「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「南禅院」(なんぜんいん)

2006年08月30日 07時25分21秒 | 古都逍遥「京都篇」
 世界的にも名刹として知られる南禅寺の奥に足を進め、疎水をくぐり短い階段を上がったところに南禅寺の発祥の地である「南禅院」が佇む。
 鎌倉時代の中頃、文永元年(1264)亀山天皇はこの地に風光明媚を賞されて離宮禅林寺殿を営んだ。その後、天皇は深く禅宗に帰依して、正応2年(1289)、離宮で出家して法皇となり、正応4年(1291)離宮を寄附して禅寺とし大明国師を招いて開山したもので、亀山天皇離宮の遺跡となっている。

 諸堂は、明徳4(1393)年の火災で焼失し、北山御所の寝殿を賜って再興されたが、再び応仁の乱で鳥有に帰した。現存の建物は元禄16年(1703)5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によって再興され、総桧の入母屋造こけら葦である。内陣中央には亀山法皇木像(重要文化財)が安置され、襖絵は狩野養朴とその子如川随川の筆になる水墨画である。庭園の東南隅には亀山法皇の遺言により、分骨を埋葬した御陵がある。

 庭園は離宮当時の面影を残し、鎌倉時代末の代表的池泉廻遊式庭園で、周囲を深い樹木で包まれた幽邃閑寂の趣は格別である。作庭は夢窓国師といわれ、早くから天龍寺庭園、苔寺庭園とともに京都の3名勝史蹟庭園の1つに指定されている。向かって左の奥に滝口の石組は組まれ、これに続く上池は曹源池と呼ばれ竜の形につくられ中央に蓬莱島があり、池には心字島が設けられている。
記録によれば、築庭当初には、吉野の桜、難波の葦、竜田の楓などが移植され、井出の蛙も放たれたと記されており心静に鑑賞する庭園である。
 亀山天皇が禅に帰依し、離宮を禅寺として寄付したのは、都に疫病が流行、諸坊に命じ護摩を焚いて祓おうとしたが治まらず、高名な大明国師を迎え鎮めるように命じたところ、禅師はただ静かに坐念しているだけであった。しかし、不思議なことに怪異鎮まったという伝説がある。
 1昨年、300年ぶりに修復されて公開された瑠璃燈が見ものであった。深い眠りから解き放たれた「瑠璃燈」は南禅寺発祥の地といわれる南禅院の御霊(みたま)屋に安置されてある亀山法皇坐像前の天蓋(てんがい)として取り付けられたもので、(財)美術院国宝修理所で修復した結果、総数15万個のビーズを銅線でつないだ直径約1㍍の八角形の「縷縷燈」で、まるで孔雀が羽を広げたかのように美しい。
 六角宮殿形の釣燈籠は、上面三方に散蓮弁形の煙出孔を透かし、頂に金銅二重菊座切子頭の釣金具を装着してある。火袋は長押を巡らして各間とも上下三区に分け、上区は横、中区は縦に銅線を使って碧色の瑠璃玉を連綴し、各々横連子、簾障子風につくり、中区のうち2つを観音開き扉として、金銅素文の蝶番を付けている。

 所在地:京都府京都市左京区南禅寺。
 交通:地下鉄東西線「蹴上」駅下車、徒歩7分、市バス「南禅寺・永観堂道」下車、徒歩10分

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