![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ee/f151d076002e0ec98b97817f86ca31f3.jpg)
雨が上がって優しい風が吹く。
頬を触った風は露の残る花へ向っている。
もう春です。
一寸出かけてみませんか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/de/0fa28579231557e032d54370b2e49f44.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/2a/ae69794a7d803fe58d8baa780c0311d9.jpg)
備後の国は弥生時代の終わりには姲娜の国と呼ばれていたようだ。
7世紀の後半に吉備の国が3つに分割されて備の後に前、中、後が付いて備前、備中(岡山県)備後(広島県)と別れていると文献には有るが日本書紀には姲娜も備後もどちらも屯倉を置いたと記載されている。もう少し調べないと嘘をつくことになるので確定ではなく?とします。
それは別にして
備後と備中の境界の印から見ていただく。
最近作られたものだが大正8年の文字が覗く。
約90年も前に高屋村も御野村もそれぞれ合併して現在の平成の大合併のように大きくなったのだろうか、今の私にとっては春の月のようにおぼろの世界である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/b4/368ce6d659527b215e246bf181eea545.jpg)
この境界から岡山市の中心まで約60キロ、広島市の中心まで約120キロとも書いてある。(下の写真は近郊の駅までの距離、記入は当時の長さの里である)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0a/22df35c63adccadcd55a1c75ae5620fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/a15f49ca31d9bf47023725ba5150d3ee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/9d/b43a72be21e1277da77472a041884616.jpg)
ここからは神辺平野の歴史と観光の標を記して行く。
自然流神辺100景の紹介となる。
今日は近世山陽道や高屋川の常夜灯を県境から紹介していく。
川の神様がお祭りしてありこの2つはどうも四国の金比羅様との関わりあいが見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/83ffc88d0d97992f7087caa83f90dcca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/de/6053ec9594db21e0d3fe2ab80a187b07.jpg)
これから次回にわたり近世山陽道の常夜灯を紹介する。
上御領八幡神社の前にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3e/09d2fc6eb842e8cecaab23683b250fb2.jpg)
今日の話じょうでしたか。夜の明りも悪くない季節になりました。
以下次回へ
頬を触った風は露の残る花へ向っている。
もう春です。
一寸出かけてみませんか。
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備後の国は弥生時代の終わりには姲娜の国と呼ばれていたようだ。
7世紀の後半に吉備の国が3つに分割されて備の後に前、中、後が付いて備前、備中(岡山県)備後(広島県)と別れていると文献には有るが日本書紀には姲娜も備後もどちらも屯倉を置いたと記載されている。もう少し調べないと嘘をつくことになるので確定ではなく?とします。
それは別にして
備後と備中の境界の印から見ていただく。
最近作られたものだが大正8年の文字が覗く。
約90年も前に高屋村も御野村もそれぞれ合併して現在の平成の大合併のように大きくなったのだろうか、今の私にとっては春の月のようにおぼろの世界である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/b4/368ce6d659527b215e246bf181eea545.jpg)
この境界から岡山市の中心まで約60キロ、広島市の中心まで約120キロとも書いてある。(下の写真は近郊の駅までの距離、記入は当時の長さの里である)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0a/22df35c63adccadcd55a1c75ae5620fc.jpg)
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ここからは神辺平野の歴史と観光の標を記して行く。
自然流神辺100景の紹介となる。
今日は近世山陽道や高屋川の常夜灯を県境から紹介していく。
川の神様がお祭りしてありこの2つはどうも四国の金比羅様との関わりあいが見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1b/83ffc88d0d97992f7087caa83f90dcca.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/de/6053ec9594db21e0d3fe2ab80a187b07.jpg)
これから次回にわたり近世山陽道の常夜灯を紹介する。
上御領八幡神社の前にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3e/09d2fc6eb842e8cecaab23683b250fb2.jpg)
今日の話じょうでしたか。夜の明りも悪くない季節になりました。
以下次回へ
心地よく滑り出した冒頭文がすべるように歴史の世界に誘った。
古の世界・常夜灯。
常夜塔が、街道の脇に全て並んでいる。これは常夜灯の役目からすればきわめて常識的なこと。街道の道案内だから。
目を転じて我が住みどころ東京はどうだろう。
きわめて辺鄙な所、隅のほうに押しやられている。街道に面している所はそんなにない。道路の拡張、変更で寺とか、公園に移設されて昔の面影がない。
改めてローカル色豊かな、常夜灯を見せてもらいました。進みいく街並みも塔にマッチして、とても風情があり深く見入りました。
・
それを手がかりに歴史を振り返れるのがいいですね。
姲娜はなんと読むのですか。
高松に住んでいるとき、香川県の何処かで金比羅さんまで○○里という同じようなものを見かけた記憶があります。
ちょっと出かけてみたい今日この頃です。。。
わが地では見たことがありません。
昔の街灯なんでしょうか。
道標は、昭和のはじめにこの地方に
400基も私財で建てられたものが、
残っています。
昔をしのぶ、道の印、
カーナビなんてなかった時代、
大切にされてたんだろうと想像できます。
吉備が昔、姲娜の国と呼ばれていた?
面白そうですね。
日本書紀に出てくる阿娜(あな)は分かりますが、場所は特定できているのでしょうか?
次報を楽しみに待っています。
自然を尋ねる人さんと一緒に神辺平野、散歩させていただきました。!(^^)!
黄色いお花は何でしょうか?蠟梅、サンシュユ?
うちのサンシュのつぼみが膨らんできました。
また、あすからの風景楽しみです。(^-^)
今まで、常夜灯には、関心をもったことがありませんでした。
拝見し、ちょっと、面白そうに感じました。
歴史的な風情を感じました。
たまには、いいですね。
こういうもの。。
雪の中の牛もいいもんです
も~すぐ 春です
まだまだロウバイ咲いているんですね~
かわいいY(=▽=)Y~☆
常夜灯ですが、私もミニミニの小さいものでよいから欲しくなってしまいました。