昨日、国分寺の「くるみの森」におべんと下げてった話を書きましたが、おかずやおつまみを入れていくのに使った容器は、先日、かっぱ橋で買ってきたものです。
いつもちりめん山椒やおこぶを炊いたものなどを入れたりしている容器の親分みたいな大きさなのですが、これは蓋がぴちっと閉まって本当に使いよい。
ネットでも買えるので検索していたのですが、ビミョーな大きさがわからず、やっぱり手にとって選んだほうがいいなあと思って行ってきました。
去年もちょうど同じ時期にお弁当箱を探しに行ったりしたので、こういう容器がどのあたりのお店にあるのかは大体目星がついていたのですが、やはり記憶というのは日毎に消え失せていくもので、ちと悩みながらうろうろ。
おまけにちょうど次の日からかっぱ橋のおまつりで準備をしていたり、前倒しでセールをしているお店もあるので、前より混んでいて歩きづらかったです。
でも、ちょうどよい大きさが見つかりました。
これだと友だちにおかずのおすそわけをするに使ってもいいなあとか思ったり。どうしても一粒で二度おいしい・・・そんなものを探してしまおうとするんですよね(^^;)
くるみギャラリーに運んでいくのに朝詰めてみたら、なかなかいい感じにできました。
種類をひとつひとつ入れて並べてみると、デリでもできそうな気分になってきます。
地味なぬか漬けも、ひじきとごぼうのきんぴらも、おまめも、切り干しも、みんなみんなおいしそう・・・に見えるのは私だけかしら。
まあいい。作った本人がいい!と思えなければ。ね(^^)v
なんか、この作業楽しいんですよ。
そういえば、商店街のお惣菜屋さんって憧れます、ずっと。ただただ豆を煮たり、いつも買いに来るおっちゃんがいたりとか。
京都で3才まで住んでたところの近くにはそういうお店がありました。横はお肉屋さんで揚げたてコロッケ売ってて。
大きくなってから昔のご近所さんちに遊びに行って買ってもらい、コロッケは紙に包んでもらうんですよね。あれがなんともおいしさを引き立てるというか、おいしいと感じる要素のひとつでした。
父の生まれ育ったところの近くの商店街にはお豆のおいしいお店がありました。ひたすらいろんなお豆を炊いて売ってるお店。金時豆、うぐいす豆、五目豆・・・。
父の実家に行くと必ず「行こう」「行かなあかん」と言って寄る豆やさん。
お豆にはそういう思い出がたくさんあるのも、今私がお豆好きな理由のひとつなのかもしれません。
まあ、そんなことをつらつら思いながら詰めるのがとても楽しく。これも何かにつながるかなあと思ったり。夢はふくらみあちこちに飛びます。
ところで、このタイトル、はじめ「デリ屋」さんにしようと思ったんですけど、これってなかなかアブナイ意味があるんですね。
デリって言えば食べ物のことだとばっかり思っていました。
デリ屋になるとか憧れる・・・とか言ったその日にゃあ、いや、まずいまずい。
まだまだ世間のこと、勉強しなくちゃと思った次第です(^^;)