ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

ダニー石尾

2008-05-16 09:03:29 | 人間観察

フォーセインツの
ダニー石尾さんに会った
会ったと言っても講演があったのだ

フォーセインツは「小さな日記」で
フォークソング全盛期に有名になった

私はフォーセインツも
ダニーさんも覚えていないが
「小さな日記」は知っている

40年も前の歌だが 曲を聞けば思い出すのは脳の中の入力場所が違うのだろう

ダニーさんは日系3世で英語の環境で育った
そのために3歳の頃からテネシーワルツなどを歌っていたという
英語は堪能でCSで野球中継の英語実況放送などもした 
現在鹿島アントラーズのスタジアムDJも英語交じりでやっている
 
お会いしたダニーさんは腰が低く 愛想のいい人だった
この日はギター持参で歌まで聞かせてもらった 

甘く優しい歌声「小さな日記」は涙を流して聞き入る人もいた
歌は自分が若かりし頃の当時の背景を思い出させてくれるのだろう
ダニーさんは1月生まれの今年還暦だが 野球少年だった頃の夕焼けの色など
過去のことが総天然色で思い出すといっていた

「小さな日記」の歌は山で死んだ人を唄った歌だから 
日記が小さくはないと 馬鹿なことを聞いて 私は反感を買った
写真の帽子がダニーさん手前はシンガー高森有紀さん


バードコール

2008-05-15 23:59:53 | 商品

バードコールを首にかけた女性 
これを作った作者だ

枯れ木に穴を明け金具を取り付けてある
外国のものをヒントに作ったそうだ

金具を回すと 摩擦で音がする
これが鳥の声の波長に合うらしい

疑い深い私は 早速試した 

鳥が好んでやってくるのか威嚇にやってくるのか ウグイスなどの鳥が近くで鳴き出した 
効果があるかも知れない 

でもまだ疑っている 前から鳴いていたのを気づかなかっただけで 
これを回すことによって自分が聞く耳を持っただけなのではないかと
 
一つずつ手作りだから味はある 野山を散歩する時に試してみるのも面白い 
「お茶ぼっこ」で販売しているが やがて取扱店が増えることを制作者は希望している
あそう値段ですか↓

1個千円でした 買う立場だと安いほうがいいのですが
売り手が決めるとこういう値段になるのでしょう
大量生産の格安商品慣れしている私はまだ買ってません

フォーセインツ

2008-05-14 17:48:02 | フォト日記

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昨日まで思い出しながら書いていたのでタイムリーなことがかけなかった
それだからではないが きょうは明日の予定を書く

ダニー石尾さんと明日会う と言ってもよくわからない
フォーセインツというグループに所属している といってもわからない

「小さな日記」を唄ったグループだと言われて歌は思い出すが 
グループ名もシンガーもわからない 40年前のこと 忘れている

歌はすごい 歌詞はおぼろだが曲は聞くと確かにおぼえておる
「希望」と言う歌も知っている ダニー石尾さんも還暦ぐらいになるのだろう 楽しみだ


鹿児島 博多 小倉

2008-05-13 18:18:18 | お店

知覧の旅も余禄が増え それを長々公開してきた 
昨日で終わるつもりだったが まだ書いている 
もうすこしで半月になる大相撲と同じだ でもこれで千秋楽にする
http://yamamizu.exblog.jp/

目的は知覧に行きそこに吹く風を感じるだけでよかった
後はまったく予定になかった現地で調達したものばかりだった

リレーツバメの車内に備え付けの冊子で吹上浜の砂の祭典を知り 
終点の鹿児島中央駅に着いたのが16時頃 駅で定期観光ツァーを知る

放浪記も駅の観光案内で知った その日に駅前のホテルでチェックインをしてから
フロントで教えてもらった居酒屋に行く さつま揚げ きびなごの刺身 ラッキョウの天ぷら
黒豚地鳥の串焼 など地元のものも食べれた
 
九州といえば焼酎だがこれはどうしても飲めないが
これも博多のラーメンと一緒で うまいものを知らないだけかも知れない
 
知らない土地を歩くのは楽しい 知らないものを見て感動し 人の親切に感激する
しかし何よりも旅の楽しみは帰る家があることだ(誰かのせりふで聞いたことがあるがマアいいか)
きびなごの刺身酢味噌で喰った


知覧の空

2008-05-12 18:22:58 | 鑑賞




青い空 白い雲 まばゆいばかりの木樹の緑 知覧にやってきた 
60数年前もこれと同じ知覧の空を見て特攻隊は飛び立ったのだろうか
自分が犠牲になることで 家族を守る 国を守る 
今こうして平和に暮らしていけるのも この人たちがいたからだと思わずには居られない

知覧特攻平和会館に着いたのは開館時間1時間前だった 周りを歩いた
平和な日本に住み 不満を口にすることのおろかささえ感じてしまう

開館時は人もまばらでじっくり見れた イヤホンガイドを聞きながら館内を観て回った
壁に掲げた戦死した特攻隊員の顔写真 まだあどけなさが残る若い少年達だ 
ケースの中には家族にあてた手紙 文を読み泣けてきた 
今まで育ててくれてたお母さんありがとうとと綴っている

館内は高校生の団体が3組ぐらい入ってきた一般人も大勢居る
語り部が高校生を集めて説明を始めた 後ろでそれを聞いた 
高校生達は身動きもせず語り部の話に聞き入っている 同じ年代の若者だ共感するのだろう

ガラスケースの写真を見ていると 後ろから「そこに写っているのが私です」と言う声がした
振り向くと優しい顔をしたおじいさんが立っていた 特攻隊員だったという
ちょうど明日5月3日は年に1度の特攻隊員の慰霊祭があるそのためにここへ来たと話してくれた

館内は撮影禁止のために外に出て写真を撮らせてもらった
聞くと娘さんが私の隣町に嫁いでいると言う
またこの人が資料や写真を提供してこの会館は出来たらしい 
映画 「ホタル」や「君のためにこそ死ににいく」の脚本はこの人が目を通した

また今月末には静岡のパルシェで講演をやると言う 講演があるのは知っていたが
まさかここで会うとは驚いた 板津忠正初代館長だった

慰霊祭に元特攻隊員でも参加しない人もいる 生きていることを申し訳なく思っているそうだ
板津さんは「ひとりひとりが自分を見つめなおす」ためにこの会館を作った
決して特攻を宣伝するためではないと話した ノート裏に「鎮魂平和」と書いてもらった
下の写真 特攻の母と言われた鳥濱トメさんの横で目をつぶっているのが板津さん
結局ここに5時間くらい滞在したがまだ帰りたい心境ではなかった
静岡県相良町幡豆の鈴木泰治さんが母ミツさんに宛たウナ電も展示してあったので紹介する
「ハハヨリサキニユクスマヌ タイジ」     ・・・・・・きのうへ続く・・・・・・





 

 

知覧特攻平和館売店で買った本より抜粋
岩手県佐藤新平さんの日記

お母さん江
 思えば幼い頃から随分と心配ばかりおかけしましたね。腕白をしたり、又何時も不平ばっかし言ったり。
 眼を閉じると子供のころのことが、不思議な位ありありと頭に浮かんで参ります。
 悪いことなどすると神様に謝らせたり、又幼い頃「今日のよき日をお守りください」「今日のよき日を有難うございました」と毎日拝神のことをやかましく言われたお母さんでございました。
 今日になり本当にあの頃からのお母さんの教育がどんなにか新平の為になった事でしょう。病気で心配をかけたり、又苦学の時も随分と心配をおかけしたり。
 苦学と言えば、家を出発する時、台所でお母さんが涙を流されたのが、東京にいる間中頭に焼きついて、あの頃どんなにかえりたかった事かしれませんでした。
 お母さんの本当の有難味が解ったのは東京へ出てからでした。あれから余り家にいる事もなく、ゆっくりお母さんに親孝行をする機会のなかった事だけ残念です
 軍隊に入ってお母さんにお会いしたのは三度ですね。一度は去年の休暇、二度目は去年の暮れ近く館林まで来ていただいた時、あの時は新平嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。
 態々長い旅をリュクサックを背負って会いに来てくださったお母さんを見、何か言うと涙が出そうで、遂、わざわざ来なくても良かったのに等口では反対のことを言って了ったりして申し訳ありませんでした。
 あの時のお母さんと東京を歩いた思い出は、極楽へ行ってからも、楽しいなつかしい思い出となる事でしょう。
 あの大きな鳥居のあった靖国神社へ今度新平が奉られるのですよ・・・・・。手をつないでお参りしましたね。今度休暇でかえった時も、お母さんは飛んで迎えに出てくださいましたね。
 去年のときもそうでした。


岐阜県大橋治男さん 遺書
 母上様
 お達者でお暮らしの御事と存じ上げます。
 二十八年間は夢のようでした。この二十八年間の母上様の御苦心、御辛抱、肝に銘じて居ります。されば今日の日を勇んで征きます。
 綾子の事に付いては父上様と共に大変お世話になり、今日まで無事に人並みに立って来ました。これも皆父上様、母上様の御力の賜と深く厚く御礼申し上げます。
 綾子の事に関しては母上様今後とも一層御面倒を見てやって下さい。あれも正式なる式も揚げ得ず、常に二人で一度でよいから帰郷したいと申しておりましたが、それは出来ませんでした。
 それ故隣り近所の方々とは未だ親しくして居らず、突然一人ボッチリでは随分苦労すると思います。
 女は女と、綾子のことは母上様くれぐれもよろしくお頼み申し上げ、最後に母上様のご健康をお祈りいたして失礼します  
昭和二十年三月二十一日 
                         治男
御母上様