。

続いて古墳の丘へ行き、素晴らしい眺めを見ているうちに時間切れで帰ることに!

でも私たちのお願も聞いて欲しいと残り時間を10分貰った。
少し下流に砂防堰堤がある。
この堰堤オレンジ色をしている。
ある人に上流に砂鉄を沢山含んでいる花崗岩があり
その鉄が流れ出たのだと教えてもらった。
それをまともに信じて多くの人に話をした。

だが今回の先生曰く
「これは砂鉄ではない。微生物だ」
これを見て!


砂防堰堤の水の流れる所にオレンジの筋

まだよくわからないが、一応納得


枝にとまった「カシラダカ」
わかったような止まり方。
鳥がそう思うのならそれで我が頭(かしら)も右同じにすることにした。


カシラダカ


今まで、間違った説明をした約50名の方
訂正してお詫びします。

酒屋さん

2017-01-27 18:30:24 | Weblog
寒い冬なのに車で30分も南に行くと菜の花が満開


瀬戸内海の海辺
笠岡という干拓地


今日予報ではすごしやすお天気と聞いていたが
お昼からは雲が出て、パソコンのある部屋は5.1度

寒い時にはお酒がよいと昔から言われているが
最近ではのむ人が少なくなっている。
神辺という今人口4万強の町に4軒の作り酒屋があったが
今では1軒だけになっている。その1軒「天宝一」と云い全国でも有名。
他にも八仙、青葉という酒屋さんもあった。
今日の記事は地元御野学区の歴史年表を書くため、
この酒屋さんをの門をたたいた。


明治元年創業



数年前からこの家ではお酒は作っていない。

説明をして戴いたら何、素晴らしい歴史の作り酒屋。


明治時代広島県第1回の賞状がある
明治33年6月受賞


4回、5回の賞状もあった。


全国の品評会でも賞を貰っている





大正時代には優等と1等
何が違って差がつくのかな?


歴史の1ページを飾るにふさわしい実績を持つ酒造メーカーが
地元にあったのだが時代の波にには勝てなかったようだ。

アー、もったいない。

前方後円墳 足長

2017-01-23 10:18:22 | Weblog
個人ごとであるが、昭和の時代にあった御野という村の年表作りを始めている。

日本トップレベルの御領遺跡(九州佐賀県の吉野ケ里遺跡の4倍の面積)
この地のどこを掘っても縄文・弥生、古墳時代の土器や遺跡が発掘される。
このような素晴らしい歴史を持つ地の発掘調査が昭和51年が第1次だとは!
その後井原鉄道、国道313号・486号の新設工事に際する調査が行われており
全容がわかり始めた。でも調査するにしても古文書・文献がほとんど見つからない。

先日、足長前方後円墳があると言う地域を訪ね、地元の人に聞いた。
この杉林に古墳があると親父から聞いたと言う人はいたが、その場所はわからないと。

その日の行動を撮った写真で追ってみた。


神辺町平野 高屋川の南の山沿いの道
道祖神(地神=幸神)が並んでいる南の丘陵


場所は現在平野中組集会所の南の戸の山の最下部、小字は足長
この地の古い家の墓地、天保時代の刻印がある。


このお墓がある西の丘陵地


御領の古代ロマンの会の副代表に電話しても目印がないからわからない。


この山だけはわかった


西側にも墓地があり、そこの道を20mほど登り、けもの道を15m進むと
ルリビタキがいた。
おお鳥だ。カメラが追いかけた。






約8m先、近づけばまた先へ逃げる。
逃げる先はすべてどなたかが笹を刈って小道になっている。






追いかける!逃げる!


なぜ止まる


ここから先が前方後円墳だよ言っている見たい。


小さな御社がある


そこから北を見ると



素人目にも前方後円墳だ

ルリビタキが連れて来てくれた。
この鳥綺麗なだけではなく道案内もしてくれた。
昆虫にも道案内をする綺麗なハンミョウがいるがこの鳥の存在ありがたかった。

シイタケ原木作り

2017-01-20 20:56:13 | Weblog
20日大寒の日、時折強い風とパラパラ雨が降る昼前
地元の小学校で下御領生産森林組合の役員やボランティア数人が
シイタケの原木に種駒を打ちこんで、1~2年後のシイタケがはえる
原木栽培の段取りと指導を行った。

小学生52名と先生に指導
子供たちが校庭に来る前に準備をする。


原木約60本を12組に分ける

原木に穴をあけるドリルのチエック
1番怪我の発生が多い工程の為確認をする


子供たちの指導に各班ごとに黄色のジャンパーが1人つくため、服を着替える




種駒


有名メーカーの商品


子供たちを迎え、作業にかかる



まず工程の説明


栽培手順の説明

種駒を打つため穴をあける手順


作業開始


最初は恐る恐るの作業だが
女の子の1人がすぐ慣れ全員がそれを見ならった

駒を打ちこむ


出来上がったら保管する場所へ原木を運ぶ


1昨年植えた木にはシイタケが


このシイタケを給食で食べるそうだ。
シイタケが嫌いな子でも自分たちで作業して出来たシイタケは食べるとか


保管する場所へ運んだ後掃除


数年間シイタケが生えた原木は腐敗する


クワガタがいるので朽ちた木を砕いてみる

マメクワガタの成虫発見


子供たちは大喜び。
多分先生を驚かせたと思う。

最後に校長先生が来られてお礼を言われた。

当然朽ちた木は組合長と事務局長が持ち帰った。
こんな人たちがいる地域は素晴らしいと思った。

今日の記事は堂々川ホタル同好会の行事ではない。

雪の堂々川

2017-01-15 21:24:58 | Weblog
雪はよい良い帰りが怖い、ようやく昨年並みの冬がやってきた。
本日の報告はただ単なる報告と貴重な自然の生き物の記録を掲載する。

1月15日本年3回目の更新、
朝起きたら雪だった。ここ数年、雪の朝は堂々川へ行くことに決めている。
ヌキィ(暖かい=備後弁)朝が続いていたから、布団から出るのがつらい。
長靴を履いて雪降る屋外へ。
我が家の裏道は近世山陽道。この道のつきあたりは明治までの庄屋さんの家


門と塀は文化財候補
それでも菅から維持支援がないから壊すそうだ


北へ100m行けば山すそ、凍った池を右に見て
国分寺参道






本日はこの現場は通った証拠の証
ここから50mも行くと登録有形文化財の堂々川の砂留群


1番砂防堰堤
すでに砂留機能は無い
それでも草を取り整備している


2番、3番、4番と上流へ歩き、ヒガンバナを植える場所の確認をする。








1番砂留から6番砂留間約1kmをヒガンバナロード
又の名をヒガンバナの里として全国レベルで名前を売る企画を考えている。


6番砂留

見落とすことが多い堂々公園
雪をかぶったサザンカの美しさ


忘れていた。堂々川でロケーションが最高の鳶ケ迫砂留



雪が舞う堂々川の風景を紹介した。

ここからは堂々川の環境
自然を尋ねる人の本業を紹介する。

日本赤ガエル。今頃水の中の小石(恋し)の下で
身体を婚色に変えて冬眠から一時覚めて、恋いカエルを待っている。

雪の朝、若いカップル
変わった行動をする。大筋からは変わって脱線記事だが


まさか、カエルはここまではしないだろう

記事にする方もする方だがほほえましい光景だ


本題に帰って

そして、することをしたら又冬眠する。
本日発見3匹!


日本赤ガエル


ドンコとヌマエビ



ヌマエビ



エビが多いと紹介すると魚釣りをする人が餌として取りに来るから場所は公園内だが秘密。

最後、本日出あった鳥
メジロ、ホオジロ、ツグミ、ヒヨドリ、ルリビタキ
どれも証拠になるような写真は撮れない。

撮れたのはジョウビタキだけ。



とり逃がしたのだが運よく影を残して飛びたった。

今年のホタルを占う意味で川の中を探したが1昨年の工事ミスが
まだ回復しておらず、幼虫は1匹たりとも、見つからなかった。

10年前のビトトープ作りを改めてやり直さないと
ホタルの復活はむずかしそうだ。

トリ年

2017-01-07 20:59:16 | Weblog
年の初めの撮り日記、5日、6日、7日の鳥。
3年前の今頃ヒレンジャクが大挙してやって来て、取り残した柿をあっという間に食べた。

今年も柿の実が豊富、鳥がやってきた。


お尻が赤くなく白 ムクドリかな


雀も群れていたが、チュンは今日はパス。
遠くの山頂でカラスが100羽近く群れており、その場に急ぐカラスもいる。


カメラを取りに行って帰ると数は半減

そのカラスが里へ下りてきて柿を食う


近くの柿の実はすべて無くなった。
今年のヒレンジャク来訪をあきらめた瞬間である。
6日の夕方年賀状を持って郵便局へ
夕日と鴨の綺麗を見て7日の鳥撮りを池に決めた。




7日、日曜日と勘違いして井笠鉄道500円コインデーが始まる駅へ行く。
8日と間違えた。ちょうど良い昨日の続きを実施した。


ミコアイサ?


ダイサギもいる。




喉まで出た名前、結局声にならない



オオバン

鴨の種類は多い、名前思い出せないもどかしさ


この鳥はわかる。


目が白い


うっふん  糞


鵜のねぐら
今年も松の木が枯れるだろう


黄色いサクランボならお色気もあるが黒がうっふんは気持ちが悪い。
その時カワセミが飛んだ。
残念証拠がない。
今年の運勢ついているかついていないか!
神っているのは昨年の事!
今年は自分から変えて行く。
髪形を右流れから左流れに変えて心機一転、頑張ると誓うのだった。

新鬼伝説「ゴントハチ」

2017-01-03 21:38:30 | Weblog
昨年10月9日に「全国砂留シンポジウム」を開催したことはすでに10月13日にUP済みである。
その鬼伝説の発症の地へ元旦でお天気も良いので訪ねた。
そこには初日の出を見た人が2組残っていた。

話は変わって
昨年のシンポジウムは堂々川の登録有形文化財の砂留を世に出し、地域に安心安全を提供している
文化財を知ってもらい、守って貰う人の発掘で開催したものであるが想像通り地域は無反応な気がした。
その話はさておいて、このシンポは一部、二部、三部構成で、一部は国会議員、県会議員、福山市のセレモニー
二部では民話「ごんとはち」のDVD放映と小学生の堂々川の事例発表。
この民話が砂留に関しての歴史を10分にまとめたもので、1000枚作り現在販売中。


10分にまとめた紙芝居風で備後弁を
使った鬼の喧嘩などのドラマである


阿娜の湖と呼ばれた時代、つまり縄文・弥生時代以前に海進が止まり
広島県一の平野・・・神辺平野が現れ、日本武尊が熊襲征伐からの帰り
日本書紀が言う、悪ぶる神を退治した時からこの物語は始まり


悪い鬼は武尊の捉えられ古墳に封じ込められる


鬼の住んでいたと言う権現山


右端の山

対岸の八龍山


実はこの物語は江戸時代から御領(神辺町竹尋・御野)の住民が語り継いできた民話
調べてみたら[西備名区」なる江戸時代に書かれた歴史書がはじめのようである。
その後昭和に2回は登場人物や鬼が使ったツールが変わっている。
1994年神辺商工会青年部が作った全国鬼伝説サミットではゴントハチに犬と猿がついた物語になり、
投げ合ったものが大岩と栗さすがに商工会、井原線御領駅に大きな看板を立てている。


石を投げる

ゴンが投げた石の山、現八丈岩


その前身は未来社が掲載している日本の民話、これにはモロギ(ネズミサシ)と大岩の投げ合い
その前がノイバラ(ボテの木)と大岩
今回私が採用したのはボテと大岩の投げあい、
それと古墳に封じ込めて1000年後、江戸時代の土砂災害が多発し、一揆が起こった時代に
鬼達が反省して人間の前に現れ、恩返しに一晩で砂留を築くのである。




六番砂留

その基礎部
良く見ると古墳の石に見える



シンポジウムで放映


DVDは鬼が石を投げ合った証として現八丈岩山、(元八龍山又は大師山)の石群
八丈岩の足跡を見る。









思いもかけぬ暖かい元旦
皆様良いお正月を迎えられたことと思います。
本年も引き続いてよろしくお願いいたします。