よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第25回九州国際3DM2日目いぐさの里フードバレーコース20km(熊本県八代市)

2019-05-14 05:00:00 | ウォーキング

5/11(土)九州国際3DM2日目。今日も朝6時前に福岡の自宅を出発。会場には8時ごろ到着しました。

2日目はイ草の里を訪ねるコース。8:30スタート。

  

新萩原橋を渡ります。

 

国道3号線から水無川の方に行きます。水無川の所は、11月に行われるユネスコ無形文化遺産の「妙見祭」の舞台になる所です。

 

八代神社(やつしろじんじゃ)は八代で最も大きな神社として人々の崇拝を集めてきました。その歴史は古く、今から1300年以上前の飛鳥時代(680年)に竹原の津に鎮座したのが始まりとされています。  

祀られている神は、北極星と北斗七星を神格化した「天御中主神(あめのみなかぬしのみこと)」「国常立尊(くにとこたちのみこと)」です。  また、その昔、妙見神が亀と蛇が合体した想像上の動物「亀蛇(きだ)」の背に

乗って海を渡ってきたという言い伝えがあり、交易が盛んな港町として繁栄した八代の歴史がうかがえます。  明治以降、妙見宮から八代神社に改称されましたが、

地元では今でも「妙見さん」と呼ばれ親しまれています。              

  

八代神社を出ると、このコースのミドルリーダー「もりちゃん」に追いつきました。しばらくもりちゃんと一緒に歩きます。

明言院(みょうごういん)は、奈良~平安時代の八代郡興善寺跡であり、現在の明言院は、江戸時代に再興されたものです。境内の収蔵庫に安置されている「木造毘沙門天立像」は、国指定文化財で

平安時代前期の作といわれ、熊本県下の仏像中、最も古い作品です。

  

龍峯町には、谷川古墳などの古墳がたくさん残っています。昔、この一帯には、有力な豪族がいて、その古墳と言われています。

龍峯コミュニティセンターの先から左折します。周りには、イ草畑が広がります。この辺りは、タバコの生産も行われており、タバコ畑には、花が咲いていました。

  

千丁イ草の里公園が接待場所。ここまで13km。おにぎりや、お漬物、トマトなどが振る舞われました。

 

新八代駅横の松中信彦スポーツミュージアムが2回目のチェックポイント。ここでもトマトが振る舞われました。

 

 

 

13:00ゴールしました。昨日より少し時間がかかってしまいました。

   

ゴール後、会場内のブースを見ると、八代亜紀まんじゅうがあります。ちょっと小腹もすきましたので買いました。

八代亜紀さんの顔が描かれていて、食べるのをためらいましたが、食べてみるとこれがおいしいです。

  

今日のコースです。

 

 

 

 

 

 


第25回九州国際3DM1日目水島・万葉の里コース20km(熊本県八代市)

2019-05-13 15:51:03 | ウォーキング

5/10~12まで熊本県八代市で行われた「第25回九州国際3DM」に参加しました。今年は25回の記念大会で記念品は220mlのアルミスリムボトルでした。

この大会国際大会ですのでオーストラリア、オランダ、ドイツ、ベルギー、ロシアなどの国から参加されています。スタートの「激」は、オーストラリアの方です。

   

8:30スタート。

 

歩いていると、晩白柚の甘酸っぱい香りが漂ってきます。

  

コースは、南九州道に沿って歩きます。

平山瓦窯跡は、南九州西回り自動車道建設工事に伴う発掘調査によって発見された「だるま窯」と呼ばれる瓦を焼いた窯跡の遺跡です。  3基確認された窯跡のうち、第1号・2号瓦窯は、上部の構造物は既に

破壊されていましたが、下部については残存しており、長軸380cm(1号窯)、445cm(2号窯)の規模を持ちます。構造はともに焚口を両側に持つ平窯で、燃焼室は皿状にくぼみ、中央部の焼成室は3本の畝を

有しています。  出土した瓦には桔梗(ききょう)紋・酢漿草(かたばみ)紋という、加藤清正・加藤正方の家紋がされており、麦島城から出土したと伝えられる菊花(きっか)紋鳥衾(とりぶすま)に酷似した瓦も

出土しています。  また、瓦窯跡の熱残留磁気測定結果からも、瓦窯の操業期間は慶長6年(1601)の麦島城改築から寛永9年(1632)加藤氏改易までの間と考えられることから、

この窯跡は現在の八代城あるいはそれより古い麦島城の瓦を焼いた重要な遺跡です。(八代観光案内より)

  

ロシアからの参加者もいました。ふと、お顔を見ると先週のウォーキングフェスタに参加された方です。私の風車を覚えていたらしく、挨拶をしてくれました。

 

約14km地点の水島万葉歌碑が2回目のチェックポイント。ここでは、八代特産のトマトが振る舞われました。また、お土産にと3個入りのパックもいただきました。

 

水島は、球磨川河口の堤防から50mほど離れた所にある小さな島です。日本書紀の景行天皇18年4月の条に、「天皇がこの島で食事をなさろうとした際、水が無かったので、小左(おひだり)という人物が

天地の神々に祈ったところ冷水が湧き出したので、それを天皇に差し上げることができた。そのためこの島を水島と呼ぶ」という記述があります。

 万葉集では長田王により「聞きし如まこと貴く奇しくも神さび居るかこれの水島(人の言うように、貴く不思議にも神々しく見えることよこの島は)」と歌われています。(八代観光情報より)

 

 

12:03ゴールしました。このコース信号もなく、速く歩けました。

 


高尾山へハイキング(東京都八王子市高尾山)

2019-05-10 19:42:00 | 山登り

今回8泊9日の関東の旅最終日は、ぶたころしゃん、Kanonさん、サンカヨウさん達5人と八王子市の高尾山に登りました。

高尾山(たかおさん)は、東京都八王子市にある標高599mの山です。東京都心から近く、年間を通じて多くの観光客や登山者が訪れます。古くから修験道の霊山とされています。

 

今日は、6号路の琵琶滝コースから登ります。難易度 ★★★★☆

ケーブルカーを使うと山頂駅まで7分で行けます。

  

 

岩屋大師は、弘法大師の伝説がある洞穴です。嵐の中難儀している母子を助けたという伝説があり、いつもろうそくが供えられています。

 

琵琶滝は、薬王院の水行道場の一つです。一般の方でも申し込めば指導の下、滝修行を体験できます。

  

  

  

しばらく歩くと川の中を歩きます。川の中と言っても飛び石で渡れば濡れることもありません。

  

展望台に着きました。ここから富士山が見えるのかな?と思い山の方をみましたが、方向的にはこちらではないようです。

 

 

高尾山頂上です。

  

さて、富士山は????見えました!

 

 

ここでお昼にしたいと思います。ぶたちゃんが、野点セットをもってきましたのでお茶をたてていただきました。

 

昼食後薬王院に行ってみます。

  

 

御本堂

  

  

  

  

帰りは、ケーブルカーで。

7分で到着しました。

 

この分をYAMAPでも公開しています。↓ ↓ ↓ 

https://yamap.com/activities/3610841


第24回ウォーキングフェスタ東京2日目サクラコース20km(東京都小金井市)

2019-05-09 06:08:28 | ウォーキング

ウォーキングフェスタ東京2日目サクラコース20km。

コース順は、小金井公園スタート~小平ふるさと村~あじさい公園~東村山中央公園~野火止緑道~小平中央公園~喜平橋~小金井公園ゴール

出発式の後、9:23スタート。

  

10:15 小平駅通過。

 

小平駅から多摩湖自転車道に入ります。このあたり、自転車道ですのでロードバイクなどの自転車が多く通っています。結構なスピードで来る自転車もいますので気を付けて歩きます。

 

30kmコースは八坂駅より東村山駅を通り多摩湖へ、20kmコースは、東村山中央公園から野火止緑地に向かいます。

 

 

歩いていると、木の根っこに足が引っかかり転んでしまいました。ちょっと膝を打ったぐらいですので大丈夫です。木の根っこには注意したいです。

東村山中央公園を出た所がチェックポイント。

 

コースは、野火止用水に入ります。徳川家康が江戸城へ入府してから50年程が経つと、江戸の人口増による水不足がおこったため、承応2年(1653)幕府は多摩川から水を引く玉川上水を掘ることを許しました。

総奉行として老中の松平伊豆守信綱、水道奉行は関東郡代伊奈半十郎、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟がこれを請け負いました。難工事になり、信綱は家臣の安松金右衛門・小畠助左衛門に補佐を命じて

工事を続行させ、承応3年(1654)完成しました。  信綱はその功績が認められ、領内の野火止に玉川上水の分水を許されました。承応4年(1655)、関東ローム層の乾燥した台地のため、生活用水に難渋していた

野火止の地に、野火止用水が開削されました。工事担当を安松金右衛門に命じ、費用は三千両を要したといわれています。現在の東京都小平市から掘りおこし、野火止台地を経て新河岸川に至る全長約24kmにも

及ぶ用水路です。用水路は、素掘りにより開削されていますが、土地の低いところなどには、版築法などにより堤を築いたりして野火止の台地に引水されました。

 

ここには、ホタルも生息しているそうです。東京でホタルを見られるなんて最高でしょうね。

  

青梅橋が20k、30kの合流地点です。30kコースの方は、1時間前にスタートしましたが、速い方にはここで追い越されました。

  

途中、東京のNさんと会い、しばらく一緒に歩きます。Nさんから教えていただいた「キンラン」「ギンラン」です。(写真がちょっとぼけていますが・・・・)

キンランは、ラン科の多年草。根茎は短い。茎は高さ30~60センチメートル。葉は5、6枚、茎上に互生し、楕円(だえん)形ないし披針(ひしん)形、長さ7~12センチメートル、顕著な縦じわがある。

5~6月、頂生の花序に黄色の花を数個ないし十数個つける。包葉は子房よりも短い。花は径約1センチメートルで、あまり開かない。唇弁にはごく短い距(きょ)がある。低山の疎林下に生え、

本州、四国、九州および朝鮮半島、中国に分布する。日本のこの属には花の白いギンランとササバギンランなどがある。

ギンランは、ラン科の多年草。本州、四国、九州に分布。山地の林内に生える。    根は白く束生、茎は直立し高さ15~45cmになる。葉は長楕円形で長さ4~8cm、幅2~4cmになり、

3~6枚が茎を抱くように付き、互生する。花は径約1cm、白色で3個から10個の小花が付くが、直立して平開しない。また小花とともに短小の苞葉がある。

我が家の庭には、現在「紫蘭(しらん)」が咲いています。この紫蘭も仲間でしょうか?

   

また、ここで転倒  木の根っこには注意して歩いていましたが、遊歩道の右側にコンクリート製の排水桝が地面と約7~8cmほど段差があり、右足をひっかけてしまいました。

幸い、怪我もなく(転び方が良かったからかな?)起き上がって再び歩き出しました。やはり歩き疲れると、膝痛の足があまり上がらないからかな・・・・・・・・

コースは、玉川上水に入ります。ゴールまでもうすぐです。

 

13:29 ゴールしました。距離は21,7kmでした。所要時間4時間6分。

 

ゴールして、会場内で歩友さんを待っていると、遠くで雷鳴がしてきました。空も黒い雲が現れてきました。今日は傘もポンチョもホテルにおいてきましたので慌てて帰る準備をします。

ホテルがある立川駅に着くと、雨が降り出してきました。

尚、2日目の参加者は、2331人。2日間で4833人(せっかくウォーク含む)でした。

  

 


第24回ウォーキングフェスタ東京1日目花水木コース20km(東京都小金井市)

2019-05-08 10:46:14 | ウォーキング

2019年(令和元年)5月3日(金)

年号が平成から令和と変わり令和元年初めてのウォーキング大会となりました。この大会10年ほど前に2回参加していますが、その時の名称は「東京国際3DM」でした。

2010年の15回大会からでしょうか、ウォーキングフェスタ東京と名称が変わったのは。

10年前は、シューズメーカーのM社がウォーキングブログSNSを立ち上げ、その仲間が多数参加していました。その人たちは今どうしているのかな・・・・・・

 

会場は、都立小金井公園。JR武蔵小金井からバスで公園前まで行きます。

会場内では、歩友のあすかさん、Kanonさん、岐阜のやまちゃんファミリー、鶴おじさんこと西川さんともお会いしました。勿論私は、風車とこの時期限定の鯉のぼりをつけてのウォーキングです。

 

都立小金井公園は、小金井市、小平市、西東京市、武蔵野市にまたがる77haの公園ですが、とにかく広いです。

この大会ゼッケンにバーコードがつけられ、スタート時にはそれで読み取ります。チェックポイントもバーコードを読み取ってもらうだけです。9:23スタート。

花水木20kmコースは、小金井公園スタート~桜橋~神代植物公園~深大寺~野川公園~野川の川沿い~茜屋橋(玉川上水)~小金井公園ゴールの20,3km。

 

Kanonさんと一緒に歩きます。途中で神戸のsaboriさんとも会いました。(saboriさんは、西国街道ゴールの時に立ち会ってくれました)

公園を抜けると、玉川上水です。玉川上水は、江戸市中への給水を目的としてつくられた羽村から四谷大木戸までの約43㎞の素掘りの水路です。

承応元(1652)年、幕府は多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立て、庄右衛門(しょうえもん)、清右衛門(せいえもん)兄弟を工事請負人に任命しました。承応2(1653)年工事着工、

わずか8か月で開削し、翌年6月には虎ノ門まで地下に石樋、木樋による配水管を布設し、江戸城をはじめ、四谷、麹町、赤坂の台地や芝、京橋方面に至る市内の南西部一体に給水しました。

工事に尽力した兄弟は、褒賞として玉川の姓を賜りました。 約43㎞の区間を約92mの標高差を利用して水を流すよう設計されており、当時の水利技術の高さがうかがえます。

平成15年には開削350周年を迎えるとともに、国の史跡に指定され、現在でも、水道原水の導水路等として機能しています。(東京都水道局HPより)

  

玉川上水を通り過ぎると、左側に「宇宙航空研究開発機構(JAXA)」があります。

  

コースは調布市内へ。ここでチェックポイント。ゼッケンについているバーコードを読み取ってもらいます。

  

神代植物公園から深大寺に入ります。前から疑問に思っていたのが神代と深大、どちらも「じんだい」と読みますが、調べてみると、東京都西部,調布市北西部の旧村名。奈良時代の古刹深大寺があり,

湧水の豊富なこともあって,古代から開けた地域である。明治期には,新田や畑地が広がり,深大寺村,佐須村,金子村,柴崎村,下仙川村,入間村などが成立した。これらが 1952年神代町となり,

1955年調布市となった。住宅地および園芸農業地域で,特に庭木,盆栽を産する。都立神代植物公園がある。 (コトバンクより)

深大寺は、関東屈指の古刹として知られ、その起源は奈良時代、満功上人によって創建されたといわれており、平成29年(2017)に国宝に指定された白鳳仏(釈迦如来像)、国の重要文化財である梵鐘などの

貴重な寺宝が安置されています。この地の豊富な湧水は、人々の心に水神信仰をもたらし、深大寺の名は水神の深沙大王に由来します。門前には、参拝者が憩う茶屋や名物・深大寺そば店が軒を連ねています。

 

  

深大寺参道のお店は、「蕎麦」が有名です。江戸時代、深大寺周辺の土地が、米の生産に向かないため、小作人はそばをつくり、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、

深大寺そばの始まりと伝えられています。 深大寺そばが有名になったのは、深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が、深大寺そばを大変気に入り、まわりの人々をはじめ全国の諸大名にも

深大寺そばのおいしさを言い広めたからのようです。そのため、深大寺そばの名が高まり、多くの家から深大寺へそばの使者が立つほどになりましたので、深大寺そばは「献上そば」とも言われています。

また、別の説では、徳川第三代将軍家光が、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたからだとも言われています。(調布観光ナビより)

 

 

もうお昼の時間からか、深大寺周辺のお蕎麦屋さんは、どこも長い行列ができています。このそばを食べてみたいのですが、行列を見てパスしました。(九州の人は、どちらかというと蕎麦よりうどんです)

代りに茶店で「焼餅」をいただきました。

 

 

コースは、御塔坂橋を渡って野川沿いに歩きます。

  

野川では、子供たちが川遊びをしています。東京でも川遊びができる所があるのですね。右側には馬舎があります。これは、東京大学の馬術部でした。

 

 

 

右側の広いグラウンドでは、フリスビーディスクを使ったラグビーみたいなアメフトみたいな競技が行われていました。近くにいた選手の方に聞くと「アルティメット」という競技だそうです。

初めて見ました。

 

つけ麺の大勝軒は、10年前の大会で旧SNS仲間の人に連れてきてもらいました。初めて食べたつけ麺は、おいしかったです。

小金井橋を渡り、ゴールです。14:00ゴールしました。

 

 

今日の歩いたコースです。途中で電源がOFFになりました。

  

 


奥州街道(日光街道)を歩いてみようと思います。

2019-05-07 05:19:02 | 奥州街道(日光街道)

昨年12月に長崎・出島~長崎街道~山陽道~西国街道~東海道を約8年かかって完歩しました。

もう街道歩きは、いいだろうと思っていましたが、どうも街道歩きの癖が治りません。

  

そこで今度は、目標は大きく持ちたいと思い、東京から東へ奥州街道(日光街道)~仙台道~松前道を通り最終目的地を青森県竜飛岬にしたいと思っています。

日本橋から竜飛岬までは、約830km。これに途中の寄り道を入れると1000kmは越えると思います。

もう歳も後期高齢者の仲間にリーチ寸前ですので、果たして竜飛岬まで歩けるかどうか不安ですが、頑張りたいと思います。

そして、竜飛岬にゴールしたら、津軽海峡に向かって石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を歌ってみたいと思っています。