10/29(土)は、「日本遺産『西の都』ふれあいウォーク」に参加しました。
このウォークは、太宰府市市制施行40周年と太宰府観光協会法人化を記念して行われました。
7世紀後半から12世紀後半、大宰府は行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されたのです。
コースは、ロングコース(17km)、ミドルコース(12km)、ショートコース(7km)があり、私はロングコース(17km)にエントリーしました。
8:40から出発式の後、9:00ロングコース(17km)スタート
水城跡・・・1350年前の百済の役廃線に際し、日本を守るために築かれた城砦。水を貯えた濠と土塁からなっており、のちに大宰府の出入口となり、外国使節や都からの官人らを
迎えました。
姿見井・・・901年1月25日、右大臣であった菅原道真は、太宰権帥に任命され、太宰府に来ることになりました。道真は水城の東門から大宰府に入り、この付近で衣類を着替えたと
伝えられています。その時、自分の姿を映した井戸(池)が、この井戸と伝えられ、のちに姿見井や鏡池と呼ばれるようになりました。
衣掛天満宮・・・衣掛天満宮は、菅原道真が大宰府に配流されてきた時、装束を改めるため、衣を石または松に掛けたことがおこりとされています。
国分尼寺・・・天平13年(741)、聖武天皇の命令によって、全国に国分寺とともに造られた尼寺(あまでら)のことを「国分尼寺」といいます。その一つである筑前国分尼寺は、
江戸時代に描かれた絵図などから、国分寺の西側に建てられていたことが知られています
坂本八幡宮を過ぎ、太宰府市民の森に入ります。
太宰府市民の森は、四王子山の山麓にあり、春の森と秋の森があり、今回は秋の森を歩きます。
太宰府には過去何回も来ていますが、この市民の森は初めてです。
崇福寺塔頭跡(そうふくじたっちゅうあと)臨済宗の寺院である横岳山崇福寺は現在の博多区千代の地所に伽藍を構える 以前には、 太宰府市の北、四王寺山裾の横岳にあった。
聖一国師(円爾弁円えんじべんねん)が仁治2年1241に開堂式を行い、 後に文永9年1272、大應国師だいおうこくし(南浦紹明なんぽしょうみょう)によって開山されたとされる
崇福寺別院とはここのことである。(案内文より)
市民の森を下りてきます。この市民の森初めてですが、少々きついです。
ここから竈門神社までは、緩やかな上りの坂道です。
やっとのことで竈門神社までやってきました。
竈門神社は、宝満山の登山口になっており、山麓に下宮、頂上に上宮があります。祭神は、玉依姫命。
社伝では、天智天皇の代(668~682))に大宰府が現在地に遷された際、鬼門(東北)に位置する宝満山に大宰府鎮護のため八百万の神々を祀ったのが神祭の始まりとです。
次いで天武天皇2年(673))、心蓮(しんれん)上人が山中での修行していると玉依姫命が現れたため、心蓮が朝廷に奏聞し山頂に上宮が建てられたそうです。
神社側では、この時をもって当社の創建としています。
また、2019年頃から漫画「鬼滅の刃」の作者「吾峠呼世晴」が福岡出身の為、機密の刃の聖地としても知られています。
竈門神社から国立九州博物館に向かいます。
九州国立博物館
光明禅寺から太宰府参道に向かいます。光明禅寺は、庭園が有名ですが、現在工事中の為来年3月まで立ち入ることができません。
太宰府参道は、人出が戻ってきたのでしょうか、たくさんの観光客の方が参拝に訪れています。
太宰府門前には、私の大学の同級生の梅が枝餅屋さんがあります。ふと、その店を見てみると、白い髭を生やしたお年寄り(?)が呼び込みを行っています。
じっと見てみると、同級生のN君です。約40年ぶりぐらいの再会です。
私の最初の職場の同僚が彼と小・中学校の同級生、また、私の小・中学校の同級生が彼と高校の同級生。彼は珠算で段を持ってます。(残念ながら二人とも故人になりましたが・・・)
太宰府展示館では、太宰府市のマンホールカードがもらえます。
12:11 大宰府政庁跡へゴールしました。
ゴールしたら「旅人の梅」というお餅が頂けるということでそのテントに行きました。
「旅人の梅」は、小豆餡に梅餡が入っており、しつこくなくおいしくいただきました。商品化してほしいです。
今日のGPSです。17kmはありませんでした。
翌日の地元の新聞には、このふれあいウォークのことが載っていました。
博物館も行きます。楽しみで~す。
11月に入りましたがあらためてよろしくお願いいたします。今月は☀マーク続きで天気安定が期待できますね。
そうですか、ニアミスでしたね。太宰府も観光客が戻ってきて賑やかになりました。
ブログ楽しみにしています。