よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

唐津街道を行く№3(海老津~赤間宿)

2010-01-05 05:23:51 | 唐津街道
1月17日快晴。唐津街道2日目。
博多発8:45の電車で前回ゴール地のJR海老津駅へ。
今日は、海老津から、赤間宿~原町宿~畦町宿(あぜまち)までの
約20kmのコースです。
前回は、終盤、マメが出来たり、雨が降ったりで散々でしたが、
今回は、天気もよく絶好のウオーキング日和になりそうです。

海老津駅から松田の信号を渡り、旧道へ。
地図を見ると旧道は、国道とほぼ平行に走っており、だいたいわかりやすい。
1時間ほど歩いたでしょうか、この街道の難所の「城山峠」に差し掛かりました。
地図では、武丸北の信号から右斜めに入るようになっています。
舗装道がきれ、ここからは土の道。
太平寺福岡分院を過ぎると唐津街道の標識が・・・・
この街道歩き始めて最初の標識です。
記念にここで写真を1枚。

竹藪の道を奥のほうに入る。足元を見るとなにやら猪の足跡が・・・・
「猪が出てきたら怖かね」と妻の声。
「なんば、いいようとっか、猪が出てきたら俺がこの棒で叩いちゃ」
と道端にあったちょっと太い棒をとって私が言った。
猪は出てきませんでしたが、若し出てきたら私が家内の後に隠れたかも
しれません。(笑)

※写真説明 左、城山峠山道、右、唐津街道の標識

城山峠を下りると福岡教育大学が見えてきました。
その先が、JR福岡教育大学前駅。
そこを左に曲がると、唐津街道・赤間宿の標識。海老津駅から約7km。
赤間は、その昔、赤馬と呼ばれていたそうで、これは、神武天皇を
赤い馬でお迎えにいったことからその名がついたと何かの本に書いてありました。
それがいつの間にか、赤馬が赤間になりました。

赤間宿を歩いていくと左側に「須賀神社」があります。
須賀神社の境内には、「節婦阿政之碑」が建っています。
それによると
「宗像三偉人の一人で孝女と言い伝えられているのが、節婦阿政こと
赤間のお政。政は約200年前に風流人として名を馳せた七兵衛の後妻の
娘として生まれたが、両親を早くに亡くした為、腹違いの姉夫婦に育てられた。
その姉夫婦から大庄屋の嫁にとの縁談が持ち込まれたが、
政には、亡父から言われた本家筋の許婚がいた。ところが、許婚の家は
貧しく、姉夫婦は裕福な大庄屋との婚姻を勧めたため、悩んだ政は、婚礼の夜に
「我身ひとつかくこを極め参らせ候」という遺書を残して自害してしまった。
享和元年(1801)政が18歳のことだった。政の貞節は頼山陽著の
「節婦阿政伝」に記され、婦女子の鏡と言われたと説明されています。」
節婦とは、節操の堅固な女性のことです。
お政のお墓は宿場町の終わりの方の小高い丘の上に建っています。

須賀神社の先の右側には「法然寺」があります。
寺の廻りを見てみますと、出光家の墓があります。
ここが、出光家の菩提寺なんでしょうか?
そういえば出光興産の創業者の方もここ赤間のご出身です。
寺の横には、幕末、三条実美ら5人の公卿が幕府から逃れるため、
長州から太宰府へ移る途中、この地を訪れ、約1ヶ月間滞在したという
「五卿西遷之碑」が建っています。
また、ここは木屋瀬からの道と交差し、交通の要所でした。

宿場町を歩いてきますと、江戸時代からの酒屋、鏝絵の民家などが
あります。                  (次回 原町宿へ続く)

※写真説明 左上、須賀神社、右上、法然寺
        左下、鏝絵の民家、右下、勝屋酒造



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