6月19日(金)、6月20~21日行われる「第19回北の都札幌ツーデーウオーク」参加の為、福岡より空路で札幌に行きました。
私にとって初めての北海道です。今回下関のはなまりんさんご夫妻とご同行させていただきました。
出発前の福岡は、小雨が降っていましたが、北の都に近づくにつれ、晴れ間が出てきました。一緒に旅する「はなまりんさん」、私たちの仲間では、「晴れ女神様」です。
彼女と行くと、必ずといっていいほど、雨が降りません。2年前、会津・磐梯山行ったとき、今にも降りそうな天気でしたが、それがだんだんと雲がとれ、磐梯山が顔を出してきました。
13:55定刻より5分前に新千歳空港に到着。(福岡から2時間15分でした)
はなまりんさんご夫妻の旅行プランは、レンタカー付きで私達も便乗させていただきました。これから一緒に「小樽」に行きます。
新千歳空港のレンタカーブースは、空港内にあり、そこで受付をしてバスでモータープールに移動し、そこから出発します。
16時ごろ小樽に着きました。車を小樽駅に置き、街中を散策します。
街路樹は、山法師?の花が咲いています。
小樽は、北前船と共に栄えた町です。北前船(弁財船)は、春に大阪を出帆し瀬戸内海、山陰地方、そして日本海の各寄港地を経て北海道に至り、秋には大阪に帰港する年一航海の買積船です。
買積船とは、各寄港地で物品の仕入れと販売を行う船です。そうした北前船は、本州と北海道を結ぶ物資流通の大動脈を担っていましたので利潤も膨大なものでした。
小樽では、昆布や蚕の肥料としてニシンが出荷され、コメなどの食料品が入ってきました。
北前船は、年に一度しか来港しないため、小樽には大きな倉庫が造られました。また、倉庫近くには、銀行が君臨し、小樽は、北海道一の賑わいをみせていました。
今でも当時を思い出させるような古い建物、倉庫などがあります。
旧手宮線
旧手宮線は、北海道最初の鉄道です。明治政府は、日本の近代化を図るため、石炭など北海道の地下資源に注目し、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。
そして1880年(明治13年)、北海道最初、日本で3番目の手宮線(手宮~札幌間、のちに三笠まで延長)が開通しました。1985年(昭和60年)廃止されました。
鉄道跡地は、そのままになっており、小樽市のイベントで使われているそうです。
小樽運河
小樽港は北海道開拓の玄関口として発展してきました。当時は、大きな船を沖に泊め、はしけ(台船)を使って荷揚げしていましたが、取り扱う荷量が多くなり、はしけが直接倉庫の近くまで入って行ける水路を作りました。
これが「小樽運河」です。小樽運河は、大正12年に完成し、 内陸を掘り込んだ運河ではなく、海岸の沖合いを埋立てて造られたため、直線ではなく緩やかに湾曲しているのが特徴となっています。
運河の傍の所には、小樽を歌った歌碑があります。「小樽のひとよ」なんて懐かしいですね。 あいたい気持ちがままならぬ・・・・・・・ 昭和42年の歌だそうです。
小樽運河で観光ボランティアの方から、「祝津展望台」がビュースポットと教えてもらい行くことにしました。
祝津パノラマ展望台は、
ニセコ積丹小樽海岸国定公園」に位置する展望台(標高70.9m)です。
目の前には一面に日本海が広がり、赤岩方面の勇壮な海岸線や高島岬の日和山灯台、小樽市鰊御殿などを見渡すことができるほか、 朝日・夕日の名所としても知られており、
時間によっては漁船やフェリーも目にすることができます。また、祝津がかつて鰊(にしん)の千石場所として栄えたことから、「江差追分節名歌碑」と「北海浜節民謡碑」も建てられています。
夕陽には、時間が少し早すぎました。
祝津展望台でタクシーの運転手さんから、北運河の方もいいよと教えられ、そちらの方に行ってみました。
運河公園を歩いていると「赤い靴親子の像」がありました。女の子の靴も「赤く」塗られています。
赤い靴というと、横浜から異人さんの所にいったのでは?・・・・・・・・
説明文を見ると、この歌のモデルとなった「きみ」ちゃんは、2歳の時に母「かよ」と共に静岡から函館に渡った。そこで母は鈴木志郎と出会い結婚するが、留寿都村へ入植の際、きみを外国人宣教師夫妻に預けた。
その後きみは宣教師夫妻の帰国時に重い結核のため横浜から船で米国に渡れず、東京の孤児院に託され、わずか9歳でこの世を去った。
1907年に志郎は札幌の「北鳴新報」に就職し、そこで野口雨情と出会い家族ぐるみの交流を深める。母は娘きみの話を打ち明け、それが雨情の詩となり本居長世が曲を付けて1922年童謡「紅い靴」が生まれた。
札幌の後、志郎・雨情は「小樽日報社」で石川啄木と机を並べて親交をもつ。
鈴木夫妻は各地を転職した後、1940年小樽のカトリック富岡教会の門前に居を構え、きみの死を知らずその幸せを信じ、熱心なキリスト信者として暮らし、今は中央墓地で眠っている。
私達は、世界中の苦しみを抱えた家族の幸せを願い、小樽市民をはじめ全国からの温かい募金によって、ゆかりのある小樽の地に「赤い靴・親子の像」を建てた。
天国できみちゃんが幸せに暮らす姿を夢に描いて… 2007年11月23日 「赤い靴・親子の像」建設委員会
公園内を歩いていると、歩道のインターロッキングにガラスが埋め込まれています。小樽は、ガラス工房のお店もたくさんありました。
昔、漁船の浮に「ガラス玉」が使われていました。そのガラス玉を小樽で作っていたそうです。
さあ、お腹も減ってきましたので食事をしようと思います。小樽といえば、・・・・・・やはり「御寿司」」ですね。
小樽の町には、「寿司横丁」なるものもあります。
福岡のお寿司は、鯖、アジなどの青物が入ってますが、小樽は、鮭、ボタンエビ、ウニ、いくら、貝柱、イカ・・・・・・です。
ニシンの刺身も食べてみました。ホント美味しかった・・・・・・ビールは、サッポロビール北海道限定のクラッシックです。
食べ終わった後、ガス灯が灯った運河を見に行きました。
今日は、夜、はなまりんさんたちとブログ友達「keikoさん」と会う予定になっています。小樽から高速に乗り札幌に向かいます。
某ホテルのラウンジで「keikoさん」とお会いしました。
keikoさんは、背が高く、着物姿が似合いそうなウオーカーです。keikoさんからは、花束をいただき、旅先で心が和みました。