自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

結果は観光地

2019-11-29 21:16:33 | Weblog
今回から数回にわたってなぜ彼岸花を植え始めたのか!
古い昔を探してみた。
堂々川ホタル同好会が設立されたのは2006年4月。
ホタルを飛ばす為に作った同好会でした。


設立した頃の堂々川 国の登録有形文化財に認定された頃
石積も見えない砂留


これでは「ホタルよ飛べ」と言っても無理な話。
2006年の4月
堂々川の現状把握を始めた。
上流のある谷から黒い水が流れ出ていた。


第1回定例会
まず堂々川の川の中のごみを拾うところから始めた


何でゴミがここにあるのかと疑問を持った人が110番通報。
すぐにパトカーが来てこのゴミをトラックに積んでいた副会長に
職務質問を開始していた。

用事で家に帰っていた当時の事務局長が
再度やって来たときは副会長はパトの警官の質問にしどろもどろで苦戦中だった。

事務局長曰く、「お巡りさん捨てているのとトラックに載せているのが
分からないのですか!お名前は何と言われるのですか」と言った記憶がある。
恐ろしい剣幕のパトさんもすぐに分かったのだろう。・・・
「わたしらは100番されたらすぐに来ないといけない」
「手伝ってくれますか」と言ったかどうかはわからないが?
「申し訳ないです。怪我のないように作業をしてください」と
言われてすぐに立ち去られた。
これが堂々川ホタル同好会の最初のごみ処理です。2006年4月の事。
続いて
上流の黒い水の出ていた谷の整備。


一つの谷、ダーサ谷のごみ



第1回目の谷から掻きだしたごみ
多分不法投棄が許されていた時代の事だろう


2009年相変わらずごみの捨てやすい川なのだろう!


川にかかる橋の上から捨てている


この頃、不法投棄を止めさせる対策として堂々川に彼岸花の球根を植え始めた。
まだお金をどうして集めるか等のことは考えていない頃。
綺麗なところにはごみを捨てない人間心理を応用して初代会長が植え始めた。

会員も田圃のあぜ道から掘り上げて堂々川5番砂留の下方に約2000球を集め
翌日の日曜日植えることにして道路脇に置いて帰宅した。

翌日、あれ!箱の数が少ない。
約半分誰かが持って帰っていた。

翌年の2010年から御野小学校が遠足を利用して
植栽を手伝っだってくれることになった。
学校が手伝うということを学んだから今度は球根を
購入するための資金集めの方法を考えた。
福山市の女性職員が助成金の事を教えてくれた。
申請書を書く手順や助成先の名前も教えてもらった。
2011年からは中条小も手伝ってくれる。
「全労災」から数10万円の助成を貰い、彼岸花や桜を植えた。
いまでも看板に名前が残っている。

その後不法投棄は大幅になくなり年に1~2件に減った。
植える方はそれ以来毎年続き2018年は9900球
2019年は5700球を植えて、開花数19万本
堂々川はホタル・彼岸花・砂留が見られる観光地になった。
数年前からモミジも植えているので紅葉も綺麗。

この観光地に2019年9月、収まっていた不法投棄が3件も発生。


エアコン



缶ビールの空き缶、中身の入っているものも20缶程の5袋


その翌日9月27日4番砂留川原に5袋




警察の協力もあって、多分だが1万や2万ではない罰金を支払ったやつがいるはず。

約10年かけて、小学生と保育園児とボランティアが
作り上げた観光地、堂々川の中流域の不法投棄撲滅活動は続いている。

なのに他所から来た青年?はこの苦労も知らず捨てたと推測。

{私たちがした活動成果、この10年を返して}

ちなみに、今日11月29日、堂々公園の川の両岸に彼岸花が咲いている。
この話は今後数回続きます。

今でも彼岸花

2019-11-16 20:54:56 | Weblog
例年11月に開催される神辺観光協会主催の史跡巡り
どこの町でも古い史跡や文化財はあるが住民は知ってるようで知らない。
11月9日に開催された史跡巡り


総勢70人がバス3台でスタートした


銀杏の大木が綺麗な天別豊姫神社。まだ紅葉は先のようだ。


あらやだね、ここは2番目のはずだが、1番目は車上での説明だったので後に回した


本陣はパスして簾塾へ、ここは福山藩の教習の場 菅茶山が作った


雨漏りが激しく、近々修理か?


童謡の夕日、とんび他、また全国の校歌の作詞家の旧家、葛原茂宅


バナナ?バショウ珍しい実がなっている


国分寺はここ数年史跡巡りには入って居なかったが今年は・・・
私がガイド役なので画像がない。

今売り出し中の堂々川の国の登録有形文化財堂々川の砂留群
ここから1.5km東山中にある御領古墳群
関東では国の史跡になったようだがこちらはボランティアが探して
調査して、冊子を発行して世に出したが!
お役所はあまり関心がないようだ。


昭和の初めの資料では870基以上の文字もあるが
発見できているのは270基程


広島県でも大きいレベルの円墳、墳丘20m


ここから見る御領遺跡


神辺平野(広島県最大の平野)の東端にある遺跡で、
大きさは九州吉野ケ里遺跡の4倍もあるが!ただいま細々と発掘中。
我々が頑張るだけでは史跡の指定は難しい。

お待たせしました堂々川の彼岸花の里
少し食傷気味だが
堂々川は猪に荒らされている彼岸花植栽の場、
広島県一という30万本開花の三次市吉舎地区は鹿が葉を食べて花はなし
堂々川では今でも蝶が舞う。
今年に限って言えば花札「猪鹿蝶」の大役で堂々川が広島県一位の開花数。

堂々川ホタル同好会は
水野勝成神辺城入城400年でいろいろなイベントが開催され
堂々川の砂留見学に来られる人に彼岸花を見ていただくために
特別のプロゼクトを組んで10月末から11月中旬にかけて
彼岸花を咲かせることに挑戦した。
そして10月20日には赤系7本を咲かせたが全て誰かが持ち帰った。
早く言えば泥棒、見方を変えれば公共の土地の花、黙って持ち帰っても良いのでは!
11月9日には約90本が開花又は蕾でお出迎えをした。


白花約90本


11月15日


白花110本


素人で初めての経験とはいえよくやった。


赤花系も1本蕾

蝶もやって来た


自分で自分を褒めても仕方がないが誰も褒めてくれなければ
自分で褒めるしかない。
しかし紅白で成果を出したことは自信になった。

かれがきた

2019-11-06 20:39:56 | Weblog
当地では10月のお祭りシーズンは過ぎたが自然はまだまだ元気である。

ゲンノショウコが神輿草の別名通りみこしを作っている。


種子ができてそのてっぺんが分かれて神輿に見える。


今我が家周辺は10月桜が咲き、つわぶきが満開。


つわぶき

10月桜


フィジョアの実が熟してきて木から落ちている。


生食するが落下して数日経たないと甘くならない


秋真っ盛りのはずが


堂々公園の木々も赤・黄色を増してきた。


しかしあちこちで松の葉の茶色が目立つ。
堂々川沿い






砂留の傍



岡山県でも茶色の葉を見かけた。





堂々川周辺の山はアカマツ林でマツタケが良く生えていた。
しかし昭和の終わりごろから多くの松が枯れ、マツタケは超高級品に様変わりした。
夏から秋にかけて赤松(山地に多い)黒松(海辺に多い)は急に葉が茶褐色になる。
堂々川周辺は赤松(別名女松)がほとんどでマツノマダラカミキリムシが
松の枝に傷つけた場所からマツノザイセンチュウが入り込み木を枯らす。
カマキリとハリガネムシの関係のようにマツノザイセンチュウはカミキリムシの
中間宿主で松が傷ついたところから入り松の木の水分補給を邪魔するらしい。

平成のはじめには山へ殺虫剤をヘリコプターで散布していた。
しかし散布するところとしないところでは松の枯具合いは違ったが
最終的には山全体が茶褐色になった。

そして20数年経った今、松の根とマツタケ菌が一緒になってマツタケのシロ
を作る松に成長したのに葉の茶褐色が見え始めた。

女松に枯れが来た。
女に彼が出来てマツノザイセンチュウを受け入れたから枯れる。
期待したマツタケは多分無理だろう。

今の時代、山ヘリコプターから殺虫剤散布など許してはくれない。

話しは変わって
明日は神辺観光協会主催の史跡巡りが行われる。
堂々公園・国分寺・天別豊姫神社・簾塾・葛原・古墳の丘等をバスで
見学する。当然ガイドも各ポジションで待機、ガイドは観光協会の
試験合格ガイドが行う。
堂々川の砂留だけはバスの案内人が行う。
明日はお楽しみに!

実は堂々公園に彼岸花を咲かせるプレゼクトを組み、昨日時点では
約80本が蕾を持ち上げている。
つまり1か月遅れで彼岸花が見られるのである。




彼岸花科ダイアモンドリリーがお迎えをする。
実は昨日迄7本咲いていた赤系の花は全て誰かがお持ち帰りになっていた。
最近の堂々川はごみは捨てる、猫も捨てる。(現在4匹)
花は盗まれる。
まじめに努力している人たちをあざ笑うように!
枯れもそうだが困った世の中だ。