次にクリュイタンスの『逝ける王女のためのパヴァーヌ』を掛けてみた。全身から血がひいてゆくように思った。バーンスタインのマーラー交響曲第五番をきいてみた。バックハウスの『皇帝』を鳴らしてみた。
もう涙も出なかった。私はあわて者だ、丹念さに欠ける人間だと自分で知っているつもりだから、各パーツの接続には十分注意した。
少なくとも自分では、したつもりでいた。なかば自棄になって、こんどはモノーラルをかけてみた。
クワードのプリアンプは、モノーラルのボタンを押すとスピーカーの片側だけが鳴るようになっている。
メインアンプの左右どちらかは自動的に消えるのである。なかば自棄だったので、掛けたのは古いヘンデルのコンチェルト・グロッソのロンドン盤だったが、鳴り出してあっと叫んだ。夢中で私は家内を呼んだ。
なんといい音だろう。なんとのびやかな低音だろう。
高城氏設計のコンクリートホーンからワーフデールの砂箱型、タンノイの和製キャビネット型、テレフンケン、サバと、五指にあまる装置で私は聴いてきた。こんなにみずみずしく、高貴で、冷たすぎるほど高貴に透きとおった高音を私は聴いたことがない。
しかもなんという低音部のひろがりと、そのバランスの良さ。古いカサドジュの弾くドビュッシーの前奏曲を次に聴いたが、盤質のよごれているのがこんなにハッキリ(つまり煩わしく)耳を刺したことはない。それでいてピアノの美しさはたとえようもない。私は勇気を新たにした。もう一度接続をしらべたら、ピックアップのコードを挿し違えているのを発見した。それからの、ステレオの、さまざまな試聴のたびに私の味わった狂喜はどんなだったか、これはもう察してもらうほかはない。
こうなればもう占めたものである。私はブリッテンの『戦争レクイエム』をかけ、オルフの『アンチゴーネ』をかけ、『シェーベルク集』を鳴らした。
気がとおくなるほどうまく鳴った。安心して私は『ワルキューレ』に針をおろした・・・・・S氏にすすめられ、半信半疑でとったこのタンノイのGuy R.Fountain Autographではじめて、英国的教養とアメリカ式レンジの広さの結婚、その調和のまったきステレオ音響というものをわたくしは聴いたと思う。今まで耳にしたタンノイがいかにタンノイの特色を発揮していなかったか、むしろ発揮しないために音をわるくしていたかを痛感した。
つまりタンノイはエンクロージァ次第でその音に天と地ほどの開きができるスピーカーユニットである。いいかげんな箱に納めたタンノイの耳を刺す高域がAutographのFolded Hornでは真綿の弦を、絹で撫でるように柔らかく聴こえる。同じスピーカーがである。
スピーカーというのはそれ自体は単なる一機能にすぎず、箱全体が、さらに優秀なのは部屋の空気の隅々が音楽を満たすようにできているということを、こうして私は知ったわけだ。
専門家なら、はじめから分りきったことというにきまっているが、しかし、実際に、空気全体が(キャビネットやましてスピーカーではない)楽器を鳴らすのを私は未だかつて聴いたことがない。鳴っているのはスピーカーでありキャビネットであった。今、空気が無形のピアノを、ヴァイオリンを、フルートを鳴らす。
これこそは真にレコード音楽であろうと、私は思うのである。)五味先生は上記のごとく15吋のタンノイユニットについて述べている。
確かに先日ベルナルダ・フィンク(メゾ・ソプラノ)の歌うBWV169を聴き演奏も歌も大変録音も演奏も良く絶賛したが、何気なくマタイ受難曲でも有名なアーフェ・ヘイニスのBWV 169を見つけ早速聴き、もちろんモノーラル録音で音質は落ちるが、全く格が違うのだ、実に気品に満ちた歌声を聴かせてくれる、この違いに驚き絶句する。
そのような違いの分かるエンクロージャが良い製品と思う、この辺りがTANNOYの良さである。間違いなく筆者の所で鳴る音10吋HPD295のそれが認知出来る、AXIOM 80の箱への移植はそれほど音質、音楽が楽しめるようのです。
15吋のTANNOYオートグラフとはどうのような音で鳴るのか誠に興味あるTANNOY オートグラフに憧れる。でも大きさも価格も「夢」のような非現実さ。我が家の部屋にはサイズ的に置き場が無く、やはりバランスは大事に思う。
そんな中、当時手に入りやすいTANNOYのユニットHPD295を使って「夢」へ近づけるべくステレオサウンドでキャビネット製作が企画されました。「コーネッタ」。(1976年ステレオサウンド38号)勿論一度聴いてみたいエンクロージャですが・・・。当時、経済的にも手は出ませんでした。
もし此のような音も満足する仕上げの美しい「コーネッタ」でしたら欲しくなりますね!
勿論音質も大切だすが、筆者は見た目の雰囲気も大切にしたい、塗装仕上げもそれなりに行き届き木目もきれいに仕上げてあることもある程度の条件には掲げたい。先日紹介されたFurutechの電源ケーブルも幾分馴染み実に美しい美声を聴かせてくれるようになった我が家のTANNOY(ⅢLZ)AXIOM80と「コーネッタ」とどこが違うか実に興味が湧きます。でも筆者は今のシステムで満足しています。
バッハ好きの筆者も今までバッハ作品主題目録番号BWV 1001-1040室内楽曲とあるが、今まで伴奏付きヴァイオリンの他の作品(BWV 1020-1026)この番号はあまり見たこと無い番号である。
早速調べて見ると下記のようなことがわかる?
BWV 1020 - ヴァイオリン(またはフルート/ レコーダー)とチェンバロ(現在はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ- H 542.5に帰属)のためのG minorのソナタ
BWV 1021 - ヴァイオリンとバッソコンティニュー
BWV 1022 - ヴァイオリンとチェンバロのためのF majorのソナタ(おそらくCPE Bachによって疑 わしい)
BWV 1023 - ヴァイオリンとバッソソーのソナタのEマイナー
BWV 1024 - ヴァイオリンとバソソーのコンティニュ用のCマイナーソナタ(疑わしい)
BWV 1025 - ヴァイオリンとハープシコード(シルヴィアス・レオポルド・ヴァイスによるソナタの後)のための主題のスイート(おそらくCPE Bachによって疑わしい)
BWV 1026 - ヴァイオリンとハープシコードのためのG minorのフーガ
つまり、今風に言えばかなりアレンジしたり、バッハの息子の作った曲であるかも知れないという詳細を見つけた。
注意して聴くと筆者にはバッハに作品ではないような旋律が演奏されたいる。
演奏はアマンディーヌ・ベイエ Amandine Beyer, violin solo & Directorが演奏しているアマンディーヌ・ベイエは、フランス古楽界の新世代を代表するバロック・ヴァイオリン奏者。
エクス=アン=プロヴァンスでオーレリア・スパダロに師事したのちパリ国立高等音楽院、スイスのバーゼル・スコラ・カントルムに入学。
キアラ・バンキーニのもとで古い時代のヴァイオリン奏法への研鑽を深め、同時にクリストフ・コワン(バロック・チェロ)、ホプキンソン・スミス(リュート)といった巨匠たちにも薫陶を受けた。
1998年ボンポルティ国際コンクール、2001年トリノ・ヴィヴァルディ・コンクールで入賞など、受賞歴を重ねた。その後フランスのカフェ・ツィマーマンの第2ソリストとして共演関係を続けながら、自らアサンブレー・デゾネート・エ・キュリュを共同主宰。
2006年に新たなアンサンブル、リ・インコニーティ、バロック期のヴェネツィアで活躍していた知識人サークル「名もなき者たちのアカデミー/Accademia degli Incognitiからとられている)を結成。これらのアンサンブルで数々の名演をくりひろげながら、AlphaおよびZig-Zagに数多くの名録音を残している。特にZig-Zagへの録音は高い評価を博している。
L'Arpeggiata: Bertali: Ciaccona (Veronika Skuplik Violin Solo)
J.S.バッハの「偽作」集!?豊かな創意に驚嘆する1枚
クラシック作品が、忘れてしまった長い作曲家によって書かれた、あるいはそのページの実際の音符が聴覚に値するものであれば、その作曲家の非典型的なものであるかどうかは重要ですか?
これは、BWVの背後にある思考を誘発する疑問であり、タイトルの示唆しているように、ヨハン・セバスチャン・バッハに何らかの形で付属している作品を通じてその事例を発展させ、一方、知的財産これらの作品の創造の時代は馬鹿馬鹿しくしてしまいました。
したがって、プログラムを弾くことは、BWV1025です.BJSのヴァイオリンとCembaloobbligatoのためのスイートとして、メジャーではSilvius Leopold Weissのリュート・スイートを実際に手配しています。
また、BWV1024(BWV1024)は、バッハの文章欄の一部を刻むだけではなく、バッハの同僚であるヨハン・ゲオルグ・ピアセン(Johann Georg Pisendel)に(疑問符をつけて)帰属しています。その後、ヨハン・ゴットリーブ・ゴールドバーグにもかかわらず、1860年にヨハン・セバスティアンの名前で出版された2つのバイオリンのためのCメジャー・ソナタBWV1037があります。
それは興味深い多様な品揃えであり、音楽的に価値のある作品に「名前」を付けることができない現代の問題を真に意味するように、十分なスタイルと信念をもってここで行われます。
結局のところ、BWV1037で命を肯定しているギグ、またはBWV1024を開くラプソディーで苦しいアダージョを贈ったのは、バッハ、ゴールドバーグ、他の誰かでしたか?
BWV1038のアマンディネ・バイヤーのヴァイオリンの豊かさとマヌエル・グラナティエロの柔らかい木目の横笛(バルバドスのバッハのGメジャー・ソナタ、横笛とヴァイオリンは息子のカール・フィリップの下で間違って出版されていた)のティンバーのコンビネーションが、エマニュエルの名前)。もう一つの素敵なタッチは、ドイツのリュートの使用ですが、音の全体的な魅力的な明るさと近さの中で、リュートとヴィオラダガンバは、バランスのバックグラウンドに非常に盛り込まれていると言わなければなりません、バイヤーのバイオリンとアンナフォンタナハープシコードが最も鮮やかに現れる。
CD版にはBWV1025のFantasiaとRondeauが収録されていますが、フル・スイートのためには、アルバムをストリーミングまたはダウンロードする必要があります。
これはすべて楽しいものですから、十分な価値があります。
BWV ...or not? Gli Incogniti, Amandine Beyer (Album Presentation)
バロック・ヴァイオリンに新しい風を送り続けるアマンディーヌ・ベイエ&リ・インコーニティによる最新録音。「BWV … or not?」とちょっと気になるタイトルでの登場です。J.S.バッハの作品目録では「偽作」に分類される、J.S.バッハが作曲したとされていた、あるいは、編曲した作品を集めたもの。
バッハ以外の人のテーマに基づいてバッハ自身が作曲した作品も最後に収録されています。
この「偽作」が生まれた要因は、J.S.バッハが他の人の作品を筆写した楽譜を後世の人がバッハ作品として出版した。あるいはJ.S.バッハは次男のC.P.E.バッハは、お互いの作品をよく筆写したため、時にJ.S.バッハの作品がC.P.E.バッハの作品として出版されることもあった、など、様々な要因によるもの。
「偽作」と言われるだけで、なんとなく色眼鏡でその作品を見てしまい、バッハの作品ではないとして片付けてしまいがちですが、ベイエ率いるリ・インコーニティの面々は、そのしなやかなリズム感あふれるアンサンブルと音色で、それぞれの作品のもつ、実に豊かな創意で聴き手をたのしませてくれます。
J.S.バッハ:ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのための組曲 BWV1025 イ長調(S.L.ヴァイスのリュート組曲 SC47の編曲版)
ピゼンデル(1687-1755):ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタハ短調 BWV1024(バッハ作とされていたが、現在はピゼンデル作とされている)
J.S.バッハまたは/と C.P.E. バッハ:フルート、ヴァイオリン、通奏低音のためのソナタト長調BWV1038(H.590.5)
C.P.E.バッハ:2 つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ短調 BWV1036(Wq145/ H.569の初期版)
ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク(1727-1756):2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタハ長調 BWV1037(DuerG 13)
J.S.バッハ:フーガ ト短調 BWV1026
J.S.バッハ:フルート、ヴァイオリンと通奏低音のための“王の主題に基づく”ソナタ~「音楽の捧げもの」BWV1079より
【演奏】
リ・インコーニティ(古楽アンサンブル)
アマンディーヌ・ベイエ(ソロ・ヴァイオリン)
アルバ・ロカ(ヴァイオリン)
マヌエル・グラナティエーロ(フルート)
バルドメロ・バルシエラ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
フランチェスコ・ロマーノ(バロック・リュート)
アンナ・フォンターナ(チェンバロ)
2017年2月9-13日、ローマ
未だに謎の部分が多く今後の発掘が楽しみなバッハであるが生涯1080曲以上を作曲した精神、体力には驚くばかりである、今後益々楽しみである、
久しぶりに海水魚マンジュウイシモチ(饅頭石持)を7匹購入、小さな水槽の中でまるでバレイを鑑賞している雰囲気になります。
比較的に飼いやすい魚ですぐに餌付けも終わり、元気に泳いでます、音楽を聴きながらの鑑賞は癒せれます、ブラボー!
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