10/24(土)は、JR九州ウォーキングで佐賀県吉野ヶ里へ行ってきました。スタートは、JR吉野ヶ里駅。吉野ヶ里駅には8:20到着。
てっきり、8:30受付開始と思っていたら、今日は、吉野ケ里歴史公園の開園時間に従って、9:30受付。
開始まで待っていると二百数十人が列を作っていました。
駅南口から歩き始めます。役場を通っていくと、見慣れた光景です。ここは、長崎街道に面しており、このあたりが「田手宿」です。
平成23年(2011年)9月に長崎街道田手宿を歩いた時には、追分石がなかったのですが、(道路拡張工事でなくなっていた)また設置されていました。
追分石の先には、田手川沿いに「田手神社」があります。
この神社は1300年前天智天皇が創建され天照皇大神を祀っています。
また、この一帯は1530年(享禄3)北九州の覇権をめぐり、周防・大内氏と肥前・少弐氏との間で戦があった所です。(田手畷の戦い)
田手神社から田手川沿いに歩きます。長崎本線のガードを潜り、吉野ケ里歴史公園に向かいます。本日、吉野ケ里歴史公園は、無料開放日です。
吉野ケ里歴史公園に入るのは何年ぶりでしょうか?8年?ぐらいきてないなぁ~。
現在、吉野ケ里歴史公園では、赤のそばの花が満開だそうです。
鳥居の上には、鳥が止まっています。この鳥は何か係りの人に聞くと水鳥だそうです。私の薄学の知識では、鳥居の起源については、天照大御神が天の岩屋にお隠れになった際に、
八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であると信じていました。ところが吉野ヶ里の鳥居と門の説明では、穀霊信仰は穀物の霊に対する信仰であり、
精霊信仰の一種です。稲作が開始された弥生時代に、縄文時代以来の精霊信仰の上に穀霊に対する信仰、観念が独自に発達していったことは当然推定されます。
それとともに穀霊を運ぶ生物としての鳥を崇拝する観念が生まれたことが大阪府池上遺跡や山口県宮ヶ久保遺跡など、各地の弥生時代の遺跡から鳥形木製品や鳥装のシャーマンと
おぼしき人物の描かれた土器などにより推察できます。
鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に秘匿認められるものであり、ここから逆に弥生時代に穀霊信仰が存在したことを推定することができます。
鳥に対する独自の観念は『古語拾遺』や『古事記』、『日本書紀』などの古代文献でも認めることが出来、そうした観念は弥生時代に遡ると言えます。
天空に近い場所をより神聖な場所とする観念の表れでもあることが、東南アジア民族事例や古代中国の文献などから窺ことが出来、弥生時代の建物が描かれた絵画土器などに高床建物、
重層建物が多く描かれ、吉野ヶ里遺跡の祭殿、物見櫓などが出現してくる背景には稲作とともにもたらされたアジアの稲作地帯にみられる穀霊を運ぶ生物として鳥を神聖視する観念が
存在したことが窺われます。(吉野ケ里歴史公園資料より)
赤いそばの花です。
私、白いそばの花は見たことがありますが、赤いそばは、初めてです。
事務所では、ミス吉野ヶ里?が迎えてくれました。お土産もいただきました。
吉野ケ里歴史公園を出て、吉野麦米に立ち寄ります。
11:10吉野ヶ里駅へゴール!コース地図では、8kmでしたけど、実際は、6,6kmでした。
明後日はもう早くも11月、今年も残り2ケ月とは早いものです。またコチラにもたまには遊びに来られてください。
今年もあと2ヶ月ですね。年初は、日光街道、京街道を歩くことや、全国のウォーキング大会に参加しようと計画を立てていましたが、コロナで全部ダメになりました。こちらはコロナの発症者は一日平均10人前後ですが、遠方に行くのが怖く今は、日帰りで行ける所に限定しています。早く自由に行けるようになれたらいいですね。