1日目舟下りコースをゴールして、16時からのウェルカムパーティまで時間があったので、飯田のお薦めそば屋さんを紹介してもらい、行ってきました。
会場から徒歩で3分ぐらいの所にある、明治4年(1871)創業の「高田屋本店」。
福岡は、うどんやラーメンのお店は、沢山ありますが、そば専門店と言うと、数が少なく、有名店ともなると、行列ができてしまいます。
この日は、土曜日で混雑しているかな?と思いましたが、空いており、すぐ座れました。私達のすぐ後には、ウオーカー仲間の東京のNさん(女性)も入ってこられました。
注文したのは、私が、天ぷらそばランチ(五平餅も入っています)、家内がとろろそば。
やはり、信州で食べる本場のそばは、美味しいですね。
そばを食べ終わり、お店を出ますが、まだ時間があります。そば屋さんの近くには、「川本喜八郎人形美術館」がありました。
ここは、やまびこマーチのゼッケンを見せると、入場は無料です。
この川本喜八郎人形美術館は、人形劇アニメーション監督であった川本喜八郎がNHK『人形劇 三国志』(1982年10月2日-1984年3月24日に放映)の人形美術を担当した際に製作された人形を主に、
川本に関する多くの貴重な作品を展示している。
川本は1990年に、飯田市で毎年開催される人形劇カーニバル飯田(現在のいいだ人形劇フェスタ)での『人形劇 三国志』公演のために、初めて飯田市を訪れた。
その後も度々飯田を訪れ、古くから人形芝居を継承する人形劇のまちである飯田、また人々の人形に対する情熱に感銘を深く受けた。
そして「人形たちに一番ふさわしい場所」として、『人形劇 三国志』『人形歴史スペクタクル 平家物語』などに使われた人形を飯田市へと寄贈するに至った。
飯田市は「人形劇のまち」として人形劇文化のさらなる振興、交流のための新たな拠点として当美術館を建設。川本が館長に就任し、2007年3月25日にオープンした。(Wikpediaより)
館内は、撮影禁止で唯一撮影できるのは、入口の三国志の人形。館内では、係りの方が人形の仕組み、扱い方など説明されていました。
人形は、リアルで素晴らしかった。
飯田の町を歩くと、大河ドラマ「おんな城主」に出てくる「井伊亀之丞ゆかりの地」の幟をよく見かけます。
「広報いいだ」では、このように説明されています。
飯田市には、井伊直虎の許婚(いいなずけ)である井伊亀之丞(直親)がこの地に残した子孫とされる「飯田井伊家」や、井伊家の血をひく福姫の墓などがあります。
「飯田井伊家」は、井伊亀之丞(直親)が駿河の戦国大名今川義元に命を狙われ信州市田郷(高森町)の松源寺に10年余にわたり匿われていた際に、
嶋田村(現飯田市松尾)の代官塩沢氏の娘と恋仲になりもうけた一子吉直を祖とする家で、飯田城下町の大横町で麹屋(嶋田屋麹店)を営み現在も続いています。
「福姫」は、飯田城主・小笠原秀政の正室ですが、織田信長と徳川家康の両雄を祖父に持つ稀有な血筋として知られています。
福姫は、井伊直虎の曽祖父である井伊直平の玄孫(やしゃご)にあたるため井伊家の血筋とも言えます。
この松源寺は、明日20kmのコースに入っています。
喫茶店でコーヒーを飲んで店を出ようとすると、目の前にかわいらしい乗り物が・・・・・・これは、市内中心部を廻っている無料のプチバスです。
これに乗って飯田駅まで行きました。
そろそろ16時近くなり、ウェルカムパーティ会場の「中央公民館」へ。
牧野飯田市長、日本ウオーキング協会堀野会長、韓国原州市から韓国ウオーキング協会代表の挨拶のあと、パーティの始まりです。
参加者は、約100人ぐらいです。料理は、地元婦人会の皆さんによる地元食材を使った料理です。
料理のお品書きもあります。
若いころは、煮物なんか好きではありませんでしたが、歳をとると、このような煮物が好きになってきます。どうしてでしょうかね????
あんまり美味しいのでどんどんいただきましたが、考えてみれば、旅館に戻っても夕食があります。少しセーブしたいのですが、やはり食い意地が張ってしまいます。
パーティの最後には、この婦人会の皆様の歌唱指導で「雪山讃歌」の替え歌で、南アルプス連峰の山々を歌います。
仙丈(せんじょう)、北岳、間ノ岳・・・・・・・・・
終了したのは、17:00でした。