信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

古坂と平ダム上空からの風景

2022年02月13日 | 生坂村の風景

 13日(日)は朝から雲が優勢の空で、気温があまり上がらず、夕方からは雪が降り出す寒い一日でした。

▽ 毎朝恒例の撮影は、古坂の犀川対岸に行き、上空から古坂や平ダムなどの風景を撮影しました。

古坂上空からの風景

 生坂村誌によると、古坂の地名は古い峠からおきていて、山清路が通れなかった明治10年代までは、本村から寺沢を登り、峠を越えて柳久保に出たとのことです。

 古坂区の戸数は、寛政元年(1789年)30軒、明治の末頃から昭和14~5年ごろまでは48戸を数えました。その後は過疎化が進み、現在は13戸になっています。

 古坂区の集落は生坂村の最北部に位置し、犀川の西斜面一帯に散在している。昭和58年の台風10号災害で上の平地区の上部より発生した大地すべりは、地区内の道路を破壊し、住居の全壊1戸、半壊3戸、危険避難1戸という地区の過疎化に追い打ちをかけるかのような大災害となりました。

 同地区の被害家庭を含む移転希望家庭の7戸は、生坂村過疎地域振興事業にそった集団移住に踏み切り、移住先を下生野新田地区に求めました。

 村では昭和59年度事業で約5,000㎡の土地を取得し、上下水道完備の宅地造成をし、60年度には住宅建設をして同年10月に完成しました。

 平成30年6月26日には「生坂村古坂地区介護予防拠点施設」の竣工式を行いました。

 古坂区の介護予防拠点施設については、当村北部の村民が介護予防サービスや教室に参加できます介護予防拠点にするとともに、地域住民の交流施設として整備しましたので、古坂区の皆さんには地域の絆を大切に守り育てていただきたいと考えています。

 その他生坂村では、雲根地区環境モデル事業地元説明会などが行われました。

 私は毎日のSNSの発信を済ませた後、小舟柿組合の皆さんから農地中間管理機構を活用して借ります就農者が、農産物を栽培します就農計画の説明などの打合せ会を行い、その後は、休日恒例の孫の子守りや書類作成などを行いました。