南禅寺三門の南西に南禅寺塔頭の1つである金地院がある。もとは南禅寺第68世大業徳基が将軍足利義持の帰依をうけて応永年間(1394~1428)に洛北の鷹ヶ峰に創
建したもので、以心崇伝(すうでん)が第三世となり、慶長10年(1605)年頃現在地に移し再建した。
崇伝は徳川家康の知恵袋として幕政に参画、寺領1900石、10万石の大名の待遇を与えられ、絶大な勢力を誇った。
本堂(国重文・桃山時代)は慶長16年(1611)、崇伝長老が伏見桃山城の一部を徳川家光から下賜りされ移築したもので、入母屋造柿葺、本堂裏の茶室八窓席(国重文・江戸時代)は三畳台目、小掘遠州の作といわれる庭園(鶴亀の庭)で名高い。
崇伝が遠州に作庭を依頼したのが寛永3年(1626)、次いで寛永5年、寺内に東照宮(国重文・江戸)も造営。京都隋一の権現造りで家康の遺髪と念持仏とを祀り、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆、歌は青蓮院宮尊純法親王の御筆跡という。仏間には御本尊地蔵菩薩(快慶作)を奉安している。正面に「布金道場」と大書した額は山岡鉄太郎(鉄舟居士)の筆で、襖絵は狩野探幽及び狩野尚信の筆。仏間の「仙人遊楽の図」及び対面の間の「松・梅・の図」は閑寂典雅で江戸初期における襖絵の代表作として知られている。
作庭にあたり諸大名からは蜂須賀家飛石、紀州徳川家海石、岡山の池田家橋石などが寄進されという。現在の庭は覆っていた土を除去して掘り出したもので、創建当初の姿かどうかは論議を呼んでいる。平庭一面に玉砂利を敷いて磯浜の景を表現し、鶴島、亀島(特別名勝)を配し、背後の築山斜面に三尊石組や石灯籠をおき、桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水。八窓席茶室の襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」や「老松」は必見の余地がある。
宝物には伝徴宗筆絹本著色秋景冬景山水図二幅(南宋、天山の鑑蔵印)と絹本墨画渓陰小築図(室町)がある(ともに国宝)。前者は久遠寺の夏景と失われた春景とで四季図をなすと考えられ、中国の絵画史上でも名品とされている。ともに山中の高士を描き、秋景は樹下に胡座して鶴を聞く高士、冬景は滝の音を破って響く野猿を開く高士の図である。後者は明兆筆と伝え、僧子璞が渓山の住処に書斎を新築して友人と会する図である。また、武家諸法度草稿(国重文・江戸)も所蔵する。
明智門(唐門)は、天正10年(1582)、明智光秀が母の菩提のために、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものを、明治初年(1868)に移築した。
開山堂は崇伝の塔所で、後水尾天皇の勅額を掲げ、左右両側に16羅漢像が安置してある。
所在地:京都市左京区南禅寺町福地町86-12。
交通:地下鉄東西線「蹴上」駅下車徒歩5分。
建したもので、以心崇伝(すうでん)が第三世となり、慶長10年(1605)年頃現在地に移し再建した。
崇伝は徳川家康の知恵袋として幕政に参画、寺領1900石、10万石の大名の待遇を与えられ、絶大な勢力を誇った。
本堂(国重文・桃山時代)は慶長16年(1611)、崇伝長老が伏見桃山城の一部を徳川家光から下賜りされ移築したもので、入母屋造柿葺、本堂裏の茶室八窓席(国重文・江戸時代)は三畳台目、小掘遠州の作といわれる庭園(鶴亀の庭)で名高い。
崇伝が遠州に作庭を依頼したのが寛永3年(1626)、次いで寛永5年、寺内に東照宮(国重文・江戸)も造営。京都隋一の権現造りで家康の遺髪と念持仏とを祀り、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆、歌は青蓮院宮尊純法親王の御筆跡という。仏間には御本尊地蔵菩薩(快慶作)を奉安している。正面に「布金道場」と大書した額は山岡鉄太郎(鉄舟居士)の筆で、襖絵は狩野探幽及び狩野尚信の筆。仏間の「仙人遊楽の図」及び対面の間の「松・梅・の図」は閑寂典雅で江戸初期における襖絵の代表作として知られている。
作庭にあたり諸大名からは蜂須賀家飛石、紀州徳川家海石、岡山の池田家橋石などが寄進されという。現在の庭は覆っていた土を除去して掘り出したもので、創建当初の姿かどうかは論議を呼んでいる。平庭一面に玉砂利を敷いて磯浜の景を表現し、鶴島、亀島(特別名勝)を配し、背後の築山斜面に三尊石組や石灯籠をおき、桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水。八窓席茶室の襖絵長谷川等伯筆「猿猴捉月図」や「老松」は必見の余地がある。
宝物には伝徴宗筆絹本著色秋景冬景山水図二幅(南宋、天山の鑑蔵印)と絹本墨画渓陰小築図(室町)がある(ともに国宝)。前者は久遠寺の夏景と失われた春景とで四季図をなすと考えられ、中国の絵画史上でも名品とされている。ともに山中の高士を描き、秋景は樹下に胡座して鶴を聞く高士、冬景は滝の音を破って響く野猿を開く高士の図である。後者は明兆筆と伝え、僧子璞が渓山の住処に書斎を新築して友人と会する図である。また、武家諸法度草稿(国重文・江戸)も所蔵する。
明智門(唐門)は、天正10年(1582)、明智光秀が母の菩提のために、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したものを、明治初年(1868)に移築した。
開山堂は崇伝の塔所で、後水尾天皇の勅額を掲げ、左右両側に16羅漢像が安置してある。
所在地:京都市左京区南禅寺町福地町86-12。
交通:地下鉄東西線「蹴上」駅下車徒歩5分。