伝統ある英国のTANNOY IIILZで聴く、音楽の父J.S.バッハ音楽を知る喜び・・・

音楽好きのIIILZ Monitor Goldユニットの箱を改良して楽しむダメオヤジ金ちゃんです。

何故か最近聴くは、弦楽器演奏が多い、バッハ以外の音楽を、今回は音楽の花開くウィーン古典派の曲を考察する。

2023年02月04日 | クラシック音楽・オーディオ


何となく最近冬の風物詩イルミネーションも終わりに近づく、今や節分でもあり暦上では立春だが、一番寒い大寒も終了となるが、夜のドライブと出かける。

印西市の人口11万人到達と千葉ニュータウン好調、想定上回るペースとの報道がある、日本一高額な公団鉄道の運賃も値下げし、その成果徐々に土地値も以前に戻りつつあるようです。
千葉NT駅の様子は昨年と変わらないが、この時期は実に華やかである。イルミを追いかけ子どもたちは元気に走り回っていた。千葉NT駅の南口から北口に続くストリートにイルミネーション飾り付けが続き綺麗である。印西市、いや千葉NTの風物詩となったのであろう。少しずつは例年より新しいテクノロージーが導入され人々の目に焼き付くのであろう。



最近の寒さは厳しく、もっぱら部屋を暖かくし音楽を楽しんでいる時が多い。聴くのは弦楽器の音楽が多い、弦楽器と言えばウィーン古典派(1770~1830年)と、主にヨーゼフ・ハイドン、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェンらに代表される、ヨーロッパのクラシック音楽の様式です。中でも天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトであろう、中でもハイドンの曲は些か違う方向性のため筆者は余り馴染みが薄い。

ルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの演奏は別途に記載しようと思ってます、筆者が感じる事はベートーヴェンは演奏者を違ったメンバーで聴きたい要求があるのです。



話を音楽に戻しましょう、今も残るウィーンのドームガッセ通り5番地にある、現在モーツァルトハウス・ヴィエナとなっている建物は、モーツァルトが人生の中で、最も幸せで最も実り多き日々を過ごした場所です。
ザルツブルクで過ごしていたモーツァルトは、ザルツブルクの大司教コロレドとの劇的な雇用契約解除を契機に、独立した音楽家、作曲家として帝都ウィーンでのキャリアを始めます。

ウィーンにおけるモーツァルトは、尊敬を集める立派な音楽家、作曲家であり、音楽の先生でもありました。また、この地こそモーツァルトが重要な歌劇「フィガロの結婚」や、数々の有名な交響曲、ピアノ、クラリネット、ホルン、ヴァイオリンのための協奏曲、弦楽四重奏曲、そして、最後の仕事となった未完の「レクイエム」を含む聖楽曲を作曲したところです。



また筆者の好きなベートーヴェンの弦楽四重奏曲は今評判のエベーヌ四重奏団を聴く確かに最新の録音の為か、音質は大変よく、フランスで1999年にブローニュ=ビヤンクール地方音楽院在学中の4人によって結成された弦楽四重奏団。

エベーヌとは黒檀を意味しており、弦楽器や、管楽器、民族楽器において、指板やフィッティングに使われている、クラシックのみならず広く音楽に関心を寄せる、という意味を込めてそう名乗っている。ベートーヴェンを演奏のエベーヌ四重奏団の事は別途に掲載したいと思っています。



往年の名機と言われるTANNOY IIILZのユニットを所有し愛聴していれば誰もが弦楽四重奏団の演奏は実に上手く響くユニットと聴けば納得出来る、特に最新の録音テクノロジーは大変優れその迫力に圧倒される。

今回筆者が前々から思っていたオーディオ愛好家としての本音を吐露します。勿論筆者所有のLS3/5A、SPENDOR SP3/1P等と比べて聴くが、軍配はGOODMANS AXIOM 80の箱に移植したIIILZ Monitor Goldの弦の音は断然タンノイが一番に思う、しかしLS3/5Aのスッキリ、クッキリの音も見逃せないのである、いずれにせよオーディオの音楽と演奏とは全く違うのである。
しかしそのあたりがオーディオ装置選びの融合点と妥協の産物にほかならない、特に弦楽四重奏曲を堪能したのなら、断然GOODMANS AXIOM 80の箱に移植したIIILZをお薦めします、オリジナルのIIILZも良いが、コンサート等での演奏でしか味わえない弦楽器独自の胴鳴りを肌で甘く感じ、コンサート会場の様な近い演奏を得ようとするならやはりAXIOM 80の箱との移植が必要なのであろう。
15吋のユニットでは決して得られない15吋のユニットでは若干ダブツキ気味に思える確かに体感しなければ理解できない音響装置の叡智であろう。いくら優れたブックシェルフスピーカーでも演奏会の雰囲気は限界で決して体感できない音楽なのであろう・・・?と思っている。



SPENDOR SP3/1Pについてはエッジを新しく交換したが、未だエージング不足であろうか、思った様な美音が鳴っていないようにも感ずる、調整不足ともおもえるので、業務用のデジタルパワーアンプで一度試して見ようかとも思っているが・・・?
SP3/1Pを使用のコメントは一般的には低域のふくよかさが一段と増し、実に柔らかい包まれるような音が出ている。それでいて余韻もしっかり再現してくれるから、聴き疲れすることなく気持ち良く聴いていられる。等と試聴コメントもあるのだが、比べる機種が良くなかった様にも思える。
SPENDOR SP3/1Pには専用のスタンド使用が有効であると言われるが検索するとオリジナルは相当高額ですサイドプレスArtistスタンドが良いとアナウンスされていた。如何になるのであろうか勿論機種による違いはあるように思う、色々思案するも楽しからずやの世界である。

同じ英国製の音もメーカーが異なれば違うことは必定、同じ英国製でもB&W等も違った音色聴かせる、何を選び何を聴くのが一番であろうかを今後も注意深く探って行きたいもの楽しみです。


散々苦労の末改良を重ね、やっと本来の音が鳴り出したLS3/5Aの音の特徴は「山椒は小粒でもぴりりと辛い」中身のギュと詰まったスッキリした小気味良さでもあろう、長時間聴くも疲れない音質の安定度である、筆者はジャズ系統にはLS3/5A使用が多い、勿論クラシックも良い塩梅である。

しかしウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との違いが解るのであろうか、それには明快な答えがあるそうです、(ウィーンフィルとベルリンフィルの違いを判別することは難しくありません。オーケストラの配列そのものが伝統的に違います。指揮者からオーケストラを眺め、打楽器のティンパニが左に聴こえるがウィーン。ベルリンのティンパニは中央に位置し、ベルリンの左ははホルンが聴こえます。
ウィーンのホルンはどこにいるかといえば、右手前です。
いちばん分かりやすいのがコントラバスとチェロで、ベルリンはチェロとコントラバスが協力して右奥に、ウィーンは後方に聞こえます。

それとオーデイオ的には、オーケストラは演奏をする前に「チューニング」をしますが、これは音合わせで、オーボエが吹くAの音、ドレミでいうと「ラ」の音にあわせて行います。
このAの音は周波数でいうと440Hz(ヘルツ)ですが、オーケストラによってこの周波数(ピッチ)が少しずつ異なっています。



筆者好みのウィーン弦楽四重奏団 The Vienna String Quartet
1973年からRCAと録音契約を結び、1974年の日本演奏旅行を皮切りに、海外への演奏活動を拡げる。ウィーン芸術週間はもとより、ザルツブルク音楽祭、ブレゲンツ音楽祭、ケルンテンの夏、イスラエル室内音楽祭等に出演し、レパートリーもウィーン古典派、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトを中心に、ドヴォルジャーク、スメタナ、ヤナーチェクといったスラヴ系の作曲家からウィーン近代派のツェムリンスキー、シェーンベルク、ウェーベルン、さらにショスタコーヴィチやオーストリアの作曲家ヘルムート・エーダーといった現代作品の初演に至るまで幅広い。
シューベルトの弦楽四重奏曲全集やモーツァルトの後期10大弦楽四重奏曲集、ベルリン・フィル(当時)のカール・ライスターを迎えてモーツァルト、ブラームス、ウェーバーといった作曲家のクラリネット五重奏曲を続けて録音し、国際的にも高い評価を受けている。
2015年に、チェロのフリッツ・ドレシャルが急逝したことに伴い、エディソン・パシュコをメンバーに迎えた。



●ウェルナー・ヒンクWerner Hink(第1ヴァイオリン)
1943年ウィーン生まれ。ウィーン・アカデミーでF.サモイル教授の教えを受け、最優秀にて卒業。64年より長きにわたりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者を務める。同年「ウィーン弦楽四重奏団」を結成、コンツェルトハウス四重奏団の活動を事実上引き継ぐ形で、ウィーンの楽友協会等のコンサートに出演する。ウィーン弦楽四重奏団は、73年よりRCA、その後カメラータ・トウキョウとともにレコーディング活動を始め、既に50枚近い録音を行い、特にシューベルトの『死と乙女』では82年度音楽之友社レコード・アカデミー賞を得た。その演奏の成果は、ヒンクのヴァイオリンソロに負うところが大きい。 74年より2008年までウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めた。ウィーン弦楽四重奏団および新ウィーン八重奏団の現リーダー。F. サモイル教授の後継として82年より2014年までウィーン・コンセルヴァトリウムの教授としてヴァイオリン科にて後進の指導にあたった。
1943年生まれ。ウィーン・アカデミー(現 ウィーン音楽・表現芸術大学)で、フランツ・サモイル教授の教えを受ける。1964年、ウィーン国立歌劇場の第1ヴァイオリン奏者、1967年、ウィーン・フィルの第1ヴァイオリン首席奏者、1974年にはコンサートマスターに抜擢され2008年まで同団に在席。ウィーン市立音楽院教授。

●フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)
1953年生まれ。ウィーン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者。リンツでアルツト教授につく。その後、ウィーン・アカデミー(現 ウィーン音楽大学)でフランツ・サモイル教授の教えを受ける。1969年、チェコスロヴァキア(現 スロヴァキア)で行われたコツィアン国際ヴァイオリン・コンクールで第1位入賞。1975年、ウィーン・フィルに入団。1978年、第2ヴァイオリン首席奏者。1982年、第1ヴァイオリン首席奏者となる。

●ハンス・ペーター・オクセンホファー(ヴィオラ)
1948年、グラーツ生まれ。ウィーン音楽大学でフランツ・サモイルに教授にヴァイオリンを、ジークフリート・フューリンガー教授にヴィオラを学ぶ。ウィーン・プロアルテ・カルテットのメンバーを経て1971年、ウィーン交響楽団にヴァイオリン奏者として入団、1975年からヴィオラに転向、1977年まで在籍。同年、ウィーン・フィルのヴィオラ奏者となる。オーケストラのほかにもウィーン弦楽五重奏団とウィーン・ヴィルトゥオーセンのメンバーとして活躍。教育者としても1983年以来ウィーン市立音楽院で、1993年からはウィーン国立音楽大学(現 ウィーン音楽・表現芸術大学)ヴィオラ科教授に就任、後進の指導にあたっている。1998年にクラウス・パイシュタイナーの後を継ぎウィーン弦楽四重奏団に入団した。

●エディソン・パシュコ(チェロ)
1973年、アルバニアのコルチャ生まれ。6歳よりチェロを始める。グラーツ音楽大学でフローリアン・キットに、ウィーン国立音楽大学でヴァレンティン・エルベンに師事し、最優秀の成績で卒業。リーツェン国際チェロ・コンクール(オーストリア)で入賞。

このウィーン弦楽四重奏団の演奏は穏やかさが筆者の好みでもあり、刺激的な音が少なく、それでいて兎に角クリヤーな音色も優れ、特にウェルナー・ヒンクのヴァイオリンは好みでもある。モーツアルトの「狩」は今までスメタナを愛重していましたが、ウェルナー・ヒンク魅力的な第1楽章のイントロではじまる第17番演奏者はいずれもウィーンフィルのメンバーで、実力は折り紙つきなのでしょうが、音楽素人の私にとってもこの演奏の厚みと深さ、満ち足りた心地よさが伝わってきました。そしてあらためてモーツァルトの楽曲の魅力に気づかされました。

(余談ではあるが、モーツアルトの演奏にはアマデウス弦楽四重奏団も見逃せない。1947年にロンドンで結成された。メンバー4人のうち3人がウィーン育ちで、カール・フレッシュ門下のロスタルに師事するためにロンドンに来ていた。48年にロンドンでデビュー、50年には初の海外公演をドイツで開いている。88年にヴィオラのシドロフが亡くなるまで、40年間同一メンバーで活動を行なった、他に例を見ないカルテットだ。名前のとおりモーツァルトを中心に、ロマン派にかけては高い評価を得ている、39年間という長きにわたり同一メンバーで活動を行った団体であった。)

この様に聴き出すと聴きたい演奏者が多くいる、今後も新しい分野の開発は楽しみでもある、今後どれだけの演奏者が現れるかは楽しみでもある。



カメラ-タ・ベスト:モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番「狩」K.458/第15番 K.421/第8番 K.168:ウィーン弦楽四重奏団
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

 [1] 弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458「狩」
 [2] 弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421
 [3] 弦楽四重奏曲 第8番 ヘ長調 K.168

ウィーン弦楽四重奏団
 ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)
 フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)[3]
 ヘルムート・プッフラー(第2ヴァイオリン)[1][2]
 クラウス・パイシュタイナー(ヴィオラ)
 ラインハルト・レップ(チェロ)

1975年9月[1][2],1979年9月[3]/テルデック・スタジオ(ウィーン)



以前良く聴いた、シューベルトがちょうど20歳を迎えた作曲家が、生来の抒情性をヴァイオリンという楽器にみごと吹き込んだソナタと、その抒情性をブリリアントな技巧と融合させた後期の2作品をシンパシー豊かに表現。音楽への深い理解を感じさせています。ヨハンナ・マルツィ & JEAN ANTONIETTIは愛聴版だが、イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)も聴くが今回はウィーン・フィルの名コンサートマスター、ウェルナー・ヒンクが最良のパートナー、ジャスミンカ・スタンチュールと共に録音したソロ・アルバム。彼が得意とし、こよなく愛するシューベルトの作品を、ウィーン人ならではの音色で聴かせます。



10吋のタンノイでの試聴はもしかすると美し過ぎるのかも知れないとい疑問さえ感じる様である、正しく作られた音とも云えよう。弦楽四重奏団では感じなかったがヴァイオリン・ソナタのピアノとの演奏が美し過ぎる感じがするのである、実に涼やかな聴こえる音がする。この病的とも言える音の魅力は一度体感すると深みに嵌る様である、当分タンノイのユニットから変われないであろう。特に弦楽器演奏には宜しい様である。
勿論最新機種のエンクロージャー、真空管アンプも販売しているが、貧困老人には全く手も足も出ない価格で最新の製品は桁が違って来ているのが現状である。これではオーディオ趣味は益々遠のくであろう。でもこの様な弦楽四重奏曲を聴けば弦の上手く鳴る最低の装置は欲しくなるのが音楽愛好家であろう?

スイングジャーナル社の販売する管球王国の季刊誌の発売がされたようであるが何故か購入には迷うが出ている、最新のオーディオ機器は今や購入し聴く物でなく、筆者のような貧困老人には冊子で写真を見るか、店頭の飾り物の姿を見るだけの様になってしまった。確かにこれらの内容を探れば部品を選ぶ事にも注意を払い揃える事にも相当な労力は掛かる事は理解できるのだが・・・。



先日友人が持ち込んだMarantz PM-84の整備も終わり試しに繋いで音出しの結果は、ジャズ系統は良いが、クラシックは真空管には敵わないと思った。

シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ/ウェルナー・ヒンク&ジャスミンカ・スタンチュール 
Schubert: Violin Sonata / Werner Hink & Jasminka Stancul
 01.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 D.574 作品162: I. Allegro moderato
 02.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 D.574 作品162: II. Scherzo, Presto
 03.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 D.574 作品162: III. Andantino
 04.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 D.574 作品162: IV. Allegro vivace
 05.華麗なるロンド ロ短調 D.895 作品70
 06.幻想曲 ハ長調 D.934 作品159: I. Andante molto
 07.幻想曲 ハ長調 D.934 作品159: II. Andantino
 08.幻想曲 ハ長調 D.934 作品159: III. Allegro vivace

ウェルナー・ヒンク(ヴァイオリン)
ジャスミンカ・スタンチュール(ピアノ)

1999年2月/ウィーン
ウィーン・フィルの名コンサートマスター、ウェルナー・ヒンク渾身のシューベルト

ヒンクはコンマスとしては、キュッヒルやヘッツエルほど有名ではないようですが、良い音色です。
このCDは、ハイドンの有名な曲が聴けます。有名曲だけに比較対象が多いですが、アンサンブルの厚みは一番良いと感じます。



ウィーンフィルのコンサートマスターであるヒンク率いるウィーン弦楽四重奏団のハイドンである。1950年代に一世を風靡したウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団の流れを引き継ぎ、所謂ウィーン風の室内楽を奏する四重奏団としては最後の世代にあたると思う。全員がウィーンフィル首席奏者であり演奏が素晴らしいことは言うまでもない。良く歌い音楽が自然で流れがあり極端な表現はなく互いに聴き合うことで緊密なアンサンブルを作る。ハイドンの弦楽四重奏曲に合った演奏スタイルである。この演奏に出会ったのは1980年代前半であり、30年近く聴き続けて飽きない素晴らしい名盤であり復活したのが喜ばしい。

カメラ-タ・ベスト:ハイドン:弦楽四重奏曲 OP.76-2 HOB.III-76「五度」/OP.64-5 HOB.III-63「ひばり」/OP.3-5 HOB.III-17「セレナード」:ウィーン弦楽四重奏団

フランツ・ヨゼフ・ハイドン:
 [1] 弦楽四重奏曲 ニ短調 作品76-2 Hob.III-76「五度」
 [2] 弦楽四重奏曲 ニ長調 作品64-5 Hob.III-63「ひばり」
 [3] 弦楽四重奏曲 ヘ長調 作品3-5 Hob.III-17「セレナード」

 演奏者:ウィーン弦楽四重奏団
  ウェルナー・ヒンク(第1ヴァイオリン)
  フーベルト・クロイザマー(第2ヴァイオリン)[2][3]
  ヘルムート・プッフラー(第2ヴァイオリン)[1]
  クラウス・パイシュタイナー(ヴィオラ)
  ラインハルト・レップ(チェロ)

■ 録音
1975年9月[1],1979年5月[2]/テルデック・スタジオ(ウィーン)
1978年5月/テルデック・スタジオ(ベルリン)[3]
ウィーン室内楽の情緒を今に伝えるウィーンSQがハイドンの確立した様式美をつややかな雰囲気で見事に再現

ウィーン弦楽四重奏団の1970年代後半の遺産。当時、彼らの演奏はLP(のちにCD)が発売されるたびに日本の批評家たちからは「ウィーンの伝統に寄り掛かっただけの微温的な演奏」などと低く評価されていた様です。しかし、ウィーンの伝統がすっかり希釈されてしまった現代、このような演奏を遺してくれていたことにただただ感謝あるのみだ。3曲とも、当時のVPOの主要メンバーならではの気品高く、時に甘美で洒脱な表現により酔える、作品の魅力が見事に引き出されている。
筆者が名曲と思うは、ハイドン:弦楽四重奏曲第67番「ひばり」です。
ハイドンは「弦楽四重奏の父」と呼ばれるほど弦楽四重奏曲を作曲しました。しかし、現代人には人気の少ない作曲家です。真っ先に聴きたくなる作曲家でないとは言えそうです。特に第1楽章で、ひばりの鳴き声のような音が聴こえることによって、「ひばり」と呼ばれるようになりました有名な曲でもあります。正に弦のユニゾンが実に美しく思える、後先かまわず筆者の思ったままを書き連ねて見たが長話になってしまい猛省する次第である。筆者が思うは弦楽四重奏での演奏は今後益々衰退する分野の音楽かもしれない、確かに需要も少なく新譜も少なくなっている事が言える。この様な曲には10吋のオールドタンノイの独壇場に感じます、正に大型三極管のコンビは実に様マッチングである様に感じる。
ウィーンの演奏家ならではの名演と思っています。ブラボー!

今回少し色っぽいお話ですが、最近は美人指揮者の優雅な指揮ぶりに心踊らされたかのお話ですが・・・・?

2022年10月23日 | クラシック音楽・オーディオ

めっきり秋らしい季節になり美味しい珈琲を淹れ適度な温度で頂く珈琲は実に旨く、日曜はのんびり何時も頂く珈琲を淹れる温度を80度を下回った温度調整をして淹れる、筆者的には此の75〜80度で淹れるコーヒーの味が好きでまろやかな香りに包まれマグカップに注いだ温度はちょうど飲み頃の至福のひと時となる、最近仕事は適度に続き、節々が若干痛み気味である。
モジャとの散歩より帰宅後少し熱めの風呂にジックリ入りその後モジャと一緒にシャンプーしスッキリする。



昨日久々に友人M氏と再会した、早速言われたのは最近は古い演奏者を多く聴いているね、の一言から始まった久々の音楽談義である、彼も仕事合間にFM等で音楽を流して聴くそうである、音楽好きである彼曰く、最近YouTubeを頻繁に見ているそうです、聞くと美人指揮者が振っている音楽をよく聴いているそうだ、名前を聞くとメキシコ出身で名前はアロンドラ・デ・ラ・パーラで知的で、上記写真の如く大変美人と絶賛する。美人と聴けば興味津々その様な情報ならば、翌日ネットで検索する。早速検索後写真を探すと、勿論均整も取れ美人であった。

続けて検索する。全く爺さんになっても美人は興味深々である。M氏曰く演奏者も美人の演奏者の優雅な指揮ぶりに演奏にも大変熱がないりエキサイティングな演奏が繰り広げられると笑っていた、確かに美人の前では男性は少しでも良い印象を持ってもらおうと皆さん身だしなみには気配りする様である、その様な気配が演奏にも影響するのであろうか、疑問ではある・・・・。
世界の女性指揮者ランキング【クラシック音楽界に革命を起こす女性たち】
女人禁制のクラシック音楽界。そんな考えが未だに指揮者の世界では横行しているのが現実です。しかし女性には本当に指揮者の才能がないのでしょうか。
確かにタカラジェンヌの男性役のような日本人のかっこよすぎる女性指揮者西本智実さんもノミネートされている。



音楽家の中で、指揮者は最も女性に向いていない仕事と言われてきましたが、世の中のそんな風潮を吹き飛ばすような女性たちの活躍が、世界中で目立つようになってきました。少数派ながら、メジャーオーケストラのポジションに就く女性が増えてきているのです。
ベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮する女性も出てきています。間違いなく今後、女性指揮者は増えてくるでしょう。そのパイオニアである世界的に称賛される一流の女性指揮者を取り上げようと思います。
と紹介していた、早速探すと第8位 アロンドラ・デ・ラ・パーラという指揮者を見つけた。



名前:アロンドラ・デ・ラ・パーラ(Alondra de la Parra)
誕生日:1980年10月31日
出身地:メキシコ
学歴:マンハッタン音楽学校卒
中央にモニターに指揮者が登場し、優雅に舞をする様に指揮し両方のスピーカーから音楽が流れまるでミニコンサートの様である。



早速画像を見ることにした、動画はボレロの演奏です、筆者も好きな音楽で昔からよく聴く音楽です。優雅な舞を見せながらの指揮ぶりは優雅な絵を見るようで、音楽も聴くものから観せる物になったように錯覚させる。
なんと言っても筆者をはじめ、確かに殿方はモデルの様な容姿端麗の美人には弱い様である。


早速経歴を調べると次の様に解説されています。アロンドラ・デ・ラ・パーラ(指揮)その魅惑的でぞくぞくさせるような演奏によって世界の注目を集め、同世代の中で最も聴いてみたい指揮者の一人になっている。彼女は、「ニューヨークで指揮した初のメキシコ女性」という栄誉を手にし、メキシコ観光省文化大使でもある。プラシド・ドミンゴは、彼女を「驚異の指揮者」と絶賛した。
1980年、ニューヨーク生まれ。2歳の時に両親とともにメキシコに移り住む。7歳でピアノを、13歳でチェロを習い、その13歳の時に指揮者になりたいと思うようになった。15歳でイギリスの寄宿学校に行き、優秀な成績を収めた。メキシコに戻ってからは、メキシコ・シティの音楽研究センター(CIEM)で作曲を学び、19歳でニューヨークに渡って、マンハッタン音楽学校で、ピアノをジェフリー・コーエンに、指揮をケネス・キースラーに学ぶ。
2004年、23歳の時に、フィルハーモニック・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカス(POA)を創設。デ・ラ・パーラの使命は、南北アメリカの若い演奏家や作曲家を紹介する場としてのオーケストラを作ることであり、広い意味でのアメリカ大陸の音楽を、オーケストラのスタンダードなレパートリーにしっかりと根付かせることだった。POAは驚くべき成功を収め、頻繁にメキシコを演奏旅行し、ニューヨーク市でもコンサートを開き、夏には、ヴァーモント州のストウでアメリカ音楽祭を開いた[2011-12年シーズンは活動を休止することが発表されている]。



客演指揮者としは、ダラス響、ヒューストン響、コロンバス響、サン・アントニオ響、ロサンゼルス室内管、ニュー・ワールド響、カナダのエドモントン響、ドイツのポツダム・カンマーアカデミー、モリツブルク祝祭管、デンマークのチボリ響、ロシア国立管、メキシコ合衆国響、メキシコのハラパ響、ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ、ブエノスアイレス・フィル、アグアリカリエンテス響、ウルグアイのモンテビデオ・フィル、シンガポール・サン・フェスティヴァル管(ここで俳優のジェフリー・ラッシュと共演)、ワシントン・ナショナル・オペラのガラ・コンサート(プラシド・ドミンゴと共演)などを指揮。さらに、2005年から、ヴァーモント州ストウのアメリカ音楽祭の音楽監督を務めている。
上記内容での読み期待して美人指揮者がどのようにベートーヴェンを振るののであろうか?興味津々である。Beethoven Symphony No 3 in E♭ „Eroica“ Alondra de la Parra Tonhalle Orchester Zürichを聴く。


誠に申し訳ないが途中で止めた、何故か、思うはベートーヴェンの交響曲は彼女の選曲ミスの様に思う。勿論筆者は音楽は素人で只好きで音楽を楽しんでいる老人で、最低の寄せ集めのオーディオ機材を繋げ楽しんでいる音楽ファンであるが、これは頂けなかった。



口直しにフェレンツ・フリッチャイ の交響曲第3番英雄』この曲の題名のように用いられているエロイカ (eroica) は、男性単数名詞を形容する eroico という形容詞が女性単数名詞である sinfonia (交響曲)を修飾するために語尾変化したものである。聴いて思うは格の違いである、筆者の好みの指揮者、フェレンツ・フリッチャイ、カール・シューリヒト、フランツ・コンヴィチュニー、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮と各々音質は違うが、いかにもエロイカらしいベートーヴェンの交響曲を聴けば違いが理解して頂けるはずである。


●フェレンツ・フリッチャイ
ベートーヴェン:交響曲3番「英雄」/フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


●カール・シューリヒト
ベートーヴェン 交響曲第3番 シューリヒト

●フランツ・コンヴィチュニー
ベートーヴェン:交響曲 第3番 ≪英 雄≫ 変ホ長調 作品55 コンヴィチュニー 


●別格ですがヴィルヘルム・フルトヴェングラー
ベートーヴェン 交響曲第3番 フルトヴェングラー

こうした指揮でエロイカを聴けば全て理解できる、筆者がベートーヴェン好きで良く聴くのどうしても気になってしまうでのであろう。くらべる相手が悪すぎた様です、筆者の実に悪い癖であろう。

昔オーム(瀬川冬樹)さんが言っていた事を思い出す、ジムランの好きのマニアは違ったメーカーの中からジムランに近い音のするユニットを選び、アンプ等を組み合わせジムランに近い音を聴いているそうだと聞いた事がある、後はケーブル類にも十分拘り、この辺りの微妙な組み合わせにオーディオマニアのマニアらしい一面だとおっしゃていた事を思い出す。
勿論音楽も其のような事が音にでてしまうニュアンスの様である。



大人になり多生の小遣が出来ると色々オーディオ機材に浮気するのが世の習いで、この辺りがオーディオ機器好の良し悪しを語れば、喧々囂々(けんけんごうごう)と騒ぎ立てる、あのスピーカーが良い、このアンプが良いと挙げ句の果てにはオーディオ装置のバランスを崩してしまう事もあるようです。
基本に戻って整理をしある程度渋めな枯れた装置を入手し、改めて聴けば納得できる。フェレンツ・フリッチャイ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団らしく聴こえる装置を眼材している、私自身も勿論当時のベルフルの音は知らないが同様な大音量で聴くも五月蝿く感じない装置は素晴らしく、装置も演奏が五月蝿く聴こえれば最悪である。まあ「美人は七難隠す」とも言いますが・・・・。
其処には間違いなく芸術性豊かな調か体験できる。その後続いて4人のベートーヴェン交響曲第9番等を聴き納得した次第である。涙なしでは聴けない名指揮者達である。ブラボー!

後日ベートーヴェンの交響曲などで、アロンドラ・デ・ラ・パーラを比べるな!とのお叱りを受ける・・・最もな事と猛省しています。と同時に今後の成長を楽しみにしています。

この様な時こそ聴きたくなる、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart):K.626レクイエム ニ短調を・・・・

2022年09月25日 | クラシック音楽・オーディオ

現在日本は何処に向かおうとしているのか?最大の事件はウクライナ問題であろう、ウクライナ侵攻はクリミア問題から始まったのであろうか未だ不思議さは残る?後は今後の支那問題等海外情勢も緊迫している状況下で日本人の国民意識は情けないほどお粗末である、国葬反対、統一教会、オリンピック疑惑云々を騒ぎ立てる危機に迫ったマスゴミが国民を煽り続け、親中岸田政権を擁護する様にも思える行動は如何に・・・平和ボケが原因でもあろう。

支那の願いは台湾統一が望みですので、台湾有事を間違いなく実行するするのであろう、近平もウクライナ問題を相当注視しているのであろう。というのはロシア事態今回のウクライナ侵略問題は何れにしても敗北の色濃くなった状況下の中で、プーチン政権以降のロシアを維持するする時期政権がどの様に政権交代をして行くのであろうか疑問だ?考えられる要因は次の項目であろう。

1.支那の近平の政権と変わり支那の配下に降るのであろうか?ロシア人としてのプライドが許さないかもしれない、少なくとも支那人よりロシア人はレベルは上だと思っている。
2.西側諸国等の燃料を配り生計を立てる化石燃料排出国と成り下がるのか?
3.米国との同盟を結び西側諸国とも提携しロシアも加わり、支那包囲網を確立し、暴発させない世界を目指すかに挙げられる。
今回のウクライナ侵略でのペンタゴンの戦争での報酬は、今後の戦争は無人爆弾(ドローン等の大活躍)の攻撃が一番的確で有った事を確認し、今後の戦いに自信にも繋がった様である。大変不真面目ではあるが、報道番組、YouTube配信等による映像を見るが、まるで戦争ゲームの一コマでも見る様に感じる。

この様な世界環境が変化していることも感じないで、ガラパゴス的に日本の情勢は世界と全くズレが生じている事が一番の心配であろう。
正しく(積み将棋)の次の一手の何れを選ぶのか一番注視しなければならない。

誠に残念ではあるが、岸田(キッシー総理)は全く何も出来ず、この国は馬鹿なマスゴミに滅ぼされる様である。先日も親中バリバリの沖縄県知事に玉城デニーが再選され、日本は長い間平和ボケして狂ってしまった国民である。一刻も早い国民の目覚めが必要になってきた時であろう。



それと最近の緊急の悲報はエリザベス二世がお亡くなりになり、厳粛な国葬をウェストミンスター寺院で執り行われた。テレビにより拝聴しが、流石伝統ある英国の重みを感じた方も多いのであろう。新しい英国の誕生にに祝福しましょう。勿論天皇陛下、妃殿下も参列されました。
後日バッキンガム宮殿は9月18日(現地時間)、エリザベス女王の新しい、そして最後のポートレイトを発表したのでコピーさせて頂きました。大変素敵なお写真に敬意意を称します。安らかにお眠りください。

筆者が今こそ思うは小説の、芥川龍之介の「或阿呆の一生」の如く何となく不安な世の中に疑問を抱き自殺する人間を描いている様にも思える。

この様な状況下では、久し振りに聴きたく鳴るのがモーツアルトのレクイエム/ニ短調 (未完) K.626であった。特に怒りの日のフレーズは大変有名でもあり聴き出せばつい全曲夢中になって終了を迎えるのである。

勿論ご存知の如くレクイエム ニ短調K. 626は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したレクイエムである。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。


私はレクイエム ニ短調については詳しくないので解説を引用させて頂く。
ド・ニによれば「ミサの式次第」において、「死者のためのミサ曲」は例外的にグローリア(栄光の賛歌)とクレド(信仰宣言)を除く通常文と、固有文のいくつかが作曲されるものだといい、ここで、通常文というのはミサのなかの祈祷文で変化しない部分を、また、固有文はミサによって変化する部分をいう。 モーツァルトが書いた「死者のためのミサ曲」は以下の内容から成り立ち、よく知られているように、その冒頭の歌詞により『レクイエム』と呼ばれている。

 入祭唱 Introitus(固有文)
  1.Requiem aeternam 永遠の安息を与え給え Adagio ニ短調
 あわれみの賛歌(通常文)
  2.Kyrie 主よ、憐れみ給え Allegro ニ短調
 続唱 Sequentia(固有文)
  3.Dies irae かの日こそ怒りの日なり Allegro assai ニ短調
  4.Tuba mirum 妙なるラッパの響きにて Andante 変ロ長調
  5.Rex tremendae 仰ぐもかしこき御霊威の大王 Grave ト短調
  6.Recordare 慈悲深きイエズスよ Andante ヘ長調
  7.Confutatis 呪われし者を愧服せしめて Andante イ短調
  8.Lacrimosa かの日や涙の日なるかな Larghetto ニ短調
 奉献唱 Offertorium(固有文)
  9.Domine Jesu 主イエス・キリスト Andante ト短調
  10.Hostias いけにえと祈りを主に捧げん Andante 変ホ長調
 感謝の賛歌 Sanctus(通常文)
  11.Sanctus 聖なるかな、万軍の天主なる主 Adagio ニ長調
  12.Benedictus 主のみ名によりて来たれる者は Andante 変ロ長調
 平和の賛歌 Agnus dei(通常文)
  13.Agnus dei 世の罪を除きたもう神の子羊 Larghetto ニ短調
 聖体拝領誦 Communio(固有文)
  14.Lux aeterna 主よ永遠の光を彼らの上に照らし給え Adagio ニ短調

作曲の依頼主は、ウィーン郊外(南西に約72キロ)のシュトゥパハ村に居を構えていたヴァルゼック伯爵(Franz de Paula Anton Wallsegg von Stupach, 1763~1827)であり、妻アンナ・マリア(Anna Maria Theresia Edle von Flamberg, 1770~1791)が1791年2月14日に死去したことによるものだった。
彼女の遺体は防腐処置が施されて2日後にシュトゥパハ村近くのヴァルゼック家の地下聖堂に安置されたが、さらに40日後にシュトゥパハ城の隣に作られた立派な墓に移された。 妻を深く愛していた伯爵は2つの芸術作品を依頼することで妻の霊を崇めることにした。 
一つは手のこんだ墓碑であった。もう一つはカトリックの儀式である死者のためのミサと関連した礼拝音楽(レクイエム)の作曲であった。 
すくなくとも理屈のうえでは、音楽伴奏をともなう儀式を、伯爵夫人の死を悼む記念行事として毎年2月14日の命日に行うためのものだった。と記せられてあった。

モーツァルトの死後、コンスタンツェにはレクイエムを未完で終らせることができなかった。 完成後に支払われる報酬が手に入らないばかりか、ヴァルゼックから先に支払われていた手付け金の返還を求められるだろう。 結果的には、弟子のジュスマイヤーにより補筆完成され、それが依頼主のヴァルゼック伯爵の手に渡り、1793年12月14日に初演されたが、しかし、スヴィーテン男爵によりそれより早く、1793年1月2日ウィーンのヤーン邸で、モーツァルトの作品として演奏されている。 さらに近年、ワルター・ブラウンアイスによって、モーツァルトの死後すぐ(5日後)ミハエル教会で追悼ミサが行われ、弟子フライシュテットラーやジュスマイヤーの補筆により「入祭唱」と「キリエ」が演奏されたことが分かった。
近年ジュスマイヤーに渡されなかった資料が発見され、モーツァルトのレクイエムを復元しようとする試みがなされている。 未だ解明できたないと思われるが曲は大変良く仕上がり聴くたびに感度を与えられます。



一番気になる指揮 : カール・ベーム での演奏とブルーノ・ワルター(指揮)の名盤と云われる演奏を聴き比べて見たい、音楽ソフト豊富な時代だからこそ出来る楽しみであるかも知れない。勿論自慢の10吋タンノイと真空管アンプLUXKIT A3500でドライブして楽しんだ。

筆者の好む演奏者はモツレクの決定的名演といっても過言ではない、ベーム渾身の「レクィエム」、1971年収録!
聴けば解るがベームのレクィエムといえば、特筆すべきは響きに深みと厚みを持ったウィーン国立歌劇場合唱団の素晴らしい歌唱力でした。とうとうとした流れの中に深々とした思いを見事に歌い上げており、気迫のこもった「ディエス・イレ」から、慈愛に溢れた「ラクリモーザ」まで、その豊かな表現力にはただただ感心するばかりです。
歌手陣も素晴らしく、清々しいヤノヴィッツの歌声、表情豊かなルートヴィヒ、ひたむきでストイックなシュライヤー、ベテランの味で聴かせる安定感あるベリーの歌唱と、いずれも当代最高のキャスティングであるといえるでしょう。
これは、間もなく生命を失おうとしているモーツァルトの最後の悲痛な叫びが聞こえるような、心に響くレクィエムなのです。



 (S)ユリア・ハマリ
 (Ms)ヴィエスワフ・オフマン
 (T)カール・リッダーブッシュ
 (Bs)ハンス・ハーゼルベック 
 (Org))ウィーン国立歌劇場合唱連盟ノルベルト・バラッチュ 
 (合唱)ウィーン(指揮)ウィーン ・フィルハーモニー管弦楽団
  カール ・ベーム(指揮)録音:1971年4月(ウィーン)

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 第1曲: 入祭誦(永遠の安息を)
 第2曲: キリエ(主よ、憐れみたまえ)
 第3曲:セクエンツィア(続誦)
  02. 怒りの日
  03. 妙なるラッパの
  04. みいつの大王
  05. 憶えたまえ
  06. 呪われた者
  07. 涙の日
 第4曲:奉献誦
  08. 主イエス・キリスト
  09. 犠牲と祈りを
 第5曲:サンクトゥス
  10. サンクトゥス(聖なるかな)
  11. ベネディクトゥス(祝されたまえ)
 第6曲:
  12. アニュス・デイ(神の子羊よ)- 第7曲: 聖体拝領誦(永遠の光で)

ベームが敬愛し、且つ得意としたモーツァルト。信頼厚いウィーン・フィルとともに、ロマン的な感傷や過度の表情付けを排し、造形感を重んじた格調の高い感動的な名演を成し遂げています。素晴らしいのひと言。荘厳な佇まいに酔いしれる演奏。

試聴するのはタンノイの10吋IIILZ Monitor Goldユニットを据え置き型の箱に入れた物で聴く、音量は適度な大きさでもホール感オーケストラの奥行きの深さ、あくまで豊かに聴こえるこのシステムに限ると実感する。



レクイエム ニ短調(独語名:Requiem in d-Moll)K. 626は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年 - 1791年)が作曲したレクイエム(死者のためのミサ曲)である。モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。
しばしば、ヴェルディ、フォーレの作品とともに「三大レクイエム」の一つに数えられる。
モーツァルトの死後、貧窮の中に残されたコンスタンツェは、収入を得る手段としてこの作品を完成させることを望んだ。まず、モーツァルトも高く評価していたヨーゼフ・アイブラーが補作を進めるが、なぜか8曲目の途中までで放棄する。作業は他の弟子、ヤコプ・フライシュテットラーおよびジュースマイヤーに委ねられ、ジュースマイヤーが改めて一から補筆を行って最終的に完成させた。完成した総譜は作品を受け取りに来た使者ライトゲープを通じてヴァルゼック伯爵に引き渡され、コンスタンツェは作曲料の残りを得た。
伯爵は自分の作品であるとして、1793年12月14日にウィーンのノイクロスター教会において自身の指揮でこの曲を演奏したが、コンスタンツェは手元に残した写譜から亡夫の作品として出版する。このため後に伯爵が抗議するという一幕もあったというが、モーツァルトの名声はすでに高まりつつあり、この作品はモーツァルトの作品として広く認知されるようになった。なお、ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵の計らいで、コンスタンツェのために1793年1月2日に本当の初演が行われたという説がある。



続いて聴いたのは、ブルーノ・ワルター(Bruno Walter, 1876年9月15日 - 1962年2月17日)は、ドイツ出身の指揮者、ピアニスト、作曲家。より正確なドイツ語読みはヴァルターであり、そのように表記される場合もある。本来の姓はシュレジンガーであり、これは彼がブレスラウの歌劇場の指揮者になったとき、現地ユダヤ人にシュレジンガー姓が多いので、ワルター(ヴァルター)に改めたという。そのため、ワルター・シュレジンガーと表記されることも稀にある。

米ニューヨークを本拠地とするオーケストラ。指揮者ウレリ・コレッリ・ヒルに率いられた地元の音楽家たちによって1842年に創立。米5大オーケストラ“ビッグ・ファイヴ”に名を連ね、世界的に最も古い楽団の一つとして知られる。略称は“NYP”。音楽監督にはレナード・バーンスタインをはじめ、ピエール・ブーレーズ、ズービン・メータ、クルト・マズア、ロリン・マゼールら多くの著名音楽家が就任。2009年9月からはアラン・ギルバートが務めている。過去1世紀の間に5大陸61ヵ国431都市を巡り、高い演奏水準で米音楽界を長きに渡って牽引。また、グラミー授賞式での演奏やTV出演、多彩な教育プログラム開発など革新的な功績も残している。

モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 ブルーノ・ワルター(指揮)、ニューヨーク・フィルハーモニック
 ウエストミンスター合唱団(合唱指揮:ジョン・フィンレイ・ウィリアムソン
 イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、
 ジェニー・トゥーレル(アルト)、
 レオポルド・シモノー(テノール)、
 ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
セッション録音:1956年3月10&12日/カーネギーホール(ニューヨーク)
使用音源:Private archive(2トラック、38センチ、オープンリール・テープ)

制作者より下記の様なコメントが表記されてます。
モーツァルトの生誕200年を記念して録音されたワルター&ニューヨーク・フィルのモーツァルトの「レクイエム」は、モノラルではありますが、今日もなおこの曲の最も重要な演奏として人気があります。今回もまた2トラック、38センチのオープンリール・テープを使用して復刻しましたが、その再生音は全く驚くべきものです。音像は異様なほど前に出て来て、前後、左右、天地の響きの広がりも圧倒的です。低弦のゴツゴツした音も生々しいほどに聴き取れます。宇野功芳著『名指揮者ワルターの名盤駄盤』(講談社+α文庫/絶版)には「いくぶん生々しさ〈汚さ〉に欠ける不満はあるが」とありますが、おそらく当CDではそうした不満が解消されることでしょう。とこの様な内容が明記されています。

こうしてモーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626を楽しむ事に感謝をします。一刻も早くウクライナ戦争が収束し平和を取り戻す事を願うと共に、大切な命を失った多くの魂に祝福ある事を祈ります。アーメン!

天才ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーが残した名演奏、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47の考察

2022年08月07日 | クラシック音楽・オーディオ

毎日茹る様な暑さが続くとはこの情況であろう。この暑さは平安時代に一度体験した日本は耐えている様と天気予報では話していたがこの時代を知る人は誰も居ないので話にならないが書簡に書き後世に残していることは日本人は異質な人種であろう、コロナ感染が蔓延し外出時のマスクは大変い暑さが感じる、先日塩野義製薬会社販売しようとした投薬は禁止してしまった。何れにせよ海外の感染予防ワクチンを販売のため忖度したのでは?相当の政府医療関係者に金銭授受が行われていると聞いた事もある、このコロナ問題も政府与党に本音を語って頂きたいと願う。

今の自民党は忖度と裏金、そして政府及び官僚の天下り先を確立する、政府筋だけ生き延びる道をしかも税金で作っている様に感じる。正に大陸の皆さんの考え方そのままである。
先日支那人の若い女性と話して彼女に一番定説なものは何かと聞くと、曰く「私の認識では自分自身がお金を持っていれば、強くて、これは自己保護の根本だ」今がお金儲けが全てだと、すごくしっかりした言葉で答えた。それを聞き何故か共産国独特の言葉に感じた。倫理教育の大切さを感じた。

筆者は大変バッハ好きでもあり、意外とその他の作曲家のことは余り知らない事は事実です、だが一般的に有名な曲は一応聴くようにしている。



ヴァイオリン協奏曲は有名な曲がある、例えば「ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64」メンデルスゾーンは本作品以前にもう一曲、ニ短調のヴァイオリン協奏曲を作曲している。ただしニ短調の協奏曲は1951年にヴァイオリニストのユーディ・メニューインが再発見するまで永い間忘れられており、本作品(ホ短調のヴァイオリン協奏曲)とは知名度に大きな差がある。
 次に「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61」ベートーヴェン中期を代表する傑作の1つである。彼はヴァイオリンと管弦楽のための作品を他に3曲残している。2曲の小作品「ロマンス(作品40および作品50)」と第1楽章の途中で未完に終わったハ長調の協奏曲(WoO 5、1790-92年)がそれにあたり、完成した「協奏曲」は本作品1作しかない。
次は今回紹介の「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 (Violinkonzert D-Dur) 作品77」ブラームスは幼時からピアノよりも先にヴァイオリンとチェロを学び、その奏法をよく理解してはいたが、最初の、そして唯一のヴァイオリン協奏曲を書き上げたのは45歳になってからだった。これは、交響曲第2番の翌年という、彼の創作活動が頂点に達した時期にあたり、交響的な重厚な響き、入念な主題操作、独奏楽器を突出させないバランス感覚、いずれもブラームスの個性が存分に表現された名作となった。
本作品は、ベートーヴェンの作品61、メンデルスゾーンの作品64と並んで3大ヴァイオリン協奏曲と称されている。 
そして後一曲取りあげたのはジャン・シベリウス (Jean Sibelius,1865-1957)作曲の「ヴァイオリン協奏曲ニ短調 Op.47 (Violin concerto d-Moll Op.47)」について、解説とおすすめの名盤レビューをしていきます。
いかにも北欧というクールさのある名曲で、そのロマンティックな音楽は人気があります。情熱的なヴァイオリンは、シベリウスの同時期の作品のように、深く人間の内部に入り込んでいきます。20世紀のヴァイオリン協奏曲の中でも人気、内容、共に一二を争う名曲で、頻繁に演奏されています。



との解説があるが筆者はまるで知らなかった演奏者でもあります。アゾレス諸島に散った孤高の天才ヴァイオリニスト ジネット・ヌヴーが残した名演を聴く、ジネット・ヌヴー(Ginette Neveu)919年8月11日 パリ - 1949年10月28日 大西洋アゾレス諸島)は、フランスのヴァイオリニスト。稀にみる天才的ヴァイオリニストで将来はフリッツ・クライスラー、ジャック・ティボーと並ぶ名人になることを確実視されていたが、航空機事故により30歳で死去。

筆者の生まれた翌年亡くなっている為今まで全く知らなかったヴァイオリン奏者でもある、巷ではクライスラー、ティボーと並ぶ名人と聞けば是非一度は聴かねばならない。



一般的にオールドタイプの10吋タンノイのエンクロージャーにはメーカーの薦めるIIILZしか無いが、実はこの箱にもアメリカンタインノイと言われる、バックロードホーンタイプの物、フロントホーン付きの箱、現在筆者が使うアコースティック・レジスタンス・ユニット付きのAUDIOM 80の箱の利用等あるが、据え置き型の箱利用でオペラ鑑賞も出来る見違える音が再現できる。
極端な言い方をすれば弦楽四重奏専用ユニットのTANNOY IIILZからの脱却オペラ、オーケストラまで対応可能なシステムに変化しました。



最近細かな調整もほぼ終わり後の補習はスピーカーケーブルのコネクタはバナナプラグ対応の接続部に交換を考えています。交換はサイズが微妙なため現物合わせも視野に入れ一度秋葉原電気街に出かけるつもりです。

自宅の据え置き型の10吋タンノイユニットと自慢のZAIKA5300のシステムで試聴を始める。



現在ブックシェルフタイプのLS3/5Aの音質も好きではあるが、特にヴァイオリンのユニゾンとオーケストラの各々の演奏楽器との融合的な演奏はタンノイが断然勝る、特に古い演奏にはこのシステムは本領発揮すると思っている。
先日筆者の記事をご覧いただき以前紹介したスピーカーケーブル「英国製QEDのProfile42Strand」のケーブルを使い音質の向上があったと報告された、勿論その方もタンノイをお使いであると言われていた。確かに音質向上した言う一つの「念仏」の様な言葉に弱く直ぐ試したくなるのがマニアであろう。他人には決して薦めないがあくまでオールドタイプのタンノイでの音楽鑑賞には真空管を使うことが一番有利と思う。

2019年に生誕100年没後70年を迎える、フランスのヴァイオリニスト ジネット・ヌヴー。20代前半を第2次世界大戦のなかで過ごしたうえに、30歳という若さで亡くなったため、残された録音は多くありませんが、ファンの間では今でも語り継がれる名演の数々を残しています。
ヌヴ―のヴァイオリンの音色を強く愛する増田良介さんが、苦難の時代を力強く駆け抜け、飛行機事故で散った生涯を、その音楽とともに紹介してくれました燃えるようなラヴェルの《ツィガーヌ》で、高貴な悲しみに満ちたショーソンの《詩曲》で、そしてすさまじい気迫に満ちたブラームスのコンチェルトで人々を魅了した天才ヴァイオリニストがいた。ジネット・ヌヴーだ。彼女は、20世紀前半のヨーロッパ、アメリカを飛び回り、各地で絶賛を浴びたが、飛行機事故のため、30歳の若さで世を去った。2019年はヌヴーの生誕100年、そして没後70年にあたる。天才少女現る――世界に衝撃を与えたヴァイオリニストの誕生ジネット・ヌヴーは、1919年8月11日、第一次世界大戦の傷がまだ癒えないパリに、5人兄弟の末っ子として生まれた。ヴァイオリンを習いはじめたのは5歳のときだったが、その才能は最初からずば抜けていたようで、はやくも7歳でブルッフの協奏曲を弾いてデビューしている。彼女の名を世界に知らしめたのは、1835年にワルシャワで行なわれたヴィエニャフスキ国際コンクールだった。各国から有望な若き名手たちがおおぜい参加したこのコンクールで、15歳のヌヴーは、2位のダヴィード・オイストラフに大差をつけて優勝したのだ。当時、既にソ連で有望な若手ヴァイオリニストとして活躍していたオイストラフは大いに悔しがったが、家族への手紙で「ヌヴーが恐ろしく才能があることは認めざるを得ません。1位は決して不当ではありません」と書いている。

苦難の戦争時代、終戦、初めての協奏曲録音コンクールのあと、ヌヴーには世界中から演奏依頼が殺到する。ドイツやソ連に演奏旅行を行ない、その高貴で情熱的な演奏は各地で大反響を巻き起こした。しかし、やがて戦争が始まり、フランスはナチス・ドイツ軍に占領される。ドイツからは、ベルリンからシュトゥットガルトに至る大規模なコンサートツアーの依頼があった。しかし、莫大な出演料を提示されたにもかかわらず、ヌヴーはきっぱり断った。



戦時中は、自由に外国に行けないということもあり、演奏家としての活動は限られたものとなった。しかし、ヌヴーはこの時間を、自らの音楽を掘り下げることに使った。1942年に公式なデュオ・パートナーとなった兄のジャンとは、アンサンブルでの演奏を重ねることで絆を深めた。フランシス・プーランクがヌヴーの勧めによって書いたヴァイオリン・ソナタが、ヌヴーのヴァイオリン、作曲者のピアノで初演されたのも戦時中のことだった。

連合軍がノルマンディーに上陸し、反撃を開始すると、ヌヴーもまた活動を再開する。ベルギーが解放されればベルギーへ、スイス国境からドイツ軍が去ればスイスへ赴き、演奏を行なった。ロンドンでは、泊まっていたホテルの近くにV2ロケットが着弾したこともあったという。
そして戦争が終わると、彼女は再び世界に活動範囲を広げ、録音も本格的に開始する。彼女にとって最初の協奏曲録音は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲だった。スケジュールがたった1日しかなかったためにセッションは長時間に及び、ヌヴーはあごや首から出血したというが、その演奏はすばらしく、当時はまだあまり知られていなかったこの曲の地位向上に大きく貢献した。
連合軍がノルマンディーに上陸し、反撃を開始すると、ヌヴーもまた活動を再開する。ベルギーが解放されればベルギーへ、スイス国境からドイツ軍が去ればスイスへ赴き、演奏を行なった。ロンドンでは、泊まっていたホテルの近くにV2ロケットが着弾したこともあったという。



世界的成功と内省的な性格その後もヌヴーは各地でセンセーショナルな成功を収める。ウィーンで彼女とベートーヴェンの協奏曲を演奏したカラヤンは、すぐにロンドンに電話をして、この曲を彼女と録音できるよう頼み(これは実現しなかった)、米国で共演したオーマンディは、「現代のもっとも偉大なヴァイオリニストのひとり」とたたえた。クーセヴィツキーは「これほどの演奏は今後聴けないだろう」とオーケストラを起立させた。
ヌヴーは、バーやカフェに行ったり、無駄なおしゃべりをしたりすることは好きではなかった。たまの休みにも、数時間の練習のあとは、母親や犬と過ごし、読書をするのが常だった。とはいえ人間嫌いというわけではなく、無邪気で率直で、その場を明るくする性格でもあった。彼女と会った人は、誰もが彼女のことを親しい友人のように感じたという。
ヌヴーは、考える人でもあった。彼女のノートには、次のような言葉が残っている。使命ゆえの孤独なくして偉大なことは達成されない。そして、真の偉大さとは、おそらく輝ける孤独だときおり、人は死を恐れるゆえに臆病になる。だが死とは、その人生や、内に持つ理想次第では、受け入れるに足る価値のある崇高なものだ1949年10月27日21時、ヌヴーは3度目のアメリカ・ツアーのため、兄のジャンとともに、パリのオルリー空港から旅客機に搭乗した。乗員11名、乗客37名、計48名を乗せたロッキード・コンステレーション機は、しかし、補給のために立ち寄る予定だったポルトガル領アゾレス諸島、バラ山に衝突し、墜落、炎上する。生存者はいなかった。世界中の人々が、彼女の早すぎる死に衝撃を受け、悲しんだ。

ジネット・ヌヴー生誕100年&没後70年記念この音質の良さには思わず興奮!
気迫と情熱、凛とした弾きぶりには思わず震撼、身ぶるい!
伝説の名演(ブラームスの協奏曲49年盤)がかつてないほど極上の音質で蘇る!遺された録音は数少なく、どれもが本当に貴重。なかでも、彼女が最も得意としたブラームスのヴァイオリン協奏曲。(1)46年8月のEMI録音(ドブロヴェーン指揮/フィルハーモニア管弦楽団)、(2)48年4月25日バーデン・バーデン・ライヴ(デゾルミエール指揮フランス国立放送管)、(3)48年5月3日ハンブルクのライヴ(イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響)、(4)49年6月10日ハーグでのライヴ(ドラティ指揮ハーグ・レジデンティ管)―4種の録音が遺されていますが、この(4)、事故にあう4か月前の録音が、従来盤を上まわる目覚ましい音質で蘇ります!



従来盤には、世界初発売したキング・セブンシーズのKICC-2182(91年発売、ミュージック・アンド・アーツ原盤、廃盤)、ミュージック・アンド・アーツのCD-837(94年発売)、DanteのLYS389-392(98年発売、廃盤)等がありました。
今回の音源はEPITAGRAPH(エピタグラフ)が知人を経由してオランダの放送局のアーカイヴから入手したもの。記録・保存用のアセテート・ディスクから復刻、デジタル・トランスファーした音源です。スクラッチ・ノイズこそありますが、高域を損なわないように過度なノイズ・リダクションはしていないため、臨場感は抜群。第1楽章のあと、聴衆の拍手が起き、その後軽くチューニングしていますが、この間合い(22秒間)もトラックを設け、カットすることなく録しているそうです。

第1楽章から、猛烈な気迫が聴く者の心を揺さぶります。吸引力の強さは無類です。第2楽章ではロマン的な情緒も爽やかに、歌心に溢れて美しく、惚れ惚れとさせてくれます。そしてフィナーレに入ると情熱の塊が火を噴いたよう!ドラティとハーグ・レジデンティ管弦楽団も堅実なバックアップで対応しています。 ヌヴーのソロの音、凛とした弾きぶり、ストラディヴァリウスの艶やかな音がしっかり捉えられていることでは有名なイッセルシュテット盤等と比べてもこれが一番です。



曲目・内容
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
アーティスト(演奏・出演)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
アンタル・ドラティ指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団
レコーディング
録音:1949年6月10日 ハーグ(ライヴ)
Produced by Epitagraph(原盤:エピタグラフ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)は、15歳の時にヴィエニャフスキ国際コンクールで、ダヴィッド・オイストラフをおさえて優勝し大きな注目を集めました。優勝後は、世界的な活躍をすることとなり、各地で絶賛をもって迎えられますが、そうした忙しいツアー生活のさなか、アメリカに向かうために飛行機に乗り込んだヌヴーは、ポルトガルで乗客乗員全員死亡という凄惨な事故にあい、30歳の若さでなくなってしまいました。
2019年の生誕100年、没70年を記念して、ワーナー(旧EMI)・アーカイブに残されている最も状態の良い貴重なマスターより、パリ、Art&Son Studio Annecyにてリマスターをおこない、最善の状態で再発。天才だけが成し得る技だけでなく、ここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの、微塵も感じさせない力強さに溢れたものです。
《CD1》
 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op.47
[共演]
 ワルター・ジュスキント(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団
[録音]
 1945年11月21日、ロンドン、アビイ・ロード・スタジオ
https://www.youtube.com/watch?v=729L0ke5Lxs
《CD2》
 1-3) ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77
 4) ショーソン:詩曲 Op.25
[共演]
 イサイ・ドブロウェン(指揮)
 フィルハーモニア管弦楽団
[録音]
 1946年8月16-18日、ロンドン、アビイ・ロード・スタジオ

勿論録音は古いが、聴き始めると途中では止められない、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲に至ってはこれ程透明度のあるヴァイオリンは他では聴けない音が鳴った、目頭が熱くなるそれ程良い演奏である。
今まで愛聴していたイザベル・ファウストとハーディング奇跡のブラームスと言われる新録音と比べると断然霞んで聴こえる、次元が違う様にも聴こえる。名演奏とはこの様な物であろうと痛感する。この様な演奏を聴くには筆者の持参する古いタイプのタンノイのIIILZ Monitor Goldのユニットではベストマッチであるかの様です。

確かに全体の音質はジネット・ヌヴーの作品は劣るしかし演奏と音質では意味合いが全く違う、以前にも記したが音楽の資質、品格が違う様に感じるキリッとしたヴァイオリンのエキセントリックな音にハット息を呑む美しさを感じる、まさに玄人芸に感じる、やはり芸術を楽しむにはある程度の機材の必要性を案じる事と思った筆者である。

先日紹介したピアニスト、ディヌ・リパッティの演奏も素晴らしかったが続いて今回紹介するヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴーも是非記憶に残したい名演奏者であろう・・・・未だ知らない演奏家も多いと思うが残りの人生でどれ程匠な演奏家の音がが聴けるのであろうかが楽しみでもある、ブラボー!

暫くぶりに聴くベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 Op.61のCDを購入する、勿論代表的な音楽を選び検証する。

2022年07月07日 | クラシック音楽・オーディオ

台風の影響によりにより猛暑も一旦過ごしやすい気温になる、関東地方は雨も少なめで、熱帯低気圧は通過する様である。
筆者が人生一番最初に知った音楽家、嵐の日に生まれたとされる、勿論ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)。
この何処か怖そうな顔は印象的でした。子供(小学生1年生の頃)の頃母親が誕生日プレゼントとして頂いた本でした、読んでいて全体的に暗い一生で終わるような描き方のように記憶するが、金銭的に恵まれず相当苦労したと書かれていた様に記憶する蓄音機で交響曲第5番があり聴いたが最初のフレーズは印象的でした第一楽章ばかりを聴いた記憶が残る。
後で知ったが彼は相当の珈琲好きで自分で毎朝10粒の珈琲豆を挽いて淹れて珈琲を楽しんだと記録にも記載されているそうである。

当時からピアノ曲は名曲で。『エリーゼのために』のタイトルは後で間違いと知った『テレーゼのために』だったのだ、ベートーベン自身の字が汚すぎたために『エリーゼ』と伝わったというのです。実は、『エリーゼのために』の楽譜は、1810年にベートーベンにピアノを教わっていたテレーゼ・マルファッティという女性だったそうです。楽譜はベートーベンからプレゼントされたものだと言われています。
勿論全曲は中学生になってから聴くが、小学生にも冒頭のワンフレーズは皆さんよく知っていた。後は交響曲5番「運命」も子供心にも、よく知った冒頭のワンフレーズであり、指揮者オーケストラメンバーの選別は大人になってからの話である。勿論バッハはG線上のアリアであろうが、ベートーベンのワンフレーズが馴染んでいた様である。勿論今の聴いているので60年近く聴き続けているが何故か飽きないことは不思議である。
確かに幼少の頃は親父の膝に座り手回しの蓄音機で軽音楽、ボレロ、カルメン、アルルの女等は聴いたが当時は作曲したのは?楽団名は等の全く知るよしもなかった頃である、但し78回転の蓄音機は今も記憶に残り実家に帰ればレコード共に物置に放置してあると思う。
当時、39歳のベートーベンは18歳のテレーゼに恋をしていました。ラブレターを送り、プロポーズまでしたといいます。しかし、結果はふられてしまい、テレーゼは別の男性と結婚しました。等の事実は随分後日に知った記憶は実に曖昧な世界である。



あとは今だに感じつことは弦楽器より鍵盤楽器の作品が多いことも特徴である。先日筆者のパワーアンプSV-501SEの真空管「Zaika5300」なる300Bの共通管を仕込み聴いているが久しぶりにPSVANE300Bに交換して聴いてみたが、聴くうちに徐々に腹が立ってっくる、音楽全体に霞がかかった様にボケた音がする、ピントの合ってない写真の様である、このような酷い音が鳴っていたと改めて疑った300Bの真空管だなんて・・・筆者の耳がこの後この音に拒絶するのである。

以前筆者に是非Western Electric-300Bを聴きなさいと忠告頂いたので事があり、勿論Western Electricでの視聴は高額のため諦めていたとことに、昔読んだ記事のうろ覚えの内容を思い出し購入した「Zaika5300」なる真空管には再度驚きの再発見でもある。真空管内部を見ると細かな作りで見た目は2A3に似た構造になっている様である。記事内容にはWE300より優れているという評価が掲載された記事が印象的である。
ともあれ現行での販売の300Bとは何が次元が違う真空管であった。現在は貴重な「Zaika5300」は大切に使って行きたい。



この真空管「Zaika5300」を仕入れる前はバランスの良かったサブシステム、LS3/5aに真空管アンプLUX、A-3500が断然音のバランスが良く聴こえた。バランスの良い機材で音楽を長く聴くも疲れなく何時迄も聴き続けたくなる。
それが一本の真空管で見事にワイドレンジの音楽を体験すると圧倒的にタンノイの魅力に取り憑いてしまう、豊かな低音はLS3/5aでは限界がある。

但しこのサブシステムは常に平均した音色は他の装置では体験できない、長く聴いても疲れない音色は流石BBCのモニターと言われる事は伊達ではあるまい。



話を戻しルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61は、1806年に作曲されました。
ベートーヴェンが作曲した唯一の「完成した」ヴァイオリン協奏曲でもあり、ベートーヴェンの中期を代表する作品としても知られています。

「ヴァイオリン協奏曲の王者」と呼ばれた、メンデルスゾーン・ブラームスの作品と共に「三大ヴァイオリン協奏曲」とも呼ばれる作品です。曲調はベートーヴェンの穏やかな部分が溢れており幸福感に包まれるような音楽です。ベートーヴェンのヴァイオリンと管弦楽のための作品は合計4曲あり、他には2曲の小作品「ロマンス(作品40および作品50)」と未完の協奏曲があります。1804年からの10年間は、交響曲第3番(英雄)をはじめとする6つの交響曲やピアノ、ヴァイオリンの優れた協奏曲を次々と作曲しています。特に1806~08年は「傑作の森」と呼ばれています。



1802年の「ハイリゲンシュタットの遺書」の頃の絶望的状態から蘇ったベートーヴェンが次々と名作を生み出した時期です。ここではベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」の紹介をしたいと思います。

冒頭、ティンパニだけがトントントントン、とニ音でリズムを刻んで始まります。こんな内容の曲は他にはなく、異様なまでの開始です。ティンパニから始まる曲には、ほかにハイドンのシンフォニー第103番〝太鼓連打〟がありますが、そのロールは曲想にはあまり関係がありません。しかし、この曲では、その連打が曲を通して構成要素の根幹を成しています。まさに、〝運命〟やピアノ・コンチェルト第4番と同じように、同音連打から世界が広がっていくのです。それはこの時期のベートーヴェンが取り組んだ壮大な実験だったのでしょう。

ティンパニの連打に続くのは木管のやわらかな合奏です。いつになったらガツンとくるのか、焦らされている感じがします。ほどなく、力強い総奏がきますが、第2主題もまた木管による穏やかな提示です。オーケストラが簡素ながら雄大に序奏部を結ぶと、いよいよヴァイオリン・ソロの登場です。独奏ヴァイオリンも、冒頭のティンパニ連打のリズムを刻みつつ、第1主題、第2主題を繰り返しつつ、展開していきます。中間部でのオーケストラの総奏はさすがの迫力ですが、再びヴァイオリンが冒頭と同じ上行音型で帰ってくると、影のある展開部に入っていきます。矢張りベートーヴェンの歌は実に優しいのである。


ティンパニと低弦が刻むリズムが遠雷のように響くなか、哀愁を漂わせながら歌うヴァイオリンは聴きどころです。この奥深い味わいは確かに、一度聴いただけでは分からないかもしれません。
ベートーヴェンはピアニストの名手として知られていますが、弦楽器の演奏は得意ではありませんでした。弦楽器の中では、ヴィオラを好んでいたと言われています。ベートーヴェンのピアノ曲は自分でも弾くために作曲されていましたが、ヴァイオリン協奏曲はそうではありませんでした。
友人でヴァイオリニストでもあったフランツ・クレメントの依頼により作曲されました。クレメントは、アン・デア・ウィーン劇場のコンサートマスターを務めていた名ヴァイオリニストでした。自筆譜には「クレメントのためにクレメンツァ(慈悲)をもって作曲」というジョークが残されています。
このことからもベートーヴェンが冗談好きであったことが推測できますね。今では歴史的傑作として評価されている作品ですが、初演は失敗に終わったそうです。それは当時の人々にとって「前代未聞の協奏曲」だったことが大きな要因だったと言われています。

まずは曲が長すぎることです。第1楽章だけで20分を越え、全部で45分ほどの大作です。また当時のヴァイオリン協奏曲は「ヴァイオリンが主役」なのが普通でしたが、この作品はオーケストラのみで演奏される箇所が多くあります。またティンパニ独奏で始まることも斬新でした。
結局ベートーヴェンの生きている間にはこの作品に人気は高まらず、初演後は40年の間に数回しか演奏されなかったそうです。その後亡くなった後に徐々に認められはじめ、19世紀後半には最も人気のあるヴァイオリン協奏曲として定着しました。



以前にも紹介はしましたが日本名:アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Arabella Miho Steinbacher) 1981年11月14日- は、ドイツのバイオリニスト。彼女のヴァイオリン演奏が好きで今回CDを購入しました。
ミュンヘンでドイツ人の父親と日本人の母親との間に生まれた。バイオリンを始めたのは3歳からで、9歳時にはミュンヘン音楽大学にてアナ・チュマチェンコのもとで学んだ。ドロシー・ディレイやイヴリー・ギトリスにも師事した経歴を持つ。2000年にハノーファーで開催されたヨーゼフ・ヨアヒム・ヴァイオリン・コンクールで入賞、翌年にはバイエルン州より奨学金を授与された。

アラベラ・美歩・シュタインバッハーは、現在世界の第一線で活躍中のヴァイオリニストだ。その歩みは、すこぶる順調に思える。
使用楽器: 日本音楽財団より貸与されている1716年製ストラディヴァリウス「Booth」での演奏である。



ベートーベンヴァイオリン協奏曲、ベルクヴァイオリン協奏曲:シュタインバッハー、ネルソンス/ケルンラジオ交響楽団
 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲op 61
 アルバン・ベルク:ヴァイオリン協奏曲

アラベラ・シュタインバッハー、ヴァイオリン
WDRシンフォニーオーチェスター・コルンアンドリス・ネルソンス、指揮者

デジタル録音:2008

非常に調和がとれていて、そのような素晴らしい音楽制作をもたらす芸術的なコラボレーションに出会うことは確かにまれです。この録音では、すでに国際的に名を馳せているソリストと若い世代の指揮者が、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンとアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏します。この作品は、この種の作曲に非常に異なる方法で革命をもたらしました。アラベラ・シュタインバッハーはここで、指揮者のアンドリス・ネルソンスと(ショスタコーヴィチの協奏曲に続いて)2度目のコラボレーションを行います。この公演のオーケストラはWDRSinfonieorchesterKolnです。聴衆は、関係するミュージシャンが、現代的で前衛的なレパートリーと同じように、クラシック・ロマンティックのレパートリーでも家にいると見なされている理由について疑いの余地はありません。明確な構造と形の感覚、
彼らは一緒に、「天使の記憶に」捧げられた協奏曲ベルクの優雅で異世界的な瞬間を、説得力のある感動的な方法で表現します。後期ロマン主義とモダニズムの間に築かれたリンクは、バッハからの引用とシェーンベルクの音列技法を組み合わせることで、特にアラベラシュタインバッハーの音色のシンプルさ、純粋さ、繊細さ、そしてオーケストラの完璧なサポートを考えると、論理的に一貫して説得力があるようです。
ベートーベンの協奏曲は、ベルクより1.5世紀早く作曲され、ヴァイオリンとオーケストラを同じ足場に置き、ここで彼らの声を織り交ぜる画期的な技術により、ソリスト、指揮者、オーケストラが血なまぐさいロマンティックなスタイルで演奏するようになります。それにもかかわらず、スコアの自然な弾力性を誇張したり、覆い隠したりすることはありません。フリッツ・クライスラーのカデンツァは、この解釈の苦痛でダイナミックな文脈で有機的に聞こえ、勇敢なパッセージとして見事に機能します-結局のところ、ベートーベンとベルクがここに説得力を持って並んで配置され、アラベラ・シュタインバッハーが彼女を保持できる伝統の一部です世界の主要なコンサートホールのいずれかで所有しています。
ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」



ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 Op.61
【演奏】
アラベラ・美歩・シュタインバッハー(Vn)
ケルン放送交響楽団、アンドリス・ネルソンス(指揮)
 1.Violin Concerto: Andante - Allegretto
 2.Violin Concerto: Allegro - Adagio
 3.Violin Concerto in D major, Op. 61: Allegro ma non troppo
 4.Violin Concerto in D major, Op. 61: Larghetto
 5.Violin Concerto in D major, Op. 61: Rondo: Allegro

リゾート種の音楽にできないので、ベルクの協奏曲指揮、喜しされて良いない私ですが、このアルバムで聞い聴くベルク。あり、時代隠はこれなの、ベートーヴェンの協奏曲が、より存在感をこのようして響き、このカップリングと、シュタインバッハの美音の三重のギアの得をして、いいです。


実は先日注文したCDがずいぶん遅れて到着しました、そうです、ルーマニアの名花 ローラ・ボベスコ演奏のヴァイオリン好きに絶大な人気を博すローラ・ボベスコ(1921-2003)は、ルーマニア生まれのベルギーのヴァイオリニスト。
6歳で初リサイタルを開き、パリ音楽院を12歳で首席で卒業、17歳でイザイ国際コンクールに優勝した経歴の持ち主で、ソリストとしての活動のほか、弦楽合奏団を自ら組織して弾き振りをおこなってもいました。
その芸風はエレガントで繊細なもので、詩情豊かなフランス系音楽やバロック音楽の演奏で特に高い評価を得ていましたが、このベートーヴェンでもそうしたスタイルは一貫しており、ヴァイオリンが美しく歌う楽器であることを痛感させてくれる気品ある美しさは実に魅力的です。

ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲 他 (Beethoven : Violin Concerto in D major, Op. 61 / Lola Bobesco) 


ベートーヴェン:
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61
 ロマンス第1番ト長調 Op.40
 ロマンス第2番ヘ長調 Op.50

 ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
 ベルギー国立放送新交響楽団
 エドガール・ドヌー(指揮)

 録音時期:1982年7月26日~8月2日
 録音方式:ステレオ

この曲は凡庸なソリストが弾くと退屈な音階練習曲みたいに聞こえる場合がある。ボべスコの演奏は一音一音に魂がこもっているようです、すべての音が生気に満ち、この曲でこんなに雄弁、かつ豊麗に歌うヴァイオリンも珍しい。
録音状態も当時とすれば大変良好で、したたるような美音を満喫できる。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が好きな人は是非聴いて欲しい。ローラ・ボベスコのヴァイオリンの音色は気魄に満ち今聴くも充分値する、満足できる他の演奏者と比べるのは酷であるかの様です、正に真打ち登場の世界である。



ベートーヴェン交響曲には欠かせないウィリアム・スタインバーグ(William Steinberg)1899年8月1日~1978年5月16日
ケルン出身の、ユダヤ系ドイツ人の指揮者。ケルン音楽院に学び、指揮法をヘルマン・アーベントロートに師事。ケルン歌劇場の第2ヴァイオリン奏者となったところを指揮者のオットー・クレンペラーに認められ、彼の助手となり、クレンペラーが同歌劇場を去った1924年には首席指揮者に昇格しました。1930年にフランクフルト歌劇場の音楽監督に就任したが、1933年にナチスによりその地位をはく奪されたため、1936年にイギリス委任統治領パレスチナに移住した。同地でブロニスワフ・フーベルマンらと共にパレスチナ交響楽団(現イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)を結成。同地を訪れた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニに認められ、1938年に渡米してNBC交響楽団を指揮。その後、ニューヨーク・フィルやサンフランシスコ歌劇場に客演し、1944年にアメリカ市民権を獲得。
1945年から1952年までバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団、1952年から1976年までのピッツバーグ交響楽団の音楽監督を務め、その間、1958~60年にロンドン・フィルの首席指揮者、1966~68年にニューヨーク・フィルの首席客演指揮者、1969年から1972年までボストン交響楽団の音楽監督という要職を兼任しました。



映画で一躍有名になった作品では『ウィリアム・スタインバーグ~ホルスト:「惑星」、2001年宇宙の旅で有名になったR. シュトラウス:「ツァラトゥストラはかく語りき」』 
ユニバーサルが過去の名盤をCDとBlu-ray Audioのセットで再発売してるシリーズに、スタインバーグ、ボストン響の『惑星』『ツァラトゥストラ』が登場(1970、1971年録音)。この2曲、オーケストラの魅力を伝えるのが目的で、曲は、その為の手段に感じられる録音も多数ある。しかし、スタインバーグ盤は丁寧な仕事ぶりで、曲の表現自体が“目的”と感じられる。新たにリマスターが施されたBlu-ray Audioで聴くと、矛盾無く同居する豪快さと細やかさが、より一層伝わってくる。『惑星』初演から100周年記念に再発売された名盤を“聴く”だけでなく、音のシャワーを浴びるように身体全体で“感じたい”。
【曲目】
 1. R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》作品30
 2. ホルスト:組曲《惑星》
【演奏】
ニュー・イングランド音楽院合唱団(2)
ボストン交響楽団
ウィリアム・スタインバーグ(指揮)
【録音】
1970年9,10月(2)、1971年3月(1) ボストン
1.交響詩≪ツァラトゥストラはかく語りき≫ 作品30 フリードリヒ・ニーチェに自由に従った大管弦楽のための 序奏


凄い迫力で迫る正しく宇宙への広がりを感じさせるティンパニの連打、パイプオルガンの低域な自然な響きが感じる音がするこの真空管の凄さを再度感じた一瞬でした。スタインバーグの活躍はそれほどのものでもなかったが、この惑星はその活動の中でも飛び切り一番のもの。
10吋TANNOYーIIILZ Monitor Goldユニットから鳴り響く音はまさに特筆ものである。こんなにキレのある惑星を今まで聴いたことが無かった。70年代の初頭に録音されたものだが、全く古さを感じさせない素晴らしい演奏。



ウィリアム・スタインバーグ指揮 ベートーヴェン:交響曲全集
ウィリアム・スタインバーグとピッツバーグ交響楽団は1952年に35ミリ・マグネティック・フィルムによるベートーヴェン交響曲全曲録音を始めました。スタインバーグのベートーヴェンに対する真面目で控えめなアプローチは批評家に温かく受け入れられ、作品自身に語らせる指揮者として高く評価されました。しかしLPとして名盤とされながら、なかなかCD化の機会に恵まれませんでした。今回ドイツ・グラモフォンからの初めてのCDとして、1960年代にCommand Classicsに録音されたスタインバーグのベートーヴェン交響曲です。
ウィリアム・スタインバーグは1899年、ケルン生まれ。NBC交響楽団でアルトゥーロ・トスカニーニのアシスタントを務めた後、1952年にピッツバーグ交響楽団の音楽監督に就任しました。



ウィリアム・スタインバーグ指揮ピッツバーグ響、
メンデルスゾーン合唱団、
エラ・リー(ソプラノ)、
ヨアンナ・シモンズ(アルト)、
リチャード・ニーズ(テノール)、
トーマス・ポール(バス)
 ベートーヴェン:交響曲全集 交響曲第1番、
             交響曲第2番(1964年録音) 
             交響曲第3番(1963年録音) 
             交響曲第4番(1961年録音) 
             交響曲第5番、第6番(1965年録音) 
             交響曲第7番、第8番(1962年録音) 
             交響曲第9番、(1962年録音)
 (1961年から1965年、全てピッツバーグの軍人会館におけるステレオ・スタジオ録音


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
交響曲第7番 イ長調 Op. 92
Symphony No. 7 in A Major, Op. 92
 1.(14:29) I. Poco sostenuto – Vivace
 2.(08:36) II. Allegretto
 3.(07:31) III. Presto, assai meno presto
 4.(07:02) IV. Allegro con brio   total(37:38)
ピッツバーグ交響楽団 – Pittsburgh Symphony Orchestra
ウィリアム・スタインバーグ – William Steinberg (指揮)
録音: 1962
ウィリアム・スタインバーグの本名はハンス・ヴィリヘルム・シュタインベルク(Hans Wilhelm Steinberg)ですが、戦後はアメリカ中心に活躍したので英語名で知られています。
1945年から48年までバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、48年から50年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務め、52年から76年までの長きに渡ってピッツバーグ交響楽団の首席指揮者・音楽監督を務めました。



ベートーヴェンの交響曲全集は、62年から66年に録音されたもので、LP時代には名盤とされていました。
輸入元の情報では、スタインバーグのベートーヴェンは、真面目で控えめなアプローチで批評家に温かく受け入れられたなんて、生ぬるい書き方をされていますが、僕が第7番を聴いた印象は、控えめな演奏などということはありません。
しっかり自己主張のある、覇気溢れる演奏で、魂の入った素晴らしい演奏です。第7番以外では、第3番”英雄”(モノラル)や第8番(ステレオ)を聴きましたが、そこで感じたのはトスカニーニの影響です。
颯爽としたテンポ感と推進力。スタインバーグは、NBC交響楽団でトスカニーニのアシスタントも務めていました。また創設に加わったパレスチナ交響楽団では、トスカニーニが客演しています。

筆者が思うにベートーヴェンの交響曲演奏は指揮者共実に多くのメンバーの演奏画ありますが、良く聴くのはコンヴィチュニーがゲヴァントハウス管弦楽団と残した作品が多いが、ウィリアム・スタインバーグとピッツバーグ交響楽団による演奏も堅牢で実に安心感がある。今聴いても新鮮さを失わないクオリティの高い名盤です。ピッツバーグ交響楽団の演奏もアンサンブルのクオリティが高く、ヨーロッパのオケに全く引けを取りません。
第7番はダイナミックかつスリリングで、テンポ取りも王道です。第1楽章はアマオケで演奏する人にも良い参考になる位、実にしっかりした演奏です。第2楽章は遅めのテンポでロマンティックに盛り上がります。第4楽章はダイナミックかつリズミカルで充実感のある演奏です。第3番『英雄』も名盤です。の第1楽章は速めのテンポでシャープでスリリングで、熱く燃え上がります。第2楽章は遅いテンポでじっくり聴かせてくれます。第4楽章はダイナミックかつシャープで、聴きごたえがあります。第9番『合唱』は名盤です。第1楽章はしっかりした演奏で、非常に充実感があります。第3楽章は遅めのテンポで味わい深いです。第4楽章はアンサンブルのクオリティが高く、情熱的にスケール大きく盛り上がる、感動的な名演です。合唱のレヴェルの高さも印象的です。名曲に名演ありである。
現実に聴きごたえのあるベートーヴェンである。ブラボー!