先日久しぶりにオーディオ仲間から連絡をいただき、本屋で300Bの本があると言われ、早速最寄りの本屋に出かけ早速探すが以前に別冊ステレオサウン誌『300B Book』は以前購入した本であった、が別冊『真空管アンプ クラフト主義』があり、購入する。
記事の中に上杉研究所の創業設計者である上杉佳郎氏は、かねて親しんだラジオやアンプに思いを馳せ、愛情を注いでリストアする「甦る少年時代の〈思い出〉」を『管球王国』に執筆。を紐解くも面白く、ステレオ・サウンド社の「管球王国」創刊を記念して発売された管球式パワーアンプキットの紹介。
今興味ある6L6WGCによるプッシュプル/ウルトラリニア接続パワーアンプ(1995年8月発売)UESUGI U・BROS-1(キット)「管球王国」創刊を記念して発売された大変興味深いアンプでもある。
思うは能率の良い10吋同軸2ウェイ(IIILZ Monitor Gold)をひっそり鳴らすアンプは最適なアンプの様にも思う、英国の音に憧れ、古い10吋TANNOYを再び2013年から聴き始めたが基本は余り変わり映えもしない音ではあるがこの音に長く浸ると最新の音に興味を抱かなくもなるのが不思議だ。
しかし注意書きで真空管の球は製作者の意図もあるので指示された玉を使う事を勧めると書かれてある、確かに真空管の音はメーカーにより違うことで頷けるこれもルールなのである。それをわきまえ使用する事が大人なのである。この様な記事を見るとこのアンプが欲しくなりますよね!
最近はオーディオ機器の価格高騰も驚くが、貧困老人には大変辛い事である。今更ながら6L6アンプに興味が湧いてます。
今回は話は古い映画のBS放送で再放送を見た感じた事を記した。スパイアクションの金字塔「007」シリーズの第1作で、ショーン・コネリーが自身の当たり役であるジェームズ・ボンドを初めて演じた記念碑的作品ではあると言われるが素人の様な感じで演技も最低である。イアン・フレミングによる原作小説のシリーズ第6作を基に、イギリスの敏腕諜報員ジェームズ・ボンドと天才科学者ノオ博士の戦いを描く。
当時日本初公開時のタイトルは「007は殺しの番号」。実は映画「007」シリーズは1962年にイギリスで第1作が公開され以来、2021年10月1日に日本公開される最新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』で25作目。世界中で長〜く愛されているスパイ映画なのです。
日本では一年後の1963年6月1日公開している筆者の記憶によると15歳の夏休みに公開映画を観た記憶は残るが、ストリーは今一つ意味不明な箇所が多く、後に観た第二作目「007/ロシアより愛をこめて」の作品は一番好きで主題歌テレンス・ヤングが監督の2作目、マット・モンローの美声が良いテーマ曲は名曲だと思う。
第一作目では余り気にならなかったが、第二作目のボンドガールにはイタリア出身のダニエラ・ビアンキの「タチアナ・ロマノヴァ」役は美人で見逃せなく魅力であった。ストーリーも子供ながら理解でき大変好印象に残る作為品であった。
最近BSで大一作から順に再放映していたので第一作目をジックリ観ることにした、この映画は第一作目から順位になければならないと解説されいる事は、当然のことであるように映画をみて理解できるのである。
これは筆者の独り言ではあるが007映画シリーズとは違うが1967年のジェームズ・ボンド卿(デイヴィッド・ニーヴン)のBurt Bacharach 映画「007 カジノ・ロワイヤル」恋の面影「THE LOOK OF LOVE」は好きな曲である。後にTHE LOOK OF LOVEはジャズ等でアレンジされ大変親しまれているようである。最近ではダイアナ・クラール、ニキ・パロット等等が人気の様である。
再放送を見て思うはこの「クラブ」が一番の問題で如何にも英国式な物語になっていることだ、当時幾らませた中学生如きには理解できないであろう、これが映画の中でのクラブの中身の一部である。リンクを貼り付けました、
ここで思うは英国ルールは大切である事が理解できる。勿論ジェームズ・ボンド式ルールがある様です(笑)。例えばドンペリは3.5度で飲めと言う様に・・・
中学生の子供にはこの様な事は全く理解出来ない内容であろう・・・、
アンバサダークラブとはなんぞや?の意味が解明しなければ面白さは半減する、この第一作目の説明、いや当時英国流の世界観が理解できなければ007なんて面白みに欠ける、いや解らないのであろう。
カードゲームはわかるが意外と年配の社交上儀式は日本にはなく、意味不明の怨憎であった。此処でジェントルマン(gentleman)に意味も曖昧で日本では一般的に紳士と訳させれいるからです。ジェントルマン は地主貴族を核とするイギリスの名望家。16世紀から20世紀初頭にかけての実質的なイギリスの支配階級であった。世襲の爵位を有する少数の貴族と、身分上は庶民である大地主層ジェントリを中核とし、経済活動の活発化に伴って興隆した中流階級を随時取り込む形でその境界を広げながら支配体制の温存を図った。
この様にこのスパイ映画を観ると、意外とシリアスな面と英国独特の社会が分かってくる様であるのが面白い第二作目以降はお遊び要素が多くなる。
当時携行用拳銃がベレッタからワルサーPPKに変更しモデルガンも人気が出た記憶がある。東京御徒町のモデルガン専門店が人気があった等である。
写真のPPKであるが一部切り抜き部分に間違いがあり早速補修する未だPhotoshopでの補修は手放せない様である。
今思えば、この様な社会が理解できればこの映画は大変貴重な映画であり国際スパイ行動を理解するには面白い映画でもある
現在プーチン大統領は約1ヶ月に一人を殺していると言われるが、不思議なことにロシア国民が騒ぐが次々に殺されまたか?と言う感じになり最近は騒がないそうである。毒殺説も頻繁に横行している様である。
西側諸国の英国では産業革命以降はあまり変わらない社会に収まっている事がわかり、日本と随分違い様に思う。ギリシャ、ローマ以降の中世以降のEUは余り変化しない様に思う。
初代ジェームズ・ボンド役で知られる英俳優ショーン・コネリーさんが2020年10月死去したと伝えた。90歳だった。
「ジェントルマン」という言葉はよく目にも耳にもするし、実際使うこともあるけれど、いざ、では「ジェントルマンって何」と問われたら、なかなか即座には「これがジェントルマンだ」と返答できないのではないだろうか。
これこそが列記とした英国の歴史から成立した言葉なのである。
中世末から近代初頭に成立したイギリスの社会層。16世紀以来のイギリスの支配的階層であるが,その具体的な内容は時代によって微妙に変化している。本来のジェントルマンとは,地代収入によって特有の奢侈(しやし)的な消費生活や教養,政治活動を中心とする行動様式などを維持しえた有閑階級のことである。基本的には,公侯伯子男という爵位をもつ貴族と,身分的には庶民であるが,貴族と同様に〈家紋つきコートcoat of arms〉の使用を認められていた〈ジェントリーgentry〉とがその構成員であった。又、産業革命により庶民にも裕福な家族が増え、たとえば銀行の頭取、大会社の取締役とも〈ジェントリーgentry〉が与えられ様になった。英国には当時クラブは至るところにあり、朝食、昼食、夕食は勿論クラブで頂きカードをしながら投資物件の調査をしその様なデーターを徴収できるのが社交場のクラブであった。食事も全てクラブの出された物いただき味付け等は騒が無い事が決まりでもあった様である。
当然家庭ではあまり食事をしていない方々が多く、文句を言いたくとも誰に言うのかも知らない世界の事だったのであろう。笑える事は英国紳士は「飯が不味い」と叫べなかった事も英国の食事の不味さである様に思う。
調べてみると次のようは説明を引用しました。
歴史的には中世末期以降の英国で大きな政治的・経済的役割を果たした社会層。おもに地代収入によって特有の生活様式、教養などを維持した有閑層で、その内容は時代によって変化したが、貴族と、大多数の身分的には庶民である〈ジェントリーgentry〉からなった。
また大地主以外でも開業医,法律家,聖職者や富裕な商人なども含むことがあった。荘園制の解体の中で農業経営によって富を蓄積し,中世末には地方政治をにない,近代絶対主義時代には中央政治に進出、名望家支配の体制を固め、17世紀以降の市民革命に際しても多大の役割を演じた。ブルジョアジー台頭後は中産階級以上の地位・財産・教養をもつ者(紳士)を広くさし、単なる尊称としても用いられるようになった。
今思うも007のボンドガールとしてもダニエラ・ビアンキが最高でもある。
この様な歴史がある、英国は飯が不味いと言う事なのであろう、勿論支那料理も不味いと言われていると聞いた事がある。日本人が見た目に解るはイギリスパンは皆知っている食べ物である。肉じゃがの基本は英国と聞いた事がある、勿論我々にはたいした料理としか思えない。
中学生時代この「ジェントルマン」と言う意味合いを理解していれば007ドクターノウはもっと面白い記憶に残る作品であったのであろう、ブラボー!