中州の中島橋を渡ると城下町「福岡」に入ります。
よく、福岡と博多を間違えられますが、博多は商人の町、福岡は城下町です。
明治時代、福岡の市名を福岡にするか博多にするかで投票がありました。
投票の結果、僅差で福岡になりました。
博多の名前は昭和47年政令指定都市になった時、博多区として残されました。
福岡部に入ると、街道を少しそれ、街道と平行している旧電車道に入ります。
すぐ右手には「水鏡天満宮(すいきょう)」があります。
ここは、「菅原道真が京より太宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、四十川
(現、薬院新川)の水面に自分の姿を映された場所であるとされ、今泉に社殿が建造され、
「水鏡天満宮」「姿見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。
1612年福岡藩主黒田長政によって福岡城鬼門にあたるこの地に移住した。
福岡市の中心地「天神」は、この天満宮に由来します。また、鳥居の「天満宮」は
福岡出身の初の総理大臣「広田弘毅」が小学生の頃書いたものです」
改めて、鳥居を見てみると、とても小学生が書いたとは思えない立派な字体でした。
※写真説明 左上、中島橋からキャナル方面、右上、福岡市の中心部天神交差点
左下、水鏡天満宮、右下、水鏡天満宮鳥居
時間は2時を過ぎました。箱崎からここまでは、そんなに距離はないんですが、
彼方此方寄り道している為か、距離以上に万歩計の数字が上がっています。
この街道歩き、1月2日にスタートしました。お正月でお昼を食べたいのに
食堂は休みでお昼に苦労しました。
然し、今回は、福岡市の中心地「天神」。家内の情報では、ビルの地下に安くて
美味しい店があるということ聞き、(家内はこの天神の某社に勤めています)
即、そこに行きました。
早速そこのお店の「おまかせ定食」を注文し、メニューを見るとグラスビールが
100円であります。唐津街道も半分を超えたし、また今日は暑いし、いろいろ
理由を考えながら二人でビールで乾杯。
babyさんがいつも言われているように歩いた後のビールは美味しいですね。
30分ぐらい休憩のあと、再び街道へ。
今日はここから20KM先の前原宿まで行きたかったのですが、
寄り道ウオークが多く、前原宿までは無理ですので、行ける所までいくように
しました。
天神の交差点から100Mぐらい行った所の証券ビルの一角に福岡民謡「黒田節」の
モデルになった「母里太兵衛」の屋敷跡があります。
この一帯は、大名町と言って、福岡藩上級武士の屋敷があったところです。
「♪酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑みとるほどに
のむならば これぞまことの 黒田武士♪」
この黒田節には、こんな逸話が残っています。
黒田長政の使者として伏見城の滞在中の福島正則を訪ねた太兵衛は、
酒を勧められるが、酒豪で有名な太兵衛は、使者であるからと断った。
私だったら、いただきますかと言ったと思いますが、彼は仕事ということで
断り続けます。あまり断るので正則は何か太兵衛に言ったのでしょうね。
そこで正則は、大盃を出し、「これを飲み干せば好きな褒美をとらす」と
言いました。太兵衛はあまり言われるのであえて受け、大盃になみなみと
注がれた一気に飲み干すと、褒美として正則が秀吉から拝領した
名槍「日本号(ひのもと)」を所望します。
正則はしぶしぶ「武士に二言はない」といって太兵衛に「日本号」を
渡します。これが民謡の黒田節になっているんです。
赤坂門の交差点を抜けると福岡城が見えてきます。
私が殿様だったら沿道にお迎えがずらっと並んでいたのでしょうが、
私は、一市民。お迎えなどありません。(笑)
一応、殿様気分になったつもりで裁判所横の上の橋から城内に入っていきました。
※写真説明 左上、母里太兵衛屋敷跡、 右上、赤坂門の古い赤煉瓦塀
左下、福岡城上の橋、右下、福岡城本丸入口
このあと、福岡城内にある「鴻臚館」を見学し、これより西の姪浜宿手前まで
歩きました。
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本日の歩行距離21,5KM(寄り道が多く距離は稼いでいます)
交通費 地下鉄540円、
昼食代 おまかせ定食@880、グラスビール@100
おやつ 酒饅頭@90、蜂蜜饅頭@100
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