自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

オーケストラがやってきた

2014-01-30 21:46:30 | Weblog
ホタルが応援いただいている御野小学校にオーケストラがやって来た。
クラシックはあまり好きではないから生演奏など見たことも聞いたこともない。
それがお誘いを受け、体育館特等席で見せてもらった。


文化庁巡回公演事業

指揮者 中井章徳さん その筋では超有名な方


京都フイルハーモニー室内合奏団
約50人の演奏 



ソプラノ歌手名前はわからないが美人、司会も兼ねる。



生演奏を聞くのは初めてだが感動した。
初心者のために楽器の説明をしてもらった。



恥ずかしながら前半終了前にカメラの電地が無くなり以後は最高の場面は撮れず、涙をのむ。
後半は小学生に演奏を聞かせるだけでなく、一緒に演奏や校歌斉唱、小学校の先生の指揮で歌う。
バイオリンを弾いたことのない子に立候補させ(沢山の生徒が手を上げた)
少しの指導でオーケストラと一緒に弾く。1年生の子が上手い、
こんな場面がすべてパー、メンテは常にしておかないといざと言うとき役に立たないが実証できた。
約1時間30分、楽しく又教育とはこうするのだと言うことを教えてもらった。
お誘いを受けた校長先生にはお礼を云いたい。
これだけの行事をするのには申請(簡単には採択されない)、これは大変。感謝しています。

頭も心もよい気分なのに、烏がやけに鳴くから堂々川へ行く。
今月の初めから堂々川のゴミ拾いをしていない。

座骨神経痛という診断が出、薬を飲み始めて2日目かなり楽になった事もあり車で出かけた。

くそったれ!大量のゴミがあり、カラスがそれを突き拡散している。

『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種はつきなし』豊臣秀吉時代の石川五右衛門の句らしい。
考えてみれば私もこの川のゴミを拾い始めて8年経過。
減ったと思っていたらそれは会員が本気で拾っていたからか?
ただ、ヒガンバナを植えたところはゴミは少ない。それだけは救いだ。





そこのけそこのけカラスやろう、カラスの野郎どいておれ、




成果は30㍑ゴミ袋2つとビン類(どこの家庭か知らないが醤油、酢、酒びん、コップ、割れた食器)



まだ痛む足を引きずりながら拾った。
通り過ぎた車5台。どんな気持ちで見て通ったか。
その中には市の清掃車も通ったようだが見間違いか。

皆さん骨折ではありません。年齢による現象が顔を出しただけです。
お見舞いありがとうございます。

ホタルと花ポエム

2014-01-27 20:51:07 | Weblog
≪村の渡しの船頭さんは今年60のおじいさん、歳をとってもお舟をこぐときは・・≫
昭和10年代のおじいさんは今に比べると10歳若かった。

堂々川、昭和より前の年代は国分寺西は沼で舟で渡っていたと言う話もある。
昭和3年発刊の郷土史によれば
今でいう1番砂留下流は天井川であり、昭和2年割石6万個を持って堂々川の改修工事をした。
この工事費は3万5千円で現岡山県笠岡市北木島から鉄道で1万3千個を運んだとされる。

沼とか天井川を現在の写真で見るとなるほどと思えることがかなり見られる。


砂留50mの地点から下流を写す

国分寺真西の土手から下流を写す


この2枚が現在の川底
周囲東西の風景を見ると


川の東側は国分寺

堤防を見あげる、高い


西側の地域


沼だったといわれる所


堂々川の西側は家の屋根より堂々川の川底の方がはるかに高い。
川土手は昭和の初めに割石で改修され、川底は昭和の20年代以降にコンクリートで固められた。

歴史を探ってみるとなるほどが沢山見つけられたが、
現在は私自然を尋ねる人が勝手に提唱しているだけである。
勝手に提唱といってもかってこの事実を知る人から継承した話や文献からである。

難しい、いいわけはさておいて
今菅茶山記念館で菅茶山ポエム展が開催されている。
この絵画展、菅茶山顕彰会が主催するのは最後で今後は記念館が主催するそうだ。
幼稚園児から中学生まで3011点、19もの学園・中・小の皆さんの傑作だ。





江戸時代後期、日本一の漢詩人と言われた菅茶山を冠に戴いたポエム展
2014年度と書いてあるが第何回と書いてないほど歴は古い。
茶山の詩を大きく分けて8分野に分類し、それぞれにピンク色で表示して最高賞をあらわしている。


花と蝶
蝶7首から



ホタル7首

ホタル、我がガールフレンドの作!
それもホタルで最優秀






中学生になると上手である。


史跡廉塾



菅茶山記念館は堂々川下流国道313号線と486号線が交わるところから西へ300m
堂々川が昔氾濫していた最下流付近である。

今では70歳が草刈りをがんばっている人は多い。
60歳がおじいさんであった、あれから約80年人間の元気は10年延びている。
なのに、最近、私こと自然は医者がよい。
みたては「若いように見えてもレントゲンを撮ってみればやっぱり骨はくたぶれている」だってさー。
悲しいかなホタルと花よ!
ポエムであって欲しい!

3番砂留

2014-01-25 20:03:42 | Weblog
3番砂留
誰が壊したか知らないが江戸時代1832年(天保3年)頃造られ、明治には嵩上げされている。
その後も嵩上げ、昭和にはコンクリートを使った大きな修理がしてある。
昭和20年9月20日枕崎台風の雨で左岸の長老塚池が決壊してここは埋もれて砂の川原となった。
(先日の海掘教授の話では台風上陸は9月17日、なのに堤防決壊は20日そのづれは何!)
それより前までここで泳いでいた人は今では85歳以上。
又平成になってどのような構造なのか実際に周囲を採掘して調べ、
結果は神辺文化会館に模型として展示してある。
その砂留を又誰が壊したか大きな穴が開いていた。

いたずらの好きな害獣ヌートリアが下流から登って来ての悪さかそれとも構造ミス?


抜き足差し脚

前に進む、泳げば結構速いのに!水が無い


冗談は休み休みに述べるとして
ここに大きな穴が開いていたのを広島県が修理を始めた。
右岸の山裾の修理、この川の修理は水が少なくなる11月から3月にかけて行う事例が多い。
ここでホタルを飛ばすためにホタル同好会が県の許可を得て図面を引き、重機を入れて
現在の姿に変え、ホタルが沢山飛ぶようになったのも今の時期。(久しぶりの自慢話)


工事

上流から

下流から正面を見る


工事をする人がいない隙きに右岸山の方から砂留の構造を見る。


石積みの中にはグリ石と砂


この構造江戸時代のものか私は考える必要があると思う。
当然嵩上げをしているから下の基礎部よりは新しい。
本日は知ったかぶりの講義をしているがかなり真実味がある話だ。

専門分野の話はどうもかたくなって仕方が無い。
ここからはこの近くの鳥の話をする。
まずメジロの曲芸から


餌を食べている。モデルにしてはいけないよ。メ・


群れの数10数匹、かなり近づいても逃げない。


後ろには目が無いもの見えない


餌取りに夢中な時はガードが甘い。


ホオジロ 


モデルになってくれてありがとう。(いつもiらしくさん訂正ありがとう)
下の鳥、撮っては見たけれど本当に獲らないと名前が分からない。



砂留はかなりプロの世界へ足を踏み入れていると自負しているが
鳥となると美人の前に出るとしぼんでしまう自信のように、なにが何だかわかりません。
これが3枚目の辛さなんでしょう。

中山間地の防災

2014-01-22 17:01:42 | Weblog
1月21日雪を心配しながら起床。朝の気象的にはOK。
広島までの障害はなさそう。
全国治水砂防協会主催の中山間地の防災を考える IN CHUGOKU シンポジュウムへ参加する。



とりあえず福山駅へ
少し早目到着の為駅内をウロウロ
あ、AKBだ! 


「鞆の浦慕情」をうたう岩佐美咲


何でAKB48が演歌を、近くにいた女学生に聞いたらもうシングル3枚目よだって!
なんだか私を3枚目にして語る上から目線の言葉。
駅構内にDVD画面があり着物姿が鞆の浦を歩く。今は立ち止まって歌を聞く心境ではない。
新幹線に乗る。九州新幹線「さくら」が来た。


24分で広島に着く


広電に乗り会場へ向かう。
真っすぐ行くところを右に回ったから世界遺産が目の前にでる。


原爆ドーム


お昼から始まるが、10時30分から全員舞台裏で本日のストーリーを確認する。
お昼13時から始まるのでお弁当を御馳走して貰う。
私の隣は某テレビのNHK出演の気象予報士勝丸さん
美人故気になってしょうがない。
そこで口説いてみた。「福山へ来てくれませんか」なぬ・・OK。 この人が!
しかし午前中のみで12時には広島へ帰り出勤できる事の条件がある。
条件なんかどうでもよい。で、何のために来てもらうの!目的は!
こらまいった。
でも、もうすぐ発表等があるがもうルンルン気分。おかげで上がることはなかった。
13時



広大大学院の教授の基調演説1時間弱。
あれー、自分が準備した江戸時代の大雨情報が被る。
昨日20日寒い中、堂々川の5番砂留で発声練習と記憶することを努力した。
この場所が2004年ホタル同好会の前身が旗揚げをした所なのだ。


後ろ側にあるから名前は見えない


基調演説が終わると


プレゼンテ―タ―が話す

こちらも4名だが
肩書きをみると重い人たち


さすがはCPD認定講習だけのメンバーはそろっている。
堂々川のホタルがなぜここいるのか首をかしげてみた。


ホタルは「堂々川今昔」の中から話を始める
しかし5分では
エエイ面倒だ、「砂防」では作業する人は集まらなかったとしゃべってしまった。
やっぱり「ホタル」と「彼岸花」は人集めには強い

こちらは広島県内の校長先生


気象予報士の話


彼女の顔をUPしたいがこちらはOKを貰っていない


御顔をと思われる方はネットで勝丸恭子さんで見てください。
えくぼ可愛い人だった。

16時にはシンポジューム兼講習会は終わり反省会に移って行く。

本日堂々川同好会の副会長2名と役員1名の方が応援参加。
また、広島県から数年前ご寄付いただいた6番砂留の模型を
説明するパネルもお借りすることができた。
ちなみに私の好きなマスコミは1社も来ていない。
20時を過ぎるとJRの上りの「のぞみ」は福山に止まらない。
のぞみは広島から福山間23分ぐらいだがこだまは50分近くかかる。


はーい田舎っぺです
駅と宮島、反対方向なのに乗り場を間違える
そのう、間違えていなかったのです


かなり気にしていたが19時台の新幹線に乗れず、20時台
ウーン「こだま」か
まーいいか、美人を口説いただけとくだ。私の名も徳、お互い損をしなければ大徳だ。

鳥撮り鳥

2014-01-20 16:28:02 | Weblog
堂々川の奉仕作業と学習をマッチングさせている小学校がある。
かなり前に、もし表彰金が貰えたら何かお手伝いをしたいと言った覚えがある。
その時はまさかもらえるとは思っていなかったが
現実的になると会のものを自由には使えない。
そこで銅賞かといやどうしょうかと校長先生を訪ねた。
玄関には入賞作のポスターや標語が掲示してある。


ホタルのポスター


以前これが欲しいと校長先生にねだったことがあったが確か返事を貰っていない。
NOと言えずそのままになっていると理解していた。
でも綺麗で夢のあるものは欲しい。


こちらはゴミ問題の標語


堂々川ホタル同好会と付き合うとこうなるのかと意味もなく納得。


横を見るとここにも


この学校どんな教育をしているのだろうと思うほど奥が深い。

口から出た言葉の責任をとる為に新しい事を考え協力をお願いした。
となりにはホタルの会員がいる。
今月末の締め切りに間に合うように夢を考えることにした。
それより当面は明日の『中山間地の防災を考えるIN CHUGOUKU』
をクリアーすることの方が大切だ。しかしよる年には勝てず記憶力はない。
午前中同好会を創立した場所へ行って内容を大声で叫んだが一向に記憶力の変わりはない。

雨も降ってきた。
こんな時には鳥撮りの記事に限る。
頭を冷やして


ダイサギ

隣は青鷺

この池、青鷺が多い


家に帰るとエナガとシジュウカラの群れ、エナガは曲芸が好きなようだ





おっととどこへ止まろうか。そこをどけ、どけ。



後で見たら撮ったつもりのシジュウカラがいない。



あきらめていたら久しぶりのモズ



何も考えないのもよいことだ。
しかし明日はどうなるのだろう。



県境碑

2014-01-18 10:01:07 | Weblog
先日お隣の県のケーブルテレビからお誘いがかかった。
「何で」と聞いたら御野公民館発行の「みのだより」の表・裏にホタルの記事があったからだそうです。
ホタルの為ならたとえ水の中でもと、喜んでと出演依頼を受諾した。


今おおはやりのユルキャラ
井原放送キャラ


持参したポスター・情報誌や表彰状やメダルが所定の場所へ置かれる。


インタビュールーム


創刊号は2008年発行、それ以来、月1回ペースで続き、100号を迎えた情報誌



一昨年発行の冊子「堂々川今昔」がこの場においてある。もう会には10冊ほどしかないのに!
余談だが古本屋へ行って「堂々川今昔」はないかと聞いたらまだ古本としては出回っていないと言う。
でもお客さんのような人がいるのなら集めなくては!営業大成功!



冊子左のポスターは1月21日中国5県の砂防に関するシンポジュームがある案内。
広島県民文化ホールで開催されるがホタル同好会にパネラー依頼が舞い込みパネラーを派遣する事になった。

出演は30分程で終わり、目的の高屋宿から岡山、広島県県境のあたりの近世山陽道の調査。
岡山県側江戸時代の高屋宿のまちなみ


ここは子守唄発祥の地
唄で町おこしか


県境に立つ、境石
現在あるものは4代目らしい。


平成17年頃車が倒して破損したらしい


ならばその前はと探しに近くにある金光教両備教会を訪ねた。
丁寧に歴史を教えていただいた。
3代目は近くの町内会の集会プラザにあった。


平成17年に破損される前のもの
大正8年に造られたらしい


そして2代目?は説明を戴いた金光教の内部の庭に保管されていた。


これより西、福山領の文字


2代目?ならば初代はどこにある!それは秘密です。

今日も充実した1日だった。
その夜、(火星訂正)木星と月のランデブーを眺めた。柚子の里さんありがとう。


冬空に光り輝くさまは綺麗だった
自分もこんな恋がしたい


テレビ出演もよいがやはり自然の美しさに叶うものはない。
(爺様テレビに出たぐらいでそこまでテングはいけませんぞ)

1が好き

2014-01-14 20:22:50 | Weblog
福山市神辺(JR福塩線)から岡山県総社(JR伯備線)を結ぶ第3セクターの鉄道がある。
昔、山陽本線がよく事故で止まることがあったのでバイパス目的で計画された鉄道だ。
岡山から吉備線経由井原線福塩線で福山をつなぐことができる。
この井原線が開通したのが平成11年11月11日11時11分である。
今年開通して15周年と銘打って今年もワンコインデーが開催され
9700人の乗車があったらしい。
1回下車する度に100円、最長40km乗っても100円の運賃である。
わたくし運悪く、足を痛めているのでお手伝いはできなかったが
枯れ木も山のにぎわい位になるだろうと理事と言う名を守るために神辺駅へ出向いた。


神辺観光協会の皆さんが
しょうが湯を無償でくばる



駅で降りる人の列
100円の受け渡し場所だから混む

乗る人の列


例年より少し来る人が少ない。
神辺へ来訪する人の多くの人は聞く。
ここではどんなサービスがあるの!
「見ての通り、ここのしょうが湯と廉塾でぜんざいのサービスがあるよ。」
このじい様、ばあー様は年金をしこたま貯めこんでいるだろうに
お金は硬貨で1000円ほどしか持っていないと言う。
ここから先は何を云っても仕方が無い。「14時頃漫才が行われるよ」と言って手を振った。


吉本、岡山の住人か
上手ではないが笑いは出た


実際は上手いのだが「写真を撮ってはいけない」と言うからくさして見た。

12時過ぎには準備したしょうが湯はすべて終わり、早めのフィナーレであった。

終わりが見えた頃、神辺美術協会の主催者から早く展示会場へくるようにと督促が入る。
行く約束をした覚えもなければ案内も貰っていない。
しかし相手は脅迫してくる。ほとんど参加しないがホタルの会員でもあるから要望を聞くことにする。


それなりの作品が並ぶ


私にはとても作れない作品ばかり、堂々川関連も数点ある。


これは傑作だ


見た目には手作りの昔の農家だが
歴史的見解を入れてよく見ると、昔の竹田地区の作酒屋「竹田姫」の名前も残っている。
梅の枝も紅梅枝を使い、大八には鉄の輪がはまっていた。
昔を縮小してそのまま再現素晴らしい。
売って欲しいと言う人が出たそうだがその人の目は肥えている。


ケヤキ物語


私が若いころ書いていたポエムに似た調子の詩的な文で書いてあったが
今頃の若者には受けない。これはある小学校にある100年以上生きているケヤキだ。
昭和の40年ごろなら最高の歌になっただろうに!おしい?

呼びつけられtから多少の皮肉は出たがそこは芸術家の作、感心して次の会場へ急ぐ。
そして夕方、接骨院で治療を受けた帰り道
沢山のスズメが集まりだした。


100羽を超える
数えないでこの時はまだ80羽


竹藪があるわけではないがまだまだ四方からやってくる。



雀の学校でも歌っているのだろうか。
昔と現在では価値観が変わっているのだろうがスズメは藪が無くても集まる。
鉄道は少しでも利益を上げようとがんばっている。
複雑を感じた1の付く日であった。

子供の夢

2014-01-11 16:14:29 | Weblog
昔、「テレビもねー、ラジオもねー、たまに来るのが紙芝居・・」と言う歌がはやった事があった。

今日のモデルはそこまで過疎の町ではないがだんだん人が少なくなっている地域の
小学生と話をした中から思いついた物語だ。

この村は昔はこの近郊でもお金持ちや旧家が多い地区であった。
経済が高度化していくとお米とか畑作そして鉱山収入では生活が楽でなくなった。
だからこの地域の人は都会へ出て行く。1度出て行くともう昔の家に帰ることはなく
その家は年月とともに廃屋となり屋根が落ちたり、家が傾いてくる。
そんなになる前に小学6年生のH君は地域のにぎわいを取り戻すことを考えた。

この地には個人の敷地内ではあるが広島県の史跡『大坊古墳』がある。
この地区の宝を使って村おこしをしようと考えた。


7世紀初めの豪族の家族墓



古墳の中には何もなかったとか


この場には毎年神辺5地域の6年生が卒業を控えて郷土の歴史を学ぶために訪れる。
史跡看板はあるが殺風景なところ。
もちろん近くにはコンビニもスーパーもない。

彼らが考えたのはこの史跡を綺麗にしたら人が来るだろう。
何とか良い方法はないか質問してきた。
まさか堂々川のホタルがここまで飛んできてお手伝いはできない。

コンサルを近々やめるつもりでいたがそこは人の良いホタル爺。
この場を定期的にツアーで見学にくる団体等を探した。
神辺町観光協会、神辺ライオンズクラブ後は思いだしたようにパラパラの人のようだ。
まずイメージアップをする為には


道路から古墳に通じる市道

入り口から50mほど


ここの道脇に秋の7草等の花を植えよう。
地主さんの了解をとる。40歳台の頭の良い農業を考えている人。


シイタケ栽培
最近ここへ猿が出て困るとか

他にも計画が沢山ある山


畑を開墾して薬草を植えるらしい



年に1回はこのような大量のお客様も来るようだ



人が沢山来るようになればイベントも考えられ、
上手くすればコンビニを作ろうと言う人が出るかもしれない。

子供たちに紙芝居や絵、人を呼ぶ作文を書けるかと聞いたら頑張ると元気の良い声。
引退前のコン猿が一生懸命考えたアイデア。
もう一つ、昔に戻り物語を作ることを薦めた。
もしかしたら、これら天に向かってつばを吐いたのと同じで
子でも孫でもない子達にホタル爺様考えてと云われ、うなりながら考えることになら・・!

備後の冬鳥

2014-01-08 19:58:30 | Weblog
去年の今頃は群れを作ったヒレンジャクが柿をはじめ赤い実を探して飛び回っていた。
それが今年はジョビ男、ジョビ姫さえ探すのが難しかった。
ジョビ男君は我が家に来て2週間ほど軒下で寝ていたがいつの間にか
おらん(いなくなる)ようになった。
正月過ぎてからひょっこり我が庭に帰り毎日遊んでいる。
以前の個体とは違うかもわからない。胸の毛が濃い黄色に変わっている。


久しぶりだ
こっちへけー(こちらへ来たら)

尾羽振り振り
行かんわー


山では鳥も少しは増えた


ピンぼけ
名前などはわからん(わからない)


逆さメジロも1匹なのにツウと鳴く



ホオジロが10羽弱の群れを作っていたが、あれよあれよのうちにすべて藪の中


遅れた1匹だけがふくれてポーズをとる


ヒヨドリはセンダンの実を食べるの?



ジョビ男君は木の実を咥えている。



これは鳥の巣?


誰も知らん(知らない)


わからん、シラン、いかんと言われても私たちは自然の保護も活動テーマにしている。
絶滅危惧種Ⅱ類のカスミサンショウウオはそろそろ準備をしておかないと
卵を産みに山の中腹の水たまりにやって来る。


ここはOK


埋もれ木や倒れている木を整理しておいた。



何でカスミサンショウウオと鳥が関係あるの!
ここでカスミをとり逃がすと探すのが大変だから産卵場所を整備した。
そのおかげで正月明けから整骨院通い。
これは春から縁木がありそう。

今年の冬

2014-01-06 20:38:13 | Weblog
お正月、比較的暖かい日が続いた福山市神辺


低い山だが備後富士と呼ぶ人がいる


カモやカイツブリが遊ぶ池がある





冬鳥が少ない中、数を稼いでくれる鳥だ

正月3日から遅れていた桃の剪定をはじめた
一昨年は20本を超えた木も昨年の40度超えの気温に負けて11本まで減った




剪定をしていたらカマキリの卵を見つけた








例年より数は半分以下の4個、しかもどの卵も2m以上の高さに産みつけてある
例年やっているカマキリの雪予想
発見した分母が少ないが100%高いところ
すでに皆様も感じておられるように今年は寒く雪のちらつく日もあった
カマキリの雪予想はどんぴたりの正解

桃の剪定が終わると今度はカイガラムシの防除
この薬、農薬かもわからないがマシン油で、私は農薬との認識はない
よって我が家の桃は無農薬と宣言している

我が家の桃に散布する前に堂々川の桜にカイガラムシが沢山発生して
枝が枯れているものもあるから桜を優先する
こんなところに堂々川を優先する事務局の姿勢がある
実は1月21日中国地方の砂防シンポジュウムが広島県民文化センターで開催され
そのプログラムの中にパネルディスカッションがある
堂々川が多くの皆様のおかげで有名になり、堂々川を代表してホタルがパネリストになっている
その上、我が席の隣が某NHK広島キャスターの勝丸さん
天気予報をよく見るが美人だ
そんなわけで堂々川が個人より優先されるのです
その桜


マシン油の散布準備完了


散布するつもりでスタンバイしたが近くでなくメジロが気になりそちらを優先



また鳥と遊ぶ
数年間で植えた桜が100本弱、その半分はカイガラムシがついている
3本をのぞくすべて個人の名前とコメント入りの記念樹
管理料は貰っていないが出来る内は協力する

毎日が正月休みだから時間を気にしない
しかし、今日も桃のマシン油散布は繰り延べになった