5/13(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「虹ノ松原と唐津城散策」でした。
ここでふくおかウォーキング協会のひと月の予定を紹介します。
例会(第1土曜日x1)、楽しいウォーク(毎週水曜日X4)、やさしいウォーク(第2木曜日x1)、サタデーウォーク(第2土曜日x1)と月に7回のウォーキングを実施しています。
年間ですと約80回(夏休み、正月休みを除く)行います。担当は、中央区を境に「西グループ」「南グループ」「東グループ」と3つに分けています。
一時は、各ウォークに70名ほど参加していましたが、最近は、コロナの影響や会員さんの高齢化のため、参加人数もだんだん少なくなってきました。
今日のコースは、西グループの担当、リーダーは唐津市在住の方です。
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集合場所は、JR筑肥線浜崎駅、ここは、唐津虹ノ松原ツーデーマーチの会場でもありました。参加者20名。参加者の中には、佐賀県ウォーキング協会Y会長も参加されていました。
GWから毎週土曜日は雨です。この日も予報では一日中雨。
今年、唐津ツーデーマーチは、会場をJR唐津線 相知(おうち)駅を中心に11月18日~19日に行われる予定です。
コースは、浜崎駅スタート~虹ノ松原~唐津シーサイドホテル~唐津城~唐津駅ゴールの約10km。
唐津湾の海浜に続く虹の松原(にじのまつばら)は、国の特別名勝で、三保の松原(静岡県)、気比の松原(福井県)とともに日本三大松原のひとつに数えられる景勝地です。
長さ約4.5km、幅約0.5kmにわたり、約100万本のクロマツが群生しています。その歴史は古く、17世紀初め初代唐津藩主寺沢広高(ひろたか)が防風・防潮のため、海岸線の砂丘に
クロマツを植林したのがはじまりとされています。江戸時代には、「二里の松原」とも呼ばれていました。また、虹の松原は数々の不思議な伝説がある場所でも有名です。
〈その一〉豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中この松原を通り、あまりセミが鳴くので「騒々しい」と叱った時以来、セミの声が絶えたと言います。
〈その二〉秀吉が松原を通っている時、松が高く邪魔で眺望がきかなかったので、「低くなれ」とグッと一睨みして以来、高くならない「睨み松」があります。
〈その三〉秀吉の軍隊の槍を立てかけた「槍掛松(やりかけまつ)」があります。
〈その四〉百万本の松はクロマツばかりです。
〈その五〉松原の中に海岸近くであるが塩分を含まぬ真水を湧出する井戸があります。
〈その六〉高島の東端と神集島の西端を結ぶ延長線が松原の中心です。
〈その七〉浜崎にある諏訪神社にまつられている諏訪姫の願により松原には蛇はいません。
〈その八〉松原の南側、松浦川河口付近の千人塚砂丘に「根上りの松」があります。
以上が虹の松原の八つある七不思議です。
9:30雨の中スタート。
雨も止み、時々パラパラとするぐらいになりました。
県道347号線沿いには、「従是東対州領」という石碑が建っています。江戸期には、唐津市浜玉町から福岡県糸島市二丈町大入までは、対州領でした。対州とは、現在の対馬市です。
海岸に出ます。砂浜には、ハマボウフウがあります。これは、食用や医薬品になります。子供のころは、酢味噌で食べた記憶があります。
松原おこし製造の麻生本家の裏には、海岸近くでありながら塩分を含まない「真水の井戸」があります。これは、虹ノ松原七不思議です。
JR筑肥線が走る前までは、この地に馬車道が走っていました。遺構は残ってませんが、下記写真の所です。
唐津シーサイドホテルが最初の休憩地です。
休憩後再スタート。
コースは、唐津城にかかる「舞鶴橋」に来ました。
4月中旬頃でしたら、唐津城の藤が楽しめるのですが、今年は、「藤」の花も開花が早かった・・・・写真は、4月中旬に見学した「唐津城の藤」です。
一応、唐津城前で仮ゴールにします。IVVが配られました。私は、雨が降ったばかりですので唐津城はパスし、唐津駅に向かいます。
東京駅の建築に携わった「辰野金吾」は、唐津の生まれです。唐津には、彼の造った「旧唐津銀行」があります。
また、曾禰達蔵は、辰野と同様唐津出身で主に三菱関係の建物を造りました。
商店街を歩くと「海鮮丼」の有名店があります。今日は、土曜日ですのでもう行列ができています。せっかくですので並んで待ちました。
待った甲斐がありました。魚は新鮮でおいしく、九州大学と共同研究された「Qさば」も入っていました。
今日のGPSです。