金子稚子さんは清水市生まれ 浜松大学卒業後は雑誌編集者 広告デレクター
夫は病気を隠し死の寸前まで仕事をして3年前に亡くなった経済ジャーナリスト金子哲雄さん
その金子哲雄が亡くなるまでの闘病生活を支え 死後は
『僕の死に方――エンディングダイアリー500日』を手掛けた
その時の体験や夫からのメッセージで 死とはなにかを問い詰めた
死は 大きな流れのなかのひとつの通過点に過ぎない
その人の人生の何もかもが終わってしまうのではなく その流れは続いていく
人には死の先をイメージする時間がある
自分が生きてきた証を残そうとするのではなく
自分の死後を始末しようというのでもない
「引き継ぎ」は 自分の想いだけでなく相手がどう生きてほしいかを伝える
相手の死の準備も尊重すること
大切な人が死ぬと知った時 多くの人が冷静ではいられなくなる
そのギリギリのところに来た時に 命は誰のものなのかと問うという
臨終に立ち会えなくてもかまわない「ありがとう」などの言葉などは
意識のあるうちに言っておくべきだ
見舞いなどで「頑張れ」という言葉は あなたと私は違うと縁を切ってしまうことだ
大切な人との間に決定的な線を引いてしまうことになる
稚子さんは死後に哲雄さんと逢う場所を決めてあるそうだ
「死ぬことと生きることは同じ」がこの日の演題だった
死の話は縁起でもないと避けてしまうが しっかりむきあうことも必要だ
金子稚子氏 名前を「まさこ」と読んでしまったが「わかこ」が正しい
市長も挨拶で何度も「まさこさん」といっていたが
関係者がなぜ教えてやらないのかと思った