気功を続けていると
そこで使う言葉や意味も
もう一つ深いところで
理解できる気がします。
そして・・・
気功の魅力は
それぞれの生きている時間を充実させるというか…
納得しながら過ごせるというか…
そういうことができるところではないかと思います。
参考までに
津村喬さんより
気功といえば瞑想とか運動とかマッサージとか「気功法」をやることと受け取られるでしょうが、気功法はあくまで訓練手段で目的ではありません。
気功法の経験をつんだ結果、自分のからだに「気功的」に向き合えるようになると、病気を治したり病気になりにくくしたりということにも使える、というわけで、気功法がそのまま治療法に限定されるわけではありません。
気功的に体を使って武術に応用するとか、気功的に頭脳を使って「右脳的」にしたり「視床下部的」にモードを変えるとか、気功的に環境と向き合って樹木や山海と気を通じるとか、すべて広い意味の気功の応用になってきます。
ふつう気功の応用の八大領域といって、医療、保健、教育、体育(武術を含む)、宗教、芸術、表演(サーカスなど見せ物)、環境を指します。それはいわば専門分野への応用ということになりますが、それよりさらに「日常生活への応用」を強調するのが「気功的生活」という言葉です。
この言葉は1987年に初めてフィンランドに行ったときにできた言葉です。森と湖の生活を体験して「これではわざわざ気功をするまでもないじゃないか」と感動し、「気功をしなくてもいいほどの生活」つまり生活そのものが気功的であるような生活をこのように呼ぶようになりました。
でも中国や日本の環境の現状では、まだまだ気功法をわざわざやらなければ気功的生活に近づけないようです。