(飲むと子供が授かりやすくなる)
さらに「立春雨水」「梅雨水」「液雨水」に分けられます。
中でも、「立春雨水」は、その気の性質から、発散薬と補中益気薬を煎じるときに適しています。
「液雨水」は、立冬から小雪までの10日間に溜まった雨水で、殺虫効果があり、溜まったものを取り除く漢方薬の煎じに適しています。
坐禅看起来简单,两腿一盘,什么都不想就行了。其实这看似最简单的事恰恰最复杂,不仅修法多,目的不同,结果也大异,弄不好还可能得“禅病”。因此修禅定须满足以下七个条件:
一是遵守必要的行为规范。
二是饮食洁净。
三是环境安静。
四是有好的指导老师。
五是节制乃至杜绝五官受色、声、香、味、触五种欲境的勾引。
六是克服贪欲、嗔恨、嗜睡、躁动、多疑等负面心理。
七是合理调节饮食、睡眠、身体坐姿、呼吸以及心理状态。
千百年来,佛教的高僧大德在用禅定进行养生和治疗疾病方面积累了丰富的经验,其中以隋代智者大师的论述最为系统、精辟。他在《修习止观坐禅法要》卷下说:“夫坐禅之法,若能善用心者,则四百四病自然除瘥。”他总结有九种方法:
(1 )系心脐中像豆子那么大,能治诸病,也能发生诸禅,因为息从脐出,还入至脐。又入托胎之时,带系在脐,是肠胃的根源。
(2)诸如上气胸满、两胁痛、背臂急、肩井痛、心热懊痛、烦不能食、脐下冷、上热下冷、阴阳不和以及气嗽等,可以用意守丹田的方法治疗。因为“丹田是气海,能销吞万病”。如果止心丹田仍觉痛切,可以移心足三里穴。若还不能止,则可以移心两脚大拇指甲的横纹上,以愈为度。
(3)心缘两脚之间,可以治愈头痛、眼睛赤疼、唇口热、疱疹、腹猝痛、两耳聋、颈项强等七种病。
(4)经常止心在足,能治一切病。因为我们平常用脑的时候多,“气强冲腑脏,翻破成病”,心如缘下,则五脏顺而消化力增强,众病自愈。
(5)身上有病,一心止于病,外如果没有特殊的障碍不出三日,都能痊愈。
(6)不以病为意,但寂然止住心意和悦,也能治病。
(7)偏用出息,可治肿结沉重、身体枯瘠、痰饮胀满、饮食不消、腹痛下痢等病。偏用入息,可治憎寒壮热、支节皆痛、身体虚悬、肺闭胀急、呕逆气急等病。
(8)吹、呼、嘻、呵、嘘、呬六种息(或作气)治五脏诸病。六种息与脏腑的关系为“心配属呵肾属吹,脾呼肺咽圣皆知,肝脏热来嘘字至,三焦壅处但言嘻。”俗称六字诀。
(9)上息治沉重,下息治虚悬,满息治枯瘠,焦息治肿满,增长息治赢损,减坏息散诸阴膜,暖息治冷,冷息治热,冲息治壅塞不通、症结肿毒,持息治战动不安,和息通治四大(地水火风)不和,补息补虚乏。善用此十二息可以遍治众患。
禅定何以对养生有重要作用?我们可用中医的观点来加以解释。如我国中医的圣典《黄帝内经》说:“恬淡虚无,真气从之;精神内守,病安从来!”(《素问·上古天真论》)“邪之所凑,其气必虚。”(《素问·评热病论》)“正气存内,邪不可干。”(《素问·刺法论》)说明精神的安定、和谐与正气在抵抗疾病及延年益寿方面的重要性。而佛教“气功”可以怡情养性,做到精神内守,恬淡虚无,从而能最大限度地调动人体的自我调节、再生能力与免疫能力。
古代的高僧长寿者以禅师居多,他们虽然衣食非常俭朴,医疗条件极差,甚至常年风餐露宿,但精神充实,“禅悦法喜”充满,因而能尽享天年。传说达摩活了150岁,赵州和尚也活了150岁。近代高僧虚云禅师(原中国佛教协会名誉会长)可说是一个苦行僧,一生坐禅,修庙不辍,活了120岁。虚云禅师的另一弟子妙智法师,世寿116岁。他生前总结自己的养生之道是:“三勤、三静、三淡、三乐。”“三勤”谓脑勤、手勤、脚勤;“三静”即静心、静气、静行;“三淡”是看淡权力、看淡金钱、淡忘年龄;“三乐”就是要助人为乐、知足常乐、自得其乐。他的这种养生之道与他的禅修理念和实践是分不开的。
总之,无数高僧大德的禅修实践证明:生命既在于运动(运动员身体强壮,但长寿者少),更在于“牵灵虚静”,佛教禅定的理念与方法是佛教养生的一大秘诀,人人都可以通过禅修充分调动自己身心本具的巨大潜能,从而实现祛病强身、怡情养性、延年却老的目的。
八正道与养生
八正道是指获得最终解脱的八种正确方法和途径,八正道是四圣谛中道谛的具体内容。八正道包括:正见、正思维、正语、正业、正命、正精进、正念、正定。通过八正道的修行就能通往成佛之路。
八正道最初是释迦牟尼佛针对婆罗门教、耆那教的苦行主义和六师的享乐主义而提出的修行方法。在他看来,苦行主义是对自我施加折磨,不会带来什么收效,而享乐主义沉迷于寻欢作乐的生活,更会通向毁灭之路。就此,他提出了不苦不乐的中道,就是八正道。
原始佛教十分重视这种不苦不乐的八正道修行方法,并将其列为道谛的具体内容。从养生的角度来讲,八正道是真正的保养我们这个身心的八个台阶,沿着阶梯我们就可以达到福慧双修的养生最高境界。具体说来,八正道分别是:
“正见”,正确的见解,就是对缘起论、四圣谛等佛教教义理解信服,并坚定不移地信奉。这是八正道中最根本的方法,因为有了正见,才能对事理有正确的认识,才能破除外道的邪见,只有将正见作为基础,才能精进不懈地修行。
“正思惟”,正确的意识或观念,断除邪恶的欲念,生起正当的欲念。正思惟主要有三方面的内容:舍弃执著或自私之心、慈善仁爱、无害,这些是修行的意志决心。
“正语”,纯正清净的语言,合乎佛法的言论,也就是不说谎、不谩骂、不诽谤、不恶语、不暴语,而使用友善纯洁的词句。
“正业”,就是要住于清净善业;要有正当的活动、行为及工作,不杀生、不偷盗、不邪淫,不作一切恶行。正语、正业这两个阶梯是很难攀登的,一旦登上这个高度,就已取得了相当了不起的自制能力。
“正命”,就是正当的谋生手段,按照佛教的标准来谋求生存的必需品,远离一切不正当的职业。
“正精进”,就是正确的修行,使自己的身心臻于完善。到达这一阶段的人将完全理解自己行为的目的,无论衣食住行、工作休息,都能毫不松懈地按照佛法行动,从而达到了至善至美的境界。
“正念”,就是正确的思维,牢记佛法,念念不忘佛教真理。到达此阶段的人,完全抛弃了“我”的念头,只考虑世界的真相,不再执著于不如实不如理的妄想。
“正定”,就是收摄了各种杂念,身心都很寂静;并对佛法有坚定不疑的定见,专心一志地精进修行。到达此阶段的人,完全抛弃了无根据的信仰和妄想,不再混乱与恐惧,身心寂静地修行。
メモを兼ねたブログです。
黄帝内経より
第一节《黄帝内经》揭示疾病的起源
《黄帝内经》里头有三句话,把疾病的起源讲得很透。
第一句:百病皆生于气
《素问·举痛论》“余知百病生于气也,怒则气上,喜则气缓,悲则气消,恐则气下,寒则气收,炅则气泄,惊则气乱,劳则气耗,思则气结,九气不同,何病之生?
指出气病的广泛性,不论外感内伤,最先波及的便是气,导致气的异常,由此再影响到血、津液、脏腑、经络。所以气病也就最广泛。气病临床常见的证候,概括为气虚、气陷、气滞、气逆四种。
怒则气上,容易脑溢血,眼睛充血,咽喉上火,口臭,鼻炎中耳炎。
思则气结,思虑太过,气机就容易板结,不是长包块,就是生癌肿,所谓的甲状腺肿,肝囊肿,肠息肉,子宫肌瘤,脂肪瘤,只不过是气结在不同脏腑部位的产物而已,名虽不同,气凝其痰血,使血水结聚不散的本质是相同的。学中医是重本质,而不重名相的,凡所有相皆是虚妄,大家不要被病名吓到。所以一切包块结聚,都要反思自己是不是思虑过度啊!打得念头死,许汝法身活。无私也,无为也,岿然不动,感而遂通。
恐则气下,人容易害怕担忧,不好的事情总会来,这叫怕什么来什么。人一恐惧,腿脚就无力,一牵挂担忧,心被绊住了,腿都迈不动,所以腰脚以下的疾病,比如尿频尿急,遗精滑精,抽筋,腿脚酸软无力,肿痛等,都离不开恐则气下,因为肾主腰脚,恐伤肾。
人多思则多病,寡思则寡疾,清心寡欲,即是延年益寿。
1)气过证:是指气机升降失常,逆而向上所引起的证候。临床以肺胃、肝胆之气上逆的证候较为多见。主要临床表现:肺气上逆,则见咳嗽、喘息渭气上逆测见呃逆、暧气、恶心、呕吐;肝气上逆,则见头痛、眩晕、昏厥、呕血等。病机分析:不同脏腑之气上逆证,其病因以及临床表现各不相同。肺气上逆,多因感受外邪或痰浊阻肺所致,使肺气失于宣发肃降,上逆而致咳嗽、喘息;胃气上逆,多因寒饮,痰浊,食积停滞于胃,阻碍气机所致,胃气上逆,则见呃逆、暧气、恶心、呕吐等症;肝气上逆多因郁怒伤肝,肝气升发太过,气火上逆则见头痛、眩晕、昏厥,血随气逆而上涌,可导致呕血。
2)气滞证:是指人体某一部分,某一脏腑气机阻滞,运行不畅所表现的证候。多由情志不舒,邪气内阻,阳气虚弱、温运无力等因素造成。主要临床表现:以问胀、疼痛,疼痛攻窜或阵阵发作为主症。病机分析:本证以闷胀、疼痛为辨证要点。人体气机以畅顺为贵,如有郁滞,轻则问胀,重则疼痛,且常呈攻窜发作。无论脏腑经络肌肉关节,都能反映这一特点。引起气滞的原因很多,胀、痛出现的部位状态也不同。因此必须辨因辨位相结合。如食积胃院,以致胃气郁滞,故引起院腹胀问疼痛;肝气郁滞则以胁肋窜痛;胸痛以心肺病变为多;四肢关节痛,大多见于经络病,等等。
3)气陷证:是指气虚无力升举而反致下陷的证候,常由气虚证进一步发展而来,或者劳动用力过猛,过久损伤某一脏气所致。主要临床表现:气虚证加上下陷证。即头晕眼花,少气倦怠,久泄久痢,腹部有坠胀感,脱肛或子宫脱垂等。舌淡苔白,脉弱。病机分析:本证以内脏下垂为审证关键。本证多由气虚证进一步发展而来,故见头晕眼花,少气倦怠;脾气不升,清阳下陷,则久泄久痢;正气不足,升举无力,则导致内脏下垂,临床常见脱肛,子宫脱垂等症;舌淡苔白,脉弱皆为气虚之象。
4)气虚证:是指全身或局部气的减少,而导致脏腑组织功能减退的证候。多由久病体虚、劳累过度,年老体弱、营养不足等原因引起。主要临床表现:少气懒言,神疲乏力,头晕目眩,自汗,活动时诸症加剧,舌淡苔白,脉虚无力。其中乏力、无力是其主要症状。病机分析:气是人生命活动的动力,气盛则脏腑功能旺盛,气衰则脏腑功能减退。所以,气虚以全身功能活动低下的表现为辨证要点。元气不足,脏腑组织功能减退,故少气懒言,神疲乏力;气虚则清阳不升,头目失养,故头晕目眩;气虚则毛窍疏松,肌表不固故自汗;劳则气耗,使气更衰,故活动时诸症加剧;气虚无力鼓动血脉,血不上荣于舌,故见舌淡苔白;运血无力,故脉虚无力。
一部の訳
すべての病気は気から生まれる
外邪、内邪にかかわらず、まず「気」が冒され、「気」の異常が「血」「津液」「臓腑」「経絡」に影響を及ぼすと指摘されています。 そのため、「気」は最も広く普及している病気なのです。
気滞
体のある部分や内臓の気が滞り、血行不良になる症状です。 通常、感情や精神的な不快感、邪気の内的な滞り、陽気の弱さ、温熱や運動の弱さなどが原因です。 主な臨床症状は、膨満感、疼痛、疼痛発作または疼痛発作です。
疾病メカニズムの分析:識別の要点は痞えと痛みである。 滞りがあると、腫れや痛みを伴い、発作を起こすことが多くなります。 この特徴は、すべての臓器、経絡、筋肉、関節に反映されます。 気の滞りの原因は様々で、状態によって歪みや痛みの出る部位が異なります。 そのため、原因や場所を特定する必要があります。 例えば、胃に食べ物が溜まって胃の気が滞ると腹部が膨張して痛み、肝の気が滞ると肋骨が痛み、胸痛は心肺の病気が多く、手足の関節痛は経絡の病気が多く見られるなどです。
参考までに
「ウィキペディア」さまより
黄帝内経
『黄帝内経』(こうていだいけい、こうていだいきょう、こうていないけい、黄帝内剄)は、現存する中国最古の医学書と呼ばれている。古くは『鍼経』(しんきょう)9巻と『素問』(そもん)9巻があったとされているが、これら9巻本は散逸して現存せず、現在は王冰(おうひょう)の編纂した『素問』と『霊枢』(れいすう)が元になったものが伝えられている。黄帝が岐伯(きはく)を始め幾人かの学者に日常の疑問を問うたところから『素問』と呼ばれ、問答形式で記述されている。『霊枢』は『鍼経』の別名とされ、『素問』が基礎理論とすると、『霊枢』は実践的、技術的に記述されている。
2011年、ユネスコが主催する世界記録遺産にも登録された。
「コトバンク」さまより
黄帝内経
中国の古典医学書。著者、著作年代ともに不明。前漢(前206~後8)末ごろ存在していた。『漢書(かんじょ)』「芸文志(げいもんし)」に『黄帝内経』18巻とあるが、内容は明らかではない。『素問(そもん)』9巻、『霊枢(れいすう)』9巻からなっていたといわれ、今日、『黄帝内経』には『黄帝内経素問』『黄帝内経太素(たいそ)』『黄帝内経霊枢』の3種の書がある。『黄帝内経素問』は5世紀末ごろの全元起(ぜんげんき)が注釈を加え、『全元起注黄帝素問』8巻とした。唐代の王冰(おうひょう)は訛(か)字を正し、脱字を補い、注を入れ篇(へん)の順序も変えるなどして24巻81篇の『素問』にした。この書物を基にして北宋(ほくそう)の仁宗(じんそう)帝(在位1022~1063)の勅命により、林億(りんおく)・高保衡(こうほこう)らが『重広補注黄帝内経素問(じゅうこうほちゅうこうていだいけいそもん)』24巻の現行本とした。医学全般の基礎理論が書かれている。『黄帝内経太素』30巻は隋(ずい)代(581~618)の楊上善が著した。これは『黄帝内経素問』のように変更(王冰の改変、林億らの校改)を受けていないので珍重されている。中国では南宋のころから亡失していたが、日本の京都仁和寺(にんなじ)に古写本が存している(国宝)。『黄帝内経霊枢』12巻には鍼灸(しんきゅう)治療に関する理論が書かれ、重要な書とされている。
《黄帝内経》養生名言五十句の
31~40
自分用のメモも兼ねて載せています。
(訳は一部だけですが…)
参考になれば。
《黄帝内経》養生名言五十句(31~40)
31肾气通于耳,肾和则耳能闻五音。
释文:肾气通耳窍,肾的功能正常,双耳才能听见各种声音。
32肾者,主蛰,封藏之本,精之处也,其华在发,其充在骨,阴中之少阴,通于冬气。
释文:肾脏是密封和潜藏的根本,就好像冬眠的虫子一样,它藏蓄着人体的真阴和真阳,同时,它也是藏贮人体生殖之精的地方,头发靠血的滋养,而*可以化生为血液,肾能藏精,所以说肾脏的精华反映在头发上,肾的功能是充实和滋养骨骼,肾气充足的时候,头发就有光泽,骨骼也坚韧,由于它的部位在膈肌以下的腹腔,属于阴,又有闭藏的功能特点,所以称它为“阴中之少阴”,与四时中阴气最盛而阳气闭藏的冬季相通应。
33脾为谏议之官,知周出焉。
释文:脾脏就像谏议之官,辅助君主,一切周密的计划,都是从此产生出来的。
34思则心有所存,神有所归,正气留而不行,故气结矣。
释文:人如果思虑太多,精神过度集中于某一事物,就会使体内的正气停留在局部而不能正常运行,所以说思则气结。
35谷气通于脾,雨气通于肾。六经为川,肠胃为海,九窍为水注之气。以天地为之阴阳,阳之汗,以天地之雨名之;阳之气,以天地之疾风名之。暴气象雷,逆气象阳。故治不法天之纪,不用地之理,则灾害至矣。
释文:山谷之气,能藏蓄和生长植物,具有土的性质,因而与脾脏相通;雨气有水的性质,因而与肾脏相通。人体中的三阴、三阳六经经脉运行气血,犹如地上的河流;肠胃能盛贮饮食水谷,犹如大海,善于容纳百川之水;耳、目、口、鼻和前阴、后阴上下九窍,犹如水气流通的道路。若以天地阴阳来类比人体,则人身阳气所化之汗,犹如天之降雨;人体中的阳气,好像天地间的疾风,流动不止。人怒气暴发,如同天之雷霆;人身中的阳气容易上冲,如同自然界中的阳气向上蒸腾。因此,调养身体,如果不仿效天地间的规律,不懂得天有八节不同的节气,地有五域不同的地理,那么,疾病就要发生了。
36夫五味入口,藏于胃,脾为之行其精气,津液在脾,故令人口甘也,此肥美之所发也,此人必数食甘美而多肥也,肥者令人内热,甘者令人中满,故其气上溢,转为消渴。
释文:正常情况下,饮食入胃,经过初步消化,再由脾输布到全身。如果脾脏有热,失去正常功能,则津液停留,向上泛溢,就会使人产生口中发甜的症状。这是因为饮食过于肥美所诱发的疾病。得这种病的人,大都喜欢吃肥甘厚味的食物。厚味使人生内热,甘味使人胸腹满闷。因此食气上溢出现口甜,日久化为消渴。
37两精相搏谓之神,随神往来者谓之魂,并精而出入者谓之魄,所以任物者谓之心,心有所忆谓之意,意之所存谓之志,因志而存变谓之思,因思而远慕谓之虑,因虑而处物谓之智。
释文:阴阳两精相互结合而形成的生命活力,就叫做神;伴随着神气往来存在的精神活动,叫做魂;依傍着精气的出入流动而产生的神气功能,叫做魄。所以能够使人主动地去认识客观事物的主观意识,叫做心;心里有所记忆并进一步形成欲念的过程,叫做意;意念已经存留并决心贯彻的过程,叫做志;为了实现志向而反复考虑应该做些什么的过程,叫做思;因思考而预见后果的过程,叫做虑;因深谋远虑而有所抉择以巧妙地处理事务的过程,叫做智。
訳:陰陽の結合によって形成される生命の活力を「神」、神気の流れに伴う精神活動を「魂」、気の出入りで生じる神気の働きを「魄」と呼ぶ。 したがって、人が客観的な物事を能動的に知ることができる主観的な意識を「心」といい、心に記憶し、さらに願望を形成する過程を「意」といい、意志を保持し、実行することを決意した過程を「志」といい、意思を実現するために何をすべきか繰り返し考える過程を「思」といい、思考の結果結果を予見する過程を「慮」といい、深く思慮した結果、巧みに問題に対処する選択をする過程を「智」といいます。
38人以水谷为本,故人绝水谷则死,脉无胃气亦死。所谓无胃气者,但得真脏脉不得胃气也。
释文:人的生命以饮食水谷为根本,所以当断绝饮食水谷时,人就要死亡。水谷精微,是由脾胃产生而布散到全身的,并且可以从脉象上反映出来。所以,如果脉象中没有和缓的胃气,人也要死亡。
訳:人間の生命は、食料、水、穀物で成り立っているので、食料と穀物を絶たれると人間は死んでしまう。 水穀の精は脾胃で生成されて全身に分散され、脈に反映されることがあります。 したがって、脈の中に調和のとれた胃の気がなければ、その人も死んでしまうのです。
39饮食自倍,肠胃乃伤。
释文:饮食过量,就要损伤肠胃,这是脾胃病的常见病因。
訳:食べ過ぎると、腸や胃を傷めることになり、脾胃の不調の原因になるのです。
40人受气于谷,谷入于胃,以传于肺,五脏六腑皆以受气。
释文:水谷进入人体,经过脾胃运化,产生水谷精微传注于肺,经过肺的宣发作用,把水谷精微布散到全身,从而使五脏六腑皆得到营养。
気功で医学的な話をするとき
「歴史上有名な中医師は気功師でもあった」
という話をすることがあります。
以下にご紹介する文章にも書かれています
「歴史的にも有名な葛洪や孫思邈などは医師でもあったが、一方で有名な道士でもあった」
これは他でも書かれていることです。
そういうことから
気功的な医術を理解していただければ…
そう思って参考になりそうなものをご紹介です。
中医診療所の中には、中医内科・中医皮膚科・中医鍼灸科・中医骨按科などを設置し、資格をもつ3名の道医のほかにも、薛伯寿・胡海牙など数十名の老中医師を迎える。
また毎月初一、十五は診察を無料にするほか、北京に出稼ぎに来ている人など低所得者の人たちには診察費用を安くして診察にあたる。
その他、丹・膏・丸・散などさまざまなタイプに調剤するサービスも行う。
メモを兼ねて
参考までに
「禅医」
「少林医宗」さまより
少林佛医实在古印度佛学“医方明”的传承和少林特有的东方药师佛启藏文化,结合中州传统儒道医学的基础上,经历禅医千年实践融合和探索的独特佛医禅药文化。
佛医:重精神明因果,慈悲济世,利乐有情,使众生离苦得乐,身心清安。
禅药:药,本意草本快乐。所以禅药通过心药、身药、法药、物药调治自身。“相由心生”、“万病源于心”,也是以自身相应,融合四药,促进健康之法门,此特点已成为现代社会最佳健康走向,也是大众自我解决疾苦、自我管理健康的最高智慧。
佛是大医王,可治愈过去、现在、未来三种疾病,亦可促进身心灵整体健康。
疾病的产生原因往往关乎人的心理、生理、行为和周遭社会的生活环境。工作压力大,生活选择多,诱惑太繁华,缺少身体锻炼,连续熬夜以及环境质量的改变等诸多因素,一言以蔽之,心不静、气不和、度不宏、辨不息、争不谒、妄想不除导致身心患病。佛医对此有各种治疗之道,例如:禅静安心、礼佛拜忏、念佛持咒、乐观进取、心宽自在、放下安然、合理运动、饮食调节等。
少林药师法门主张运用佛医禅药调治己病,结合三疗,通过心药、身药、法药、物药圆融法,调摄人性心灵及身体整体自在疗法,通过整合,激活人体自身药能,使人体自我治疗,主动康复。
对已病患者,从七修入调:德修、功修、食修、书修、花修、乐修、香修入手,过程中掌握调心、调息、调身,改善人的情绪,培养菩提心,减缓心理、社会因素所造成的紧张、焦虑、困扰、恐怖等不良心理状态,提高应激能力,修复人体本自功能,最终身心两健、祛邪养正。
訳
少林仏教医学は、古代インド仏教の「癒しと医学」の伝統と、薬師如来の独特な少林文化に、数千年にわたり実践・探求されてきた中国の儒教・道教の伝統医学を融合させたものです。
仏教医学:精神性の実践、因果関係の理解、慈悲、そしてすべての衆生が苦しみから解放され、幸福と心の安らぎを得ることができるようにすること。
禅医学:医学、本来は薬草の快楽を意味する。 このように禅医学は、心薬、身薬、法薬、物薬を通して自らを律しているのです。この機能は、現代社会における最良の健康方向であり、国民が自らの苦しみを解決し、自らの健康を管理するための最高の知恵となっているのです。
仏陀は過去、現在、未来の病気を治すことができる偉大な医王であり、心身の健康を総合的に促進することができます。
病気の原因は、私たちを取り巻く心理的、身体的、行動的、社会的な環境と関係していることが多いのです。 仕事のストレス、人生の選択の多さ、誘惑の多さ、運動不足、夜更かしの連続、環境の質の変化など、心身の不調を招く要因は多く、要するに、心の静寂の欠如、気の調和の欠如、寛大さの欠如、分別の欠如、争いの欠如、迷いの欠如ということです。 仏教の医師は、瞑想して心を穏やかにする、仏陀を崇拝する、マントラを唱え保持する、楽観と企業、リラックスして心を楽にする、平和を手放す、適度な運動、食事など、様々な治療法があります。
少林寺拳法は、仏教医学を自分の病気の治療に使うことを提唱し、心医学、身体医学、法医学、物質医学の方法を通じて、人間の心と体を全体として調整し、統合することによって、体自身の薬エネルギーを活性化し、体が自然に治り、活発に回復できるようにします。
すでに病気の患者さんには、まず徳行、功夫、食行、本行、花行、楽行、香行の7つの修行を行い、調心・調息・調体をを掌握し、人間の感情を改善し、菩提心を養い、心理・社会要因による緊張、不安、苦悩、恐怖などの有害な心理状態を緩和し、ストレス能力を高め、身体自身の機能を修復し、最終的に心身共に強くし、邪を排除して正しいものを養うように努めます。
「少林禅医养身心」さまより
七修,包括:
德修——修正观念,培养道德;
功修——修炼功夫,强身健体;
食修——尊重自然健康的饮食习惯,养正身体,物味双参;
书修——由书入道,由画入禅,提升品位与境界,舒展心怀;
花修——以花入境,培养悲悯慈爱之心;
乐修——五音疗疾,融音乐治疗与修身养性为一体;
香修——分为供香、体香、食香三种,最高境界为识香性、闻香味、观香型、听香音,经由香的熏染,提升心灵境界
七つの修養とは、
「徳修」観念を正して道徳を養う
「功修」拳法を練習して体を鍛える
「食修」自然の健康な食生活を尊重し体を養い食と味の両方に参加する
「書修」書を通して道、画を通して禅に入り、味と領域を高め、心を伸ばす
「花修」花で世界に入り、思いやりと愛を養う
「楽修」音楽の修養、五音で病気を癒す
「香修」香の性質を知り、香りを嗅ぎ、香の種類を観察し、香の音を聴くことで、香を通じて精神世界を高めることが最高レベルである。
以前のブログもご紹介
いただいたお菓子がかわいく…
「漢方というライフスタイルを広げていきたい」
おしゃれなDAYLILYというブランドの商品!
この包み方が良いなと思って見ると・・
虎頭包という台湾漢方の伝統的な包み方だそう。
昔。。。
台湾で漢方薬の包み方講座があって
参加したいと思いつつ
出来なかったことを思い出しました。
なのでメモ。
お茶も似たような包み方を
しているところもあるようなので
まずは、これを覚えたいと思います。
せんねん灸さまより
これは虎頭包と呼ばれ、台湾で伝統的な漢方薬のつつみかた。
日本の薬の包み方とは少し違います。虎頭包は、大昔薬草を採りに山に入った薬剤師がケガで苦しむ虎に出逢いました。
彼は虎の口を開けてノドにささったトゲを抜いて治療してやりました。
そして残りの薬を紙につつみ、その薬を指さして虎に治療のために後日来るように伝えました。
虎は彼のいいつけに従って又、同じ場所にもどってきて治療してもらって元気になったのです。
その薬の包みかたは横から見るとちょうど虎の口に見えるところからこの薬の包みかたはいつしか虎頭包と呼ばれるようになったとのこと。
虎頭包教學
少林寺薬局の薬僧
四川大震災時の薬僧の活躍記事をメモ
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少林寺薬局は、優れた医療技術と体力の両方を必要とする厳しい選考を経て、10名の薬僧を選出しました。 13日の午後には、少林寺の僧侶による医療救助隊が結成され、被災地の命を救うための薬の準備が始まった。
少林薬局は西暦1217年に設立され、791年前には多くの薬が秘密にされていましたが、災害の被災者のために例外的に使用されました。 少林医学の僧侶は、通常の救急薬に加えて、少林寺の「秘伝の霊薬」を携行しています。
"武侠小説における少林寺の霊薬は宝とされているが、この薬の実態も非常に有用である” 。釈延琳法師は記者団に対し、彼らが持っている薬は主に打撲や怪我の治療、外科的な傷の治療などの伝統医学で、多くの犠牲者を救ってきたと語った。
禅医の三療
「禅療」「功療」「食療」
これにとても惹かれたのでメモ。
相変わらず中国語のままですが
いろいろなところからのメモです。
禅疗
"相由心生"出自佛教经典《无常经》,佛曰:世事无相,相由心生,可见之物,实为非物,可感之事,实为非事。物事皆空,实为心瘴,俗人之心,处处皆狱,惟有化世,堪为无我。我即为世,世即为我。 所谓"相",即是我们平日生活中所见到的诸事物之表象。梵语攞乞尖拏Laks!an!a。指事物之相状,表于外而想像于心者。大乘义章三本曰:"诸法体状,谓之为相"。 心念即生, 必然影响身体,比如愉快,心里舒畅, 神清气爽,遇事便达观宽厚,便有助气血调和,气血调和, 五脏得安,功能正常,身体康健,而此又反之影响心态。良性循环,自然满面光华,一团和气, 双目炯炯, 神采飞扬,让人看了眼前一亮。反之,若总是工于心计,或郁郁不舒,自然凡事另眼而观, 无法如常人言笑,遇到点事就往不好的地方想, 长久如此, 气不舒,血不畅,营无养, 卫无充,五脏不调,六神无主,如此身体状况,脸上青黄腊瘦,暗淡无光,表情也常是蹩做一团,双目无神,半死不活。所以,身体发肤, 既然授之父母,但这张脸让人看后是何感觉, 还要发于己心。日久则生是相, 并非相家妄论。
人体由骨骼、皮肤、毛发、血液等组成,骨骼是支撑,而心则维系着生命,如自然的动植物一样,人的心情、心念主导着人的身心,它是生命支配者、是中枢的中心,身体的其他器官受他支配并相互影响着,内在的心理状态会通过外在的器官表现出来,并通过时间的累计影响、改变着外在形态。
禅疗是以少林寺达摩禅师所传经法而著名,达摩主张以"寂修"为本,万念皆空,明心见性。通过锻炼呼吸入门,对于气脉中和、坚实其内脏、顺通经络以充养先天,具有重要作用。与传统中医理论一样,认为怒则气上,喜则气缓,悲则气消,恐则气下,寒则气收,湿则气泄,惊则气乱,忧则气滞,劳则气耗,思则气结,气随百病,百病发于气也.气是构成万物的物质,一切事物都是气变化的结果.故讲禅机即气机,悟禅机即悟气理.气通则血脉通,气不通则血脉不通,病生矣。同时通过忘我休心让身体及各组织系统得到最大的自我修复。
用禪修般若禅治療人們的身心疾病;繼承發揚中華傳統醫學,以"無緣大慈,同體大悲"的大乘佛法濟世精神,通过佛之"法药"以"因果"、"禪定"為基礎法門,以默照冥想、呼吸、導引、氣血、經絡、藏象等學說為基本理論,運用"觀想"、"氣化"、"導引"等基本手段進行診斷、治療、調養,還結合食療及諸物百草療法,通過法藥、物藥二圓融法,調攝人性心靈及身體臟腑的四大不適。
功疗
少林寺传统功夫包含大量养生功法;龙拳练神,虎拳练骨,豹拳练力,蛇拳练气,鹤拳练精。来提升修练者的精气神。另通过少林72绝技的修练来恢复提升人身的卓越功能。同时通过练习《八段錦》、《禪拳》、《錦掌》等少林導引功夫療病,通过学习《易筋經》、《洗髓經》来令生命返樸歸真,正本清源,深谙契合人體的構造本質,啟動生命本生生机之源。
现代功疗分类为运动疗法,是指利用器械、徒手或患者自身力量,通过某些运动方式(主动或被动运动等),使患者获得全身或局部运动功能、感觉功能恢复的训练方法。运动疗法主要采用"运动"这一机械性的物理因子对患者进行治疗,着重进行躯干、四肢的运动、感觉、平衡等功能的训练,包括:关节功能训练、肌力训练、有氧训练、平衡训练、易化训练、移乘训练、步行训练. 体操是运动疗法中最常用的方法,能按所需运动方式、速度、动作的幅度、协调性与肌肉的力量进行训练,做到循序渐进。医疗体操可用于预防疾病,以促进身体健康,可用于损伤与疾病的治疗,根据疾病与伤残的特点、功能状况和要达到的治疗目的,有针对性地选择合适的医疗体操进行训练。可选用不同的方式,例如肌肉力量的训练、关节活动度的训练、耐力训练、放松训练、呼吸训练、平衡运动等。关于运动量、运动强度、活动范围,应根据患者对运动的耐受情况,及时予以调节。也可根据病情及情况分阶段进行训练。
另有氧训练是以增加人体吸入、输送和使用氧气能力为目的的耐力性训练。也是提高机体有氧代谢能力的健身方法。此种训练方法简便、易行,运动方式对技巧的要求不高,易于推行,其运动方式有步行、健身操、游泳、自行车、原地跑、登楼梯、跳绳等。人体生理负荷量是由锻炼的强度、训练的次数、每次训练持续时间等决定的,而人体可以自监自控训练,因而安全有效。一般采用中等强度的耐力性训练,对心肺功能有良好作用,可提高负荷量,增加携氧能力,并且对改善机体有氧的分解代谢与合成代谢的进程有促进作用,还可以增加肌肉的收缩力。有氧训练方法较多,但以库柏(Cooper)训练法具有代表性,各种训练水平的人都可采用。
食疗
食疗又称食治,即利用食物来影响机体各方面的功能,使其获得健康或愈疾防病的一种方法。"药食同源"是中华原创医学之中对人类最有价值的贡献之一。五谷杂粮,有益于人类而无害于身体,因而性"中"。这是中华原创医学选择食品最主要的标准。这个标准是建立在"以人为本"的基础上,而不是建立在以实验动物"检验"的客观基础上。在这个标准里,食品和药品并没有截然分开的界线。食品中略略离开"中"时就会偏凉(例如绿豆)或偏温(例如豆豉)。如果偏离"中"较远时,就是"寒"与"热"。如果更远离"中"的就是"药"了,这就是凉药或者热药的 药食同源: 定性与定量来历。"寒者热之,热者寒之",这是中医的治疗原则,得了热病应该用凉药,如果热得不那么厉害,就不一定要药了,用性偏凉食品(例如前述的绿豆)调节就可以了;反之亦然。这就是我们常说的"食疗"了。 食疗和药膳并非同一概念。前者使用食品进行调理,而后者则是将通常归入"药"范围的变成可口的食品。西方医药之父之称的希波克拉底也说过:药物治疗,不如食物治疗,食物是人类治病的最好药品。他相信人体天赋的自然免疫力是疾病真正的终结者。
中医历来强调"药疗不如食疗",以食物为药物具有以下几大突出的优点:
一、长期使用药物治病往往会产生各种副作用和依赖性,而且还可能对人体的健康造成影响;而食疗相对安全有效,毒副作用小。
二、食疗使用的都是我们日常生活中常见的食物,价格低廉,让我们在日常用餐中便可达到调理的目的,这是昂贵的医药费所无法比拟的;
三、食物为药还具有无痛苦的优点,让人们在享受美食的过程中祛除病痛,避免了打针、吃药,甚至手术之苦。有此几大药物无法可比的优点,我们又怎能不以食物为药、以食疗治病呢?
藥食同源,辯五穀蔬果,五味歸經,五氣養神,通五臟六腑,杜絕病從口入,平衡食療飲法。食療還包括閉關節食,整體排毒,調節方便的整體格式化等療法。
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禅医,又称禅武医,少林禅医,中华禅医。
1500年前,西来的高僧达摩,在嵩山面壁九年、结庐修真,创立了中土佛教禅宗的祖庭——少林寺,是少林武术的发源地,也是少林禅医的发源地
禅医,也叫禅武医,少林禅医,中华禅医,是中医医学的体现,与印度文化相互融合的。
文化的基础上经两千年实践融合后形成的医学流派。它在继承发扬中华传统医学理论的基础上,突出以“禅定”为基本法门,以呼吸、观想、气血、经络、脏象、五行、阴阳等学说为基本理论,运用“气化”、“导引”、“点摩”等基本手段进行诊断、治疗、调养。少林“医禅”的养生方式表现为:以功法为导,以医药为用,以禅修为髓,以提升生命力为归,其作用正在于激活潜能,锻炼脏腑,改造体质。多彩多姿的气功健身疗疾诸般功法,历代高僧珍藏秘传之丰富验方,结合超绝凡俗的武技功夫,或养生延寿,或济苦活人,成就无量功德。
少林传统功夫有五大要义:
窍不通主要原因是:
1.饮食不当
2.治疗不当
3.情绪不正常
4.梳妆脱穿不慎
5.受到风寒。
以上原因,致使入口不顺,出口不利,中道出障,由表及里,内脏组织坏死,大气元不纳。所以,禅医主要使表窍畅通,人身体的七窍包括鼻、口、耳、眼、皮肤汗毛孔及下体两个浊窍。禅医以导引方法,如中药通窍,沐鼻法及虚桩使鼻窍和皮肤的汗毛孔畅通。练习自然及自为丹田呼吸法也可助畅通鼻窍、口窍及下体的浊窍。
禅医主张“命由己造”,自己改善健康,要求病人改善饮食、心境、生活习惯,它有三不治:
1.不忌口不治:不可戒食葱、韭、芥、辣、姜、肉、鱼等起火发炎生痰的食物不治,因为如病者继续进食这些食物,即使吃药也没有用。
2.常生气不治:因生气发怒使血液大量上头,也会加重鼻炎。
3.常“漏气”不治:即纵欲过多。好色贪欲使人精气神很快亏损,免疫力减弱,肝脏枯竭,各种疾病乘虚而入。
一曰气化疗法
禅医与传统中医理论一样,认为怒则气上,喜则气缓,悲则气消,恐则气下,寒则气收,湿则气泄,惊则气乱,忧则气滞,劳则气耗,思则气结,气随百病,百病发于气也。气是构成万物的物质,一切事物都是气变化的结果。故讲禅机即气机,悟禅机即悟气理。气通则血脉通,气不通则血脉不通,病生矣。所以,知禅机即可释病理,以通气化滞开结为主,主要以点化人体经络和气穴为主,以少林一指禅,二指禅之功点摩人体之经络气穴,化人体之滞气和气结,滞化结开气通则病释。
“深山藏古寺,碧溪锁少林”,丰饶的土地蕴天地之精华,为少林历代名医采摘百味之药提供了便利条件。中药百味,大抵可归为辛、酸、甘、苦、咸五大味。长期以来,少林医学中治疗跌打损伤、骨科、内科之多种良药,或煎服,或膏膜,或点滴人体窍门等,俱皆有效。
禅医一道,不但有其独特的学术理论及行之有效的临床医术,而且特别注 重食品养生。禅医理论认为:用药不如进食,药疗不如食疗。佛禅一道,于饮食中讲究较多,斋饭素食,乃是总括。观之牛羊一类,虽饮水食草,然膘肥体壮,或奔跑或负重,皆有坚忍耐力。所以,禅医医理在于引导患者医病之时,不食荤腥,而是食之以特定之谷物、蔬菜。腥是所有动物肉类,荤是葱、韭、蒜、芥等,且苦辣酸甜咸五味皆不可过食。民间亦常有“鱼生火,肉生痰,青菜豆腐保平安”一说。通过特殊之饮食调理,由内而外来调理人体脏腑、气脉,从而驱病强身。
少林禅医在继承发扬中华传统医学理论基础上,突出以“因果”、“禅定”为基础法门,而“三疗”、“七修”则成为其独特疗法。
所谓“三疗”,即禅疗、功疗、食疗。所谓“七修”,即德修、功修、食修、书修、花修、乐修、香修。
食疗法
此三种疗法,在具体运用中又可归结为吐纳、导引、针灸、膏膜之“八字疗法”和“窍疗法”确实是依据人体之经络、气血原理,以化气通窍为目的。经络是运行全身气血,联络脏腑肢节、筋肉、皮肤,沟通人体上下、内外的通道和联络网。人体不同的组织器官各有不同的生理功能,然在经络的沟通、联络作用下,他们相互协调、共同配合,使人体成为一个表里、上下彼此紧密联系、和衷共济的统一整体。“八字疗法”的主要方法即是引导患病者行吐纳、导引之法,再辅以针灸、膏膜之术使周身经络通达、气血顺畅从而祛病强身。
五脏的生理功能虽各不相同,但心是人体生命活动的主宰,在脏腑中居首要地位。如心气旺盛,则血液能在全身经脉中正常运行,周流不息,营养全身。如心气不足,则血不充盈,经脉不利,势必造成血流不畅或血脉空虚,出现心悸、脉象细弱乏力的症状。而心气不足,则又是人体自身气滞郁结所致。而化滞开结,即可充盈心气,通畅血脉。
人体是一个有机统一的有机整体,而这种整体联系是以心、肺、肝、脾、肾五脏为中心,以七窍相连而通达全身。人体之七大窍,眼鼻口舌耳上五清窍和体下两大浊窍通达全身,掌管人体一切之进出。运用“窍疗法”治疗时,主要以我们自己配制的中草药水点滴人体之清窍,或将我们研磨的中草药由鼻腔每日定量吸入少许,再辅之以清窍处的点摩和适量的中药汤剂,从而化滞、清道、通窍。大窍通则大病无,百窍通则百病无,通窍为治一切病症之法门,窍通则病除。
同时,重视养生之道加之有选择的合理的饮食搭配,即养生食疗是预防疾病和一切治疗疾病方法的基础。