よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「新潟ブルース」 「信濃川慕情」の歌碑を訪ねて

2015-09-20 17:51:55 | 旅行

今でもカラオケで根強い人気のある「新潟ブルース」「信濃川慕情」。私も若いころは、よくスナックで歌ったものでした。

この歌は、1967年(昭和42年)美川憲一、黒沢明とロスプリモスの競作で発売されました。

美川憲一の方は、A面が「新潟ブルース」、B面が「信濃川慕情」。

一方のロスプリモスの方は、A面が「信濃川慕情」、B面が「新潟ブルース」でした。どちらも作詞「山岸一二三」、作曲「山岸英雄」のご兄弟でした。

新潟ブルース歌詞

      1 想い出の夜は 霧が深かった
        今日も霧がふる 万代(ばんだい)橋よ
        別れの前に 抱きしめた
        小さな肩よ ああ…
        新潟は 新潟は 面影の街

      2 しあわせの夜を 二人過ごしたね
        いつかより添った 古町通り
        ほのかに白い 指先で
        涙をふいた ああ…
        想い出の 想い出の 新潟の女(ひと)

      3 忘られなくて ひとりさまよえば
        青い灯がゆれる 新潟駅よ
        愛した訳じゃ ないんだと
        強がりいえば ああ…
        新潟は 新潟は 霧に更けてゆく

 

 信濃川慕情歌詞

       1、 町に流れる 長い川 今もあの日と 変らない

          愛を誓った 君なのに

         川面に浮ぶ 木の葉のように 流れていずこへ

         教えておくれ 教えておくれ信濃川


       2、思い出させる 長い川 君とみつめた あの夜を

         肩を抱いたら うつむいて

         何も云わずに 泣いてた君が 心に残るよ

         返しておくれ 返しておくれ信濃川


        3、遠く流れる 長い川 恋の嘆きの 信濃川

          君を求めて 今日もまた

          ひとり来てみた 万代橋(ばんだいばし)は 小雨にけむるよ

          教えておくれ 教えておくれ 信濃川

この2つの歌碑が、信濃川沿いに建っていると聞きましたので、それを訪ねてみたいと思います。

先ず、新潟ブルースに出てくる「新潟駅」。

ここは、万代口と南口があります。南口は、新幹線側でかなり整備されていますが、万代口は、ただ今工事中です。やはり万代口の方が風情がありますね。

   

新潟駅から万代シティの方に歩いて行きます。バス停では、今月5日から運行を始めた「BRT」が停まっていました。このBRT,福岡市でも導入が検討されています。

    

萬代橋に着きました。

萬代橋は、現在の橋は、3代目でRC造六連アーチを持つ全長306,9mの橋です。1929年(昭和4年)完成。

平成16年には、国の重要文化財に指定されました。いつまでも新潟の街が発展に尽くすことを願って「萬代橋」と名づけられました。

今では、新潟市のシンボルとなっています。

  

  

渡って河川敷は、「やすらぎ堤」の遊歩道になっていて、ここでは、市民の皆さんのジョギングやウオーキングコースとなっています。

  

「新潟ブルース」の歌碑は、萬代橋を渡って「ホテルオークラ」の向かい側のビルの1階に建てられています。新潟市制100周年を記念して造られました。

萬代橋を渡ると、古町方面です。歩道の横には、ガス灯があります。 

   

その近くには、「道路元標」があります。東京まで442km、京都まで592km、青森まで578kmです。

   

古町は、江戸時代初期まで本町と呼ばれていました。現在の本町は、あら町、新町と呼ばれていました。

古町6,7は、旅籠、古町7は、塗り物、紙の専門店街でした。明治17年(1884)、古町に3階建ての勧商場(デパートの全身)などが出来、明治22年(1889)市制施行後、古町は、商店街として発展しました。

明治末期に古町5,6に夜店が開かれ、大正3年(1914)に電気館(活動映画館)が出来ると、更に人気が高まって、北陸有数の商店街と成長していきました。

盆の花市、歳末のお歳市には、近在はもちろん、遠くの町から来た人たちで賑わいました。

  

新潟市のマンホールです。左のマンホールは、萬代橋を図案化したものです。右は、新潟市の花、チューリップ、真ん中にひまわりがデザインされています。

     

観光循環バスで市内を廻ろうかと思いましたが、このバス1時間に1本しか発車してなく、仕方なく歩いて次の目的地に行きました。

白山神社

新潟市の中心部に位置し新潟の総鎮守として千有余年の歴史のある神社。白山さまは、別名を菊理媛「くくりひめ」という女の神様で、夫婦の神様がケンカをした際に仲をとりもったと

日本書紀にあり縁結びの御利益のある神社です。(新潟ナビより)

  

白山神社より、信濃川河道(やすらぎ堤)に行きます。

「信濃川慕情の歌碑」は、確か、このあたりにあるのですが・・・・・・・・

  

昭和大橋があります。

昭和大橋は、昭和39年新潟国体前に完成しましたが、国体終了後の6月、新潟地震で崩壊しました。

  

歌碑を探しましたが、見つけられませんのでウオーキング中の方に聞きましたが、わからないとのこと。

新潟ブルースに比べ、この信濃川慕情は、少し知名度が落ちるからでしょうか?

信濃川沿いに探すと体育館の近くにありました。近くには、面白い形をしたものがありました。これで木を支えているのですね。

  

そのあと、新潟の北前船記念館、豪商小澤家などに行こうと思いましたが、今日月曜日は、どこも休館日です。

仕方がないので、帰りの飛行機の時間は、まだありますが、昼食を兼ね、新潟駅に向かいました。

初めての新潟でしたが、こんどは、ゆっくり月曜日でない日に行きたいと思います。

 


新潟・長岡へ

2015-09-15 14:33:44 | 旅行

9月11日。9/12~13に行われる「越後長岡ツーデーマーチ」に参加の為、新潟・長岡へ行きました。

福岡空港8:05のANAで新潟空港へ。福岡は、天気が良かったのですが、新潟は雨模様。

  

空港前からリムジンで新潟駅へ。空港では、新潟の宣伝課長?「トッキッキ」が迎えてくれました。

  

新潟駅からは、信越本線で長岡に行きます。新潟駅では、特急「いなほ」が停車していました。

  

約1時間15分で長岡駅へ到着。お腹も減っていましたので、前から食べてみたいと思っていた、長岡名物「へぎ蕎麦」の専門店に入りました。

 

へぎ蕎麦の前に、越後の地酒「吉乃川」をいただきます。少し辛口ですが、大変飲みやすいお酒です。

へぎ蕎麦は、小嶋屋のHPによると、

さて、そば通の方であればすでにお聞き馴染みの「へぎそば」。
へぎそばといえば近年では関東でも知られた名前になりましたが、ではこの「へぎ」とは一体なんでしょう?
この「へぎ」、実は「剥ぐ=はぐ=へぐ」のなまりで、木を剥いだ板を折敷にしたもののことであり、ざるそばやせいろ同様、「へぎ」という器に盛られたそばのことを言います。

また持論ではありますが、私どもではへぎに一口ずつ美しく盛ったそばを、“手振り"“手びれ"と呼んでおり、これも織物をする時の糸を撚り紡いだ(よりつむいだ)“かせぐり”などからきた手ぐりの動作を言ったもので、

全国的にも珍しい織りの目に模した並べ方も織り文化の美的感覚・感性から生まれたものと推察できます。
さらに付け加えれば、この手ぐりはフノリをつなぎに使った滑らかなそばでなければ、美しく盛り付けることが出来ません。手ぐりにしろフノリつなぎにしろ、

「へぎそば」は長きに渡る織物文化とそばの食文化が融合して生まれた賜物なのです。

  

  

  

歯ごたえも良く、とても美味しくいただけました。食べ終わったらそば湯も味わうことができます。

1年前は、福井のおろし蕎麦にも感動しましたが、このへぎ蕎麦も感動ものです。

お腹も一杯になった所で14:00からのせっかくウオークに行ってきます。

  

 

 

 

 

 

  

 

 


初めての北海道「札幌編」(札幌市)

2015-07-03 13:22:18 | 旅行

6/24(水) 私たちの北海道旅行も最終日になりました。

旅行というのは、3つの楽しみ方があります。

1つめは、計画する楽しさ。

2つめは、実際見る楽しさ。

3つめは、写真、ブログなど後で思い出す楽しさ。

今、このブログを書いていますが、このブログを1年後、2年後と読み直すことによってその時の「楽しさ」が甦ってくるのでしょうね。

 

さて、本題に戻ります。昨夜からの雨は、朝方には止み、今日は曇り空です。

先ず、小樽の「石原裕次郎記念館」に行きますが、時間が早かったのでまだ開館していませんでした。

  

これから、札樽道路を通り札幌市内に向かいます。

よく転勤族のサラリーマンの方が定年後住みたい町の一つに挙げられるのが、札幌市と福岡市。気候など違う面はありますが、この両市似ています。

札幌市は、北海道の中心地。福岡市は九州の中心地。この両市、1972年(昭和47年)に同時に政令都市になっています。

昭和47年(1972年)10月時点の人口は、札幌市1,078(千人)全国第8位、福岡市、912(千人)全国第10位

平成27年(2015年)6月1日現在の人口:札幌市1,946(千人)全国第5位、福岡市、1,528(千人)全国第7位

両市ともプロ野球チーム、サッカーチームがある。

特にプロ野球チーム、日本ハムとソフトバンクは、常にパリーグの優勝を競い合っています。

北と南に離れていますが、常に切磋琢磨していきたいですね。

【札幌時計台】

車を駐車場に入れて見学しようとしましたが、駐車場が見つけられませんでしたので車の中から撮影しました。

  

【北海道神宮】

明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、

東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々

(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
 その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、

それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
 そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。(神宮HPより抜粋)

  

普通、しめ縄は、ねじれていますが、この北海道神宮のしめ縄は、ねじれていません。また、しめ縄の上には、米俵が置かれています。

何か、意味があるのでしょうか?

折角ですので、御朱印をもらいました。

  

  

境内には、六花亭の茶店がありました。この茶店の名物は、「判官さま」です。一つ注文しました。

焼きあがった「判官さま」は、香ばしく、製法は違うかもしれませんが、福岡・太宰府の「梅が枝餅」にちょっと似ているようですが、こちらの方が餡が多いように感じました。

  

【白い恋人パーク】

札幌のお菓子と言えば、「白い恋人」ですね。その「白い恋人パーク」があるということで行ってきました。

パーク内には、バラがたくさん咲いており、その香りを嗅ぐだけでも楽しめます。

 

  

 

     

11時になりました。すると、一斉にからくり人形が動き出しました。

   

  

テーマパークのあと、白い恋人の店内に入りました。かわいらしいケーキ類が並んでいます。

  

時間は、12時近くになりました。そろそろ空港へいかなくてはいけません。ガソリンを入れ高速を使って、空港へ。※札幌のガソリン@139~142。福岡のガソリン価格@133~135。

3日間のレンタカーの走行距離は、800kmでした。

  

ここで「札幌ラーメン」を食べていないことを思い出し、空港内を探すと、ありました。「北海道ラーメン道場」。

  

左、正油バターコーンラーメン  右、ネギ正油ラーメン

いつも食べている豚骨ラーメンとは、違った味でした。

  

14:45 ANA福岡行で帰宅。

私達の6日間の北海道旅行が終わりました。今回の旅行ですっかり北海道のファンになりました。また行きたいですね。

旅行期間中、いろんな方にお世話になりました。有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初めての北海道「余市編」(余市郡余市町)

2015-07-02 19:10:04 | 旅行

6/23(火) 今日も朝4時に起き付近を散歩します。

雨は上がっていたのですが、周りはガスが出て視界0です。 

 

 

 

大雪山系「旭岳」を見に行きましたが、視界が悪くすぐ宿に帰ってきました。この宿の温泉は、本館と別館にあり、両方の温泉に入りました。湯船がたくさんあり、露天風呂からは、旭岳が見えるようですが、

今日は、ガスの為見えません。朝食後、すぐチェックアウト。「旭岳」のロープウェイに乗ろうと出発しましたが、ロープウェイ終点の姿見の池は、定点カメラで見ると、ガスが出て視界はよくありません。

大雪山は北海道の最高峰である旭岳(2,291m)をはじめ、20連峰におよぶ標高2,000m級の山々の総称です。大雪山国立公園は、これらを中心に北海道の中央に成り立つ、

わが国最大の山岳を中心とした原始性の豊かな国立公園です。その面積は、ちょうど神奈川県の広さに匹敵する226,764ヘクタールにおよび、1934年(昭和9年)に国立公園に指定されました。

  

ゲストハウスでは、姿見の池の状況が書かれていました。気温9℃、視界0だそうです。

このロープウェイ、値段は、往復@2800円です、二人なら@5600円。見れればこのお金も惜しくないのですが、ガスばかりだろうと諦めました。

天気がいい時は、このような光景が広がっているそうです。

  

車に戻り、次の目的地「余市ニッカ工場」をナビに入力します。余市までは、246km、約4時間です。

13:15 余市のニッカウィスキーに到着。駐車場には、10数台の貸切バスが並んでいます。外国からの観光客が多いです。

  

竹鶴政孝記念庭園には、たくさんのバラが咲いています。

  

お腹がすいていたので、レストランへ。

私が、「ウニ重」、家内は、「サーモン・イクラ丼」を注文。サーモンとイクラだと親子丼になりますね。(笑)

  

お腹も一杯になりましたので、工場内を見学します。

NHK朝ドラ「マッサン」は、欠かさず見ていましたので、まるでテレビドラマの中に自分がいるみたいですね。

  

    

ウィスキー博物館がありましたので入ってみます。博物館内には、試飲コーナーもありますが、今日は、車で来ていますので断念しました。

  

   

  

正門の方に廻ってみると、昔の駅を思い出させるような造りでした。

  

また、余市は、宇宙飛行士「毛利 衛さん」の出身地です。余市には、「宇宙博物館」があります。時間の関係上、中には入りませんでしたが、宇宙記念館では郷土出身で日本人初の科学者宇宙飛行士 毛利 衛さんの業績を紹介。

さらに、CGドーム映像で星空がご覧いただける「デジタルプラネタリウム」や3Dシアター「2041年太陽系ミッション」など大人から子供まで楽しめるそうです。

  

入口には、山崎直子宇宙飛行士と一緒に宇宙を旅した朝顔の種子が植えられていました。

  

空模様も悪くなり、今夜の宿・小樽に移動しました。小樽に着くと雨が本降りになっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初めての北海道「富良野~旭岳温泉編」(上川郡東川町)

2015-07-01 18:20:02 | 旅行

6/22 朝食後、定山渓温泉から富良野方面に向かいました。ナビを「富田ファーム」に合わせ、スタート。

札幌は、交通取り締まりが厳しいと聞いていましたので、制限速度内で走行。札幌ICから道央道に入ります。

私達、北海道は初めての地、どこがどこだかわかりません。すべてナビ頼りです。

ナビは、高速道を「士別剣淵」で降りるように指示します。あれっ、富良野って旭川の近くでは?と疑問を抱くのですが、何せ初めての土地、ナビに任せます。

士別剣淵で降りると富田ファームまではあと約100kmと指示します。こんなに遠くはないはずです。

車を路肩に止め、スマホで検索すると「ファーム富田」となっています。「富田ファーム」は、紋別郡興部町です。

ナビを今度は「ファーム富田」にセットし、士別剣淵から旭川をめざし、高速に入ります。

旭川で降り、旧SNSのなきうさこさんお薦めの「青い池」を目指します。

朝、札幌を出るころは、いい天気でしたが、だんだん曇ってきました。この白樺街道も天気が良ければ正面に「十勝岳」が見えて絶好のビューポイントなんですが・・・・・・・

  

ビルゲの森」で休憩。

  

  

ビルゲの森から1~2分で「青い池」に到着。

1988年(昭和63年)12月に噴火した十勝岳の堆積物による火山泥流災害を防ぐため美瑛川本流に複数建設された堰堤の一つに水がたまったものです。

「青い池」とは、上流の白金温泉地区で湧出している「白ひげの滝」などから、水酸化アルミニウムを含んだ水が、美瑛川の河川水と混じることにより、コロイドが生成されます。

太陽光が水中のコロイド粒子と衝突し波長の短い青い光が散乱されるため、青く見えると言われています。

天気や四季によってこの水の色も変わるそうです。神秘的ですね。

  

  

このあと十勝岳望岳台に行きました。所々にまだ、雪が残っています。

十勝岳は、昨日(21日)山開きを迎えました。然し、十勝岳には雲がかかっており、その姿が見えません。

  

  

十勝岳望岳台から、富良野・ファーム富田へ向かいます。富良野には、30分ぐらいで着きました。肝心のラベンダーですが、まだ蕾が多く、少し早かったみたいです。

    

   

ポプリの舎でじゃがバターとラベンダーソフトをいただきました。ラベンダーを見ながら食べるソフトは格別ですね。

  

お花畑の方に行くとたくさんの花が咲いています。

 

 

  

  

  

  

名残惜しいですが、ファーム富田を出て、今夜の宿・「旭岳温泉」へ向かいます。

旭岳温泉(あさひだけおんせん)は大雪山の主峰である旭岳の麓、北海道上川郡東川町にある温泉。大雪山の表玄関となっていて夏季は登山の拠点です。特に高山植物の開花のシーズンと紅葉のシーズンは混雑します。

冬季は、スキーの合宿地として利用されています。

富良野を出発した頃は、ポツリポツリの雨でしたが、旭岳温泉に近づくにつれて、雨が本降りになってきました。

  

日本秘湯を守る会」に指定されているこの宿は、自然の大岩を建物で囲ったダイナミックな大浴場や木で造られた浴槽など、自然環境をそのまま活かした宿です。
 ロビーも木のぬくもりを大切にし、旭岳の火山岩を使った暖炉を設置し、宿泊客がのんびりくつろげるようになっています。天然の木と石で作られた大浴場は、自然をそのまま生かした浴槽で、

露天風呂も旭岳の大きな石を使った岩風呂が自慢のお風呂です。5種類の泉質を楽しむことができます。(東川町HPより)

ロビーには、スノーボードが展示されています。この旅館、ソチオリンピックスノーボードアルペンで銀メダルを獲得した「竹内智香さん」の実家です。

  

さあ、今夜の夕食です。メロンが半分どっかり座っています。中には、ジャガイモスープが入っています。

  

塩竃の中には、・・・・・・・・・アワビが出てきました。

  

メインは、知床の豚シャブです。デザートは、白いコーヒープリンです。

  

もう満腹です。    (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


初めての北海道「定山渓温泉編」(札幌市)

2015-06-30 05:54:02 | 旅行

札幌ツーデーウオークのあと、レンタカーで定山渓温泉に向かいました。

中島公園から定山渓温泉までは、車で約45分ぐらいです。

宿にチェックインし、早速温泉に行きました。2日間で60km歩きましたので持病の右ひざが痛く、歩くのも困難でしたが、温泉に入ると痛みも和らぎます。温泉の力ってすごいですね。

  

  

この旅館は、各所に「相田みつを」の詩があります。普段何気なく思ったことをこうやって詩でみると「なるほど」と思います。

温泉旅館の楽しみは、温泉と食事ですね。今日は、お昼はおにぎり1個でしたのでお腹ペコでした。

この旅館では、料理を持ってこられる時に料理の説明を詳しくされていました。

 

「八角」は、初めて食べる魚です。別名「トクビレ」。体の断面が八角形をしているからこの名がついたそうです。

北海道の一部しか獲れない魚で漁獲量も少ないそうです。これを田楽焼きにしていただきました。

 

メインは、タコのしゃぶしゃぶ。あまりにも美味しかったので写真を撮るのを忘れました。(笑)

ご飯は、北海道産「ななつぼし」の枝豆御飯です。

 

【定山渓温泉】

翌日朝4時頃起きて付近を散策しました。

安政5年(1858)1月、松浦武四郎が幕府の命により、道路適地調査の為、アイヌを道案内として虻田より中山峠を越えてこの地に到着。

岩間に浴槽を掘り、旅の疲れを癒し一泊しました。これが温泉の始まりです。
その後、1866年に美泉定山という僧ががアイヌ人から話を聞いて、ここを訪れて、温泉の存在を確認しています。そして、札幌から温泉への道路と休泊所を作るなど、定山渓温泉の開発に力を注ぎました。

1871年にはそれが認められ、当時の判官岩村通俊から湯守に任命されています。また、同じ年、札幌からここを通って有珠に達する本願寺道路が完成し、その検分に判官とともに訪れた東久世長官が、

定山の業績を高く評価して、「定山渓温泉」と命名しました。
1874年に開拓使が湯守を廃止したあとも、定山は温泉施設を与えられて、窮乏しつつもその経営に取り組みましたが、1877年に逡巡先の小樽で亡くなったということです。

   

源泉は、月見橋一帯です。川からは、湯気が立ち込めています。この月見橋には、河童のオブジェがあります。

定山渓温泉には、「カッパ伝説」があります。

その昔、一人の青年が魚釣りをしていたところ、何かに引き込まれるように川底へ消えてしまいました。1年後のある夜、父の夢枕に「かっぱの妻と子供と幸せに暮らしている」と告げる青年が。

以来、この地で溺れる者がいなくなったという伝説が「かっぱ淵」にあります。河童は、定山渓では、森と水の守り神として親しまれ、「かっぱ大王」をはじめ、定山渓温泉から小金湯温泉にかけて、

市民のアイデアから生まれたカッパ像が22体も点在しています。(観光パンフより)

  

    

 

二見公園の方へやってきました。

この川は、昨日、一昨日と歩いた豊平川の上流になります。川の水が綺麗です。また、モミジがたくさんありますので秋には、紅葉もきれいでしょうね。

  

  

  

このあと、朝食を済ませ、次の目的地「旭岳温泉」に向かいました。   (つづく)

   

 

 


初めての北海道「小樽編」

2015-06-25 18:53:53 | 旅行

6月19日(金)、6月20~21日行われる「第19回北の都札幌ツーデーウオーク」参加の為、福岡より空路で札幌に行きました。

私にとって初めての北海道です。今回下関のはなまりんさんご夫妻とご同行させていただきました。

出発前の福岡は、小雨が降っていましたが、北の都に近づくにつれ、晴れ間が出てきました。一緒に旅する「はなまりんさん」、私たちの仲間では、「晴れ女神様」です。

彼女と行くと、必ずといっていいほど、雨が降りません。2年前、会津・磐梯山行ったとき、今にも降りそうな天気でしたが、それがだんだんと雲がとれ、磐梯山が顔を出してきました。

13:55定刻より5分前に新千歳空港に到着。(福岡から2時間15分でした)

  

はなまりんさんご夫妻の旅行プランは、レンタカー付きで私達も便乗させていただきました。これから一緒に「小樽」に行きます。

新千歳空港のレンタカーブースは、空港内にあり、そこで受付をしてバスでモータープールに移動し、そこから出発します。

  

16時ごろ小樽に着きました。車を小樽駅に置き、街中を散策します。

   

街路樹は、山法師?の花が咲いています。

小樽は、北前船と共に栄えた町です。北前船(弁財船)は、春に大阪を出帆し瀬戸内海、山陰地方、そして日本海の各寄港地を経て北海道に至り、秋には大阪に帰港する年一航海の買積船です。

買積船とは、各寄港地で物品の仕入れと販売を行う船です。そうした北前船は、本州と北海道を結ぶ物資流通の大動脈を担っていましたので利潤も膨大なものでした。

小樽では、昆布や蚕の肥料としてニシンが出荷され、コメなどの食料品が入ってきました。

北前船は、年に一度しか来港しないため、小樽には大きな倉庫が造られました。また、倉庫近くには、銀行が君臨し、小樽は、北海道一の賑わいをみせていました。

今でも当時を思い出させるような古い建物、倉庫などがあります。

 

   

  

旧手宮線

旧手宮線は、北海道最初の鉄道です。明治政府は、日本の近代化を図るため、石炭など北海道の地下資源に注目し、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。

そして1880年(明治13年)、北海道最初、日本で3番目の手宮線(手宮~札幌間、のちに三笠まで延長)が開通しました。1985年(昭和60年)廃止されました。

鉄道跡地は、そのままになっており、小樽市のイベントで使われているそうです。

 

   

小樽運河

 小樽港は北海道開拓の玄関口として発展してきました。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていましたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作りました。

これが「小樽運河」です。小樽運河は、大正12年に完成し、 内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっています。

  

  

運河の傍の所には、小樽を歌った歌碑があります。「小樽のひとよ」なんて懐かしいですね。  あいたい気持ちがままならぬ・・・・・・・  昭和42年の歌だそうです。

   

小樽運河で観光ボランティアの方から、「祝津展望台」がビュースポットと教えてもらい行くことにしました。

祝津パノラマ展望台は、

ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に位置する展望台(標高70.9m)です。
目の前には一面に日本海が広がり、赤岩方面の勇壮な海岸線や高島岬の日和山灯台、小樽市鰊御殿などを見渡すことができるほか、 朝日・夕日の名所としても知られており、

時間によっては漁船やフェリーも目にすることができます。また、祝津がかつて鰊(にしん)の千石場所として栄えたことから、「江差追分節名歌碑」と「北海浜節民謡碑」も建てられています。

  

夕陽には、時間が少し早すぎました。

    

祝津展望台でタクシーの運転手さんから、北運河の方もいいよと教えられ、そちらの方に行ってみました。

  

  

運河公園を歩いていると「赤い靴親子の像」がありました。女の子の靴も「赤く」塗られています。

赤い靴というと、横浜から異人さんの所にいったのでは?・・・・・・・・

説明文を見ると、この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。

その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に託され、わずか9歳でこの世を去った。

 1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「紅い靴」が生まれた。

 札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べて親交をもつ。

 鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。

 私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。

 天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて…                      2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会

 

公園内を歩いていると、歩道のインターロッキングにガラスが埋め込まれています。小樽は、ガラス工房のお店もたくさんありました。

昔、漁船の浮に「ガラス玉」が使われていました。そのガラス玉を小樽で作っていたそうです。

   

さあ、お腹も減ってきましたので食事をしようと思います。小樽といえば、・・・・・・やはり「御寿司」」ですね。

小樽の町には、「寿司横丁」なるものもあります。

福岡のお寿司は、鯖、アジなどの青物が入ってますが、小樽は、鮭、ボタンエビ、ウニ、いくら、貝柱、イカ・・・・・・です。

ニシンの刺身も食べてみました。ホント美味しかった・・・・・・ビールは、サッポロビール北海道限定のクラッシックです。

  

  

食べ終わった後、ガス灯が灯った運河を見に行きました。

  

今日は、夜、はなまりんさんたちとブログ友達「keikoさん」と会う予定になっています。小樽から高速に乗り札幌に向かいます。

某ホテルのラウンジで「keikoさん」とお会いしました。

keikoさんは、背が高く、着物姿が似合いそうなウオーカーです。keikoさんからは、花束をいただき、旅先で心が和みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


飛騨白川郷へ。「岐阜県大野郡」

2015-06-19 05:14:31 | 旅行
6/9 長良川ツーデーウオークのあと、折角ですのでレンタカーを借り、飛騨白川郷に行きました。
東海北陸自動車道を通り、約2時間で白川郷に到着。

山の方を見ると、白山?かなと思いましたら「三方崩山」だそうです。2059m。



ネーミングが面白いので調べてみますと、
三方崩山(さんぽうくずれやま)は、岐阜県大野郡白川村の両白山地の東部に位置する標高2,059 mの山である。白山国立公園内にあり。
山頂部から北東・南東・南西の三方向に赤茶けた大きな崩落地があることが、山名の由来である。1585年(天正13年)の白山大地震の際に、山頂部が大崩壊したものと考えられている。
昔白山に住んでいた天狗の爪跡によるものであるという伝説もある。麓付近の斜面は針葉樹の植林地となっているが、その上部はウラジロナナカマド、ダケカンバ、ブナ、ミズナラなどの広葉樹林帯となっている。
世界遺産の白川郷からは、南南西にその山容を望むことができる。東側の麓には白川郷平瀬温泉がある。ぎふ百山のひとつに選定されている。

車を駐車場に置き、白川郷の探索です。

 

白川郷合掌造り集落は、1995年に世界遺産に登録されました。古より受け継がれてきた独自の建築様式とともに日本の原風景が今なお残されています。



  

  


やはり世界遺産だからでしょうか、平日なのに観光客の方が多く来られています。
所々には、外国の方が・・・・・・・











もう少し、ゆっくり廻ってみたかったのですが、今日博多まで帰らなくてはいけませんので、車に戻りました。

途中、道の駅「飛騨白川」に立ち寄りました。この道の駅には、大白川温泉「しらみずの湯」があります。
このしらみずの湯は、「子宝の湯」として親しまれており、美肌効果も期待できそうです。

  

「荘川」という所にやってきました。ここには、「荘川桜」といって県指定天然記念物の桜があります。
御母衣(みぼろ)ダム建設の際に湖底に沈む桜を移植した物語のある桜です。
ドライブイン「御母衣」では、荘川桜の写真が展示されていました。

  

荘川インターの所には、道の駅「荘川」がありました。ワサビコロッケというのがありましたので食べてみると、ワサビの香りがし、少し鼻にきます。
この道の駅の横にも「桜香の湯」があります。時間がなかったのでスルー。

  




岐阜駅には、14:30に着きました。名古屋から「ひかり」で新大阪へ。新大阪から「さくら」で博多へ。博多には、20:00着。
慌ただしい一日でした。
写真は、新大阪駅で見た「ドクターイエロー」。初めて見ました。

  










名古屋に行ってきました。

2015-04-06 16:54:58 | 旅行

4/4~4/5に名古屋で行われる「第12回名古屋ツーデーウオーク」に参加するため、前日の4/3から名古屋に行ってきました。

朝一番の新幹線でしたので名古屋に着いたのは、9:35。この時間だったら、喫茶店のモーニングがあるなと思い、駅の地下の喫茶店へ直行。

名古屋は、モーニングサービスでも有名な所ですね。お店によっては、一日中モーニングがあるそうです。夕方になったら「イブニング」ともいうのかな?(笑)

  

追加メニューで名古屋名物「小倉サンド」もいただきました。トーストに小倉餡なんて邪道だろうと思っていましたが、食べてみるとバターの塩味とマッチしていけます。はまりそうです。(笑)

  

歴史としては、1950年頃繊維業が盛んであった愛知県一宮市で、商談などで朝から集まった人のために店がピーナツやゆで卵を付けたのが、当地のモーニングサービスの始まり、との説がある。

また、同県豊橋市を発祥地とする説もある。東三河モーニング街道研究会によると、豊橋駅前にあった「仔馬」という喫茶店において、従業員のまかないとして出していたパンを客に対しても提供するようになったのが発祥であり、

一宮とは同時期の出来事であるという。愛知県では喫茶店利用客と喫茶店の数の多さが地域内部での商業競争を呼び、これらのサービスを生んだとされている。(wikipediaより)

現在、福岡でも名古屋のコーヒー屋「コメダ」が出店してきており、いずれ福岡にも名古屋スタイルのモーニングが定着するのでしょうか?

 

モーニングの後、ホテルへ荷物を預けるため駅前に出ると、凄い高層ビルが建っています。

  

小生、名古屋へは、何回か来ていますが、電車の乗継などがほとんどで主に駅の構内ばかりでした。名古屋の街は、歩いたことがありません。

初めて街歩きをします。地下鉄に乗り、名古屋城へ。

 

昨年は、姫路城の桜、一昨年は、岩国錦帯橋の桜を観賞しました。今年は、名古屋城の桜。

ツーデーウオークのコースにも名古屋城は入っていますが、ウオーキング中だとあまり、じっくり見ることができません。ゆっくり見たいと思いやってきました。

名古屋城の桜は、広大な敷地に、ソメイヨシノや枝垂れ桜など約10種類、1000本の桜があります。

  

今日の雨で少し散りかけていますが、それにしても素晴らしい桜です。

お城見学のついでに「清州城」にも行ってきました。名古屋駅に戻り、名鉄で新清州駅で降り、約15分ぐらい歩くと清州城に着きます。

清州城は、清須市にあります。お城の「州」と市名の「須」が違います。

  

 

清州城の対岸にある「清州公園」も桜の名所です。今日は、細かい雨が降っていますが、天気の良い日には、花見のスポットです。

 

公園内には、信長と濃姫の像が建っていました。

  

このあと、名古屋に戻り、名古屋城のライトアップを見に行こうしましたが、20:00になると照明が落とされ、見えませんでした。仕方なく栄の方に行きます。

栄のテレビ塔の所に行きましたら、何か、UFOみたいな建物が建っています。これは、バスセンターです。

このUFOみたいな建物の上に人が集まっていますのでなんだろうと私達も上がって行きました。

上は、水槽になっていました。残念ながらお魚はいませんでした。

  

さて、今夜の晩御飯です。

名古屋名物というと、きしめん、味噌カツ、ひつまぶし、あんかけスパゲティ、味噌おでん、味噌煮込みうどん、手羽先、どて煮、台湾ラーメン・・・・・・・これらのものが「名古屋めし」と言われています。

ひつまぶしは、お値段がちょっと張りますので、きしめんと味噌カツを注文しました。

きしめんは、福岡・筑後でいう、団子(だご)みたいでした。味噌カツは、辛いかな?と思いましたがそんなに辛くなくいただけました。

  

この名古屋城の桜は、後日「デジブック」にて公開しようと思っています。

こうして名古屋の初日が終わりました。

 

 

 


初めての徳島

2015-03-16 21:57:53 | 旅行

「阿波えらいやっちゃツーデーウオーク」に参加の為、前日の3/13(金)、徳島に向かいました。

福岡から徳島には、飛行機、列車などのアクセスがありますが、今回ジパング倶楽部を利用して新幹線乗継で行ってきました。

徳島は、いろいろ行きたい所もありますが、時間的に余裕もなく、とりあえず、四国一番札所「霊山(りょうせん)寺」、徳島「阿波おどり」観賞、そのあとロープウェイで眉山(びざん) → → 鳴門のホテル・・・というスケジュールを建てました。

7:00博多発さくら540号岡山着8:57   岡山発9:05マリンライナー高松着9:58  高松発10:11特急うずしお7号 池谷着11:14  池谷発11:15 普通列車で板東駅11:19着。

   

  

板東駅から徒歩10分ほどで四国一番札所「霊山寺」に着きます。えらいやっちゃウオークでは、2日目のコースに入っていますが、ウオーキング大会では、あまり時間がとれませんので先に見学します。

ウオーキング友達の「ぼくちゃん&相棒さん」が、現在、四国八十八箇所を歩いて巡礼されていますが、ぼくちゃんたちもこの霊山寺からスタートされました。

  

四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、霊山寺、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。

縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、

また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。(四国八十八箇所霊場会HPより)

   

本堂横には、これから八十八箇所巡りをされる方の衣装やグッズなどを販売されていました。ここでは、御朱印がもらえるということで私もいただきました。

      

霊山寺を出て、坂東駅に戻ります。これから徳島駅に行きたいのですが、列車は、12:23発。少し時間がありますので駅周辺を散策します。

一番霊場ということでしょうか、駅には、巡礼に関する知識などを書いた説明文が掲げられています。

  

12:41徳島駅到着。お腹も減ってきたので駅前の「そごう」のレストラン街でちょっと遅いランチを!徳島というと、やはり刺身ですね。

ランチの「刺身定食」を注文しました。味噌汁には、鳴門名産のワカメが入っています。

  

お腹も一杯になり、今日2番目の目的地「阿波おどり会館」に向かいます。明日のウオーキング会場でも「阿波おどり」が行われる予定ですが、14:00からですので、それまでに帰ってくれればいいのですが、

多分無理かな・・・・・・・・???

駅から約10分で「阿波踊り会館」に着きました。会館前の四阿では、屋根が阿波踊りの笠をイメージしています。

※徳島市のマンホールは、波をイメージ。

    

  

阿波踊り公演と眉山ロープウェイがセットになったチケットを購入。入るとすぐ、阿波踊りの公演が始まりました。

私、阿波踊りを実際、生で見るのは初めてです。

400年の歴史を持ち世界にもその名を知られる阿波おどり。その起源については、いろいろな説があります。
盛んに踊られるようになったのは、徳島藩祖・蜂須賀家政が天正14年(1586年)に徳島入りし、藍、塩などで富を蓄積した頃からといわれ、 その後、藍商人が活躍し、

年を重ねるごとに阿波おどりを豪華にしていきました。
そこから阿波おどりは市民社会にも定着し、自由な民衆娯楽として花開き、 特に戦後は復興の象徴として目ざましく発展していきました。(阿波ナビより)

終盤には、お客さんと一緒に踊るコーナーもあり、踊り方の指導もありました。昔のナンバ歩きみたいに足を少しあげ、2拍子にのって踊るそうです。私もやってみましたが、この歳です。なかなかうまくいきません。

踊りのうまかった方には、賞状が贈られました。

眉山ロープウェイは、阿波踊り会館5階から運行しています。約7分間で山頂へ。

眉山は、どの方向から見ても眉の姿に見えることからその名が付けられたそうです。標高290mで山頂は、眉山公園になっています。

ここからは、徳島市街地が見渡せます。遠くには、淡路島が・・・・・・、徳島港を出港した船も見えます。あれは、和歌山に向かうのかな?

   

山頂には、太平洋戦争戦没者を慰霊するパゴダ、一等三角点の表示などが建っています。

    

東南部を見ると四国の山々が見えます。剣山(つるぎざん)あたりが三好あたりでしょうか?雪の被害がありましたね。また、福岡出身・「北山たけし」さんの歌に「剣山」があります。

 時間は、4時をすぎました。ロープウェイの下りに乗り、徳島駅の方に戻ります。徳島駅からバスに乗り、今日のお宿「鳴門」へ。

  

チェックインし、食事に行きます。今晩の夕食は、これです。

明日のウオーキングに備え、早めに就寝しました。