「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「百萬遍知恩寺」(ひゃくまんべんちおんじ)

2006年08月01日 21時18分17秒 | 古都逍遥「京都篇」
 知恩寺は、承安5年3月、法然上人43歳のころ浄土の宗門を開き、叡山を折下り、西山の広谷を経て東山吉水あたりに移した後、加茂宮司の懇請により加茂の河原屋に移住し法を説いた。法然上人の常侍であった第二世源智上人(平重盛の孫)は、平家滅亡後法然上人の弟子となり、上人滅後その遺徳を守り大師の御影堂を建立したのが始まり。
 当寺を世に知らしめたのが、元弘元年(1331)8月、第八世善阿上人の時、疫病が大流行したことに始まる。後醍醐天皇の勅命により御所の紫宸殿に7日間籠もって念仏を百万遍唱えたところ疫病は治まった。その功徳により「百万遍」の寺号を下賜され、本来は「長徳山功徳院」だが、「大本山勅旨百万遍知恩寺」と号するようになり、百万遍はこの地の地名ともなった。

 知恩寺は賀茂社の神宮寺としての起源を持ち、そのような由来もあって浄土宗としては珍しく境内に賀茂明神の分社が鎮座している。その後、相国寺の北側に在って丈六の釈迦像を安置していたところから今出川釈迦堂、賀茂の釈迦堂といわれていた。
 百万遍で知られることのひとつに「大念珠繰り」がある。
本堂(御影堂)を一巡りする全長110m、重量320kg、珠の数1080個という世界最大級の念珠(数珠)を、参詣者が一同に持ち、念仏を唱えながら繰る(回す)というもので、連珠の中の太玉が自分の手に回ったとき、願いを唱えるというもの。だがさすがにこの特大念珠は多人数が集まらないと繰れないので、数10人でも繰ることができる小振りの念珠もある。
本尊、寺宝などは幾度もその難を逃れて今に伝えられおり、絹本着色蝦蟆鉄拐図、絹本着色善導大師像の重要文化財を含めて貴重な文化財を残しているが、いわゆる観光寺院ではないため特別公開などの場合を除いては、目に触れることができない。

 毎月15日に行われる「手作り市」は有名である。普通のフリーマーケットと違って、参加者が自分で作った物に、自分で値段を付けて売るというマーケットで、手作り以外の物品の販売は原則禁止されている。

 この寺には私自身にも思い出があり、21世紀を迎える20世紀最後を飾る大晦日のカウントダウンで、午前零時を合図に「和太鼓」を太鼓連盟の同士たちと一斉に打ち鳴らし、東山三十六峰に轟かせた。演奏が終ると除夜の鐘を衝かせてもらい、雲水さんたちが作った年越しの蕎麦を振舞ってもらった。

 所在地:京都市左京区田中門前町103。 
 交通:JR京都駅より市バス206系統北大路バスターミナル行、百万遍下車すぐ。
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