自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

梅雨末期の堂々川

2019-07-03 21:14:08 | Weblog
九州南部にお住いの方には謹んでお見舞い申し上げます。
当方も昨年の今頃6日には同じような雲が次々現れ大きな被害が出ているので
他人事とは思われません。想像以上に降りました。
避難は早めにしてください。
 昨年の豪雨で堂々川も川の景色が変わったところがいくつかある。
江戸時代の呼び名「百瀬川」が現れた渓谷。


日本有形文化財の5番砂留下方の岩盤
水の流れが速い瀬の部分が沢山現れた


雨が降っていない午後、そのまま自然を訪ねてみた。
秋の花桔梗が咲いている。



コオニヤンマも飛んでいる。


オニヤンマとの比較では複眼の間が広い


名前はわからない蛾、多分シャク蛾の仲間


10㎜程の小さな姿


ツマグロヒョウモンも結構たくさん飛んでいる。



私が眼の敵としている外来の害草オオキンケイギク
彼岸花の球根の増殖を邪魔する。
もう一つ害草タンポポモドキも増えている。


小さな虫


この虫も花が嫌いであるから名前などムシ無視。虫。

ところで1673年の昔、旧暦5月中頃

江戸期の初めに作られた最上流の大原の池について

現名前は大原池、時々話題としてブログに載る鵜
今日は彼、やけに頑張っている。婚姻色表示の羽をもってポーズ


潜った後に羽を乾かす姿 


この池が決壊して、下方の下御領村の国分寺地区の
63名の方が土石流で亡くなった。

その後地元民や福山藩は土砂留を作り始めた。
私的には日本最古の砂留堂々川1番砂留


案内には「堰堤両岸は土盛してあり、すでに土はない」とある

先日、この周辺の草刈りをしてよく分かるようにした


この川、雨が降れば土砂が流れ下流の住民は砂の流れを止めるために作った。
要するに砂を止める堰堤。この砂留が機能して今では下流でコメや麦が
作られる。昔は〇〇のコメはまずくて食えないと悪評があった村である。


そこでこんな立派な小麦が出来ていた、砂留のおかげ。


実は今日は別のテーマを考えていた。


ウサギ 御野小の児童飼育係の担当がカギを開けて
撮影を許可してくれた

堂々川にはガマの花が咲いていた


ここへ作者が大国主命になった気分で通りかかる物語を考えていた。
しかし、恐れ多くもかしこくもこれは役者が違うことに気づいて止めた。